お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

これから

2011年04月14日 | 仏教
 今回の大震災で、多くのことに気づかされたと思う。

 スイッチ押せば、いつでも、いくらでも、電気、ガス、水道が使用できることが当たり前ではなかった。
 
 今まで買い物する時、気にも留めなかった、商品一つひとつが、どこで作られ、どう流通していたか、わずかでも垣間見えた。

 お金さえあれば、何でも手に入る というのは、幻想だった。

 きょうと同じように明日もあるつもりで、長期ローンを組み、高価な家や車を買うことが、どんなに危ういことであったか。

 人間も自然(地球)の一員にすぎないのに、人間の都合を優先して、傲慢に生活してきた結果、どんなに自然を汚してしまったか。

 大震災で亡くなった多くの方々が、
「みんなが笑顔で生きてゆける未来のために、あなたは、どんな生き方をしますか?
これから、どんな日本にしますか?」

と、問いかけておられるように思います。



 
 
 

  

 
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6 コメント

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今回の (維真尽(^^))
2011-04-15 20:29:54
震災を
戒めのように考えるような発想は
どうかと思います

奢りはよくないと思いますが...
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やりきれない。。。 (くれまちす)
2011-04-15 22:03:03
そうとでも思わなければ、やり切れません
今こそ、真っ当な信仰が求められてます
teraさん、頑張ってください
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不思議な夢 (shinko)
2011-04-15 23:36:35
teraさん、私は体調を崩して、先月より東京から直方に単身で帰省しております。
揺れのない生活のおかげで、自分の身体はだいぶ良くなりましたが、あとにした関東の家族や友人知人たちのことが心配で心休まりません。

先日、4月7日の夜中12時近くにも大きな余震がありましたが、直後に息子から電話がかかってきました。かなり揺れたが大丈夫と。

その夜はなかなか寝付けずに朝方まで悶々としていたのですが、いつのまにか眠っていたようです。

早朝に不思議な夢をみて驚いてパッと目が覚めたのですよ。本当に生まれて初めての夢。

なんと お釈迦さまが涅槃の姿で私の夢に現れられたのでした。まわりには、たくさんの人が座り、そのまわりには数え切れない数の蝋燭の炎が…。

おふとんに起き上がってからも、しばらく その意味を考えておりました。
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Unknown (法専寺)
2011-04-16 12:17:40
維真尽さん

震災を「戒め」だなんて・・・
そういうことを言いたいのではありません。

仏教を拝する者の端くれとして、
この災害で亡くなり、今は、尊い「仏」と成られた多くの方々が
今まで鈍感に生きてきた私に「気づきなさいよ」と、はたらいて(呼びかけて)おられることに、手を合わせ、こころを合わさせていただいての、私の思いを書かせていただきました。

誤解を与えたのでしたら、申し訳ありません。





くれまちすさん

いつも応援いただき、ありがとうございます!

余震でお疲れのことと推察いたします。
お身体、大切になさってください。





shinkoさん

まあ、お釈迦さまが夢にお出ましになったのですね。

体調を崩され、つらく、不安なshinkoさんに「安らかなこころ」を与えるため、現れてくださったのだと思います。

最近ますます、「なるようになる」と、自分に言い聞かせています。
今、安全な九州も何の災害がおこるかわかりません。
今、健康な家族一同もいつどんな病や事故に遭うかもわかりません。

私は幸い「自分の死」の解決は、仏法に教えていただいておりますので(エラソウなこと言っても、いざとなったら、見苦しくジタバタするのでしょうが)、
覚悟を決めて、「きょう、今」を大切に生きていこうと思っております。

shinkoさん、どうぞ、お大事になさってください!






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Unknown (案山子)
2011-04-16 13:27:22
摂理への畏敬や良心を欠いて 欲望だけを動機とする今の文明は、
アクセルだけで ブレーキがない自動車のように思えます。
そこに、ー自然は征服してゆくものー とする西欧合理主義・科学至上主義の限界を覚えます。
 
自然への畏敬畏怖を打ち捨てていることも、
バイオテクノロジーで 生命の尊厳を弄ぶことも、
軍事やビジネスとして 人間の手に余る核を弄ぶことも、
 ・・・・・
人間は、傲慢で 慾望だけを目当てにひた走っているような気がします。

まさに、仏教的視野による正見・正思惟が求められる時代であると思うのですが・・・・・。
 
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Unknown (法専寺)
2011-04-17 12:41:20
案山子さん

本当に、そうですね。
仏の教えに耳を傾けて、強く明るく、困難を乗り越えて、生きていきたいと存じます。

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