本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

お経には「不」とか「無」という否定語が多いのだろう

2021-04-27 20:47:14 | 十地経

いつも読む『般若心経』でも

「不垢不浄」とか「不」という

言葉が続きます

その次には「無色無受想行」と

「無」という言葉が続くのです。

ちなみに、「不」は八つ

「無」はなんと二十一にも

なります。

 

お釈迦さまのさとりの内容は

「人生は苦なり」

という何とも否定的にも

聞こえてきます。

人生は希望に満ちた明るい未来が

待っているとは言わないのです。

 

修行も一切を否定することから

始まります。

自分自身を全否定されるようで

やる気も無くしてしまうような

そういう辛さがあります。

 

そのことを講義の中では

 

「衆生無我とか法無我とか

というような広くいえば

そういうことですけれども、

ここで無がずっと重たくなる

でしょう、

無とか不とかね。

これは否定概念です。

どうして仏教は、

こういうことは外国にないこと

でしょう。

どうしてこんな否定概念を

強調するかといえば、

これは何かというと

否定さるべきものは

こっちにあるという意味です。

自分にあるということです。

自分の側に

こう否定されるべきものがある。

外に否定されるべきものは

ないんでしょう。

 

衆生とか諸法とかの上に否定が

あるわけじゃないんであって

衆生を実体化し諸法を実体化

しているのは我々でしょう。

その我々に対する否定なんです」

 

私たちがなんでも

そのものがそのようにあると

実体化してそれに固執する

そういう心を否定する

ということでしょう。

 

「我に七難八苦を与え給え」

と、山内鹿之助は言っています

また、

「若い時の苦労は買ってもせよ」

という言葉もあります

今の私たちは

子どもにだけは苦労させたくない

という気持ちがありますが

しかし、

人々の心を打つのは

「おしん」のようなドラマで

日本といわず外国でも多くの人に

感銘を与えました。

という私は一度も「おしん」を

見たことがないのです。

まあ、おしんと似たような生活で

テレビを見る暇さえなかった

ということです。

 

そこには

生活苦というかそれほど厳しい

自分というものを言えないような

そういう困難なご苦労があって

おしんという人物を

作り上げていった

自分の自我がつぶされ

そして本当の自分を磨いていった

そこに美しい本当の自分が

出てくるということです。

 

そういう

周りからの苦労が無ければ

自然と自分の好き放題にして

私たちの自我の妄執というか

おれが! おれが! という

自分の我をたてる

そしてそれに固執して

離そうとしない

そういう心が成長してくる

ということです。

 

自我と簡単に一口に言いますが

その心の中は幾重にも

自我がひそんでいて

なかなか単純には否定しきれない

そういうことで

不とか無という否定語が

連続していて

それを一つ一つ否定していく

そういう意味があるようです。

 

『十地経』の十地という位も

自我を否定していく道程と

いってもよいと思います。

それを「対治」という言葉で

次々と出てきます。

 

やはり、否定を通さないと

本当のものは出てこない

苦労を潜り抜けないと

本当の人間にはなれない

ということでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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流転・還滅

2021-04-24 20:16:00 | 十地経

「十地経講義」も

ここのところずっと経典に沿って

講義がなされていますので

なかなか難しいところが

続いています。

私たちに分るのは

横道にそれた話が身近に感じ

それがまた面白くもあり

興味も湧いてきます。

 

本来の講義というものは

こういうものでしょうが

そういうことからすると

私達には経典を読むということは

不可能に近い気がしてきます。

 

かろうじて聞き覚えのある言葉が

出てきました

「流転」という言葉です

本当の意味は分からないにしても

昔、鶴田浩二さんの歌に

「流転」という歌がありました

 

「男いのちをみすじの糸に

かけて三七 さいのめくづれ」

 

という歌だったと思いますが

意味も分からず歌ったことを

思い出します。

 

流転という言葉の反対語が

還滅(げんめつ)です

げんめつ、というと

言葉の響きからは幻滅という

言葉が浮かんできますが

還は帰るという意味、

滅は煩悩が滅した

つまり涅槃のことです

ですから、本来の自分に返る

ということが還滅です

 

講義では

「我々の存在といっても、

物理学や、科学や哲学で

考えるような存在じゃないんで

はじめから迷って苦しんどる存在

なんです。

迷いもせん、

そういう存在じゃないんで、

ギリシャの場合は自然科学という

ものから出発しますが、

仏教はそうじゃないんで、

この流転しとる衆生ですね。

 

