春のこの時期になると必ずと言っていいぐらいにメディアの世界に登場するのが、
日の丸論争だ。
反対する人々は、
戦争を忌み嫌うからとか、
天皇崇拝はおかしいとか、
言論と思想の自由に反するとか、
執拗に攻撃してくる。
戦争で戦った人々は、
日の丸を抱き、日の丸を信じて、君が代を歌いながら死んでいった。
日の丸をないがしろにすることは、そんな人々の霊に申し訳ないと思わないのだろうか。
戦争は憎むべき行為だが、国旗掲揚と君が代を歌うこととは全く別の次元の話だ。
日の丸を批判する前に、
過去において、口には言い表せないほどの残虐非道を重ねた国々の国旗を批判すべきだ。
世界中どの国に言っても、大統領や首相を嫌う人々はいても、
国旗や国歌を軽んずる民族はいない。
日本人が日本人の手で日本の象徴や日の丸を攻撃して、
一番喜ぶ国はどこかを考えて欲しい。
日本では、国旗を踏んづけても、
国家を歌うことを拒否しても、
犯罪者として扱われることはない。
そこまで肝要な国なのに、なぜ執拗に日の丸を拒否しようとするのだろう。
誰かが、内側から、日本という国を壊そうとしている陰謀にもみえる。
戦後、日本は、意識的にも、無意識の中でも、洗脳に近いほど、
日の丸や君が代に無関心であるように教育されてきた。
また、逆に、極端な組織に、
日の丸や君が代の必要性を、
傍若無人に怒声の大声で主張させることで、
国民が敬遠するように、嫌悪感を覚えるように、タクティックスを演じてきた。
全ての苦しみや悲しみを背負い、
日本国民の永久の平和と幸せを願いながら、
春の風に泳ぐように、
澄みきった青空に翻る日の丸は、
とても美しい。僕は、そう思う。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
南徹学院長のIBS外語学院はこちら