浄土真宗本願寺派佐賀教区布教大会の案内チラシです。
先日、県立美術館へ。
美しい絵画を堪能いたしました。
このところ、晴天続き、朝と昼の寒暖の差が15℃くらいありましたが、11日は久しぶりに雨のようです。
山陰教区発行の妙好人カレンダー。
浅原才市さんの言葉です。
一般的には、私が如来(仏)さま を拝む、おそらく拝するというより、亡くなった方々に対する言葉が「南無阿弥陀仏」或いは、私の願望を頼む時のオマジナイの言葉が「南無阿弥陀仏」という誤解があるかもしれません。
でも、そうじゃない。
如来さまが、私を浄土に迎えたい、つまり、覚らせ、心の安穏を与えたい。
そのためには、どうやったら、凡夫(私)を救けることができるか、
考えに考え・・・
誰もが簡単に称えられる「南無阿弥陀仏」となって私に届いてくださった。
願いの方向は、
☓ 私 → 仏
○ 仏 → 私
如来さまのほうが「気づいてくれよ」と、私を拝まれているのが、
「南無阿弥陀仏」でありました。
ウクライナの首都の呼称が、キエフからウクライナ語の発音「キーウ」に。
残酷な戦火続くウクライナ。
避難された方々が佐賀にも来られるそうです。のどかな佐賀で、心身安らいでいただけたら・・・と思います。
「クルンテープマハーナコーン アモーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤー マハーディロックポップ ノッパラットラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェートマハーサターン アモーンピマーンアワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット」
まるで寿限無のような長い、世界一長〜い首都名。
長いので、通称「クルンテープ」。
そもそも「バンコク」という名称は西洋人が付けたもの。外国人は今まで通り「バンコク」も使えるそうですが。
思えば「ジャパン」も西洋人が付けた呼称。日本も正式名称は「ニホン」または「ニッポン」ですよね。
写真は日本の「桜」「花」の代表のソメイヨシノ。
今年も美しい春の花々を見る(見える)ご縁に遇うことができました。
さて、4月8日はお釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」です。
相変わらずクリスマスのように認知されず、盛り上がらないのが残念ですが・・・
降誕会にお参りのご門徒さんに配布の「花まつりサイダー」写真↑をいつもお世話くださっている正徳寺様よりお届けいただきました。
4月8日に孫とお祝いする花まつりケーキも予約しました。
「花まつり」にちなみ、藤井風さんの新曲「まつり」の歌詞一部をご紹介。
🎵 花祭り 夏祭り 生まれゆくもの死にゆくもの 全てが同時の出来事 秋祭り 冬休み みな抱きしめたら踊りなさいな
祭り 祭り 毎日愛しき何かの 祭り 祭り あれもこれもが有り難し 苦しむことは何もない 肩落とすこた一切ない ない 🎵
きょうも、私はたくさんのご縁に恵まれ、支えられ、きょうという、まつり(感動)の1日を過ごさせていただきました。
きょうは組内H寺さまにご門徒さんとお参り。
御法話では、
「浄土真宗の生活信条」
一、み仏の誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るくいきぬきます
一、み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます
一、み仏の教えにしたがい 正しい道を聞きわけて まことのみのりをひろめます
一、み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助け合い 社会のために尽くします
の味わいをお話いただきました。
普段、チコちゃんにしかられそうに、ボーっと唱えている「生活信条」ですが、真宗門徒のたしなみとして、常に意識して、生活させていただかねば・・・と、反省いたしました。
きょうも、たくさんの方々のお世話になり、有り難いご縁に恵まれました。
南無阿弥陀仏
きょうは牛津組S寺さまの御満座(最終日)にお参り。お世話になりました。
ご法話では
信心は、まことの心
凡夫(私)の信じる心でなく
如来が凡夫を救いたいと願われる心がまことの心。
如来のまことの心を有り難くいただくのが「南無阿弥陀仏」であるとお聞かせいただきました。
本願寺派の月刊誌「大乗」4月号に本願寺派僧侶であり、華道池坊講師・池坊短期大学准教授であられる
藤井真先生のコラムが自由花の作品と共に掲載されていました。
藤井先生はお若い時(今もお若いですが)池坊のイケメン華道家グループ「Ikenoboys・イケノボーイズ」のメンバーでいらっしゃいました。
佐賀の花展の時、数回、お目にかかっています。(藤井先生はその他大勢の私のことなど当然ご存知ありませんが)
華道教授としても大変ご活躍でいらっしゃいます。
さて、4月2日から組内巡番報恩講が報恩寺さまで始まりました。私はきょうは草取り、お参りのお茶出し、孫たちとお留守番でした。
法語カレンダー今月の言葉は
大谷派の平野修師(1943-1995)の言葉です。
阿弥陀如来の本願(全ての者を覚らせて安楽を与えたい)の広大な慈悲は私にそそがれています。風のように自由自在に。地下水のように、わたしのいのちの根底をささえ潤してくださっています。
ありがたいとも思わず、気づこうともしなくても、
阿弥陀如来の慈悲は、私にそそがれています。
南無阿弥陀仏