本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

三浦先生と安田先生の出会い

2024-09-09 20:37:23 | 十地経

三浦先生が創設された幼稚園

「西京極幼稚園」では毎月

『たんぽぽ』という新聞が

発刊されています。

そこには三浦先生の言葉が

紹介されています。

洛南高校の生徒に毎月話された

講話なのです。

 

『人生は苦なり』という題で、

本日は、

洛南高等学校を建て直そうと

決心したことの

お話をさせて頂きます。

私はあるご縁により、

よき師にお逢いできて仏教精神

というものに触れさせて

いただいたように思っております。

小さい時から大変我の強い人間で

これと思ったら

思いを通さなければ

諦めぬ癖がありますが、

師のお話を聞き、

この話には嘘がない、

この人のおっしゃるとおりに

すなおに実践してみようと

思ったわけです。

 

それがちょうど昭和37年の3月

のことでした。

しかし、その年の11月には突然

あることで教育に疑問を抱き、

壁に突き当たってしまいました。

 

「私はよその人の子どもを育てて

何になるのか」

「何の生きがいがあるのか」

と思いついたら寝込んでしまい、

何日もご飯を食べずに過ごした

ことがあります。

しかしこの時、師から

「自分の一生はかけがえのない

ものではないか。

三浦は広い世界でただ一人だけだ

このかけがえのない自分を

空しく過ごしてはいけない」

とはげまされて、

途中でやめてなるものかと

思い直して立ち上がったわけで

ございます。

 

たとえ誰がなんといいましょうとも

責任者は絶対に弱音を吐いてはいけない。

自分のような者でも頼ってくれる

人がいる間は弱音を吐いたら

おしまいだ

ということはわかっています。

しかし

本当に人間は弱いものですから

泣き言もいいます、愚痴も出ます。

 

自分が壁にぶち当たった時、

人に過度の期待をかけるものではない、

世話をして自分の思い通りにさせ

ようとする心が背かれるのだ、

ということを

つくづく思い知らされたわけで

ございます。

 

釈尊が6年間の苦行の内容は

「世間は苦なり」でございました。

人生は楽から出発しているのでは

ありません。

世間は苦以外にはない。

苦を背負うよりほかに道はない

ように思います。

結局は、

いつ死んでもいいのだから

死ぬまでこの道を叫び続けようと

思い定めたわけでございます。

 

ただ、このように決心がついた

からといって、二度と迷わない

といわけにはまいりません。

 

ついこの間までは

東寺で師を囲んでの仏教の勉強会

がございまして、いろいろな問題は

その会で師のお話を聞けば、

なんという愚かなことに

迷っていたのだと、

気がついたものでしたが、

その師が突然に倒れられました。

その後、同志も一人去り、

二人去りというわけで

ちょうど仕事の方も難関に

ぶつかりかけてきましたし、

この時ほど

「教えを聞く場があればこそ

救われていた」のだと

思い知らされたことはありません

でした。

 

聞くことそのものが救いであって、

聞いてそれをどうしよということが

救いではなかったわけでございます。

 

中略…

 

最初の「十地経講義」は

ここにありますように

昭和37年3月です。

この当時は先生も泊りがけで

二日にわたっての講義でした。

この時が一番講義も熱が入り

喧々諤々、話も盛り上がり

その話が実践に移され

洛南高等学校の建設の礎に

なったのです。

この時は先生の声を残すという

考えはなく、

ただ聞いてその言葉をいかに

実践するかということに

力がそそがれたようです。

 

講義として本になったのは

先生が退院されてからの

昭和46年3月28日からです。

先生の言葉を残しておくべき

必要があると思ったからです。

 

三浦先生の言葉にあったように、

聞いてどうこうしようとする

のではなく、

聞くこと自体が救いであった。

ということです。

講義が途絶えた途端、

それこそいろいろな問題が起こり

苦難の時代が続いたのです。

 

話しは続きます、

 

けれども現実には、今の暮らし、

生活する場を守らなければなりません。

またこの国土を破壊してはなりません。

釈尊にしろ、弘法大師にしろ、

最後まで努力を放棄されなかった

欲生心の深い方であったと思います。

 

いやになったら

何時でもやめることのできる人は

しあわせです。

しかしそういう腰かけの意識では、

どんな小さな仕事でも成就する

とは思えません。

そこからは耐えるという力強さは

出てこないでしょう。

私どもは逃げ出したいという

思いが強い。

私も逃げたいのが本音です。

でも私は逃げることはできません。

また逃げてはいけないと思います。

 

後略します。

 

という

当時のことを思い出すような

話しですが、

安田先生と三浦先生の出会いは

昭和37年の3月ということです。

 

 

 

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