本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

雲・クラウド

2018-12-07 20:53:41 | 住職の活動日記

天気の良い日草の上に寝転んで

のんびりと雲の姿を見るのは

気持ちのいいものです。

 

「雲」という字も

よく使う字でお坊さんの名前やら

戒名にも使われ、

お経の中にも出てきます。

 

特に禅宗では

「雲水」(うんすい)といって

修行するお坊さんのことを指します

一ヶ所に止まらないで

悠々として成り行きに任せて

旅をする姿を

行く雲、流れる水に喩えて

「雲水」というのです。

執着を離れた姿ということで

雲ということを比喩的に

使うのでしょう。

 

傍から見ている雲も

その中に入ってみると大変

雨や霰のもとになってものですから

内と外では大違いです。

 

 

 

飛行機も雲の中では揺れも激しく

エアポケットに入ったりして

恐い思いをするものです。

 

それから、最近では

「クラウドサービス」というのが

あるようで、

クラウドというと雲を想像しますが

そうではないようで、

雲といってしまえば、

そういう実体を考えるのが間違いで

コンピューターのデーターを

管理するハタラキのようなもの

つまり、「空」といった方が

いいのかもしれませんが、

「空」というとからっぽと

考えてしまうので、

 

空というと何もないように

思うのですが

何にでもなるハタラキがある

というようなものと思います。

 

そこで、空といわずに

クラウドと私たちの目には

捉えがたいものとして

表現したのでしょう。

 

しかし、

そこにも大きな問題もあるようです

ソフトバンクの通信が止った

何気なく使っている携帯も

もはやただの電話ではなく

ありとあらゆることに使われ

もうこれがないと何も出来ない

そういうことになって来ています。

地図も出てくるし、

自分認証のQRコードも

電車のスイカも飛行機の搭乗も

何でもできるし

それこそ大変な情報量が入っている

こういうのを管理しているのも

ある種のクラウドなのでしょう。

 

何もないクラウドというハタラキ

それだけに頼っていると

なにか一つ狂うと

日本中がすべて麻痺してしまう

ということにもなりかねないような

気がします。

 

雲・クラウド

外から見るにはいいようでも

中は大変

便利さに頼り過ぎて

私たちの感覚がマヒしてしまう

そういうことも考えさせられました。

 

 

 

 

 

コメント
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