本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「 娑婆 」  ( しゃば )

2012-05-31 15:09:21 | 住職の活動日記

最近ではあまり使われることも少なくなったように、

思われる言葉です。

 昔は、 「 娑婆の空気は … 」  とか、

本来は仏教用語です。

 インドの言葉で 「 サハー 」  が、そのまま 「 しゃば 」 と音写されました。

『 忍土 』  と訳されました。

 この世は 「 シャバ 」  「 忍土 」  である。

耐え忍ばなければならない世界、 であると

 

 先日、私と同じ年の方が亡くなられました。

二十歳ごろから、闘病生活の毎日だったそうです。

 「 一生のほとんどを病院で、

  彼女の人生は … 」

と、残された親族の方が、しみじみと話されていました。

 

 最近、よく目にすることがあります。

  悩まない !  苦しまない !  責めない!

  癒されたい !!

などなど、人生の辛い苦しいことから逃げるような言葉が

気になります。

 

 むかしの方のほうが、人生を正確に受け止めて、

この世は苦しい、忍土である、 認識しておられたのでしょう。

 

 プラトンという方も、

「 イデアの国 」 というよに、神の世界を表現しておられます。

  人間の魂は本来イデアの世界に住んでいたが、

  この世で肉体という牢獄に閉じ込められた。

  そこで、人間は故郷である 「 イデア 」 の世界に郷愁をもつ、

と、いっておられます。

 

 この世を、肉体の牢獄に閉じ込められるとは、

面白い表現ですが、

 やはり、仏教で言う 「 娑婆 」 と同じように、

この世を 「 忍土 」 とみていたのでしょう。

 

 闘病生活という中にも、その人生を忍土として

身にもって受け止めてこられた人生は

言わず語らずではありましたが、

そのなかにも重たいものを感じます。 

 

 

     

 

そのような話の中、横では、幸せそうに、

ここのおうちのワンコ、甘えていました。

 

 亡くなられた方も、初めての女の子で、とても親にかわいがってもらったそうです。

 

   「 親から一杯の愛情をもらって、

     幸せだったようですよ ! 」

 

親からの精一杯の愛情があったればこそ、

苦しい闘病生活を耐え忍んでいかれたのでしょう。

 

 今の世の中、ややもすると、

やさしさ、 しあわせ、  …  楽なほうへ

…  ということばかりを求めすぎるような気もします。

 

 やはり、この世は 「 忍土 」 であるということも

心のどこかに、据えておくことも大事なことではないでしょうか。

 

 

 

 

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本荘9町内レクレーション

2012-05-30 21:36:44 | 住職の活動日記

 町内会の親睦を図るため、年1回の日帰り旅行を行っています。

今回は 「 天草へ 」    

ホテルより送迎があり、本蔵院を9時出発、

途中、

 

       

 

『 天草四郎メモリアルホール 』  を見学です。

みなさん、天草には良く行かれると思うのですが、

ここの場所は素通りすることが多いようで、

ほとんどの方が始めて、ということでした。

中では 「 3Dの映画 」 もあり、

天草四郎の歴史を再認識させていただきました。

瞑想室もあったり、屋上には展望所もあったりで、

 

 

      

 

生憎、今日は曇り空、 この先には 「 雲仙 」 を望むことができるのです。

 

 たまたま 「 天草四郎 」  ??!

 

      

 

にも、会うことができました。 

 

そして、今日の中心は 「 お食事 」  です。

ここから、ほんの近いところに、

 

     

 

 

 『 ホテル松竜園 海星 』  はありました。

このホテルは温泉が湧き出ていて、

みなさん、食事の前に一風呂浴びて、

 ( ちょっと塩からく、水質は滑りもあり、肌にとても馴染んだそうです。)

海の幸をいただきました。

 

 話も弾み、3時まで時の経つのも忘れ  …

 

   「 宝くじが当たったらどうしよう  ?? 」

 

かなわぬ夢に皆さん盛り上がっていました。

 ま~  たわいのない話といえばそれまでですが、

たわいのない話ができるということも、大切なことです。

ほとんど聞き役でしたが、その中にも人生問題の重大なことが

眠っていました。

 普段、顔を合わせて会釈だけですましていた人たちが、

こういう、共に旅をするということで、

とても身近に親しく思えてくるものです。

 

 帰りには、大きな鯛を一匹ずつお土産にいただきました。

 

