本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

出過

2015-12-31 18:14:02 | 十地経

最近は大掃除というより、

小掃除というか、日ごろから少しずつ

掃除をしていくということがあるようで、

そういえば、我が家でも

12月に入ってから、こまめに掃除していき

もう20過ぎにはレンジフードもガラスも

すっかり終わってしまいました。

 

やはり新年を迎えるに当たり、

身も心も清め、

新しい年を迎える。

自分の心も生まれ変わり

また新たな自分となって

出発したいという願いでしょう。

 

今読んでるところで、

「出過」という言葉、

「過」はすぎるという、

十地経ですから、

初地から二地、三地、四地と

一つずつ地を超えてゆく、

地を超え過ぎていくということで

「出過」という言葉がでてきます。

ちょうどお経では、

 

「声聞辟支仏地を過ぐ」

「現前に思量してして智慧地に趣く」

 

という文句で出てきます。

特に、第七地が大きな転換点です。

 

お釈迦さまも誕生してすぐ

七歩あゆまれて「天上天下唯我独尊」

と宣言されたと、

七ということは

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天

の六つの迷いの世界を超えられた、

そこから、第七番目から

声聞・縁覚・菩薩・仏

という仏の世界が始まります。

 

やはり、七ということは

一つの大きな転換するところを

表しているようです。

 

布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧

という六波羅蜜の行も、

これも十地経と関係していて

十波羅蜜になると、

方便・願・力・智という

四つの波羅蜜が加わります。

ここでも、方便波羅蜜ということが

大きな意味をもってくるのです。

 

迷いの世界を超えていく

ということも、

迷いが終わるところ・仏が始まるところ

という立場があるのです。

第七ということは、そういう転換点を

もっていることなのです。

 

「過地」

地を超えてゆく、

そこにはその地に満足したからこそ

超えてゆけるのです。

 

平成27年も終わろうとしています。

いろいろな事がたくさんありました。

この年に満足したからこそ

平成28年も迎えることができる。

年があらたまるということは

新しく生まれ変わるということと

同時に、

その年をさらに超えてゆく

「過地」という意味もあるのではないでしょうか。

 

今年一年有り難うございました。

どうぞ来年もよろしく

お願いいたします。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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心嬉しかった熊本!!

2015-12-30 16:33:12 | 住職の活動日記

ちょうどガソリンも切れて、

久しぶりにお向かいの東光石油へ

 

   

 

顔なじみの店長さんもいらして、

明るく挨拶をして、

車内掃除にどうぞ出されたタオル

なんとほの温かいのです。

こういう細かい心遣い

受け取った瞬間お店のやる気が

伝わってきます。

 

ガソリンの安くなる一方で

こういう業界大変と思います。

350ミリのペットボトルの水の値段で

ガソリンが1リッター買えるのです。

量を比べたら水より安い

ということになります。

こんな値段でどれだけの儲けが

あるのでしょうか?

セルフのスタンドになっていくはずです。

そんな中、より親切な、

そしてきめ細かなサービスに

徹しておられる「東光石油」

スタンドの新しい方向を

示しておられるような気がします。

 

 

    

 

そして「竜之介動物病院」

院長先生? 病院の前のベンチに

いつものように盆正月もない

年中無休で頑張っておられます。

「動物のために自分にできることを」

という目標で、

3階建ての最新設備を備えた病院

も新築され、

スタッフの先生や看護師さんも

集めて、

年中無休でやれる体制を整えて

おられるようです。

今回はお会いできませんでしたが

病院の前を通っただけで

その雰囲気が伝わってきます。

 

何気ない通りすがりでしたが

熊本で心嬉しい

また、熊本の元気印の

会社や病院の姿勢に触れて

なんだか心豊かに帰れました。

 

ますますのご発展を

お祈りいたしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

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紗和ちゃんカレンダー

2015-12-30 16:18:52 | 住職の活動日記

28日は朝早くから迎えに来てくれました。

いつもよりずいぶん早く起きて、

頑張って迎えに来てくれたのです。

 

台所にドアには、来年のカレンダーが

 

     

 

貼ってありました。

 

     

 

自画像の絵もずいぶんうまくなりました。

やはりピンクが好きなのでしょうか。

そして、来年の目標は

 

   

 

『挨拶を頑張る!』 と

掲げてあります。

そうですね!

