いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ゾッキ本・計400円で読む角栄・ニクソン・毛沢東

2006年10月03日 19時35分12秒 | 


■ブックオフとか同じコンセプトの「古本屋」には、100円コーナーというのがある。もっとも最近では税込みなので105円ではあるが。ブックオフとか数件回るとぼろぼろというかザクザクというか<貴重な>100円ゾッキ本が手に入る。今日はそんな100円ゾッキ本4冊で角栄・ニクソン・毛沢東を。

■ねた本の紹介;
①『田中角栄と毛沢東』青木直人 2002年
②『自主外交の幻想』山本満 1974年
③『多極世界の構造』永井陽之助 1973年
④『日本外交の軌跡』細谷千博 1994年

①『田中角栄と毛沢東』青木直人は最近の本で、角栄が中国接近したばっかりに米国に狙われて失脚したという暗示のもと、角栄と毛(マオ)がいかに投合したかを書いたもの。

【用途】30年以上を経ても未だ謎の角栄・マオ関係、そしてなぜ日中国交が可能だったのかに迫る本。イメージと思考を喚起する。

②『自主外交の幻想』と③『多極世界の構造』は、ニクソンショックとその後の怒涛のような日中国交回復ブームの雪崩現象についての論稿、当時の文藝春秋やらの雑誌に掲載されたものを単行本化したもの。

【用途】当時の識者がどう日中復交を考えていたか知ることができる本。当時の気分・雰囲気がわかる。虫瞰のために。

④『日本外交の軌跡』細谷千博 
近代日本の外交の通史。ニクソンショックや1972年の田中訪中の前後を知る。

【用途】外交史の鳥瞰のために。

■■■■■物語にならないだろうけど、日中物語。あるいは<サンフランシスコ体制>について■■■■■

まずは<サンフランシスコ体制>ありき。いうまでもなく、敗戦国・被占領国日本が、せめて形式上だけでも、占領を止めてもらうための契約。

<サンフランシスコ体制>とは、<奴(やっこ)>が<主(あるじ)>から最後に<主>の命令を聞いたら、<主>-<奴>関係を解消してやると言われ、その最後の<主>の命令が、「<主>-<奴>関係の解消後もずっとおれの言うこと聞け」という体制のことである。それが現在まで続いていることは言うまでもない。

②『自主外交の幻想』山本満 においては「保護国」(日本のことだ)というタームがきちんと使われている。さらには、保護国・日本の「<主>-<奴>関係の解消後もずっとおれの言うこと聞け」という状況の描写も適切;

保護国的地位の修正要求がさらに大きな次元でのアメリカへのコミットメントを代償としてのみ受け入れられてきたことにも注意しておこう。自主性を拡大したつもりが、実はひとまわり大きなところでアメリカの世界政策の拘束をより受け入れる結果になっている。

<サンフランシスコ体制>下で、米国は日本の中共との関係を徹底排除。対米関係では<サンフランシスコ体制>ずっぽしの立役者だった吉田茂でさえ中共との貿易には未練があったが、ダレスに台湾・中華民国との関係を指定され、中共との経済交流を「自粛」する旨を表明させられた(吉田書簡)。

はしごはずされた佐藤栄作 そんな米国の中共封じ込め戦略に忠実だった佐藤栄作内閣。中共を敵視、中共も日本を「復活する軍国主義」と敵視。日米を敵視しているとはずと思っていたのに、ニクソン訪中宣言! 佐藤内閣瓦解。「国際情勢は複雑怪奇なり」。

 はしごはずされたハライセに新聞記者をはずす。
佐藤栄作首相退陣記者会見

『1972年のハルノート』に逆上するぬほんずんたち 米国に裏切られたと逆上する日本は、だしぬきはだしぬきで対抗と、これまたきわめて日本的流儀で日中復交へ雪崩れをうつ。米国に裏切られたので、もう米国に遠慮する心理的堤防が決壊。実はこのときが、今から考えても、一番<サンフランシスコ体制>川の決壊が激しかったと思える。話はそれるが、2001年の9・11の直前、小泉内閣・田中真紀子外相は<サンフランシスコ体制>50年を日米外交トップで祝った。決壊した<サンフランシスコ体制>川も元にもどったのである。

そんな逆上しなだれを打つ日本への批評が上記③『多極世界の構造』永井陽之助。

米中接近のもつ虚の性格を誤解して、日ソ関係や台湾の犠牲のうえに、中国に深入りすぎた感のある田中外交は、いま、対ソ、対米、対東南アジア外交で急速に行動の自由を失いつつあるようにおもえる。その巨大な代償を支払って日本の得たものが、二頭のパンダだけであったとしたら、それは冗談にもならない。

といった調子である。これはなにも、中西輝政の「諸君」最新号掲載の文章からの抜書きでは決してなく、のちに「吉田ドクトリンは永遠なり!」とレッテルを貼られ、今でいうウヨから、戦後体制の守護者とバカにされた永井陽之助センセの言である。

敵はシベリアにあり この角栄の日中国交回復そして、続く福田内閣での、いわゆる覇権条項を含む、日中条約とは何だったのかは、④『日本外交の軌跡』細谷千博をみる(こんな教科書的史実なぞどの本でもいいのだが、100円なので)と、抜け駆けした米国も、後発の日本に出し抜かれながら、1979年にやっと米中国交回復をする。そして出来上がったものは、日中米の対ソ三国「同盟」なのである。同盟条約こそないが、前述の覇権条項のようにソ連の膨張を食い止めようとする3カ国の意志が、暗黙にでも、共有されていた。

敵の敵は味方 そうなのだ、日中、米中復交の直前、中ソはイデオロギー論争だけならまだしも、それが高じて武力衝突まで起こした(チンポー島)。日中、米中復交と日中米の対ソ三国「同盟」の絵図を描いたのは毛沢東なのである。マオは、現在中共が口を極めていいつのる日本帝国主義の過去の侵略と謝罪不足を度外視しても、直面するソ連への恐怖と対決のために、<日米「帝国主義」者ども>との「同盟」を必死で実行したのである。田中日中国交回復はその文脈で認識されるべきである。
①『田中角栄と毛沢東』青木直人

マオの優れた戦略眼 近代日本はご丁寧にてめえの骨身を削って、日露戦争、満州建国とロシア・ソ連の南下を食い止めてきた。そのロシア・ソ連南下侵略阻止の受益者が支那・朝鮮である。マオは知っていた。日本はソ連南下阻止の絶好の駒だと。だから、日中国交回復。

その時はわからず しかしながら、この「マオの絵図」も現在の、それも、仮説である。当時は、もしそうであったとしても、そんなことはわからない。だから、キッシンジャー、ニクソンは田中の日中復交を、<サンフランシスコ体制>に歯向かうものとして、心底許しがたいものと思ったたのだろう。それが、キッシンジャーのジャップ発言に他ならない。いか@ 筑波山麓『看猫録』、「最悪の裏切り者」

万事塞翁が馬 マオが必死で作り上げた日中米対ソ包囲網の効が利いて、皮肉にもソ連崩壊の環境作りとなった日中米対ソ包囲網は、まさにソ連崩壊それ自体のおかげで不要となる。中共には新たな敵が必要となった。日本である。江沢民路線。経済援助を得て、今では念願の核攻撃力を充実させた。意思さえ固めれば、日本人3千万人を焼き殺すことができる。






2006年 アベちゃん訪中 さて、どうなることやら。


北京の空は青いかな? あべちゃん!