流転もせず、

また流転の反対概念は還滅です。

流転のもとに、

翻してもとに帰るのを還滅と

いうんです。

ただ還滅でもないし流転でもない

ような存在は考えとらんですね。

はじめから存在といえば

流転という形をとるか

還滅という形をとるかの存在が

取り扱われとるんです。

 

インドの考え方は変わってる

というけど、

かえって根源的なんじゃないか

と思うですね。

で漢民族や日本人は

存在論というようなものはあまり

興味なかったんじゃないかと

思うですね。」

 

というようにでてきます。

私たちのあり方として

迷って流転しているか

あるいは翻って

菩提を求めて還滅の方向を

向いているかのどっちかだと

いうのですね

その中間はないというのですが

 

まあ、迷っているけど

少しは仏の方をたまに向いている

ような、中間的なあり方が

あるような気がするのですが

そうではなく

中間的と思っているのは

実は迷っているので

私たちのあり方としては

迷いの流転か

菩提・涅槃の方を向く還滅の

どちらかしかないのでしょう。

 

とすると

私のあり方は正に流転だと

いえると思います。

まあ、八地に入ってからは

経典にそった講義で

何かしら、経典という原生林を

切り開いていかれるような

言葉も繰り返しながら

自分でも「うん」と頷きながら

一歩一歩進んで行かれるようです

 

たぶんこの席にもいたと

思うのですが

かいもく聞き覚えのある言葉に

出会わないのです

ということは

居眠りしていたのでしょう。

今また、書きながら読みながら

行きつ戻りつしながら

進んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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宇治・平等院の藤の花

2021-04-23 20:11:01 | フラワー

今週はお花の教室はお休み

ということもあって

平等院で今が旬の藤の花を

アップします。

 

 

今回は珍しく南門より

 

 

なんてことはない普通の門ですが

見ると桃山時代の

伏見桃山城から移築された門です

この入り口にも

 

 

立てに伸びた藤棚があります。

 

 

白い藤もあるようです。

南側より入ると同じ平等院でも

また違って見えてきます

 

 

鳳凰堂の丁度裏側です

 

 

土塀の屋根の隙間に

可愛らしい草が萌え出ています

 

 

源頼政公の墓もあります

宇治川の合戦で平知盛に敗れ

この平等院で自刃されました

76歳です

「埋もれ木の花咲くことも

  なかりしに

 身のなる果てぞ

   悲しかりける」

という辞世の句があります。

お参りしていると

上の木の方でとても上手に

鶯が鳴いています

こんな立派な鳴き声は

初めて聞きました。

 

 

見事な藤棚です!

 

 

 

 

下を見ると、この幹の太さ

樹齢何年でしょう

 

 

あたり一面藤の花の香りが

漂い

一番喜んでいるのはハチさんたち

のようです

 

 

沢山いたのですが

黒い点がハチです

香りに酔うように飛び回り

花の中に潜って蜜を吸っている

ようです

 

 

モミジも新緑が美しく

さくらの咲く時期もいいのですが

新緑の木々たちにとっては

一番の活躍時期です

その姿は目にも眩しいものです

 

 

ツツジにも映える鳳凰堂

そこにもドラマがあり

 

 

こちらは少し小ぶりのハチが

蜜を求めて飛び回ります

 

 

タンポポの種と鳳凰堂

千年も変わらず佇んでいる鳳凰堂

毎年種を飛ばし一年で終わる

タンポポ、

この時間の対比も面白い

 

 

松の木もたくさんあり

どの木も樹齢が相当長い歴史を

感じます

これから松ぼっくりになっていく

赤ちゃんの松ぼっくりでしょうか

 

 

最後に、

形が一番美しいと言われる

平等院の梵鐘

撞木の当たる位置が少し上にあり

この形がバランスもよく

形と装飾文様が美しく

三名鍾といわれる所以です。

 

何度も訪れる平等院ですが

時期も入る場所も違えば

またそれぞれに変化した

姿を見せてくれるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『努力は無限』松山英樹

2021-04-22 20:38:49 | 住職の活動日記

ゴルフのことは分かりませんが

先日のマスターズで

松山英樹選手がアジア人で始めて

優勝したという快挙

本当に凄いことです。

 

