語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【波止場日記抄】6月13日

2015年06月14日 | ●エリック・ホッファー
 昼、シシリアの諺を耳にした--「舌には骨はないが、骨を折ることができる。」
 At noon I heard a Sicilian proverb: “The tongue has no bones, but it can break bones.”

□エリック・ホッファー(田中淳訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
□Eric Hoffer : Working and Thinking on the Waterfront / A JOURNAL : June 1958-May 1959 (HARPER & ROW, PUBLISHERS, NEW YORK, EVANSTON, AND LONDON)
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 【参考】
【波止場日記抄】6月5日
【波止場日記抄】6月4日
【波止場日記抄】6月2日
【波止場日記抄】6月1日
書評:『波止場日記』

      

【詩歌】中村真生子「語る」

2015年06月14日 | 詩歌
 誰かに語ろうとした時
 言葉はむなしく響いた。

 語ろうと願えば願うほど、
 むなしく響いた。

 誰かに語ろうとする時、
 人はどこか欺いている。

 自分に語れ。
 自分に語れ。
 本当に語りたいなら。

□中村真生子「語る」(『メルヘンの木』(祐園、2005))
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 【参考】
【詩歌】中村真生子「蠢く」
【詩歌】中村真生子「メルヘンの木」
【本】中村真生子『メルヘンの木』



【政治】どんどん言葉が死んでいく ~安倍事態(アベノリスク)~

2015年06月14日 | 批評・思想
 (1)日本には、深刻さの程度をやわらげて表現する婉曲話法の伝統がある。
 <例>日中戦争 → 「志那事変」
      原発のメルトダウン → 「爆発的事象」
 いま安倍政権が集団的自衛権行使容認の閣議決定と日米ガイドライン見直しを踏まえて整備を進めている法案に、
      「安全保障法制」 → 「平和安全法制整備法」
と、いつの間にか「平和」という文字を挿入した。
 「平和」は安倍政権になってから実に軽い言葉になった。<例>「積極的平和主義」

 (2)関連法案の中にも、婉曲表現が随所に見られる。
 <例>「武力攻撃事態法」 → 「存立危機事態法」(集団的自衛権を行使できるようにする)
      「周辺事態法」(地理的制限を含む) → 「重要影響事態法」
 こうすることで、停戦状態のホルムズ海峡の機雷掃海を安全でえ例外的な海外派遣の事例として強調し、南沙諸島での活動に抜け道を残している・・・・とも読める。
 だが、こうした停戦状態においてこそ、和平に力を注ぐべきではないのか。

 (3)こうした言葉のまやかしは、5月20日の党首討論で一気に露見した。
  (a)NHK「ニュース・ウォッチ9」
    岡田民主党代表「新三要件にしたがって集団的自衛権を行使することは存立危機事態にかかわり、自衛隊の活動が相手国の領土領海領空に及ぶのは当然ではないか」
    安倍首相「一般には海外派兵は行わない。戦闘作戦行動を目的に武力行使を行うことはない」
    岡田「後方支援について、自衛隊の活動範囲が広がり、リスクは高まるということでいいか」
    安倍「戦闘行為が起こったら直ちに部隊の判断で一時中止するか退避をする。リスクとは関係がない」
 このやり取りで明らかになったのは、まず武力行使を伴う海外“派兵”は「一般に」しないと言っているだけで、三要件を満たせば派兵する、ということだ。
 しかし、その前提となる立法事実は何なのか。
 また後方支援については、戦闘が起こればすぐに中止か退避をすると言うが、他国と戦争する特定の国(主に米国)と
共同行動をとれば、リスクが増大しないはずはない。岡田代表は、リスクがあると言ったほうがいいのではないか、と迫った。しかし、安倍首相は世論の支持を失うことを恐れてか、リスクが増す、とは決して言わない。

