語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】点と線の意味づけによって複数の歴史が生じる ~「日本」論(2)~

2018年07月02日 | ●佐藤優
 <さて、1945年の8月15日の12時に玉音放送が流れます。いま、われわれがタイムマシーンに乗って、8月15日のソウルに行ったとしましょう。韓国人も日本人も泣いています。戦争に負けたと言って泣いています。例えば、高倉健と田中裕子が主演した2001年の映画『ホタル』でも描かれたように、韓国人でも日本の特攻機に乗った人たちはいました。だから1945年の8月15日時点においては、あの日を敗北と受け止めていた韓国人たちがいました。ところが間もなくして、日本から朝鮮は解放され、独立国家ができることになり、その結果、敗北は解放ということになったのです。だから、韓国で8月15日は「光復節」。光が蘇るお祭り、祝日です。
 8月15日は、ほとんどの国にとっては意味のない日です。ロシアにとっても、アメリカにとっても、8月15日は意味がない。8月14日のポツダム宣言受諾か、9月2日の東京湾に停泊したミズーリ甲板上における、日本の降伏文書調印の日、そのどちらかが第二次世界大戦終結の日です。ところが、日本と韓国、そして北朝鮮においては、8月15日は意味があります。日本では敗北の日、韓国や北朝鮮にとっては、解放の日として、です。
 歴史というのは、点と線の意味づけによって、複数あるということです。日本と韓国のあいだで共通の歴史観を持ちましょう、あるいは、日本と中国のあいだで共通の歴史観を持ちましょうという話がありますが、これは間違った話です。もし日韓のあいだで共通の歴史観を持つとすれば、韓国によって日本が併合されるか、あるいは日本が再び韓国を併合するか、そのどちらかによってしか、共通の歴史観は生まれません。別の国家が存立しているということは、別の歴史があるということです。>

□佐藤優『「日本」論 --東西の“革命児”から考える』(KADOKAWA、2018)の「第一講 東と西の革命児」の「点と線の意味づけによって複数の歴史が生じる」を引用

 【参考】
【佐藤優】江戸時代の「鎖国」は反カトリシズムだった ~『「日本」論 --東西の“革命児”から考える』~


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