お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

その15 我執(がしゅう)

2006年12月08日 | 仏教
 今度の日曜日、佐賀教区の「若婦人の集い」があります。
 今回、法専寺が出席当番に当たっているので、気安いご門徒さん宅の若奥さんに出席をお願い。 内1名がお仕事の都合で欠席になってしまいました。
 
 若婦人は「45歳以下」という規定になっています。
 若いうちから仏法を聴聞していただくのが理想ですが、現実はそうはいきません。土日と言えども、育児、お仕事、子どもが少し大きくなると部活、塾の送り迎え・・・本当にご多忙です。なかなか法座の聴聞にはおいでいただけません。
 
 やむなく、私も若作りで45歳以下にまぎれて参加することに・・・だいぶ、無理があるけど、精神年齢は低いってことで・・・

 きょうの仏教語は、「我執」です。

 「我執」とは、自分の思い(価値観・感情)に、とらわれることです。

 仏教では我執を離れることを理想とします。

 本当は無色のものを、各人自分の思いで、いろんな色に見立ててしまう。
 
 自分自身だってその場その時の感情、思いで心コロコロなのに、「自分は正しい」と思い込む。自分の考えこそが「正義」だと思って譲らない。

 人間の「正義」は、危険です。自分色の「正義」による紛争がなくなりません。

 お互い「我執」に陥る自分の危うさに気づいて生活したら、少しはお互い尊重できるのではないでしょうか

と、言いつつ、自己主張の強い私ですが・・・
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2 コメント

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Unknown (維真尽)
2006-12-08 21:36:35
我執は、人間には
必要だと思いますが...
人間性とは、なにか ということですが...

(もちろん、教義を否定しようとは思いませんけど)
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Unknown (法専寺)
2006-12-09 12:02:02
維真尽さん、>人間性とは、なにか ということですが... う~ん、難しいですね。
一人間として、自分の主義主張をもつことは、ある面大切なことですし、自分の思いに「こだわり」があるのは当然ですが・・・

仏教で言う「我執」は、人間は、自分の価値観でしか物を見ることができない」「自分の思いが世界の中心にある」的状態のことを言います。
「自分が、自分が」と視野が狭くなっている状態。しかも自分で「我執」に気づかない状況。自分の常識に外れたことを許容できない状況。

だから、仏の智慧が要るんだよ。というのが仏教です。
「私は大きな宇宙の中の一員として生かされて生きている」といった大きな視野で自分をかえりみることができる。我執を客観視できる。
我執をなくせなくとも(我執がなくなれば悟りですからね。生身の人間には無理です)我執に気づかされる。
自分の主義主張だけでなく、相手の主義主張もちょっぴり受け入れる心の余裕ができる。

宇宙飛行士が「宇宙から地球を見て世界観が変わった」とおっしゃる。例えたらそういうことだと私は思います。

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