にんげん挨拶が一番です。

「礼に始まり礼に終わります」

きらいな人でも、だれにでも

すすんで挨拶いたしましょう。

先にあいさつしたほうが勝ちですよ。

 

 来年も

『挨拶をがんばる!』

を目標に楽しい毎日を送りましょう。

 

 

 

 

 

  

    

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納めの不動、いざ熊本へ!!

2015-12-29 17:19:42 | 住職の活動日記

28日は日帰りのため、

4時に起き、6時には空港着、

まだ暗い中、モーニングを済ませ、

飛行機に乗り込む、

CRJ-200という

50人乗りの小型機

 

   

 

 

この時期なのか飛行機も

ラッシュ状態で離陸まで滑走路で

10分程待機、

それでも、ジェット機なので

離陸のダッシュはいつもの

プロペラ機とはやはり違う、

あっという間に、

 

   

 

とてもきれいな雲海の上へ、

朝日を浴びながら一路西へ、

 

   

 

四国上空、本州と結ぶ橋が見えます。

という間に、

 

   

 

九州へ、まず由布岳が見えます。

そして、阿蘇山がすぐに、

 

   

 

今日は冷え込みました。

宇治でも3度、阿蘇山にかかるのは

雲でしょう。

雪のように見える雲が綿帽子のように

阿蘇山を包むようにかぶさっていました。

 

熊本も寒い、

本蔵院も正月のお飾りが

 

   

 

出来上がっています。

 

暮れの最後というのに

お参りの方も多く、

また、先月の今月の言葉が

「週刊女性」に掲載されて

その記事を見てという方も

いらっしゃたのです。

 

 

     

 

ちなみに今月の言葉は

「くまのぷーさん」の言葉が

掲げてありました。

 

護摩木もたくさんで、

今日は、おやっと、!?

カタカナの名前が並ぶのです。

それも、「コロン」とか …

わんちゃんネコちゃんの

健康祈願の護摩木も

たくさんあげられていました。

 

宗良君の太鼓にも力が感じられます。

リズムもよくなって、強弱も出て

なかなかのものになってきたようです。

太鼓のリズムは不思議なもので、

その音で護摩を焚く私にも

力が伝わってくるのです。

 

皆今年一年の感謝と

来年の無事安泰を願い

一心に勤めました。

お参りの方々も太鼓に合わせ

心経も声も揃って

必死に祈られる心が伝わってきます。

全員一丸となった護摩ご祈祷も

無事に勤めあげました。

 

    

 

庭に出ると、

なんだか、ほったらかしにされながらも

一生懸命に自分の花を

精一杯咲かせていました。

どのような状況でも

与えられた命を精一杯力の限り

生きているようで、

こちらの方がその姿に

頭が下がりました。

 

片づけも終り

早々に帰りの準備をして、

7時25分暗くなった

「阿蘇熊本空港」を飛び立ちました。

 

 

 

 

      

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お正月飾り

2015-12-27 20:52:09 | フラワー

いよいよお正月準備、

今回の花材は宝船を作る、

 

     

 

出来上がってみると、

なんでもないよなのですが

結構難しかったようです。

中にはすわりが悪いものもあって、

宝船が傾いてしまう

という作品もあったようです。

 

   

 

こちらが舳先のようです。

宝船が家の中に入ってくるように

作り、お飾りします。

 

   

 

帆には順風の風を受けて、

宝船は家の中に入っていきます。

 

これもフラワーアレンジの一つです。

ですから松とか蘭の花をあしらっています。

 

玄関が急にお正月らしく

なってきました。

ちょっと前までは

クリスマスの名残りでしたが、

花が変わっていくたびに

時期時期の雰囲気が出てくるものです。

そして、鏡餅も 

今では非常に簡単になりました。

箱から出して水引を付ければ完成です。

祖父がいるころは、

28日早朝3時ごろから餅つきが

始まりました。

餅つきの音は何ともいい響きです。

お不動さまにお供えする御鏡さんは

祖父や父の手で作られ、

私たちはもっぱら小餅をまるめるのが

仕事でした。

不揃いの丸もちですが、

子ども心には何とも楽しい

行事でした。

 

