いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

野蒜築港跡 -仙台参り2006 ⑥-

2006年10月01日 16時19分15秒 | 仙台・竹雀・政宗



■石巻から松島に向かう途中に鳴瀬川があり、その河口付近に野蒜(のびる)築港跡がある。

■明治6年(1873年)に薩長チンピラ兄ちゃんたちは欧米使節団として、来るべき日本社会のしくみを 欧米にパクリ に行った。なぜなら、彼らは破壊と転覆だけで、幼帝を戴いたことをテコに、政権を奪取したが、将来のビジョンなど何もなかったからである。

■そんな岩倉使節団がヴェネティアで遭遇するのは、自分たちがスタコラ欧州にくる(1874年)約250年前に、そのローマに奥州から使節団が来ていた史実だった。

■太平洋や大西洋を渡るシンドサを骨身にしみて感じていたはずの岩倉が、先の戊辰戦争で、奥州問題というのは日本歴史で繰り返される 蝦夷討伐 だと見栄を張り、トーホグを馬鹿にしたが、その 「蝦夷」 からの支倉使節団(サンファンバウティスタ号 -仙台参り2006⑤- )の史実を知って驚いたことを想像すると愉快である。

■さて、使節団の一員だった大久保利通は、明治九年(1876年)に むつひとさん の東北行幸に随行する。 その際、 むつひとさん一行が眺めたはずの松島の風景は以前記事にした。

むつひとさんが見た風景

■その際、大久保はこの野蒜の地に注目したらしい。 港をつくって、産業地域にしようと。神戸、横浜並の港にしようとしたらしい。 この決定の背景に、戊辰戦争では東北諸藩の盟主だった旧敵仙台の底力をローマで知ったことがあるのかは知らない。

■お雇い外国人などに築港させるも、天災のせいで、結局 すっぱい。

夢のあとの風景なのです。  Google 野蒜築港跡  「野蒜築港ファンクラブ」、ってのもあるよ。


写真で 北上運河 とあり、川を跨いで左に続いているが、これは 貞山掘 という日本最長の運河で江戸時代初期からある。この運河で米を運搬し、阿武隈川河口から江戸に出荷したらしい。 貞山とは政宗の号。 


内務一等属黒澤敬徳碑