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いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

東京散歩:表参道駅⇒ 神宮前⇒ 南青山⇒ 青山墓地⇒ 青山公園 南地区/米軍基地⇒ 乃木坂駅

2023年12月29日 02時34分51秒 | 東京・横浜

都内、渋谷区ー港区散歩。当初、浮世絵の太田記念美術館と岡本太郎記念美術館に行こうと思った。さらに、青山公園南地区に行くことを目的とした。失敗した。太田記念美術館と岡本太郎記念美術館共に休館だった。事前にネットで調べたつもりだったが、2重の勘違いで、現地に行くまで休館と気づかなかった。でも、結果、表参道駅から乃木坂駅まで散歩した。

1.表参道駅、2.神宮前1丁目、3.神宮前丁目、4.南青山丁目、5.青山陸橋、6.青山公園南地区、在日米陸軍基地、7.乃木坂駅

■ 

▼ 太田記念美術館

太田記念美術館 公式 web site

▼ かまわぬ原宿店

同館のかまわぬは営業していた。

先日の本店につづき、今日も購入。フライパン裁縫道具ならべ

■ ⇒ 

公式 web site   何がどうfossil (化石)なのか?興味をもった。wikipedia

取り扱い商品: 時計、財布、デザイナージュエリー、デザイナーフレグランス(メンズ&レディース1984)、レディースハンドバッグ、さまざまなレザー製品:コンピューターバッグ、バックパック、ベルト等

バーミアンでチンジャオロースーを食べた。店内は他の支店と比べて広くてきれいだった。

■ 神宮前 ⇒ 南青山 

▼ 神宮前五丁目児童遊園地

いこーよ

柔らかい色使いと可愛らしいキャラクターが特徴のイラストレーター・Namie先生の初個展「Wanderlust」を開催します。

pixiv WAEN GALLARY

 

国連大学

▼ 岡本太郎記念館

公式 web site

■ ⇒ 青山墓地

■ 青山公園

六本木トンネルを通した時、都の土地を米軍に貸し出してヘリポートを暫定的に移設したのがそもそもの始まり。

ところがトンネル工事が終わった後も米軍は暫定的に移設したはずのヘリポートをそのまま使い続けます。

その後の都と米軍の交渉で、貸し出して返ってこなかった土地と交換に、未返還だった国立新美術館側の部分を返してもらったというのが経緯です。歩いて知った 麻布ガイド

■ 在日米陸軍ヘリポート

軍犬隊はいないようだ。

赤坂プレスセンター(あかさかプレスセンター、英語: Akasaka Press Center)は、東京都港区六本木にある在日米軍基地。ハーディー・バラックス (Hardy Barracks) とも称される。

東京都区部にあるアメリカ軍基地の一つで、在日米陸軍が管理している。前身は旧日本陸軍歩兵第3連隊の駐屯地で、現在は星条旗新聞などの事務所、宿泊施設、ヘリポートとして使用され、大統領など来日する米政府要人の移動拠点としての役割も担っている。占有面積は3万1670平米。  wiki

まとめ 通過街

渋谷区 北青山、神宮前
港区 南青山 六本木

 

 

 


東京散歩:町田駅、 行幸通、町田市民文学館 ことばらんど、中央通

2023年12月24日 13時47分04秒 | 東京・横浜

町田の市街に行った。主目的は、町田市民文学館 ことばらんどの「生誕100年 遠藤周作展 ミライを灯すことば」に行くこと。ついでに、昭和の遺跡:行幸通出発点のけやき並木を見にいった。

1.JR町田駅、2.けやき並木、3.地下道、4.町田市民文学館 ことばらんど、5.中央通、6.原町田大通、  :1964年米軍機墜落位置(愚記事

町田駅には狭いながらも河岸段丘の立川面がある。上図のB。Aは立底平野。Cは武蔵野面。

■ 1.JR町田駅 ⇒ 2.けやき並木

現在の県道51号線の、町田から相武台までの区間。 Wikipedia:ja:二・二六事件後、 帝都・皇城における青年将校ら、軍部による暴走の再発を防ぐために、 市ヶ谷のWikipedia:ja:陸軍士官学校 (日本)などの主要施設が相模原に移されることになり、 横浜線国鉄原町田駅南口から境橋、相模大野、相武台を経て、 新しい陸軍士官学校、現在の米軍座間キャンプまで昭和天皇が通る行幸道路が造られた。 当時としては珍しいコンクリート舗装道路で、 昭和天皇は陸軍士官学校の卒業席に臨席するために馬車でこの道を通ったと言う。 今でもJR町田駅南口には当時のケヤキ並木、およびお召し列車専用の引き込み線が残っている。https://machida.fandom.com/ja/wiki/%E8%A1%8C%E5%B9%B8%E9%81%93%E8%B7%AF


