(1)米原万里は、その父が雑誌『平和と社会主義の諸問題』編集局に勤務した関係で、1960年1月から1964年10月まで、約5年間、プラハのソビエト学校へ通った。
十代のなかばに交流した同級生3人の思い出と、約30年後のそれぞれとの再会を綴ったのが本書である。
ただし、単なる懐旧譚ではない。
(2)「嘘つきアーニャ」は、ルーマニアのチャウシェスク政権の側近にして各国の大使を歴任した父をもち、裕福で、そのくせ政府御用達のおおげさな革命的言辞をてらいもなく口にする少女だった。
たとえば、ロシア語でタワーリシチに相当するソードルフ(同志)を連発した。属国同然の衛星国にされてしまったチェコスロバキアの民はソードルフの呼称を喜ばない。にも拘わらず、アーニャはこの用語に固執した。
後年、アーニャの奇妙なふるまいの背景を著者は知る。アーニャ一家はユダヤ人、つまり被差別民族なのであった。
(3)アーニャの言辞と実生活の矛盾を幼い著者は感じつつも、人のよい彼女のため口にしない。
やがてアーニャが病的な嘘つきであることを同級生たちは知る。
アーニャが嘘をつくときに誠実そうにまっすぐ相手の目を見つめる性癖も周知の事実となった。どうしようもない嘘つきであることを含めて、アーニャは同級生たちに愛された。優しくて友だちを大事にする人だったからだ。
(4)チャウシェスク政権崩壊(1989年)後、著者はルーマニアを訪れる機会を得た。
アーニャの父はしぶとく特権階級に居座りつづけ、裕福な生活を維持していた。
しかし、その兄は両親の偽善を嫌悪して、一介の物理学研究員として質素な生活を送っていた。
くだんのアーニャは、両親(にかぎらずルーマニアの特権階級の教育方針だったが)の画策が功を奏して海外で学び、英国人と結婚してロンドンの旅行雑誌社に就職していた。
(5)国際電話で久闊を叙し、プラハで再会したアーニャは、「常にその時々の体制に適応しようと全身全霊で打ち込んで」きた少女時代そのままだった。「常に勝ち組にい続けるための過剰適応という名の習性」。
母校をともに訪れたとき、アーニャは平然とうそぶく。かつては黒白で割りきっていたが、現実は灰色だ。国境なんて21世紀にはなくなる。私の中でルーマニアは10%も占めていない・・・・。
著者はショックを受けて、問う。
「ルーマニアの人々の惨状に心が痛まないの?」
痛むにきまっている。アフリカにもアジアにも南米にももっと酷いところはたくさんある、というのが彼女の返事であった。
ルーマニアはあなたの育った国ではないか、と追求すると、そういう狭い民族主義が世界を不幸にするもとなのだ、とアーニャはかわすのであった。「丸い栗色の瞳をさらに大きく見開いて真っ直ぐ私の目を見つめるアーニャは、誠実そのものという風情だった」
(6)旧友の30年後も変わらぬ性癖をとおして、特権にあぐらをかく人間の「真っ赤な真実」が赤裸々に示される。
しかし、著者の旧友は嘘つきアーニャばかりではない。ギリシア系移民の子リッツァは、プラハの春に続くワルシャワ機構軍のチェコ侵入に反対したため、石もて追われるごとく(西)ドイツへ移住した。あるいはベオグラード出身のヤスミンカ。彼女に再会したとき、その父はボスニア選出最後の大統領として多民族間紛争の十字路サラエボに敢えてとどまり、明日をも知れない日を送っていた。
そして、異国へ逃れた人々の「右であれ左であれ、わが祖国」(ジョージ・オーウェル)の思い。著者は多くの亡命音楽家や舞踊家に通訳者として接し、彼らが涙ながらにもらす望郷を耳にする。
「西側に来て一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ。ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を妬み引きずり下ろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、皆が支えてくれたのに」
これは、西側に属する日本に対する批評でもある。
(7)「人生相見ず、ややもすれば参と商のごとし」と杜甫のいうように、知友と会う機会はめったにないが、会えば常に喜ばしい、というわけではない。
本書は、アーニャを主軸とする3人の旧友を通して、東欧のここ四半世紀の激変をひと筆書きするとともに、時の政治を利用する人、逆に抵抗する人を描きだす。しなやかで切れ味鋭く、感傷とはさらさら縁のない文章は、かえって読者をして憂愁に引きずりこむ。
□米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川書店、2001)
