小学校から高校まで
一生懸命頑張ったのは受験勉強
受験勉強に燃えない者は落ちこぼれ
スポーツや芸術で陽の目を見るのは
ホンの一握り
そして大学という受験勉強の最後の関門を通り抜け
待っていたものは・・・
自由な学問の喜びではなかった
バイトバイトに明け暮れて
学生は疲れている
何のための大学か
何のための学問か
その意義を考えることすらない
大学を卒業して
ただ流れるままに就職して
疲れるままに仕事して
気が付くと老後の心配をしている
これが当たり前だと思っている
何のための学問か?
誰のための人生か?
こんな人生が
当たり前のはずがない
夢がない
希望がない
大志がない
大義が見えない
政治家達は重箱の隅を突っつきながら
互いに足を引っ張り合っている
経済家達は大自然を破壊し
矛盾だらけのグローバリズムがバイブルだ
大志がない
大義がない
大地を耕すお百姓さんの光る汗とごつい手
大海原で頭にハチマキを巻いて
魚と葛藤する漁師のおじちゃん達
これを苦労というなら
これが苦労だから受験勉強を勝ち抜いてきたと言うのなら
それは学問でも何でもない
僕らはいつも考えなければいけない
何のための学問か?
誰のための一生か?
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私自身も、失敗する事から逃げていた事の自覚はあります。いや、失敗、数々あるかな・・・笑 院長が憂いておられる事、当然です。 生まれてから不自由を知らない、これ以上何を求めればいいかすら分からない、院長の定義付ける”青春”がそこになければ、どこに幸せ、生き甲斐を見い出せと言うのでしょう。
思い返せば在学中は、生け花に護身術、絵画や座禅、サバイバルキャンプ、海外研修や卒論スピーチ、そして学院20周年イベントなど、課題難題はたくさん、色々な”刺激”がそこにはあり、でも振り返れば全てがいい思い出。
そこに”難”があるから、”有難う”。
そう思いながら、苦労を喜んで受け入れられる人間になりたいものですね。