境川


けやき並木から相模原方面を望む。

■ 3.地下道 ⇒ 4.町田市民文学館 ことばらんど

Yokota Base Studio (web side)  東京都町田市原町田1丁目6−24 田島第二ビル

町田でなぜ Yokota Base ? 横田基地?と思った。なんのことはない、オーナーさんが横田さんなのだ。

▼ 原町田地下道

▼ 仲見世商店街

公式 web site

▼ 

▼ 町田市民文学館 ことばらんど

生誕100年 遠藤周作展 ミライを灯すことば(公式 web site

生誕100年を迎えた作家・遠藤周作(1923-1996)。新資料の発見が相次ぎ、再注目されている日本を代表する作家の一人です。「日本人にとってのキリスト教」を文学テーマの基底に据え、重厚な純文学作品から歴史小説、エンターテインメント小説、戯曲まで多彩なジャンルの作品を生み出しました。そして、これらの作品において差別、罪の意識、個と権力、人間の弱さなどの心の暗部を描き出し、本当の自分とは何か、悪に救いはあるのか、人生とは、神、信仰とは何かを問い続けました。教え諭すのではなく共に悩み苦しみ、弱者に寄り添うことで多様性への寛容を示した遠藤文学は多くの読者を慰め、勇気づけています。また、もう一つの名・狐狸庵先生としてエッセイを次々と発表。町田市玉川学園の自宅を「狐狸庵」と名付け、1964年から過ごした20余年の間にテレビのインタビュー番組やCMにも出演してユーモアに富む言動で幅広い人々に親しまれました。遠藤は後年、二つの名を持ったことにより「人一倍、生きた」という充足感を得られたと語っています。
本展では、次世代に語り継ぐ文学として遠藤文学の再評価を試みます。代表作『白い人』『海と毒薬』『沈黙』『侍』『スキャンダル』『深い河』を、現代作家 山崎ナオコーラ、夏川草介、朝井まかて、阿部暁子氏らが新たな視点で読み解き、いま読むべき文学としての意義を提示します。社会的不安が蔓延し、孤立や孤独、生きづらさ感じる現代。遠藤文学の新たな地平から、生きることの意味、未来を灯すメッセージを読みとっていただければ幸いです。 (公式 web site)

町田市民文学館 ことばらんどは、平日であったが賑わっていた。

 ピンボケです

■ 5.中央通 ⇒ 6.原町田大通

▼ 町田駅

まとめ 通過街

東京都 町田 原町田 (のみ!)


東京散歩:池尻大橋駅⇒ 菅刈・西郷山公園⇒ 代官山・旧朝倉住宅・猿楽町⇒ 渋谷

2023年12月17日 09時25分22秒 | 東京・横浜

東京散歩。目黒川は谷をつくっている。谷には両岸がある。目黒川の南西側が目黒台、北東側が淀橋台。河岸段丘である目黒台の表面は武蔵野面。淀橋台は下末吉面。淀橋台の方が古い。すなわち、より長い時間風雨に曝され台地が侵食されている。東急田園都市線の池尻大橋駅で降りて、最初は南側の目黒台の東山貝塚を見て、東山公園へ。その後、台地を降りて目黒川に出て、渡って、段丘崖にある菅刈公園・西郷山公園に行く。その後、淀橋台に登って、代官山へ。旧朝倉住宅、代官山駅付近に行く。その後、渋谷川がつくった谷の方へ向かう。渋谷川沿いを北上し、渋谷駅へ散歩した。

1.池尻大橋駅、2.東山公園、3.菅刈公園・西郷山公園、4.旧朝倉住宅、5.代官山・猿楽町 かまわぬ、6.猿楽橋、7.渋谷駅

赤矢印:西郷山、青⇒:渋谷川・開渠部分

■ 1.池尻大橋駅 ⇒ 東山縄文公園 ⇒ 2.東山公園

▼ 東山縄文公園

東山貝塚遺跡(ひがしやまかいづかいせき)は、東京都目黒区東山の目黒台北側斜面一帯(目黒区東山二丁目から三丁目にかけての一帯)に存在する旧石器時代、縄文時代早期、縄文時代中期から後期、晩期および弥生時代後期、古墳時代にかけての複合遺跡である。wikipedia

現在東山貝塚公園がある一帯では、明治期から貝殻や土器片などが出土することが知られていた。貝殻の種類は海のものが多く淡水産は少ない。目黒川沿いの低地一帯がかつて海であったことを示しているといえる。 

東山縄文公園は武蔵野面の中位にある。正面が段丘崖。段丘崖の上が武蔵野面最表面。

▼ 東山公園

■ ⇒ 目黒川 ⇒ 目黒天空庭園

▼ 目黒天空庭園

建物の屋上にあるはずの庭園にたどり着く方法がよくわからなかった。郵便局の横にエレベーターを発見。上画像の左奥。これだとわかる。

エレベーターで6階へ。

目黒天空庭園(めぐろてんくうていえん)は、東京都目黒区大橋にある屋上庭園。首都高速道路大橋ジャンクションの屋上に造成され、2013年3月30日にオープンした[1][2]。

首都高速道路の3号渋谷線と中央環状線を結ぶ大橋ジャンクションの屋上を緑地化した庭園で、目黒区の区立公園として整備されている。

ドーナツのような楕円形が特長。高さは地上11メートルから35メートル、延長距離は約400メートルで、平均勾配約6%のループ状である。最も低い部分は歩道橋経由で国道246号へと通じている。庭園には芝生を基礎として約30種類の樹木や花が植えられている。 (wiki)