  ( 家内にとっては悪戦苦闘のようでしたが、

    とてもおいしく夕ご飯にいただきました。)

           

 

 きょうは一日ゆっくりとさせていただきました。

       感謝   

 

 

 

 

 

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「 仏になりたい。  なれないけれど仏になりたい  … 」

2012-05-28 22:36:21 | 住職の活動日記

 5月28日 春の大祭 不動護摩祈願も無事勤めることができました。

 

    

 

日中は気温も上がり、また護摩木の量も大変多く、

終わってみると、手は赤く腫れ上がっていました。

 

    

 

仏具を触っても火傷しそうになるくらい熱くなっています。

思わず  「 アッ チチ 」  と声が出そうになるのを我慢して、

ほんとうに、熱祷をささげるというところです。

 しかし、不思議なものでとても集中できるのです。

護摩の炎を前にして、その向こうにお不動さまのお姿を拝し、

お不動様と火と自分が一つになっていくような  …  

暑い時の護摩もまた、いいものです !!

 

    

 

そして本堂には 「 ご献灯 」  もたくさんお供えになります。

 

 片付けも終わり、

今月から、お坊さんも増え、せっかく集まるのだから、  と

ささやかながら、勉強をすることにしました。

 

 選んだのは

『 梅原 猛 』 先生の  「 仏教 」 という本です。

 

 

     

 

 

その本の帯に、

       『 仏になりたい。

    なれないけれど仏になりたい

        という気持ちを、

     ずっと持ち続けることが

          仏教です。』

と書いてあります。

 

 新しくお坊さんになった人も二人、

いきなり、仏教書にいくよりも、この本のように

お坊さんが書いてない本のほうが取り組みやすいと思いました。

そして何よりも、とても広い視野で書かれていることが、

私たちにとってもとても新鮮に感じられます。

 

 この 『 仏教 』 という本は、

先生が 「 洛南高校付属中学 」 で中学生に話された講義を

一冊の本にまとめられたものです。

 

 これからお不動様が終わった後、みんなで輪読していこうと思っております。

ちょうど十二時限に分かれていますので、

一年かけて読み進めていきます。

 

  これも楽しみが増えました。 

 

 

 

 

 

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今週の言葉 5/28~6/3 「 法聞けよ キケヨキケヨと  … 」

2012-05-27 20:24:18 | 今週の言葉

   法聞ケヨ  キケヨ キケヨ と

     先祖 ( おや ) の声

 

 いま、菩提樹苑では 「 ウグイス 」 がとてもいい声で鳴いています。

以前、東京からお見えの方、

 「 ウグイスの声はテープで流されているのですか ? 」

と、聞かれたこともあります。

 先日も 「 永代供養墓 」 の 「 島崎観音廟 」 で

毎月の供養のお経をあげていますと、その声にあわせるかのように

ウグイスの声が聞こえてきます。

 なんとも、のどかな風景です。

遥か、彼方には阿蘇山の山々を遥拝できます。

 今は桜も終わり、新緑の色が次第に濃くなっています。

つつじ、さつき、そしてアジサイ、と四季折々の、その時々の

花の姿を見せてくれます。

 昔の方が思い描く 「 お浄土 」  とは、まさにこのような

風景ではないでしょうか。

 だから、鳥の声にも

「 ホウー  ホケキョ 」 と聞こえたのではなく、

  「 ホーホケキョ  …  法聞ケヨ  」

という風に聞こえたのでしょう。

 

 「 お浄土 」 という言葉も、死語になりかけているのでは ??

昔の人々は、

苦しく辛い娑婆であればこそ、切実にお浄土を希ったのです。

お浄土ということばも、一歩踏み込んで考えると、

お経の中では、

 『 浄仏国土 』 という文句で出てきます。

 「 仏の国土として清浄にしていく 」  という

「 浄土 」 という、名詞として見るのではなく、

この私たちが生きている娑婆世界を仏の国に浄めていくのだ、

という動詞としてみると、

この 「 浄土 」 ということばも

生きて、活動的にはたらく言葉として

私たちに響いてくるのではないでしょうか。 

 

 「 ホーホケキョ 」 の鳥の声も

「 法聞けヨ 」  と聞こえたとき、

その人の心には浄土という世界が開けているのです。

 

 『 梅原 猛 先生 』 は

「 梅原猛の授業 仏教 」 という本の中で、

  昔は、人間として何をしたらいけないか、そして、何をすべきか、

  そういうことが修身として教えられてきた。

  今はその教育がなくなって、何をしたらいけない、ということが

  教えられていない。

というようなことを述べておられます。

 人間がどのように生きるべきかが教えられていない、

そういう時代に生きる、わたしたちは

「 浄土 」 というような世界を創り出していく、ということは

大変なことかもしれませんが、

 そういう時代であればこそ、

「 法聞ケヨ キケヨキケヨと 先祖の声 」

という、耳を育てることが必要な気がします。  …

 

 

 

 

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おはよう 今朝のあじさい で~す !

