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いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

鈴木庫三さんの見た筑波山

2007年07月04日 20時58分45秒 | 筑波山麓
- - 精神上の慰安を求むるに、以前とは趣味も変わり、子供に返って外出等を喜ぶようになったのは、自分乍らも可笑しく感ぜられる - - 鈴木庫三の日記、1919年1月31日.

佐藤卓巳・『言論統制 - 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』より孫引き。



鷺島から見た筑波山。

鈴木庫三は、(中略)筑波山の北、茨城県真壁郡明野町大字鷺島の農家に生まれた。   『言論統制』




おいらは、以前と変わらず、がきんちょのように外出する。
なぜって、本なぞ30分も読んでいられないからだ。
先週末は鈴木庫三センセのふるさと探訪。何もなす。ただ筑波山が見えて、がきんちょが多かった。



というのも、上記Amazon: 言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (新書) がべらぼうにおもしろい。
そんでもって、クラゾウさんが筑波山麓生まれと知り、意味もなく、行く。


雛人形の起源は神道の儀礼で、ヒトカタの紙を作り、それで自分の体をぬぐい、穢れをそのヒトカタになすりつけたと思い込んで、川に流す。それで、自分はキレイ、キレイ。わかりやす過ぎる儀礼である。自分はキレイ、キレイとは、おめでたいこと、限りない。これで、ずぶんはいい子チャンって。 すごいぞ! ぬっぽん神道!



???ぬっぽんすんとう??? 朝日の記者で、いいこちゃん!


鈴木庫三さんは、戦前言論界の ヒトカタ に他ならない。 石川達三はじめ売文業者たちは大衆の熱狂にも刺激され戦争にしびれた。実はそうシビレてはいなかったのかもしれないが売文渡世で、戦争マンセーの言論でたくさん商売した。身過ぎ世過ぎのずんせいだ。

戦争に負けた。そうしたら、おれたちは軍部の脅迫と力でやむをえずやっていたのだと戦後いいわけしてきた。いいわけどころかとんだ作り話さえしていた。軍部の悪魔化である。 その悪魔の筆頭が鈴木庫三センセ。

貧農出身だが、勉強と求道的精神で、がんばっちゃった御仁。
「貧乏で着物もない。遠足等の日には必ず欠席した」高等小学校時代。

おもしろいエピソード満載なのが、この本。

戦前、どういう人たちが職業軍人になりたかったのか、なったのかがわかる。そして、軍隊生活とは何だったのか一端がわかる。

「ここにくれば、社会的地位も、貧富も、年齢の差も全く帳消しである。みんなが同じレベルだ」、「軍隊生活や戦争の時代をなつかしむのは、(略)その根底には、軍隊生活より、もっとひどい浮世の苦労や、人前に出られる服装すらない貧乏や、人間を地位や学歴で価値づけて実力では評価しない周囲があるからだと思う。」

など、戦前の軍隊がもった貧民庶民からの期待の一端が見える。

(しりきれ、おちなし、おやすみなさい。)