■ ⇒ 菅刈公園・西郷山公園


振りかえって見た、目黒天空公園の建物

 

 

左上から時計回りに地図、1945-1950年航空写真、1960年代、現在。

西郷従道邸は敗戦時はあった。一部戦災で焼けたらしい。本館の洋館は焼け残って[1]、現在は犬山の明治村にある。その後、敷地には国鉄職員官舎が建てられた。そして、公園になったのは「最近」(2001年)らしい [wiki]。つまり、西郷従道邸の回遊庭園は、一度、完全に潰れたのだ。

▼ 西郷山公園

富士山が見えた。頭頂部のみだけれども。

■ ⇒ 代官山 山手通り ⇒ 4.旧朝倉住宅

▼ 代官山交番前交差点

▼ 旧朝倉住宅

旧朝倉家住宅は、渋谷区猿楽町、台地が目黒川の谷に落ち込む南西斜面に、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎によって、1919年(大正8年)に建てられた[1]。大正期の木造2階建て住宅の趣のある主家と、回遊式庭園を見ることができる。現在の所有者は文部科学省である。wiki

入場料は、200円です。

■ ⇒ 代官山 猿楽町

20年くらい前に来たことがある。

代官山駅から歩いて3分。1987年にかまわぬは、静かな路地裏に開店した代官山店から始まりました。(かまわぬ公式 web site

■ ⇒ 6.猿楽橋

■ ⇒ 7.渋谷駅


渋谷川

▼ 渋谷たくぎんビル:「たくぎん」って今の人は知らないだろう。

オフィスナビ 渋谷たくぎんビル

できたのは、1982年。バブルの前だと知る。

■ まとめ 通過街

目黒区 東山、青葉台、猿楽町

渋谷区 渋谷


東京散歩:茗荷谷駅⇒ 占春園⇒ 小石川植物園⇒ 後楽園⇒ 水道橋駅⇒ 神保町

2023年12月10日 11時30分36秒 | 東京・横浜

東京散歩。小石川植物園に行くのが主目的。あと、近くの占春園。占春園は2006年に始めて行った。行った理由は茗荷谷に仕事で行ったついでに訪れた。当時は「つくば山麓」に住んでいて、常磐線で行った。その後、占春園再訪を2018年に試みたが工事中で入れなかった。占春園は現在筑波大学の管轄とのこと、一般人も入れる。筑波大学の管轄というのはこの園の利用目的が付属の学校の生徒の学習活動のためとのこと。つまりかの「御皇甥」[1]さまも活動あそばされるのだ?

小石川植物園は、 2018年12月 2018年3月 に訪れている。イチョウ、メタセコイアや紅葉をみたいと思った。

小石川植物園のあとは後楽園駅の近くの文京シビックセンターの展望台に行くことにする。その後は、南下して水道橋駅で中央線をくぐり、神保町へ。建て替え建物がなくなるという学士会館を見て、本屋をのぞいて、地下鉄で武相境に帰った。

1.地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅、2.占春園、3.小石川植物園、4.後楽園、文京シヴィックセンター、5.水道橋駅、4.神保町

▼ 茗荷谷付近の地図と地形図

■ 1.地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅 ⇒ 2.占春園

「筑波大学」門。なお、つくば市の筑波大学本体には門も塀もない。それが筑波大学の「売り」であった。この一帯は昔、東京教育大学、戦前は師範学校の敷地であった。段丘と段丘崖が敷地内に認められる。後述の占春園もこの敷地一体の一部である。

東京師範学校は、大塚台から氷川下の谷に下ってゆく斜面の上につくられた三段のテラスからできあがっている。 (高杉一郎、「遠い人」、『ザメンホフの家族たち あるエスペランティストの精神史』、愚記事

この坂は旧東京教育大学敷地の東側。段丘崖を下る坂。坂が段丘を刻んでいる。画像左手は削られず残っている段丘であり、そこを利用して旧東京教育大学敷地としている。


坂の左手(西側)の段丘面に登ったところ。

■ 占春園

占春園(せんしゅんえん)は東京都文京区大塚にある庭園。徳川光圀の異母弟、松平頼元が1659年(万治2年)に上屋敷を構えた庭園の名残りである。 

1903年(明治36年)に東京高等師範学校(現在の筑波大学)が湯島からここに移ったことにより、占春園は校地の一部となった。筑波大学附属小学校の自然観察園として管理されている。

現在、占春園は、筑波大学附属小学校の自然観察の場ともなっているが、一般区民にも開放されている。ここは、明るく広々とした教育の森公園とは異なり、斜面と低地を利用した園内は様々な樹木がうっそうと生い茂り、ササに覆われた樹木の下には細い階段状の園路が池に向かって下っている。中島のある池の回りには大木が生い茂り、静かな雰囲気を漂わせている。東側の低地にある広場にはみごとな枝ぶりのカツラが3本ある。また教育の森公園側の入り口近くには日本ではめずらしいシロマツやダイオウショウがある。 (wikipedia