 

   

 

 

  一応玄関にも、

ちょっと豪華なお飾りが入りました。

 

京都はシンプルに玄関先には

根引きの松に紅白の水引です。

しかし、このまわりの住宅も

ご高齢の方が増え、

なかなか正月飾りまでされるところは

少なくなってきたようです。

でも、スーパーに行くと

昔ながらの注連縄がずらりと並んでいます。

そして京都ならではの食材も

にぎにぎしく雰囲気を盛り上げています。

 

わが家もそうですが、

おせち料理を作ることは少なくなりました。

今回は初めてお正月を迎える

赤ちゃんもいますので、

たぶん賑やかなお正月になることでしょう。

 

 

 

 

 

 

   

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暦尾将尽の候

2015-12-26 21:01:09 | 住職の活動日記

年の暮れというと、

なにかと人々の動きも気ぜわしく

普通の月末とは全く違った

装いを呈しています。

車も人も足早で、交通安全に

要注意です。

 

先日、札幌の友人からのメール

「歴尾将尽の候」と、

始めて聞く言葉で一応辞書で

ところが、漢和辞典にも出てこない??

同じページの「歳」という項目に

「歳尾」-年の暮れ、

とありました。

その次の「将尽」がない、

もしや、お寺さんなので「精進」の

変換間違いかな? と

メールで尋ねると、

「将に尽きる」と読むのですよと

教えていただいた。

 

なるほど、

こういう季節の言葉があるのだと

いろいろ調べてみると

四文字の時候の言葉というのがあって、

ちなみに、

正月は「鳳暦春回」とか、

まあ、鳳暦というのも、暦のことで

春が回ってきたということでしょう。

難しい言葉が並ぶ中、

知っている言葉も発見、

3月は「百花繚乱」、「柳緑桃紅」、

この言葉が時候の挨拶の言葉とは

知りませんでした。

7月は「九夏三伏」

8月は「初秋清涼」

なんとなくわかる言葉です。

ほかの言葉はやけに難しい言葉が

並んでいました。

そして、31日の除夜は

「今宵歳尽」

今、将に年が尽きる

ということでしょう。

 

明日からはお正月のお飾りの

準備に入りたいと、

28日は「納めのお不動さま」です。

心静かに力を込めて、

一念に焚きたいと思っています。

 

 

 

 

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瑜伽と苦行

2015-12-25 22:40:21 | 住職の活動日記

ヨーガの会も無事に終わりました。

週一ぐらいではあまり成果は

望めません、

だんだん固くなっていく身体、

昔は楽にできていたことができなくなる。

けど無理せず、

出来る範囲で …

すこしずるしながら、

身体を曲げながら痛いところで

キープする、

片足で立つ、集中が切れると、

足をついてしまう。

 

不思議に思うのは、

ヨーガは相応と訳します。

そして、瑜伽唯識といって、

仏教の心理学の唯識もヨーガです。

 

お釈迦さまは、苦行は捨てたけど、

三昧に入るヨーガの方は残された。

インドで行といえばヨーガか苦行です。

だれもやったことのない苦行もされ、

けれども、苦行は体を痛めつけるだけで

悟りを得る道ではないと

苦行は捨てられた。

そして、三昧という定(じょう)の方は

仏教に取り入れられた。

 

けれども、面白いことに

行といえば、

お釈迦さまが棄てられた

苦行の方が行ということで

注目を浴びるようです。

水をかぶったり滝に打たれたりと

断食したり、不眠不休でとか

そういうことが行のように思いますが

それは行でもなんでもなく、

行に入るための準備段階です。

 

お釈迦さまが用いられたのは

定(じょう)に入り、

これもただ無念無想になるという

ことだけではなく、

そこには、非常に活発に内面を見る

という「観」ということがあります。

ですから、行といえば「止観」という

ことに尽きるのです。

止と観、

止ということは内ということで

今の言葉では「内観」ということです。

 

「禅」ということも定の一つで、

dhyana(ディアーナ)が禅那と

訳されて、それが短くなり

単に「禅」と呼ばれるようになりました。

禅宗の禅です。

禅宗の開祖は「達磨大師」です。

本来は座って瞑想して悟りを開く

ということですが、

そのための体力づくりとして

始められ、

達磨大師も少林寺におられて、

そこで体を鍛えるために

行ったのが「少林寺拳法」

ということのようです。

 

