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■黒猫子供会
「黒猫子供会」がブログ検索にもGoogleにも登録されていない。登録する。黒猫子供会は、おいらがギャングエイジのころ属していた、おそろしいグループである。ピンポンダッシュなぞをしておった。 そして、今日、やはりおいらはがきんちょのころから、尊皇のゆかりがあることがわかった。つなぎ手は、黒猫さんである。
■スジャータ・宇多天皇
この列島において現存している書かれたものとしての最古のにゃんこの記録は、宇多天皇の日記『寛平御記』である。
▼コピペ▼
寛平元(889)年2月
六日、朕閑時、述猫消息曰、驪猫一隻、太宰小
二 一
弐源精、秩満来朝所献於先帝、愛其毛色之不類
レ二 一 二 一
云々、皆浅黒色也、此猫深黒如墨、為其形容悪
レ 二 一
似慮、長尺有五寸、高六寸許、其屈也、小如秬
二 一 二
粒、其伸也、長如張弓、眼精晶、如針之乱、
一 レ レ 二 一
眩鋒直竪如起上之不揺、其伏臥時、団円不見
二 一 レ レ二
足尾、宛如堀中之玄璧、其行歩時、寂寞不聞音
一 二 一 レ二
声、恰如雲上黒龍、性好道引暗合五禽、常低頭尾
一 二 一 レ
著地、而聳背骨高二尺許、毛色澤盖由是乎、
レ 二 一 レ
亦能捕夜鼠挺於他猫、先帝愛翫数日之後、賜之
二 一二 一 二
于朕、朕撫養五年于今、毎旦給之以乳粥、豈啻
一 二 一 レ 二 一
取材能翹挺、因先帝所賜、雖微物殊有情於
二 一 二 一レ 二 一 レ 二
懐育耳、仍曰、汝含陰陽之気、備支竅之形、心
一 二 一 二 一
有心寧知我乎、猫乃歎息、挙首仰睨吾顔、似
二 一レ レ 二 一 二
咽心盈臆、口不能言
レ 一レ レ レ
(国書刊行会編『続々群書類従』第五、7頁)
コピペ元宇多天皇御記 猫記述部分
▲コピペ・おわり▲
現代語訳があった。
▼コピペ▼
当時はみんな浅黒い猫ばかりだったのに、この猫だけは深黒で墨のようだ。大きさは長さ一尺五寸、高さ六寸ほどで、
うずくまると黒い黍粒のように小さくなり、伸びると弓を張ったように長くなった。
瞳は光り輝いて針のように穂先がもつれずにいるようだし、視線はきらめく鉾がまっすぐに立って、起き上り小法師が揺るがないようである。
寝る時は円くなって足や尾が見えず、まるで堀の中の黒い玉のようである。
また歩く時はひっそりしていて少しも音を立てず、丁度、雲の上の黒い竜のようである。
その性質は道家風の深呼吸を好み、虎、鹿、熊、猿、鳥のまねをして血液の循環をよくする養生法にかなっている。
そして、常に頭を低くし尾を地につけているが、背をそびやかすと高さ二尺ばかりにもなる。毛色の美しいのは、このためなのだろうか。
そのうえ能く鼠を捕える術は、はるかに他の猫より優れている。
先帝が、私にこれを賜ってからもう5年になるが、私は毎朝、乳粥をやって養っている。この猫の才能が優れているだけで愛しているのではない。
先帝が賜わったものだからどんなものでも大切にしているのである。(解読・伊豆山善太郎氏)
コピペ元 歴史としての猫 第6回 日本渡来物語 須磨 章
+
「お前は、天地陰陽の気を含み、四支(両手・両足)七こう(両目、両耳、両鼻、口)を備えているのだから、わたしの心がわかるのだろうね。」
すると、猫は嘆息して顔を上げて天皇を仰ぎ見、感激してむせび泣き、胸がいっぱいになっているようであったが、口では何も言う事ができなかった。
日本最古の愛猫家の記録は黒猫。
▲コピペ・おわり▲
原文には黒猫の文字はない。「此猫深黒如墨」と後で再表現されるが、当初は、 驪猫 である。 驪 って、発音のしかたしらない。ただ、馬に麗しい、だから毛並みがいい色ということなのだろう。
当時の猫は「文化防衛論」者であり実戦部隊であった。つまりは仏典に代表される書物をねずみさんがかじるのを阻止していたからである。仏典を守る黒猫さん。うちの愚猫どもとは大違いである。
すめろぎさん御自ら、乳粥を仏典を守る黒猫さんに与える。
お釈迦さんに乳粥を上げたのはスジャータさん。いまじゃ、ぬほんのラジオフリークに、時間を教えてくれる。
?
■
有心寧知我乎、猫乃歎息、挙首仰睨吾顔、似
咽心盈臆、口不能言
ってすごいよね。 猫こそ尊皇家正統派ということだ。
つまりは、天皇陛下の前ではものも言えないという点が。
口不能言
●
ひろひとさんの前で足を組んで、ぺらぺら、上奏していたことは有名。
そんで、「近衛は幕府を作る気か?!」っていわれたらすい。
今度生まれ変わったら、われらが「黒猫子供会」の「ドゥークサマ・がきんちょコース」をおすすめするだす。
その前に、お互い、地獄で会おう!