語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】葬式は宗教の強さに関係する ~「日本」論(5)~

2018年07月05日 | ●佐藤優
 <もう一つ大事な事があります。歴史的に証明できること、実証主義が適用できるのは、例えば日本史であれば室町時代の頃までです。室町時代より前になると、どこまで実証できるかは難しくなります。ただし、実証はできなくても、確実にあったと想定される出来事があります。これを、ドイツ語では「ウアゲシヒテ(Urgeshichte)」と言います。日本語に直訳すると「原歴史」という考え方です。
 この原歴史という考え方を巧みに使ったのが、民俗学者の柳田國男でした。有名な『遠野物語』もそうです。これについては、柳田國男のテキストを読み解くよりも、先ほども少し言及した柄谷行人さんの『遊動論--柳田国男と山人』(文春新書)がいい。
 柄谷さんはこう考えます。室町時代よりずっと昔の日本人において、歴史的には実証できないが、確実に存在したことがある。それは何かと言えば、日本人の魂に関する理解です。
 例えば、人が死んだら通夜をする、食事や酒をふるまう。ところが、キリスト教では、通夜でも酒は出ませんし、寿司なども取りません。日本の伝統だと、通夜は告別式よりもお金がかかります。酔いつぶれる人も出てきたりする。たいていの場合、喪主は悲しくても、「故人はこういった愉快なことが好きでしたから」などと、いい加減なことを言う。そういう儀式になっています。そもそも、死者をとむらうために、なぜ生の寿司を食べ、みんなでお酒を飲むのでしょうか。死んではいますが、魂はすぐ横にいる、故人は楽しく、一緒に飲み食いしているという考え方です。四九日まではちょろちょろしている。初七日なら、さらにリアルに近い。
 最近、仏教のお葬式に行くと、お経を二回読んでいます。あれはディスカウントです。葬儀のときに初七日も合わせてやりましょうということです。さすがに、葬儀のときに四九日までも合わせ、三回お経を読むというのはないでしょうが、適宜伸縮自在なところは仏教の強さです。葬式仏教などと言われても、です。
 いま、お坊さんの宅配サービスまでアマゾンで買えることが話題になっています。しかし、お坊さんまでアマゾンで呼びたいと思う人がるほど、仏教は日本で普及しているともいえます。キリスト教の牧師をアマゾンで呼びたいと思う人はいないでしょう。
 ちなみに、キリスト教式の結婚式に最近出ると、たいてい腰を抜かしてしまいます。だいたい結婚式は、日曜日の午前中に多く行われます。しかし、本当のプロの牧師は、日曜日の午前中は教会で礼拝をしていますから、結婚式には参加できないのです。だから、あそこに来ている人は誰かわからないけども、牧師でないことは確かです。このような結婚式は、キリスト教の世界にいる者からは経験することはないため、面白いなと思って見ています。
 日本人の多くは、典型的な宗教混交です。生まれたときはお宮参りで神社、七五三も神社に詣でる。結婚式は、神式かキリスト教式でする。仏前結婚は多くありません。結婚式でお経をあげて焼香するのは、雰囲気ではないということで、あまりはやらないようです。
 いずれにせよ、結婚式は、多くとも三回ぐらいでしょう。二回目では、結婚式もするでしょうか。私も二回結婚しましたが、二回目は結婚式はしていません。それに対し、葬式は一回ですが、初七日や四九日に三回忌など、その後があります。宗教は葬式をやらないと勝てません。だから、葬式仏教という言い方もされますが、葬式を持っているということは、宗教としては絶対に強いのです。>

□佐藤優『「日本」論 --東西の“革命児”から考える』(KADOKAWA、2018)の「第一講 東と西の革命児」の「葬式は宗教の強さに関係する」を引用

 【参考】
【佐藤優】紅白歌合戦の持つ大きな意味 ~「日本」論(4)~
【佐藤優】歴史的時間の「カイロス」と「クロノス」 ~「日本」論(3)~
【佐藤優】点と線の意味づけによって複数の歴史が生じる ~「日本」論(2)~
【佐藤優】江戸時代の「鎖国」は反カトリシズムだった ~『「日本」論 --東西の“革命児”から考える』~



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