本来は人間の心と体は

切っても切れない関係です。

心と体の一つになったもの

ということで「身体」と書きます。

ヨーガも少林拳も

同じ三昧というか定、禅ということを

得るのが目的ですが

どちらも健康体操のヨーガに

格闘技としての拳法になったり

本来とは違った歩みをしてきた

のではないでしょうか。

 

玄奘三蔵もやはりインドへの

求道の旅の一つの目的は

「瑜伽師地論」と訳されていますが

ヨーガの経典、「唯識」の

正しい理解が欲しい、ということ

のようです。

 

ふと面白く思うのは

お釈迦さまが棄てた「苦行」

の方がもてはやされるのは

私たち人間の弱さなのかもしれません。

私はできないけれど、

苦行に励む人に憧れるものです。

けど、

お釈迦さまは仏道とは

特別な人のものでなく、

だれでもが通れる道なのだ

ということを説いておられます。

人より違った行ができるから

偉いのではなく、

だれでもがどこでもできる

そういう道を説かれたのだと思います。

 

ヨーガも体を無理に曲げたり

することが目的ではなく、

呼吸を整えることによって

三昧に入っていく

ということが本当のことでは

ないかと思っています。

 

 

 

 

 

 

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それなりの季節になってきました。

2015-12-24 22:00:29 | 住職の活動日記

昨日の雨も上がり、

少しの晴れ間ものぞき、

 

   

 

数枚残った山法師の葉、

日に照らされて赤く輝いています。

 

久しぶりに外にでる用事もあり、

近鉄・京阪と乗り継いで

祇園四条まで、

家の中で孫との生活で

ここのところずっと閉じこもって、

やはり人ごみの中は疲れます。

 

四条大橋からのぞくと、

鴨川の水に流されまいと

 

   

 

一生懸命足を動かしている。

「ただ見れば、何の苦もなき

 水どりの、足にひまなき

 我がおもいかな」

傍から見れば水の上に止まっている

ように見えるのですが、

水どりの足は

懸命に漕いでいるのでしょう。

 

   

 

南座には顔見世の「まねき」も

上がりました。

 

街の中は、歳末助け合いの声、

クリスマスの音、

なんだか騒然とした。

電車を降りると、

「もろびとこぞりて…」

の合唱が聞こえ、

その横をサンタさんの

格好をした数人のアルバイトらしき人

不思議な光景でした。

 

わが家にも、

この時期に合わせて

 

    

 

レイ・チャールズの切手とともに

 

  

 

サンタさんがやって来ました。

この時期ならではのうれしい便りです。

 

  

 

そして、それらしきお飾りも、

 

けれども、今日はお地蔵様の日

今年最後の納めの地蔵さまの日です。

 

街に出て人に会うのも

楽しい時間でした。

しかし、人ごみの中を歩くのは

疲れました。

 

 

 

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『安』

2015-12-23 20:32:42 | 住職の活動日記

今年の世相を表す漢字が

「安」という文字です。

安全関連法案の「安」

世の中不安になるの「安」

 

「安」という字も辞書を引いてみると

うかんむりに女と書きます。

うかんむりは家のことで、

家の中に女性が静かに座っている

その様を表す言葉です。

なるほど、

女性が安心しておれる世界は

平和で安らかのでしょう。

 

ということでしょうか、

最近では女性の目線で

いろいろな取り組みが

なされているようです。

 

車ということは男性のあこがれ

というか、男をターゲットにした

販売戦略が練られていたようです。

そこを、日産はあえて女性の目線で

女性の従業員が女性の立場に立った

店の飾りとか、キッズコーナーを

作ったり、女性が乗って楽しい車

そういう取り組みをしているようです。

 

おもしろいもので、

お寺も女性の目線で考えないと

繁盛しないようです。

あまり、男性の信者というのは

少ないように思います。

だから、女性の心をつかまなければ

お寺は成り立たないのです。

 

