いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

大『帝国』にあやかる焼肉屋

2006年10月15日 19時26分54秒 | その他
  一九三四年に羊博士は東京に呼び戻され、陸軍の若い将校に引き合わされた。将校は来るべき中国大陸北部における軍の大規模な展開に向けて羊毛の自給自足体制を確立していただきたい、と言った。 『羊をめぐる冒険』


立川方面にて


札幌にて

両方とも通りすがりで、デジカメ画像を撮ったもの。ネットで調べると、両者ともジンギスカン屋であるらしい。それも、FC、フランチャイズとのこと。それにしてもインパクトのある名前だ。まあ、FCは名づけとかイメージづくりに必死になるのだろう。

以前にも書いたが、「ジンギスカン」料理は、近代日本において、大陸での寒気における活動のために陸軍が、防寒具の素材として羊毛を必要としたことが背景である。老成する間際でして食用にした。現在のようにラム肉、やわらかい幼羊の肉、ではなく、マトン、それも何度も毛を刈り取られたすっかりすじだった肉を食べていたのだ。

その、老肉処分の料理に「ジンギスカン」と名づけた。それは、羊を食べることをモンゴル・蒙古人の食生活のステレオタイプと考えることに基づく。

たぶん、モンゴル人は「ジンギスカン」のように平薄肉を鉄板で焼いて食べるこてゃないだろう。塊、あるいは小さい塊で食べると思う。つまり、ジンギスカンと名づけ、ユーラシアの大半を制覇した大帝国モンゴル・蒙古を勝手に夢想してジンギスカンを食している日本人は、それは極めて独創的であること/日本人しかしていないことに案外気づいていないのかもしれない。

羊は十二支に入っているが、近代以前には日本には全くいなかった。大正時代に量産のための羊が欧米から取り寄せらた。だから、モンゴル・蒙古は全然関係ない。


韓国料理でプルゴキ/プルコキというジンギスカンに似た料理がある。ただし、焼くというより少しの汁で煮るという感じ。味は最初からついていて、焼肉のようにたれをつけて食べるわけではない。味は薄甘い。おいらの知ってる範囲。