(1)動燃は、ウラン残土撤去を主張する東郷町(現・湯梨浜町)方面地区の住民に対して、「工作」を仕掛けた【注】。
動燃の「工作」は、これだけではない。
(2)1991年、岡山県の動燃・人形峠事業所(現・人形峠環境技術センター)に「回収ウラン」構想が持ち上がった。「回収ウラン」は、核燃料サイクルの一環で、原発から出た使用済み核燃料から再利用可能なウランを取り出したもの。動燃は、「回収ウラン」を茨城県東海村から人形峠事業所へ運び込み、再濃縮して核燃料に加工する試験を計画した。
ところが、「回収ウラン」には微量のプルトニウムが含まれることなどから、市民グループが反発。岡山県内で大々的に「回収ウラン100万人反対署名運動」を展開した。岡山県内の市町村議会でも、これに賛同の声が上がり、動燃は窮地に立った。
(3)動燃は、署名運動に対抗せんと、回収ウラン事業の実現のために世論を形成すべく、特命チームを組織し、「工作」を託した。「西村ファイル」の資料の一つ「K機関特務隊のアクションプログラム 第1案」(1992年2月19日付けの手書きのA4用紙3枚)には、次のような文言がみられる。ちなみ、作成者は本社核燃料サイクル技術開発部の幹部(当時)だ。
<K機関で確保しているタレントとの会談を企画し、洗脳する>
<財界ラインの利用 笹川系ドン「○○氏(原文は実名)」を動かす>
<3月中に本社作戦、津山拠点の確保を終了 (中略)津山圏は水面下でゲリラ戦とする>
(4)(3)の「第1案」の5日後、2月25日付けで、本社総務部は、「人形峠事業所業務の円滑な推進を支援するための特命チームの設置について」なる文書を作成した。
(a)チーム設置は、「第1案」が全面的に採用された(ただし、特命チーム名は「Kチーム」と変えられた)。
(b)反対運動への敵意を示す。“よそ者嫌い”の地域性を利用し、反対運動の全国への拡大を阻止する作戦を高らかにうたう。
(c)Kチームは、トップに理事長、実働部隊のトップ「本部キャップ」は当時の総務部次長、その下に各部署から集めた2班計12人が就いた。
(d)Kチームの身分は、当時存在していなかった「岡山連絡事務所」の所長、特任主管、特任主査などの名称を使うこととされた。
(e)動燃は、予算を数千万円程度必要と予想し、簿外処理の裏ガネを用意することとした。
(5)Kチームはどんな「工作」を企画したか。
(a)青年会議所ラインを利用してタレントと会談し、あるいは会食し、「洗脳」する。
(b)竹村健一、石原慎太郎にアプローチする。
(c)動燃と関係が深い大手ゼネコンに「協力隊」提供を求める。
(d)<78市町村への試験内容説明と反対派主張の論理矛盾説明>
(e)<各議会自民系オピニオンリーダーへの理解促進策>
(f)<大手60社支店長への協力要請(於岡山)>
(g)<岡山に支店を持つ動燃の取引会社へ協力依頼>
(6)工作にはテクニックが必要だ。
地元紙などに一般市民を装って「やらせ投書」を行うにあたり、詳細な「投稿マニュアル」まで作成した。そして、各部署に投書の「ノルマ」を課し、催促も行った。
動燃は、「やらせ投書」のような工作に弱かったが、ノウハウのある電力会社などから、こうした手法を学んで実施した。
(7)「やらせ」程度は序の口で、地元へカネをばらまいた。
(a)地元の有力者(津山商工会議所副会頭)を会長に据えた動燃支援団体(「動燃安全連絡協議会」)を設置し、計1,000万円を流し込んだ。
(b)「村営会社」を通じて、地元の上斎村へ実質的な利益供与を行った。・・・・今も動燃・人形峠事業所(現・人形峠環境技術センター)に隣接して事務所をかまえる「人形峠原子力産業株式会社」は、事業所の警備や周辺整備、公用車の管理運営などを行う動燃の下請け会社だ。1978年に地元・上斎村(現・鏡野町)が出資して設立した第三セクターで、歴代社長には上斎村長が、役員には地元自治会の区長ら有力者が就いている。社員は100人ほど。給料は役場の職員くらい。役員報酬は月20万~30万円(かつてはもっと高かった)。
【注】「【原発】動燃による反対派つぶし「工作」の記録 ~「西村ファイル」~」
□今西憲之+本誌取材班「動燃裏工作部隊 「K機関」の「洗脳」と「カネ」」(「週刊朝日」2013年3月22日号)