2012-05-25 07:22:31 | 住職の活動日記

 少し小雨   

やはり、雨にはアジサイが似合います。

 

    

 

ちょうど色づき始めました。

 

 

    

 

 

    

 

このアジサイは珍しい色です。

ブルーが多いのですが、この紫色も鮮やかではないでしょうか。

 

 

    

 

 

アジサイの蕾というか、これから色づき始めるところです。

 

 

    

 

 

 

    

 

まだ、バラも元気に咲いています。

 

   今日も一日よい日でありますように  

 

 

 

 

 

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お袈裟 ( 糞掃衣 )

2012-05-24 21:24:21 | 住職の活動日記

 お袈裟  糞掃衣 ( ふうぞうえ )  ともいいます。

お釈迦さまのご在世当時、着ておられる着物は 『 袈裟 』 といいました。

これは今のように立派なものではなく、

糞掃衣とも言いますように、トイレ掃除したあとのぼろぎれを

綺麗に洗濯して、次ぎ合わせて着たのがその始まりです。

 「 袈裟 」  とはインドの言葉です。

kasaya ( カーシャーヤ ) という言葉がそのまま 「 ケサ 」 となったのです。

 

 だから、袈裟は一枚の布をそのまま使うのではなく、

わざわざ、細かく切って、それをまた縫い合わせて作ります。

 

    

 

 ここに一枚の古い袈裟があります。

私が東寺にいる頃、三浦先生よりお古を頂いたのです。

そして、御影堂の10年間この袈裟を愛用して、護摩を焚きました。

そのあと、崇正が、醍醐の伝法学院で寮監をしていたときに、

更に一年着用していました。

 ご覧のように、本来の継ぎ接ぎの袈裟が更にまた、

継ぎ接ぎだらけになって、こうやって生き延びてきました。

もう捨ててしまえば、お役ごめん !!  ありがとうございました。

というところでしょう。

 

 お釈迦さまのお弟子さんに、とても物を大事にする方がおられて、

お弟子になって、袈裟を頂かれて、  それを大事に  …

数十年たっても、更に大事に  …

しまいに、お袈裟はだんだん、継ぎ接ぎが継ぎ接ぎを重ねて、

とても重そうに、大きく膨れ上がってきたそうです。

見るに見かねて、お釈迦さまも、

 「 モノを大事にするのはいいけど、

   そこまでしなくてもいいだろう。

   新しく作り直したらどうですか。 」

と、おっしゃった。 という話があります。

 

 この袈裟も、そこまではいきませんが、

本来の袈裟のように、継ぎ接ぎも増えてきました。

どうしようか      と考えたのですが、

恥ずかしいけれど、もう一度、衣店に修理をお願いしてみようかと思います。

 

 「 買ったほうが、安いですよ !! 」

 

と、言われそうですが、

自分にとっても歴史でもありますし、

三浦先生から頂いたということもあり、

また、崇正が着用してくれれば、生きるのではないかと。

 

 kasaya とは 壊色とか不正色、美しくない汚れた色

ということが本来の意味のようです。

 

 

 

 

 

 

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マツダ と フィアット

2012-05-23 17:26:14 | 住職の活動日記

 先日、フォードの 「 フォーカス 」  点検にマツダのお店に、

そのとき、気になっていた車  「 CX-5 」  という車に

試乗させていただきました。

 ディーゼルエンジンの車です。

この車の凄いところは、エンジンの改良によって、

何も付けなくて、排気ガスをクリーンにしているところです。

 ベンツという会社もクリーンディーゼルを出したのですが、

この車は尿素を使って排気ガスをクリーンにしています。

だから、スペアタイヤのスペースが尿素タンクになっています。

 それに比べ、マツダの技術は何も加えることなく、

燃費と排ガスをクリーンにしているというところ両立したことです。

 試乗させていただいて、

久しぶりに乗ってみたくなる車でした。

大きい割には運転しやすく、

ディーゼルエンジンの繰り出す力強さには、

安心感さえ覚えるほどです。

 

   

 

 

 正面の押し出しも迫力があります。

 

 

    

 

 ハンドルも握り心地がよさそうです。

 

    

 

このエンジンは 「 スカイアクティブ 」  という技術です。

 

 この車のコマーシャルには 「 長友選手 」  が出演しています。

場所は彼が活躍しているイタリアです。

 ヨーロッパでは走ることを楽しみつつ、燃費も向上させる

ということで、ディーゼルエンジンに人気があるようです。

 

 と、いうこともあってでしょうか ??