また、ドキュメンタリーで

優勝までの道のりを

カメラが追っていました

その時、部屋にあった言葉が

「努力は無限」

ということです。

 

フィジカル面で劣る日本人

そこで徹底的に体作りをした

青木さんも、

「心・技・体」というけど

「体・技・心」の方がいいと

体ができていなければ

いくら心や技ができても

勝負には勝てないと、

仰っていました。

 

努力という言葉もよく

「精進努力」という熟語で

使われます。

十地経の講義でも、

十地経というのは実践の経典です

が、例えば身近なことでは

「六波羅蜜」という実践項目が

あります。

布施・持戒・忍辱・精進・禅定

智慧の六つですが

その中でも、「精進」が重要で

どんなに他が揃っても

精進が無ければ六波羅蜜は

完成しないと、

仰っていました。

 

精進ということも

「精進料理」とか

「精進潔斎」という熟語でも

使うのですが、

仏教語としては

勤ゴンと訳し、勤勉の勤です

また、精勤ショウゴン、とも勤精進

とも訳します。

ひたむきに勇敢に善をつとめ

励ます心のはたらき、と

あります。

悪に向かっての努力は精進とは

いわないのです。

 

ですから、

三十七道品という実践修行でも

精進根とか精進力というように

この精進ということが

どの項目にも出てきます。

 

松山選手の言葉でも

やはり、極められた方は

やってみると次の課題が見つかる

というように、

努力で勝ち取った方は

やってみれば次になすべき事が

見えてこられるようです

やらない人にとっては

もうこれ位で十分

という気持ちになるようです。

 

『十地経講義』も

私が聞きだした頃はちょうど

第七地でした

何も分からなかった私は

十地まで行ったら次はどこへ

行くのかしらと、

バカな質問をしていました。

 

第七地が「遠行地」という位

遠くへ行くと書きますが

これは行が完成したということで

この地がちょうど区切り目

というか、

それまでは努力を必要とする

有功用ウクユウといいます

まだまだ努力が身に付かない

自然に行われないということで

第八地になると「不動地」で

ここからは無功用ムクユウの行に

なってきます

 

たとえば、「板に付く」という

言葉がありますが、

舞台の俳優さんが

芸が身に付いてくると

舞台の板と一体になるという

そういう世界があります

こういうことも一つの

無功用ムクユウの世界でしょう。

 

功用クユウというのは

身口意の動作のことです

身のこなし、しゃべり方、

心の持ち方という

私たちのすべての行為そのもの

ということです。

それらがすべて理にかなっていて

努力のいらない世界を無功用と

いうのでしょう。

でも本来はもっと深い意味が

あるようです。

 

ああいう一流の方をみていると

努力ということも

本当に無限の世界ということが

思い知らされます

これでいい

ということはないのです。

努力すればするほど

さらなる努力の道が見えてくる

 

死ぬまで坂道を上り続ける

と師匠から厳しく言われましたが

これでいいと安んじたら

坂道ですから落ちてしまいます

一歩ずつでも登り続けていて

やっと現状維持ということです

ですから、

息の途絶えるまで

一歩一歩の精進努力です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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刃傷松の廊下と玉の輿のお玉さん

2021-04-21 20:33:28 | 住職の活動日記

元禄14年3月14日

西暦1701年4月21日に

刃傷松の廊下の事件が起こります

起こした浅野長矩は

その日のうちに切腹を

申し付けられます。

あまりにも早いご沙汰で

切られた吉良義央は

お咎めなし、

という事件です。

 

このことから両成敗ではなく

一方的な処置じゃないかと

赤穂義士の討ち入りが

挙行されます。

 

その時の長矩の役職は

勅使饗応という勅使の接待役

というとても重要な役目です。

そのご本人が刃傷沙汰におよぶ

という、

大変なことをしでかしたのです。

 

ということで、

この件にとても立腹した

五代将軍綱吉は即刻

切腹を申し付けたのです。

 

というのは、

綱吉の母は「玉」(桂昌院)

玉さんは家光に見初められ

町家の娘が大奥にまで上がる

という、大出世

そこから「玉の輿」という

言葉も生まれたと言われています

家光がなくなると

一旦は大奥を下がるのですが

我が子綱吉が将軍に着くと

また、大奥に戻り

綱吉のために尽くすのです。

 