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動燃の「工作」は、これだけではない。
(2)1991年、岡山県の動燃・人形峠事業所(現・人形峠環境技術センター)に「回収ウラン」構想が持ち上がった。「回収ウラン」は、核燃料サイクルの一環で、原発から出た使用済み核燃料から再利用可能なウランを取り出したもの。動燃は、「回収ウラン」を茨城県東海村から人形峠事業所へ運び込み、再濃縮して核燃料に加工する試験を計画した。
ところが、「回収ウラン」には微量のプルトニウムが含まれることなどから、市民グループが反発。岡山県内で大々的に「回収ウラン100万人反対署名運動」を展開した。岡山県内の市町村議会でも、これに賛同の声が上がり、動燃は窮地に立った。
(3)動燃は、署名運動に対抗せんと、回収ウラン事業の実現のために世論を形成すべく、特命チームを組織し、「工作」を託した。「西村ファイル」の資料の一つ「K機関特務隊のアクションプログラム 第1案」(1992年2月19日付けの手書きのA4用紙3枚)には、次のような文言がみられる。ちなみ、作成者は本社核燃料サイクル技術開発部の幹部(当時)だ。
<K機関で確保しているタレントとの会談を企画し、洗脳する>
<財界ラインの利用 笹川系ドン「○○氏(原文は実名)」を動かす>
<3月中に本社作戦、津山拠点の確保を終了 (中略)津山圏は水面下でゲリラ戦とする>
(4)(3)の「第1案」の5日後、2月25日付けで、本社総務部は、「人形峠事業所業務の円滑な推進を支援するための特命チームの設置について」なる文書を作成した。
(a)チーム設置は、「第1案」が全面的に採用された(ただし、特命チーム名は「Kチーム」と変えられた)。
(b)反対運動への敵意を示す。“よそ者嫌い”の地域性を利用し、反対運動の全国への拡大を阻止する作戦を高らかにうたう。
(c)Kチームは、トップに理事長、実働部隊のトップ「本部キャップ」は当時の総務部次長、その下に各部署から集めた2班計12人が就いた。
(d)Kチームの身分は、当時存在していなかった「岡山連絡事務所」の所長、特任主管、特任主査などの名称を使うこととされた。
(e)動燃は、予算を数千万円程度必要と予想し、簿外処理の裏ガネを用意することとした。
(5)Kチームはどんな「工作」を企画したか。
(a)青年会議所ラインを利用してタレントと会談し、あるいは会食し、「洗脳」する。
(b)竹村健一、石原慎太郎にアプローチする。
(c)動燃と関係が深い大手ゼネコンに「協力隊」提供を求める。
(d)<78市町村への試験内容説明と反対派主張の論理矛盾説明>
(e)<各議会自民系オピニオンリーダーへの理解促進策>
(f)<大手60社支店長への協力要請(於岡山)>
(g)<岡山に支店を持つ動燃の取引会社へ協力依頼>
(6)工作にはテクニックが必要だ。
地元紙などに一般市民を装って「やらせ投書」を行うにあたり、詳細な「投稿マニュアル」まで作成した。そして、各部署に投書の「ノルマ」を課し、催促も行った。
動燃は、「やらせ投書」のような工作に弱かったが、ノウハウのある電力会社などから、こうした手法を学んで実施した。
(7)「やらせ」程度は序の口で、地元へカネをばらまいた。
(a)地元の有力者(津山商工会議所副会頭)を会長に据えた動燃支援団体(「動燃安全連絡協議会」)を設置し、計1,000万円を流し込んだ。
(b)「村営会社」を通じて、地元の上斎村へ実質的な利益供与を行った。・・・・今も動燃・人形峠事業所(現・人形峠環境技術センター)に隣接して事務所をかまえる「人形峠原子力産業株式会社」は、事業所の警備や周辺整備、公用車の管理運営などを行う動燃の下請け会社だ。1978年に地元・上斎村(現・鏡野町)が出資して設立した第三セクターで、歴代社長には上斎村長が、役員には地元自治会の区長ら有力者が就いている。社員は100人ほど。給料は役場の職員くらい。役員報酬は月20万~30万円(かつてはもっと高かった)。
【注】「【原発】動燃による反対派つぶし「工作」の記録 ~「西村ファイル」~」
□今西憲之+本誌取材班「動燃裏工作部隊 「K機関」の「洗脳」と「カネ」」(「週刊朝日」2013年3月22日号)
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