▼ 昭和天皇行幸記念碑

健全なる国民。 皇民ではなく、国民であることは押さえておきたい。昭和7年、1932年だ。まだ、大正デモクラシーの小春日和が続いていたのだろう。

占春園は2016年頃までは荒れていたという(しかし、今、嘉納治五郎先生が見守るあの「占春園」の荒廃が進み、現在は「立入禁止」となってございます。)。そして、プロジェクトが行われたらしい;
「占春園復活プロジェクト」(google) . 茗渓会のweb site: 占春園復活プロジェクトご案内

愚記事より。

占春園はT2の面にあるらしい。

■ ⇒ 小石川植物園

気になる店:ピロシキとボルシチ:ソーニヤ(web site)。

狂女との邂逅場所 :小石川植物園の通り (愚記事:車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』の風景

■ 通名:小石川植物園。 本名:東京大学大学院理学系研究科附属植物園

いつもと様子が違っていた。通常の窓口が閉まっている。やや奥に臨時の入場券、販売所。なにより人が多い。

“世界一大きな花” 13年ぶりに開花 東京 小石川植物園google)ということで行列ができていた(昨日の愚記事)。

「ショクダイオオコンニャク」がある温室

ソース

■ ⇒ 後楽園

■ 文京シヴィックセンター

▼ 文京シビックセンター 展望ラウンジ (文京区 web site

中央の森はさっきの小石川植物園。森がボリュームがあるように見える。これは、小石川植物園が段丘崖をまたいで広がっているので、1段目と2段目の森が相まって、体積があるようにみえる。


後楽園


右上の森は上野の森。

■ ⇒ 水道橋駅

■ ⇒ 神保町

この店、昔からある。丸沼書店。

▼ 学士会館:この建物が取り壊されるとのこと。

昔、今世紀にはなっていたが、会議に参加するため1度入ったことがある。

現在の学士会館は、竣工から100年近くが経過し、耐震性の問題も含め、各所で老朽化対応の必要性が生じています。学士会では、この歴史と伝統のある学士会館を将来に亘り残し続けていくため、耐震補強の実施と共に本格的な全館改修を行うものです。但し、白山通りの拡張計画もあり学士会単独での事業は難しく隣地所有者と共同事業を行う形で再開発に着手しました。web site


気づくとビルがなくなっていた。三省堂書店(お知らせ)。

まとめ:通過街

東京都 
文京区 小日向 大塚 白山 小石川 春日 後楽
千代田区 三崎 西神田 神田神保町

 


東京散歩:九品仏駅⇒ 浄真寺⇒ 自由が丘⇒ 緑ヶ丘⇒ 東工大⇒ 洗足池⇒ 勝海舟 記念館⇒ 大岡山駅

2023年12月03日 12時42分48秒 | 東京・横浜

九品仏の浄真寺に紅葉を見に行った。毎年行っている(2019年、2021年春 2021年秋、2022年)。例年は九品仏の後は、バスに乗って三軒茶屋まで行って、さらに電車に乗って豪徳寺に行っていた。今年は、自由が丘のひかり街、熊野神社に行くことにした。聖地巡礼。三島由紀夫関連。ひかり街にはボディビルのジムがあったらしい。さらに、三島が神輿を担いだのが熊野神社の神輿だ。なぜ自由が丘であったかというと隣町の緑ヶ丘に三島は住んでいた。そのあとは、洗足池まで歩いた。勝海舟記念館がある。最後は大岡山駅まで歩いた。

1.九品仏駅、2.浄真寺、3.自由が丘、4.熊野神社、5。緑ヶ丘五差路、6.目黒線・呑川交差点、7.石川町、8.洗足池、9.大岡山駅

■ 東急、九品仏駅 ⇒ 浄真寺

いつも通り過ぎるだけの古本屋さん。今年は買った

■ ⇒ 3.自由が丘

▼ ピーコックストア 自由が丘 デュ アオーネ店 [google]

去年はまだ工事中だった。見に行った。

                   2021年5月

JIYUGAOKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)[google]

▼ 自由が丘デパート

公式 web site

▼ ひかり街

公式 web site 

⇒ Google [自由が丘 ボディビル 三島由紀夫 ひかり街]

■ ⇒ 熊野神社

▼ 熊野神社

熊野神社(東京都目黒区)
「谷畑(やばた)の権現さま」として親しまれている、自由が丘の街なかの和みの空間です。熊野の本宮に詣でて、神霊を拝受して祀ったのが始まりといわれています。郷土芸能「目黒ばやし」が例大祭で奉納されます。御祭神は、速玉之男尊(はやたまのおのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)、泉津事解之男尊(よもつことさかのおのみこと)。じゃらん web site

神輿の収納庫なのだろう。この中に昔、三島由紀夫が担いだ神輿があるに違いない(google [熊野神社、三島由紀夫、神輿])

■ ⇒ 緑ヶ丘

地図の4と5の間。崖を登る。緑が丘2丁目。

このあたりに三島は住んでいたらしい。⇒ Google

 渋谷から東横線にのりかえ、都立大学で下り、歩いて緑ヶ丘へ来たー東京へ来て四年目になるのに、繁華街と、下町と、焼跡しか見てこなかった私には、そこからの広々といた庭をもつ邸宅のさまは別天地っで、それだけで胸がときめくのであった。(福島次郎、『三島由紀夫 剣と寒紅』)