「安」という字はお経の中にも

よく出てくる言葉です。

「安心」とか仏教では(あんじん)と

読みます。

「安居」(あんご)といって、

お釈迦さまも雨季にあたるこの時期

静かに一所にいて瞑想したり

講義を開かれたりと、

そういうことをされていたようです。

 

西洋の人に比べて、

お釈迦さまの死は実に安らかで

静かであると、いっておられた方が

いらっしゃいましたが、

涅槃のお姿を見るとまさに

そのような姿です。

 

悟りの世界ということを表すのに

安らぎの世界、という表現を

とるようです。

心安らかに落ち着いている

ということが、

仏教の世界を象徴しているようです。

 

「安」の反対は「不安」という

ことですが、

ただ単に、不安で落ち着かないと

おろおろするより、

「不安に立つ」

ということもあります。

今の世の中を見て「安心」というのは

鈍感といってもいいでしょう。

不安といって嘆くより、

あえて不安を背負っていこうと、

不安を逃げ出すのではなく、

不安の中に自分の身を置くと。

よくよく見たら不安だらけです。

その不安の中にしっかりと

大地に足を付ける。

「十地経」でいう「地」ということですけど、

その立つ地が見つかった。

そういうことが本当の

安心、「あんしん」ではなく、「あんじん」

ということがあるようです。

 

 

 

 

 

 

 

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ほとけさま

2015-12-22 20:58:00 | 住職の活動日記

「ほとけさま」といっても

なかなかわからない、

ですから、いろいろ工夫を重ねて

表現してきました。

その一つに象徴的な形をもって

現したのです。

 

一つには「灯明」(おロウソク)

そして、「お花」、と「線香」と

お参りする時にお供えするものです。

この三つをお寺では

「三具足」(みつぐそく)といいます。

おロウソクは智慧の光を

お花は仏さまの慈悲を

お線香は頭に火を付けたら

灰になるまで燃え尽きるということで

精進努力を表します。

 

仏さまといってもわからないから

お燈明とお花と線香で、

智慧と慈悲と精進努力という

仏さまの内容を表したのです。

 

ですから二つの意味があります。

こちらから仏さまにお供えする

という、

綺麗なお花をお供えし、

周りを明るくするおロウソクを

お供えし、

香りのいいお線香をお供えする。

ということと、

仏さまの側からいうと、

私はお燈明のような智慧をもっています。

お花のような慈悲をもっています。

お線香のような精進努力をしています。

という、

仏さまの内容を表しているのです。

 

「香をもって食とす」

といわれているように、

仏さまのご飯は香りです。

炊き立てのご飯のかおり、

お茶の香り、

いいお線香のかおり、

それらすべてが仏さまのご馳走です。

 

香りがご馳走というところに

なにかしら奥ゆかしさを感じます。

がつがつとものを食べるのではなく、

ものはそのままで、

その香りだけ頂かれる。

 

「香の十徳」ということもあります。

心身を清らかにする、とか

邪気を祓い汚れを除く、とか

眠気を覚ます、

忙しい時には心を落ち着かせる

などなど、

お香の徳があるようです。

 

それでお香も、

ただ焚くだけ(焼香)ではなく、

手に塗る、塗香(ずこう)もあれば、

口にくわえる、含香(がんこう)、

丁子を煎じた香水もあり、

お不動さまの護摩には、

またさまざまなお香もあります。

 

ほとけさまといっても

わかったようでもわからない、

昔の人は

「仏は常にいませども

 現(ウツツ)ならぬぞあわれなる

人の音せぬ暁に、

 仄(ホノ)かに夢にみえたもう」

と詠んでおられます。

 

また、「みほとけ」という歌では

「みほとけは まなこを閉じて

 み名よべば さやかにいます

 わがまえに」

 

というように、

仏さまをどのように感じとり

それをどう表したらいいものかと

苦心されたのです。

その究極が、三具足で象徴される

灯明・お花・お香

の三つです。

 

よく考えてみると

洋の東西を問わず、

灯明にお花にお香は

必ず付いているものではないでしょうか?

 

仏壇を掃除して、

お花をお供えし、ロウソクを灯し

香を手向ける。

なんとも心が落ち着く、

気持がリフレッシュされる。

単純なことながら、

宗教以前のこととして

とても大切なことのように思います。

 

 

 

 

 

 

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