中国・韓国に干渉され、国内ですらその存在の賛否両論の激論が耐えない神社とはいかなるものかと、新しい時代を見極めるために、靖国神社に詣でた。初詣である。獅子舞が踊り、猿回しが大衆の笑いを誘い、日本の文化の生き証人のような出店や屋台が所狭しと立ち並び、カップルや家族連れで大賑わいであった。お賽銭箱の前には、長い長い山のような列ができ、小銭を投げ込む音が止むことはなかった。日本人の遺伝子の中に焼きこまれた神々を祭る思いは、それぞれが願を懸ける思いは、政治の世界とは無関係だ。政治の力で、何千年もの間培ってきた心の歴史の灯火を吹き消してはいけない。靖国神社の建物自体の歴史はさほどではないかもしれないが、神仏を詣でる心の文化の歴史は時空を超えたところにある。いかなる人物も、この世を去ると仏となる。そしてやがて輪廻して、動植物、いや、また人間として生まれ変わるかもしれない。生きとし生けるもの全てに存在の意味がある。靖国神社は日本人の心の文化の形である。何かしら心寂しい思いが新春の風となって心の中を吹き抜けていった。
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