これは昭和26年(1951年)の話。このあと「愛人」となる福島次郎が初めて三島由紀夫と会う話。いきなり、三島邸を訪ねた。まだ占領下だ。

■ ⇒ 5.緑ヶ丘五差路

■ ⇒ 6.目黒線・呑川交差点

■ ⇒ 7.石川町

▼ 神明坂

石川町一丁目3番と31番の間、東京工業大学脇にある閑静な坂道。昔、坂のそばに石川村の鎮守の神明社があったので神明坂と呼ばれるようになったといわれています。なお、神明社とは現在の石川神社のことです。大田区ホームページ

■ ⇒ 8.洗足池

▼ 

大田区立勝海舟記念館は、国登録有形文化財である旧清明文庫を活用し、令和元年9月7日(土曜日)に開館しました。
海舟の功績や大田区との縁を紹介するとともに、海舟の想いと地域の歴史を伝える記念館です。大田区ホームページ

■ ⇒ 大岡山駅

まとめ 通過町

東京都
世田谷区 奥沢 
目黒区 自由が丘 緑ヶ丘 大岡山 石川町 南千束 北千束 大岡山

 

 


東京散歩:九段、三番町共用会議所(旧山縣有朋邸跡)庭園、青山一丁目⇒赤坂 東京ミッドタウン ⇒神宮外苑イチョウ並木

2023年11月27日 05時17分01秒 | 東京・横浜

「国亡びて、お庭あり」という観点から、大日本帝国を肇[はじ]めた山縣有朋の死後わずか23年で帝国は亡びた史実を愚ブログは想感している。山縣有朋の道楽は「お庭」だった。そのうち3つが今に至るまで残っている(国亡びて、お庭あり)。その3つはお参りした。京都・無鄰菴、小田原・古希庵、そして東京の椿山荘。山縣有朋がつくった庭は上の3つだけではないことは知っていた。ただし、上の3つ以外に残っている庭があるとは知らなかった。最近知った。東京都千代田区九段南2-1-5の三番町共用会議所(旧山縣有朋邸跡)庭園。明治18年に山縣私邸としてつくられた。明治天皇も来た。その後政府が購入。なお、山縣が今の椿山荘を買ったのが明治10年。この三番町共用会議所(旧山縣有朋邸跡)庭園は、農林水産省の管理にあり、年に1度公開するのだ。今年2023年は11/25,26が公開日であったので、お参りした。

さらのその後、地下鉄で九段下駅から青山一丁目駅に行き、赤坂の東京ミッドタウンに行った。フジフィルムスクエア 写真歴史博物館での「生誕90年記念 細江英公 作品展」をみるためだ。そして、神宮外苑に戻り、イチョウ並木を見た。


1.九段下駅、2.インド大使館、3.三番町共用会議所(旧山縣有朋邸跡)庭園(農水省管理)、a. 九段北

■ 1.九段下駅 ⇒ 2.インド大使館

大山巌の銅像は、九段南二丁目2、九段坂・牛ケ淵のお濠沿いの九段坂公園内にあります。
 大正8年(1919)11月3日の建設。原型作者は北の丸公園の北白川宮能久親王騎馬銅像を制作した新海竹太郎。建設委員長に陸軍大将井口省吾、ほか現役、予備役将校、実業家、地方有志とあります。工費は9万5373円81銭。この銅像は、現在の国会前庭北地区洋式庭園(尾崎記念公園)にあったといわれていますが移設の年月は不明です。
 大山巌は天保13年(1842)の生まれで薩摩藩出身。元帥陸軍大将日露戦争では陸軍司令官、初代の陸軍大臣となりました。
 その後参謀総長、内務大臣を勤め元老となりました。 (ソース:千代田区観光協会

▼ インド大使館

■ ⇒ 三番町共用会議所(旧山縣有朋邸跡)庭園


東京都千代田区九段南2-1-5

令和5年度 三番町共用会議所( 旧山縣有朋邸庭園跡・庁舎別館 ) 一般公開について (公式 web site)。 抜き書き;

 三番町共用会議所は、第3代、第9代内閣総理大臣「山縣有朋」が明治18年に建築した邸宅跡にあり、当時の建物は、大正12年の関東大震災、昭和20年の空襲により現存していませんが、当時が偲ばれる庭園跡と明治天皇の行幸(明治18年10月)を賜った記念碑(山縣有朋公建立)が今も残っています。
   また、庁舎別館は、戦後日本を代表する建築家「大江宏」(代表作:大阪万博の日本館、国立能楽堂など)の設計によるもので、令和4年度、DOCOMOMO Japanの「モダン・ムーブメントの建築」に選定されました。


ソース

玄関を入り本館の受付へ。名前記入が必要だった。本館の中を通り抜け、庭へ出る。

見どころは「庭」と「別館」。


本館の正面

現在の本館はコンクリート製であり、1973年に改修し完成。そもそもは山縣私邸。

山縣私邸は明治18年につくられた。同年、行幸があった。

山縣有朋公私邸として竣工。 設計者 片山 東熊
洋風建築史に残る建物であった。外部装飾はないが、屋内装飾は暖炉の大理石
前飾り大鏡等 外国製の豪華設え。 馬車庫、馭者部屋、馬丁部屋等
*建坪(本館)248坪、延坪335坪、付属建物226坪 (ソース

