お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

お寺に行っても・・・2

2009年03月01日 | 仏教
 仏教を精神修養=いい人になる ための教え という誤解。

 これも仏教に対する誤解の一つです。

 もちろん、仏さまの教えを聞いて、自分の愚かさに気づかされます。丸く穏やかに・・・と心がける気持ちは出てくるとは思います。

 でも、自分の心のトゲが無くなってしまう・・・なんてことは、ありえない。

 どんなに気をつけていても、相変わらず、欲も多いし、腹も立つし、自分の「常識」を振りかざして、相手と衝突してしまう・・・

 熱心にお寺参りをしているお姑さんが、お嫁さんの考える理想の姑(大抵、自分のワガママに寛容で、自分にとって好都合な姑さん)に、変身するか といったら、そういうことは、まず、ない と思う。

 むしろ、仏さまの教えを聞いても、聞いても
「仏さまのような理想の心」に成り得ない、
どうしようもない自分がいるからこそ、
阿弥陀如来の「本願(さとりに導びこう という仏さまの願い)」がより、心にしみて、
 
 大好きな阿弥陀さまに遇いにお寺の法座にお出でているのですよ。

 

 

 
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