  (b)テレビ朝日「報道ステーション」
    岡田「米軍が相手国の領土領海領空で戦っているとき、そこまで行かなければ集団的自衛権も行使できないのではないか」
    安倍は笑って首を振る。
    岡田「もしこれが間違っていたら法案を修正して、他国の領土領海領空ではやらないとはっきり書いてください」
    安倍「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思う。私は総理大臣なんだから」【議場騒然】
 何度か聞いた行政府の長の立法府に対する暴言だ。安倍は自己正当化が過ぎて、集団的自衛権の不要を印象づけた。

  (c)NHK「ニュース7」
    岡田「アメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にないと言った。本当に絶対にないのか。そのような断定的で粗雑なものの言い方で国民の理解は得られない」
    安倍「アメリカとどこかの国が戦闘をしていて、我々がたとえば助けてくれと言われたとしても、そこに行くということはありえない。日本の意思に反して、日本が戦争に巻き込まれて行くことはない」
 安倍首相は巻き込まれ論を否定。自らの意思による集団的自衛権行使はありうると言った。
 こうした言葉の軽さが「安倍事態」の本質を物語っている。

  (d)東京新聞「こちら特報部」5月24日付け
    「安保法案閣議決定」に係る新聞各社の社説・論説を点検し、一覧にした。
    それによると、全国紙が賛否を二分にしているのに対し、ブロック紙・地方紙のほぼ全紙が法案に批判的だ。
 東京新聞の企画は、今後の示唆に富む。

 (4)(3)-(d)の地道な作業と並行して、「そもそも論」が必要だ。
 平和安全法制整備法案を構成する①国際平和支援法案と②自衛隊法改正など一括法案が通れば、自衛隊の活動は①によって「いつでも」(恒久的に)、②によって「どこでも」「あらゆる事態」にも対処が可能になる。
 参加するのは、ほかでもない「米国が行う戦争」だ。
 <例>1999年、米国はユーゴ内戦に際して、国連決議を経ずにコソボ空爆を断行した。この軍事的一極主義が世界に非対称性をもたらし、9・11の悲劇を招く一因になった、とされる。9・11の後、アフガン攻撃、イラク攻撃が行われた。
 米国によるアフガン攻撃は、テロの日から26日後(10月7日)だった。これを国連決議に基づく行動と見るか、自衛権の行使と見るか。「差し迫った脅威を取り除くため」という時間的要件からすれば、自衛権の既往氏を超えている、と言える。日本は「テロ特措法」で後方支援を行った。
 2003年3月、米国は「国連決議1441」(イラクに大量破壊兵器があり、フセイン政権がその査察を妨害した場合には深刻な結果に直面する)を拠りどころにイラク攻撃に踏み切った。だが、大量破壊兵器は発見されなかった。このとき日本は、「イラク特措法」で復興支援を行った。

 (5)その後の国際情勢の不安定化に対して、日本は特措法を恒久法に変え、「米国流の戦争」に付き合おうというのだ。
 その米国流の戦争は、国連憲章の「戦争違法観」に抵触する。憲章51条で許容される武力行使は、個別的、集団的を問わず、自衛の範囲を超えてはならず、衝突の発生後、直ちにその事案は国連安保理に付託されなければならない。だから、安倍首相のいわゆる「切れ目のない」対処(いつ、どこでも、いかなる事態にも)など論外なのだ。

 (6)米国は、財政難からアジア・太平洋地域での「リバランス」を企画し、それへの「切れ目のない」協賛を日本に期待している。安倍首相が地球儀俯瞰外交などと気取って「東北アジアの情勢変化」を言挙げしても、近隣諸国は日本こそもっとも危険な因子だとみなし、“ Move Your Shadow (汝の影を消せ)”と言い出しかねない情勢だ。
 メディアは、例えば「日中不戦の誓い」を中心にすえ、東北アジアの安定を求める方がどれほど現実的な選択であるかを強調し、安倍首相の軍事的現実主義の蒙を啓くべきだ。

□神保太郎「メディア批評第回」(「世界」2015年7月号)の「(1)これではもはや「安倍事態(アベノリスク)」だ!」
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