その翌年、邸は農商務省に転売された。関東大震災と大戦の空襲で焼失。昭和27年、1952年に木造建築として再建。

▼ 庭に出る

まず、芝生。この芝生域は明治18年に山縣邸がつくられた時からあるとのこと。

この芝生、とてもふかふかしていた。こんな芝生初めて。

*回遊式庭園

この庭の作成者は不明。無鄰菴をつくった小川治兵衛はかかわっていないとガイドの人が言っていた。ただし、この庭は無鄰菴といくつかの共通点がある;①芝、②「借景」、③水の流れなど。まず、母屋の手前の芝畑。これは苔が主流の日本庭園とは趣が違う。山縣の芝好きは西洋庭園をみた影響と聞いたことがある。「借景」;この庭の樹木の奥をよくみると向こうにある皇居のお堀の水面が輝いてみえた。あたかも、庭の向こうに海があるかのごとく見える。なお借景に「」をつけた理由は、無鄰菴で「借景」というなかれ、奥の風景は主山というのだと教わった。では、この九段の庭はどうか?奥にあるのは水面だ。水の流れ;奥の回遊式庭園は水がわきでている。そこから水が低位に流れていくのだ(上画像)。滝もある。というふうに、この九段の庭も、無鄰菴で認められる特徴、すなわち、山縣の好みで構成されている。つまり、庭の設計監督者は山縣本人に違いない。

おにわさん

千代田区遺産

▼ 建物:別館 (現存 RC造 総二階建て 延坪252坪) 竣工 

旧山縣有朋邸跡ではあるが、建物はモダンなコンクリート製建築。

建築家・大江宏[wiki]の設計による「農林省大臣公邸三番町分庁舎(現・農林水産省三番町共用会議所別館)」。1956年完成。 
⇒ 大江宏を考える会 大江宏設計 農林省三番町会議所別館(1956)

 

(ソース)

ベランダの床は人造「大理石」様石材。 ↓ 目地はガラス。

コンクリートの建物の中に和室。

*別館2階からの眺め

詳細解説 ⇒ 野口哲 様 天井とモダニズム「大江宏 農林省大臣公邸三番町分庁舎(山縣有朋邸跡地)」

■ ⇒ a. 九段北1丁目

 

「ガストブラックカレー本気盛り」ガスト web site

▶ 地下鉄で移動

■ 地下鉄・九段下駅 ⇒ 青山1丁目駅

 
11.青山一丁目駅、12.旧乃木邸、13.東京ミッドタウン、14.神宮外苑イチョウ並木

■ 11.青山一丁目駅 ⇒ 12.旧乃木邸

■ ⇒ 12.旧乃木邸

■ ⇒ 13.赤坂、東京ミッドタウン

フジフィルムスクエア 写真歴史博物館、『生誕90年記念 細江英公 作品展「この写真家の熱量を観よ!」』(公式 web site

■ ⇒ 神宮外苑、イチョウ並木

 

まとめ

通過町 東京都
千代田区 九段北、九段南
港区 南青山、赤坂、北青山

 


立川参り2023;昭和記念公園

2023年11月12日 09時13分30秒 | 東京・横浜

毎年恒例とした立川の昭和記念公園参り。レコンキスタ史跡訪問の原点。今年で8年目(2016, 2017, 2018, 2019, 2020, 2021, 2022)。今年は公園以外の新探訪はない。あけぼの口から入り、昭和記念館の南を通り、カナール(いちょう並木)、大噴水、橋を渡って、水鳥の池。水鳥の池の北の岸でお弁当を食べる。その後、はてしなく広いみんなの原っぱの真ん中を北上、日本庭園へ。その後、北西奥のこどもの森まで行き、引き返す。南下して語らいのいちょう並木へ。水鳥の池の南側を廻って、カナール(いちょう並木)を再び鑑賞。そして、あけぼの口でおしまい。

この日あいにく陽がささなかった。天気予報ははずれ、小雨さえぱらついた。残念、いちょうの並木は黄色充満への充足度は30-50%ほど。一方、紅葉はほとんど色づいていなかった。

例年のごとく外国人が多かった。ただし、華人系はほとんどおらず、おそらくインドネシア、マレーシア、タイの人たちが多かった。なお。数年前インド人がとても多かった年があったが今年は見なかった。曜日のせいかもしれない。この日は土曜日だった。例年は平日が多い。

■ A あけぼの口 ⇒ 昭和記念館の南

昭和記念館の前に行列ができていた。みんな 尊王家 尊皇家なんだ。この日開催の展示はこれ↓


https://f-showa.or.jp/museum/display_info/planning_and_special/

室と室は違う。なるひとさんはEmperorであり、チャールズさんはKing(王)だ。日本のメディアで皇室を「ロイヤルファミリー」ということがあるが、間違い。インペリアル・ファミリーである。

