AERA(アエラ)という雑誌 2月2日号 に、先日ご紹介した「なぜこんなに生きにくいのか」の著者・南直哉師が、紹介されていました。(「」内の言葉は筆者の千葉望氏)
子どもの時から「自分自身を維持するのが負担でならない」南師にとって、「自殺は常に魅力的な選択肢」
でも、出家すれば、仏教の「不殺生戒」(殺してはならない・・・自分自身も含めて)の戒律にしたがうことで、自殺できなくなる。「自殺しない切り札として、出家の道」へ
南師の凄さは、「ごまかさないこと」
(そう、仏教は、倫理道徳のきれい事を説いているのではない。自分ではどうしようもないものを抱えた「自分」。その「自分が」が、どう心を転じたら、少しは楽に生きてゆけるのか・・・を知らされる教えだと、私は思う)
そして、南師の言葉が紹介されていました。
「50歳を迎えた今も、私は生きることが苦しんですよ。だけど、こうも思う。『現代は生きづらい時代』と言われるけれど、人間が生きづらくなかった時代などあっただろうか、と」
「人生においては、答が出ないことにも耐えていかなくてはいけない」
子どもの時から「自分自身を維持するのが負担でならない」南師にとって、「自殺は常に魅力的な選択肢」
でも、出家すれば、仏教の「不殺生戒」(殺してはならない・・・自分自身も含めて)の戒律にしたがうことで、自殺できなくなる。「自殺しない切り札として、出家の道」へ
南師の凄さは、「ごまかさないこと」
(そう、仏教は、倫理道徳のきれい事を説いているのではない。自分ではどうしようもないものを抱えた「自分」。その「自分が」が、どう心を転じたら、少しは楽に生きてゆけるのか・・・を知らされる教えだと、私は思う)
そして、南師の言葉が紹介されていました。
「50歳を迎えた今も、私は生きることが苦しんですよ。だけど、こうも思う。『現代は生きづらい時代』と言われるけれど、人間が生きづらくなかった時代などあっただろうか、と」
「人生においては、答が出ないことにも耐えていかなくてはいけない」
なんでも自分のせいだし、気の持ちようで人生は変わる、と考えれば、ストレスなど溜まりません。
不幸なのは自分のせい、不幸だと感じるのは自分の気の持ちよう。
幸福なのはだれかのおかげ。
くらいで居ると、楽しく過ごせます。
ちょっと、ずれているかもしれませんが、生きづらいという言葉に、そんな感想を持ちました。
仰るとおりなんです。
でも、感受性の鋭い方は、考えすぎて、苦しまれるのでしょうね。(私のような鈍感な人間は、そこまで自分を追いつめなくてもいいのに・・・なんて、思ってしまうのですが)
>不幸だと感じるのは自分の気の持ちよう。
幸福なのはだれかのおかげ。
素敵な言葉です。今度、山門の掲示板にパクリで掲載させていただきます。(^_^)v
たしかに辛いです~ね
どこまで~でないことを楽しめるかですか (^_-)-☆
そうですね。
人生、自分の計らいで「これが答だ」とは、ならないと、私は思います。
悩み、苦しみを軽減する教えに出逢うこと・・・浄土真宗で言えば、阿弥陀仏にまかせた生き方が「答え」なのでしょうね。
為念
1月が終わりますが。
原稿締め切りが1月いっぱいなので、ひとしおです。
ありがとうございます。
ふくろうさんの新刊を楽しみにお待ちしております!