 

今日の記事を見てみると、

 『 マツダとフィアット業務提携 』  に見出しが目につきました。

 マツダは他の自動車とは違った方向で、

環境問題、燃費、安全性に取り組んでいるようです。

違った方向 ( ハイブリッドではなく ) で

日本の技術が世界に認められれば素晴らしいことだと思います。

 

   

 

『 CX-5 』  憧れの車ですね。  

 

 この技術は更に小さな車にも開発されていくことと思います。

 

そして、今から 「 キリンチャレンジカップ 」  です。

『 長友選手 』  の活躍を期待して応援します。  

 

 

 

 

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 『 OJIGI 』

2012-05-22 21:45:52 | 住職の活動日記

 イタリアのインテルで活躍中の 

「 長友選手 」  彼が決めたときにする、

ポーズが 「 お辞儀 」  です。

 その格好がイタリアの人にうけたようで、

そのお辞儀の格好をファンの人たちが真似するようになり、

「 OJIGI 」  という 国際語 にもなったようです。

 

 先日お参りしたとき、ちょうど土曜日で学校もお休み、

おばあさまの命日には、休みの日には必ずお参りにお見えになります。

 今日も待ち構えていらっしゃいました。

神妙に、一緒にお参りをして、

やおら、本棚から 「 マナーの本 」  見つけてこられました。

以前は 「 お葬儀の本 」  を一生懸命見ていたそうです。

 

 お辞儀はどうするの  ??   と、

 

    

 

 

お辞儀の練習が始まりました。

 

 

    

 

 

 手はどこにつくのかな  ?  と

手の位置がまず問題です。

 言われてみると、 …   私たちもええかげんなことで、

正式なお辞儀をしてみろ、といわれても

なかなか難しいものです。

 

   

 

 そして、 ちょっとおふざけも入ったところで、

この一枚の  …

 「 今日の一枚 」  という、絶好の私のカメラの餌食となりました。

 

 ここのお子様、なかなかどうしたもので、

場の空気を読むのがとてもお上手です。

 私たち大人に混じって、上手に笑いを持っていかれます。

大阪の 「 〇〇新喜劇 」  にでも通用するような、

その間の取り方がとてもお上手でした。

 

  でも、笑いをとりながらも、

こういう、人としての基本のことに興味があるとは

たいしたものです。

 

 三浦先生の幼児教育もその基本は 「 挨拶 」  です。

ですから、西京極幼稚園の子どもたちは

とても、ご挨拶がうまいのです。

 意味はよくわからなくても、

わからないうちに 「 型 」  を教え込んでいく

そのことが大事に思えます。

 

 ここのお宅のお子さまも、とてもいい空気の中で

育まれていらっしゃるのです。

 

 挨拶を忘れないでくださいね。  

 

 

 

 

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『 金環日食 』  熊本では残念!!

2012-05-21 17:56:43 | 住職の活動日記

 朝から厚い雲に覆われています。  

「 金環日食 」 が見れるということなのですが、

 

     

 

 

 熊本は空を見上げてみると、どんよりと一面の雲です。

勤行も終わり、アジサイ越しに空を見たのですが、

 

    

 

  まことに残念ということになりました。

 

 「 太陽 」  とか  「 月 」  は仏教では神格化して、

用いられます。

 仏様は光で象徴されます。

仏さまの背中には 「 光背 」 といって、光を背負っていらっしゃいます。

それから、真言宗の本尊 「 大日如来 」 も、

遍く照らすという、太陽のハタラキを表現していると思います。

 

 「 薬師如来 」  の両脇にいらっしゃる菩薩様は

「 日光菩薩 」  「 月光菩薩 」 ( がっこうぼさつ ) です。

薬師如来のハタラキを、日の光・月の光で具体化しています。

 