▼ ⇒ カナール・イチョウ並木 ⇒ 水鳥の池

▼ C 水鳥の池

D 「おにぎりポイント」

「おにぎりポイント」:毎年ここでお昼のおにぎりを食べる。

▼ E みんなの原っぱ

▼ E 日本庭園

▼ ⇒ G こどもの森売店

▼ 窪地

▼ G かたらいのイチョウ並木


東京散歩:四谷三丁目⇒新宿歴史博物館⇒新宿御苑⇒新宿駅西口⇒伊勢丹

2023年10月22日 11時51分18秒 | 東京・横浜


1、丸の内線四谷三丁目駅;2,新宿歴史ミュージアム;3,新宿御苑 大木戸門;4,プラタナス並木;5,新宿御苑博物館;6,新宿門;7,新宿駅西口 110ビル;8,伊勢丹百貨店

↓ 地形。起伏はほぼない。淀橋台、下末吉面。

1.四谷三丁目 ⇒ 新宿歴史博物館

 

北へ向かう道。この先は下り坂、靖国通りへ出る道。すなわち、このあたり段丘崖。

■ 2,新宿歴史博物館 ⇒ 3,新宿御苑 大木戸門

▼ プラタナス並木

■ 新宿御苑博ミュージアム

公式web site 

■ 新宿門

■ ⇒ 7,新宿駅西口 110ビル

北の味紀行と地酒 北海道 新宿西口店

スープカレー ⇒ 昨日の愚記事

■ ⇒ 8,伊勢丹百貨店

再び引き返し東口へ向かう。南口の前の跨橋を渡る。

二子玉川 高島屋に続く、今年2回目のデパート。

全く欲しいものも関心もないのに、入ってごめんよ、デパート。

新宿のデパートにも屋上開放はあるのだ。子供がたくさんいた。どこから来るのだろう?

■ ⇒ 再び、西口へ

小田急で、多摩川を渡り、武相境へ帰る。

まとめ 経過町

東京都 新宿区

四谷、三栄町、内藤町、新宿

 

 


神代植物公園 2023 秋のバラフェスタ、そして、深大寺そば 

2023年10月15日 05時23分10秒 | 東京・横浜

毎年、春と秋に行く神代植物公園のバラフェスタ。秋の「バラフェスタ」は8度目。過去記事は; 2015年、 2016年2017年2018年2019年2020年2021年 2022年)。

土曜日、よい天気だった。22℃。すごしやすい。乾燥している。人出は多くなかった。バラの花の数は、春に比べて、多くない。


入口の行列はなかった。 ↓今年の春のバラフェスタ↓

■ 室内系

■ バラ園

▼ 国際ばらコンクール花壇

▼ 本園


柵のバラはほとんど咲いていなかった。

▼ 園内の他の域へ

パンパスグラス:特徴・解説  アルゼンチン原産の宿根草、別名シロガネヨシ。大きいものは高さ6m余りになる。雌雄異株でふさふさとした穂は雌花穂。東京都 web site

■ そして、深大寺そば

春のバラフェスタの時のお昼のおそばは、きよしに行った。今回は、「深大寺 雀のお宿」に行った。はじめて。


冷やしきのこそば・大盛り 1,400円

きのこへの味付けが薄あまい。その薄甘さでそばの風味が消されてしまった感じ。三つ葉もそばに会わない気がした。


もりそば:850円

★ 深大寺入口交差点付近の 手作りケーキTOM&SAM (トム&サム)が閉店していた。

手作りケーキTOM&SAM (トム&サム)[google]

 


ぐるっとパス2023: [その11] 最終回 、松岡美術館、ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション、科学技術館

2023年06月29日 19時45分54秒 | 東京・横浜

ぐるっとパス2023年。 第11日目。
ぐるっとパス2023: [その1] 東洋文庫ミュージアム、六義園(りくぎえん)、旧古河庭園、旧岩崎邸庭園
ぐるっとパス2023: [その2] 東京都庭園美術館、泉屋博古館東京、大倉集古館
ぐるっとパス2023: [その3] 帆船日本丸/横浜みなと博物館、そごう美術館 さくらももこ展
ぐるっとパス2023: [その4] 神代植物公園、八王子美術館
ぐるっとパス2023: [その5] 町田市立国際版画美術館
ぐるっとパス2023: [その6] 松涛美術館、長谷川町子美術館
ぐるっとパス2023: [その7] 熊谷守一美術館、古代オリエント博物館、永青文庫
ぐるっとパス2023: [その8] パナソニック汐留美術館/ジョルジュ・ルオー、WHAT MUSEUM/ ART de チャチャチャ 高橋龍太郎コレクション
ぐるっとパス2023: [その9] アクセサリーミュージアム、郷さくら美術館、目黒区美術館、五島美術館
ぐるっとパス2023: [その10] ちひろ美術館、武蔵野市立吉祥寺美術館、井の頭自然文化園

武相境から自由が丘、大岡山経由で、目黒を超えて、白金台駅まで行く。この界隈は庭園美術館や自然教育園などがあり、しばしば来ている。この日は、松岡美術館。その後、地下鉄で水天宮前へ。ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション。浜口陽三の作品は先日も見た。今日は「本丸」だ。開催は妻の南桂子の作品展。静寂の画風。大好き。このあと、再び地下鉄に乗り、九段下へ。清水門から旧江戸城に入る。吉田茂像を見た。北の丸公園。その一角の科学技術館へ。これで、2か月にわたるぐるっとパス2023使用は終了。