綱吉も母玉をとても大切に思い

女性としては最高の位

従一位を授かるよう朝廷に

申し出ます

春日局でもその位までは

なっていません。

 

ここからが勝手な想像ですが

たぶん勅使下向というのは

母玉への従一位の授与がある

日ではなかったかと

思うのです。

その証拠に翌年

元禄15年(1702)2月に

従一位を授与されます

そして、名前も

「藤原光子」というように

藤原姓まで頂いています。

 

振り返って

何故

長矩は刃傷沙汰を

起こしたのでしょう

長矩も勅使饗応役は2度目で

たぶん、慣れていたはず

その時、吉良様は出張で留守

そこで、

吉良様をないがしろにして

事を進めた長矩に対し

吉良様のいけずがあたのでは

ないかと思うのです。

 

怒りの方程式も

最初は「忿」フンという

ムカッときたという怒りですが

それが心に残り捨てられない

すると恨コンという怒りに変わり

それが更に発展すると

悩ノウという怒りに成長し

いよいよ燃え上がってきます

追体験というか

あの言葉とかやり口を思い出し

さらにいかりが燃え上がって来る

そしてついには

害ガイという煩悩まで発展し

刃傷沙汰におよんだ

ということになります。

 

ですから、綱吉にとっては

大切な母への従一位への贈り物を

邪魔されたというか

怪我されたという思いが

その日の内の切腹という

ご沙汰になったのでしょう。

 

綱吉の「生類憐みの令」という

ことも、母玉の信心から出たことで

玉さんも晩年は

お寺への寄進や修復事業に

尽力されています。

そして

宝永2年6月22日(1705.8.11)に

79歳で亡くなっておられます。

刃傷沙汰の4年後です。

 

勝手な想像ですが

赤穂義士の討ち入り

その原因になった

松の廊下の刃傷沙汰

丁度その時の勅使は

お玉さんへの従一位の授与

という役目とすれば

何かしら面白いところで

結びつくのではないかと

思いました。

 

また今日は弘法大師の祥月命日

でもあり、

長矩の命日でもあるという

日なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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久世神社と久世の鷺坂(さぎさか)

2021-04-20 20:32:22 | 住職の活動日記

自宅から10分ほど

南へ行ったところに

久世神社はあります。

 

 

神社自体が小高い丘になっていて

階段を上がると本殿です

 

 

小振りながら極彩色の美しい造り

 

 

狛犬も鎮座ましまし

睨みを利かしています。

 

久世という地名も

「ク」というのは陸地

「セ」は背、微高地

ということからきていて

古代より、万葉集にも

「久世の鷺坂」として

詠まれています。

 

「山背の 久世の鷺坂

  神代より

 春は萌ハりつつ

 秋は散りけり」

 

(山背の久世の鷺坂は、

神代の昔から春は木々が芽吹き、

秋は黄葉が散ることだ)

という意味です。

 

 

鷺坂はご覧のように緩やかな

上り坂です

この歌が詠まれた時代、

都は奈良の平城京です

平城京から北へ延びる

古山陰道がここを通ています

歩くと緩やかな坂道が続き

結構しんどくなるところ

丁度登り切ったこの場所で

振り返って、

この歌を詠まれたのでしょう

 

 

石碑も建っています。

昔はこの辺りはとても栄えた

ようです

円墳、前方後円墳の古墳も点在し

久世廃寺跡という

立派なお寺もあったようです

 

 

今はこの付近は住宅街で

昔の面影を留めるものは

この久世神社と周りの古墳群です

 

昔は(やましろ)を山背と書き

山を背にした都

京都も山背の国と書いたのが

後に山城というように

書き改められたようです。

山を背にするというのは

都を造る条件だったのでしょう。

 

そのような昔に想いを馳せながら

今は一人静かに咲いている

 

 

桜を独り占めにしていました。

いつもは何気なく通り過ぎている

この久世というところ

調べてみると意外なほど

歴史の重みを含んでいるという

場所ということを

あらためて思い知ります。

 

 

 

 

 

 

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自分を完成するという事業

2021-04-19 20:21:49 | 十地経

よく、講義の中で

「いろいろな事業を起こすのも

いいけど、

自分を完成させるという事業ほど

大切な事業はないじゃないか」

ということを仰っておられました

 

今では、若い方も起業というか

事業を起こされる方も

多いようです

ソロバンの世界で儲けた損した

ということも事業ですけど

人として生まれて

自分を完成させるという

そういう事業もあるのです。

 