 それから、仏法を守護する 「 十二天 」  という神々は

自然のハタラキを神格化したものです。

 「 日天 」 ( にってん )  そして  「 月天 」 ( がってん ) という仏さま、

 

    

 

この写真は 「 十二天屏風 」 の中の  『 月天 』  です。

手にささげているのは 「 須弥山 」 その上にお月さまがあり、

その中には 「 ウサギ 」 描かれています。

 そのほか、 「 風天 」 ( ふうてん )  という方もいらっしゃいます。

「 水天 」  「 地天 」  「 火天 」  という自然のハタラキを

仏さまとして祀るのです。

 

 それから、面白い喩えでは、

一休さんが 「 蓮如上人 」 という方に、とんちの問いを出します。

 

 『 阿弥陀には まことの慈悲はなかりけり 

            たのまぬものは 助けたまわじ 』

 

 ( 阿弥陀さまといっても了見が狭いのか、頼む人しか救わないのか )

 

それに対して、蓮如上人が歌を返します。

 

 『 武蔵野の 葉ごとに月は宿れども 露なき草に 月は宿らじ 』

 

 ( 阿弥陀さまの光は平等に照らし届いているのですが、

   心にそれを映す鏡がなければ、写りませんよ )

 

 仏道修行もよく月の光に喩えられます。

修行して心を磨け !!  月のほうが問題ではなく、

月を映し出す自分の心のほうが問題なのだ、と

仏の光といっても、それを写す私たちの心が

自分本位で濁っていては月は写りませんよ。

ここでは 「 月 」 という表現で 「 太陽 」 ではないのです。

冷徹にものごとを見通す智慧は、やはり 「 月の光 」 なのでしょう。

 

 自然のハタラキの中で生かされている私たちは

畏敬と感謝と尊厳の眼で、自然 ( じねん ) のうつろいを

感じ取っていくことが必要のようです。

 

 

 

 

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今週の言葉 5/21~5/27 「 仕事にうちこんでいる 人のまわりは 」

2012-05-20 20:51:46 | 今週の言葉

           仕事に うちこんでいる

        人のまわりは

        いつでも明るい

  

 いつもお唱えしているお経の中に、

 「 三帰依 」  ( さんきえ ) という言葉があります。

 この言葉は仏教徒にとっては世界共通語です。

そして、仏教の根幹を成す言葉でもあります。

 

 帰依仏 ( ブッダンサラナムガッチャーミ )

 帰依法 ( ダンナムサラナムガッチャーミ )

 帰依僧 ( サンガンサラナムガッチャーミ )

 

「 仏に帰依し奉る 」 ( 仏に帰依します )

「 法に帰依し奉る 」 ( 仏の説かれた教えに帰依します  )

「 僧に帰依し奉る 」 ( 仏の教えを実践する方々に帰依します )

 『 帰依 』  ということばも分かりにくいと思いますが、

          自分を投げ出して、お任せします、という意味になります。

 

 普通に考えれば、仏さまと仏の説かれた教えに帰依すれば、

それで十分なように思います。

 僧に帰依しますというのは付け足しのようにも思えるのです。

『 僧 』  というのは、 「 お坊さん 」  ということではなく、

インドの言葉で言えば 「 サンガ 」  、

仏さまの教えを信じて実践する仲間、という意味になります。

ですから、お坊さんだけではなく、在家の方も、

志を同じくして実践する人たちということになります。

だから、 「 サンガ 」  ということが、

『 三帰依 』  の目的でもあるし、

「 僧 」  ということの実践がなかったなら、

仏さまも証明することができませんし、

その教えも机上の空論ということになってしまいます。

 

 今週の言葉

 『 仕事にうちこんでいる 人のまわりは いつでも明るい 』

は、そういうサンガの世界を現しています。

目標を持っていると、人間の心は不平不満が消えてしまいます。

目的とか夢が人間にとっては一番のご馳走です。

 

 お寺にしても会社にしても目標を持っているところは

隅々まで心が行き届いていて、清潔で、

そして、中で働く人たちものびのびと仕事をされていて、

どこからともなく明るさがにじみ出てくるものです。

 

 三浦俊良先生は洛南高校を作られるとき

三帰依を校訓とされました。

 帰依仏  「 自己を尊重せよ 」

 帰依法  「 真理を探究せよ 」

 帰依僧  「 社会に献身せよ 」

と、このように具体化されたのです。

 『 自己 と 真理 と 社会 』  ということは

永遠の真理のように思います。

 

 

 

 

 

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