■ 41 松岡美術館

松岡美術館(公式 web site

  Wikipediaより

当初は新橋の自社ビル内に開設したが、平成12年(2000年)4月、現在の創立者私邸跡地に新美術館を建設し、移転・再開した。

創設者は松岡地所創立者の松岡清次郎(1894年 - 1989年)。清次郎は若い頃から骨董の趣味があったが、ヨーロッパでオークションを体験したのが切っ掛けで、78歳から本格的に収集を始めた。青花磁器の名品「青花双鳳草虫図八角瓶」(元代作)と、「青花龍唐草文天球瓶」(明・永楽期作)の入手が、清次郎に美術館創設を決心させたという。

収蔵品は、ブールデルやヘンリー・ムーアなどの現代彫刻、ガンダーラ石造彫刻や中世ヒンドゥー教彫刻といったインド彫刻、中国・朝鮮・日本・ベトナムの東洋陶磁器、室町水墨画から昭和までに渡る日本絵画、ルノワールやモディリアーニ、ヴラマンクといったフランス近代絵画、など多岐にわたる。 

▼ 


色絵楼閣美人図大皿 古伊万里 有田皿山


色絵花鳥図六角壺 柿右衛門様式

モネ、ルノワール 印象派の光

今回は当館が所蔵する西洋画コレクションの中から、モネ、ルノワールをはじめとする、フランス印象派・新印象派の絵画を一堂に会します。

印象派の画家たちが活躍した19世紀後半のパリは、ナポレオン三世の下、オスマン男爵が取り組んだ大規模な都市改造により道路拡張やガス燈の設置、また鉄道網が形成されるなど、市民生活が大きく変わった時代でした。その変化に呼応するように、伝統が王道とされた絵画の世界も変貌していきます。先駆けとなったのがマネでした。彼は約束事にとらわれない手法で、パリの新しい生活風景を描き出し、絵画に革新をもたらします。印象派の画家たちは彼を慕い、逆境の中で共に学び合いながら新たな表現を模索し、光溢れる絵画を作り出しました。

当館の創設者 松岡清次郎が事業家として生きた20世紀もまた、産業技術の革新により人々の暮らしぶりが目まぐるしく変わり続けた時代でした。清次郎は貿易を手始めに、冷蔵倉庫業、ホテル、教育事業、不動産賃貸業といった人々の生活に関わる事業を数々手がけ、人々の暮らしに目を向けていました。なかでも、大正12(1923)年に創業し本年創立100周年をむかえた松岡冷蔵は、日本の食品コールドチェーンのパイオニア的な存在であり、日本の台所を支えています。清次郎が印象派の絵画に惹かれたのは、画家たちの生活への眼差しや現状を見据え新たな表現を生み出そうとする心意気にシンパシーを感じたからなのかもしれません。新たな芸術を追い求めた画家たちの作品に清次郎が感じ取った理想の美を見つけていただければ幸いです。

ポール・シニャック(wiki) <<オレンジを積んだ船、マルセイユ>>


《ミネルヴァ》

■ 16 ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション

ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(公式 web site

南 桂子 銅版画展-静かな王国

20 世紀後半、日本人女性としては、いちはやく銅版画の可能性を見つけ、パリで制作した南 桂子(1911-2004)の展覧会です。富山県高岡に生まれ、幼少の頃から絵を描いていた桂子は、戦後東京に出て油彩画を団体展に発表し、さらにパリに渡ると、銅版画家として頭角を現しました。

南桂子のモチーフは約40年間、ほとんど変わりませんでした。

鳥、少女、一本の木。

自分の足でひとり立ち、或いはたたずみ、透明感に満ちた世界にいます。

絵の中には孤独と、それをくぐりぬけた幸福が、穏やかに調和しているかのようです。

双子に羊。誰かのモチーフと同じだ。そして、「壁」、門というモチーフ入りもある。残念なのは、一角獣ではなくただの牛なのだ。


南桂子  『お城と牛飼いの少女』(部分)(ソース)


Google 画像

南 桂子(みなみ けいこ、Keiko Minami、1911年2月12日 - 2004年12月1日)は、富山県射水郡出身の版画家(銅版画)。夫は版画家の浜口陽三。本名は濱口 桂子(はまぐち けいこ。

少女や鳥や樹木を題材とした詩的な作品で知られる[2]。戦後日本を代表する銅版画家である。 (wiki)

■ 25 科学技術館
 
 
科学技術館は、現代から近未来の科学技術や産業技術に関する知識を広く国民に対して普及・啓発する目的で公益財団法人日本科学技術振興財団が設立した施設で、1964年(昭和39年)4月に開館しました。
 
入館者は子供から大人まで幅広い層に及んでいますが、大半は青少年で占められています。
また、最近の傾向として、ファミリーや友達どうしで来館される方々が増えています。
展示は参加体験型のものが多く、見たり、触ったりして楽しみながら、科学技術に興味、関心を深めていただけるように構成してあります。
今日の科学技術の進歩は目覚しいものがありますが、常に館内施設や展示の更新を図りながら正しい情報を提供してまいりたいと考えております。
 
 
 
 
子どもを包むシャボン玉
 
 
 
 
ルラシドン塩酸塩とは何ですか?
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