「世間的な事業もあるけど、

世間を超えたような事業もある。

仏法は一つの世間を超えたような

事業じゃないか。

そういう場合の願というのは

事業の原理的なものになる。

それが願。

事業の原理的なもの、

本モトになる。

本モトだけど、

あるものの存在の本という

意味じゃなしに、

事業の本という意味。

 

たとえば、人間が生きるという

ことは一つの存在ですけども、

しかしそれは机がある

というような意味で人間がある

ということではない。

山がある、川があるという意味で

人間は存在しているのではない。

何か事業をもって生きている。

人間存在の意味が

事業というあり方。

 

あるということは、

各々のあり方をもってある、

それで初めてあるということが

規定される。限定される。

それが事業ということじゃないか

 

もっといえば、

存在ということは

生きるという意味。

だから机があるとかというような

意味の「ある」じゃない

生きてあるということ。

生きるということが

一つのあり方になる。

生きるというあり方をもって

存在しとる。

それが人間というもの

なんですけど、

 

その生きるといっても

植物も生きとるし魚も生きとる

だけど人間が生きるという場合は

それらのいきるじゃない。

生きるとは

どんな意味かといったら、

やはり事業ということが

あるんじゃないか。」

 

ということが講義で出てきます。

 

私たちは、

事業を起こすということに

自分の可能性をかける

ということもあって

わくわくするものを感じますが

やってみて

初めて自分の器の大きさを知る

ということがあります

何でもできる、

と思っていたことが

やってみると

案外これで目一杯というような

壁のようなものにぶつかり

自分の力量のなさを知るものです

 

事業ということも

仏教の言葉では作業(さごう)

というように出てきます。

ですから、事業も作業も

同じ意味です。

どちらも業(ごう)という

字が入っています。

 

自分を見出す事業

そういうことも考えてみると

おもしろいと思います。

 

 

 

 

 

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レコード鑑賞

2021-04-18 21:15:48 | 住職の活動日記

簡単なレコードプレーイヤーを

求めました

何だか以前買っていたレコードを

眠らしておくのは勿体ないと

 

 

持ち運びが便利なコンパクトな

代物です

 

 

やおらレコードを引っ張り出して

レコード鑑賞と

昔聞いた音が記憶とともに

蘇ってきます

 

 

私の最初の一枚は

「トリオ・ロス・パンチョス」

どういう理由かは分かりませんが

この声が好きで

何度も何度も100回位は聞いた

かもしれません

というのも、高校時代で

そんなにレコードを買う

という余裕もなく

これ一枚を繰り返し聞いて

ついには聞き覚えで

全部覚えてしまうほどでした

 

 

それから彼女にとっても一枚は

「シャルル・アズナブール」

です

彼の最後の講演も聞けたのです

その感動もあって

このレコードは若い頃の声で

なおさら、心に響く歌声です。

鑑賞というだけあって

妙なもので

ながらには聞けないような

やたら動くと針が飛び

レコード盤をじっと見ながら

集中して聞きほれます

 

 

このプレーヤーだけでは

音も悪く横にある

ヨシイナインのミニという

さほど高くはないのですが

これに繋ぐと臨場感が出てきます

まあ、不思議なもので

音というのは

その時の状況に引きずり込んで

いきます

あの時の光景とか思い出が

蘇ってきて

その時代に浸っていました

 

 

時間も過ぎて

夕食は「坤滴」という伏見の酒も

加わり、酒もすすみ

音もジャンルも増えて

いろいろレパートリーもまして

テレビのない音楽だけの世界を

楽しみます

 

 

ジッとレコードの回転を

見ているだけで事足りる

というか

CDや今のダウンロードした音源

にはない

味わい深いものがあります。

 

やはり音もいい

CDとかでは出ないような音も

表現しているように感じます

また、

たまに引っ張り出して

レコード鑑賞したいものです。

 

 

 

 

 

 

 

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花とりどりの手柄かな

2021-04-17 20:09:03 | フラワー

コロナ禍ということもあり

また、

先生もお忙しくなられたようで

教室も久しぶりに開講されました

久しぶりに会われる生徒さんたち

よもやま話に花が咲いたようです

 

 

バラとカーネーションを中心に

活けられています

 

 