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十代のなかばに交流した同級生3人の思い出と、約30年後のそれぞれとの再会を綴ったのが本書である。
ただし、単なる懐旧譚ではない。
(2)「嘘つきアーニャ」は、ルーマニアのチャウシェスク政権の側近にして各国の大使を歴任した父をもち、裕福で、そのくせ政府御用達のおおげさな革命的言辞をてらいもなく口にする少女だった。
たとえば、ロシア語でタワーリシチに相当するソードルフ(同志)を連発した。属国同然の衛星国にされてしまったチェコスロバキアの民はソードルフの呼称を喜ばない。にも拘わらず、アーニャはこの用語に固執した。
後年、アーニャの奇妙なふるまいの背景を著者は知る。アーニャ一家はユダヤ人、つまり被差別民族なのであった。
(3)アーニャの言辞と実生活の矛盾を幼い著者は感じつつも、人のよい彼女のため口にしない。
やがてアーニャが病的な嘘つきであることを同級生たちは知る。
アーニャが嘘をつくときに誠実そうにまっすぐ相手の目を見つめる性癖も周知の事実となった。どうしようもない嘘つきであることを含めて、アーニャは同級生たちに愛された。優しくて友だちを大事にする人だったからだ。
(4)チャウシェスク政権崩壊(1989年)後、著者はルーマニアを訪れる機会を得た。
アーニャの父はしぶとく特権階級に居座りつづけ、裕福な生活を維持していた。
しかし、その兄は両親の偽善を嫌悪して、一介の物理学研究員として質素な生活を送っていた。
くだんのアーニャは、両親(にかぎらずルーマニアの特権階級の教育方針だったが)の画策が功を奏して海外で学び、英国人と結婚してロンドンの旅行雑誌社に就職していた。
(5)国際電話で久闊を叙し、プラハで再会したアーニャは、「常にその時々の体制に適応しようと全身全霊で打ち込んで」きた少女時代そのままだった。「常に勝ち組にい続けるための過剰適応という名の習性」。
母校をともに訪れたとき、アーニャは平然とうそぶく。かつては黒白で割りきっていたが、現実は灰色だ。国境なんて21世紀にはなくなる。私の中でルーマニアは10%も占めていない・・・・。
著者はショックを受けて、問う。
「ルーマニアの人々の惨状に心が痛まないの?」
痛むにきまっている。アフリカにもアジアにも南米にももっと酷いところはたくさんある、というのが彼女の返事であった。
ルーマニアはあなたの育った国ではないか、と追求すると、そういう狭い民族主義が世界を不幸にするもとなのだ、とアーニャはかわすのであった。「丸い栗色の瞳をさらに大きく見開いて真っ直ぐ私の目を見つめるアーニャは、誠実そのものという風情だった」
(6)旧友の30年後も変わらぬ性癖をとおして、特権にあぐらをかく人間の「真っ赤な真実」が赤裸々に示される。
しかし、著者の旧友は嘘つきアーニャばかりではない。ギリシア系移民の子リッツァは、プラハの春に続くワルシャワ機構軍のチェコ侵入に反対したため、石もて追われるごとく(西)ドイツへ移住した。あるいはベオグラード出身のヤスミンカ。彼女に再会したとき、その父はボスニア選出最後の大統領として多民族間紛争の十字路サラエボに敢えてとどまり、明日をも知れない日を送っていた。
そして、異国へ逃れた人々の「右であれ左であれ、わが祖国」(ジョージ・オーウェル)の思い。著者は多くの亡命音楽家や舞踊家に通訳者として接し、彼らが涙ながらにもらす望郷を耳にする。
「西側に来て一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ。ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を妬み引きずり下ろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、皆が支えてくれたのに」
これは、西側に属する日本に対する批評でもある。
(7)「人生相見ず、ややもすれば参と商のごとし」と杜甫のいうように、知友と会う機会はめったにないが、会えば常に喜ばしい、というわけではない。
本書は、アーニャを主軸とする3人の旧友を通して、東欧のここ四半世紀の激変をひと筆書きするとともに、時の政治を利用する人、逆に抵抗する人を描きだす。しなやかで切れ味鋭く、感傷とはさらさら縁のない文章は、かえって読者をして憂愁に引きずりこむ。
□米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川書店、2001)
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