alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

言葉が誰かの心に響く

2011年11月10日 | 想いをカタチに



 今日は最近働きはじめ、かつ今度のパリカフェツアーを
開催することになった西国分寺のクルミドコーヒーさんで
パリのカフェ勉強会が開催されて オーナーの影山さんが
2ヶ月くらい前にささやいていた「今社員のみんなに
『cafeから時代は創られる』を読んで印象に残った箇所を
10個書くという宿題を出してるんですよ」という
嘘の様なほんとの話が本当になって 今日はそれを聞いてきた。


 そもそも今週の月曜は 影山さん主催の「クルミドの夕べ」という
イベントがあり そのタイトルが「カフェから時代はつくられる?」
なのだった。私が影山さんとお知り合いになったのも
2年前に影山さんが私の本を読んでくださり それでクルミドの夕べで
おそらく同じタイトルの会を開催してて それに私が書籍名の検索で
ひっかかり またしても飛び上がって嬉しくなってメールを送って
それからお店に本を置かせてもらったり いろいろとご相談にのってもらったり。
(悩み相談のつもりがパリカフェツアーを開催しましょう!ということになったり、、、
ちなみにそれもカフェで起こった出来事ですね!)



 さて その月曜日の「カフェから時代はつくられる?」は私も
参加させてもらって 横でお話をきいてると なんだかとっても不思議だった。
その前日に私は久々に 長いこと恐ろしくて開けなかった我が著書を読み直し
ふ と この瞬間に日本で何人がこの本を読んでいるだろう と想像し
もしかしたら5人くらいはいるかもしれない? そう考えただけで嬉しくなった。
おそらくそのうちの2人は私と影山さんだろうと思われ 次の日の夜のイベントで
しっかりと読み込まれているその本と 手元にあるメモを片手に影山さんは話続けた。
「カフェにおける自由ってのは4つあって、、、」


 それ かつて 私が大学院の時 大澤先生のゼミやなんかで話していたなあ
「まず居続けられる自由があって、、、」そういう「4つの自由」というのは
私が考えたものだった。「アトラクター」という単語 も はじめは
「キーパーソン」と読んでいて いつしかどこかで これよりも
もっとアトラクターの方がいいんじゃないかと言葉を変えて使っていった。
そんな言葉や私の頭にあったものたちが 今ここで 誰かの口から
同じように流れ出て あたかも私が語るように 影山さんが語ってる。
それはとっても不思議なことだ。


 かつて息子をおんぶして洗濯物を干し泣き声に追われるという 
ニュータウンでの終わりなき専業主婦生活に途方に暮れていた時に
一筋の希望を見させてくれたのは 東大の中原先生が書いてくれた
「カフェから時代は創られる を読んだ!」というブログだった。
それを読んだらまさかこれはコピー&ペーストしたわけじゃあるまいし
それにしてもどうやったらここまで正確に私の本の内容を要約できるのだろうかと
驚いた。誰か 私ではない 別の誰かが 私が書いた本を読み
それにおそらく共感してくれ それをまた別の言葉で
しっかりまとめて誰かに示してくれること
そんなことが起こりうるなんて それが可能なくらい
不思議なことにこの本には誤読もないようで
影山さんの語りをきくと この人が著者??と思うくらいに
本当に理解してくれている。私にはそれが不思議でならない。


 私がかつて伝えたいと思った言葉が 誰かの胸を打つことがある。
私はこの本を通して 一人でも多くの人に もはや日本で忘れ去れた
サルトルという人の言葉に耳を傾けてほしいと思ってた。
そしたらブログや感想などでも ほとんどかならず「サルトルの
言葉に胸を打たれました」と言ってもらえ、これが筆頭にあがってる。
「人間はかくあろうと意図したものになるのではない
かくあろうと投企したものになるのだ、、、」(耳がいたい)
「人は卑劣漢に生まれるのではない 英雄は英雄であることをやめる
瞬間が 卑劣漢には卑劣漢であることをやめる瞬間が必ずある、、、」


 そういえば 主人の愛情についてももっと知ってほしいと思っていたな。
そうしたら今日社員の人がロトンドの主人とモディリアーニのエピソードを
引用して「うちの店から持って来てないのはワインだけだったからね!」と
いうのを挙げていた。それについ笑ってしまったら「この話には感動しました」
と多くの人が言ってくれていた。日本ではおそらくビクトール リビオンという
人の名前なんて誰も知らなかっただろうけど 私も少し彼の偉大な功績を
知ってもらうのにこれで貢献できたのだろうか??
(彼がモンパルナスの時代を創ったとアンドレサルモンは述べています)


 私が私の本の内容を熟知している そしてそれを語ることができる
それは当たり前のことなんだけど 私が書いた本の内容を
他の誰かがよーく知ってて「ああ あそこのあれは本当に共感しました!」
と言ってくれると どうしてそんなにもわかってくれるのか私は嬉しいを
通り越してなんだか不思議になってしまう。「はあ?そんなこと
書いてありましたっけ」と言われる方がよくあることのような
気がするけれど すごくよくわかってくれる人に出会うと
本当に書いた甲斐があったなあと思う。


 「サロンの女主人の話 共感しました」
(これは私のちょっと嫌な経験をもとに考察したのだけれど
もうそんなに共感してもらえるならあの経験もよし!と思える)
「たしかに録音された音っていうのはよくないかも知れないですね」
「僕はこんなカフェをつくるために一生をかけてもいいと思いました!」
「この本に出会って生き方を変えようと思いました」
とか そんなことを言ってもらえると とても嬉しい。
本当にありがとうございます。



 私にとって 生き甲斐って何だろうと悩むとき
答えはやっぱり書くこと 考えること それを言葉にして書いて
一人でもいいから 誰かがそうだと言ってくれること
「思ってたことを書いてくれてありがとう」とか
誰かがそう思ってくれること それが私にはすごく嬉しい。
一人でもいいと思っていたのにそれが5人、もしくは10人に広がったなら
もうそれだけで本当に出してよかったです。
おかげさまで『cafeから時代は創られる』はクルミドコーヒーで
20冊も売っていただき完売しました。私の在庫も完売しました。
第3版、がんばっていきたいです。
応援してくださってるみなさん 本当にありがとうございます!
西国分寺のカフェから時代が創られる日が なんだか来そうな気がしませんか?




フランスに行くなら

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