見ればなんてことのないような

と思ってしまいますが

御本人にとっては

結構手が込んで難しかった

そうです

 

 

ここの場所もしばらくは

造花の花が陣取っていたのですが

やはり本物の花は存在感というか

いのちが活けられている

日々変化して枯れていくという

運命にあるのですが

一瞬一瞬の輝きが違います

 

 

花はなぜ咲くのかな

と、考えてしまいます

家の前に置いている牡丹

その姿や香りにつられて

虫や鳥がやってきます

虫たちにとっては蜜を頂き

花にとっては受粉してくれるので

次の命を繋ぐことが出来ます

 

寒い冬を乗り越え

力を蓄え、暖かくなって

虫が目覚める頃を見計らって

花開くのです

 

私たちは咲いた花だけ

楽しむのですが

植物にとっては

花が終わった瞬間から

次の大きな仕事が待っています

また、来年へ向けての準備です

 

牡丹の花も切り取り

周りにはお礼の有機肥料を

あげました

そして、玄関から裏庭へ移します

これから土の栄養と

日の光を一杯受けて光合成をして

根の中に養分を蓄えるのでしょう

見てみると

指一本位の幹なのに

あの大きな20cmもあろうかという

花を咲かせる

本当に不思議です。

 

切り花にされた花も

それぞれが生かし合うように

活けられ

そこにもう一つのいのちが

芽生えるようにも思えるのです。

 

また、

しばらくは教室もないようです

しっかりとこの花たちを

楽しみましょう。

 

 

 

 

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神峯山寺(かぶさんじ)

2021-04-15 20:30:03 | 住職の活動日記

丁度、家より真西へ行ったあたり

車で40分のところ

場所

場合は高槻市です

けど、深山幽谷を思わせる

山の中腹にあります

 

 

結構広い境内です

近くに東海道遊歩道があり

自然豊かな環境です

 

 

この階段を下りていくと

そこが遊歩道になっています

 

 

その下には新名神高速道路が

通っています

駐車場に車を止めて徒歩で

5分ほど歩くと

 

 

山門が見えてきます

両脇には

 

 

狛犬が構えています

門の中には

 

 

仁王像が待ち構えています

 

 

そこを進んで行くと参道があり

今は新緑のもみじが

目に飛び込んできます 

秋にはさぞかし美しいことでしょう

 

 

今日のお目当ての護摩堂です

ちょうどお護摩が終わったところで

護摩の煙のいつもの匂いが漂って

います

上がってお参りをして

堂内を覗くと

天台宗のお寺なので

内陣が一段低くなっていて

比叡山の根本中堂を思わせる

作りになています

 

 

とても歴史を感じさせるお寺で

聖徳太子の建立によるとあります

護摩は3千日焚かれているようで

 

 

時間表があって

その時間に合わせていくと

お護摩に参座できるようです

 

 

護摩堂を見下ろすように

まだ桜が咲いています

 

 

淡い色した桜で

一輪一輪が茎から伸びるように

咲いています

本堂はさらに進んで

 

 

この石段の上になります

 

かいさんというでんせつ

 

ご本尊は毘沙門天です

修験道のお寺でやはり役行者が

開祖になっています

葛城山で修行中に北方より

発せられる光に導かれて開いたのが

この神峯山寺です

そのときに

霊木で四体の毘沙門天を彫り

その内の3体は

北山・鞍馬山・信貴山へ飛び去り

一体がこの山に留まったという

伝説が残っています

 

 

本堂前には樹齢100年という

山茶花の霊木があり

その脇からは新しい子供の芽が

 

 

出てきています

そしてこの木も珍しかったのですが

 

 

木の肌は百日紅のような

花はピンク色に小さな花が

咲いています。

たまたま訪れたのですが

意外なところそれも近くに

こういう立派なお寺さんがある

というのは驚きでした。

 

歴史があるだけに

いろいろの物語や言い伝えがあり

このお山自体が龍神さまという

境内には九頭竜滝があり

修験者の行場になっています

そしてここは白龍様をお祀りした

お堂が建っていて、

龍神信仰の名残が

たくさんあるようです。

 

帰り道で気がついたのですが

 

 

葛城山遥拝所という

石碑がありました。

役行者が葛城山でこの場所を

感得したので、

お寺の方はここから葛城山に

お参りされるのでしょう。

 

偶然とはいえ

とても良いご縁でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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