本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

調子よすぎる煩悩

2018-12-05 20:29:56 | 十地経

孫たちを見ていると

常にフルパワーで動き回っています

朝起きるなり、

とてもいい調子で動き回り

お話も止めどもなく出てきます。

まあ、幼い子が落ち着いている

ということ自体おかしいので

賑やかなのが当たり前です。

「ちょうしのりこちゃん!」

と周りから言われていますが、

 

私達もちょっとしたことで

嬉しくなったり喜んだり

人との息が合わなかったりすると

落ち込んだりもします。

 

そういうことを大随煩悩では

掉挙(じょうご)惛沈(こんじん)

と読んでいます。

大随煩悩の中で一番最初に出てくる

煩悩です。

ですから、一番大事な煩悩でしょう

 

掉挙(じょうご・じょうこ)

読み方も難しいですが

「掉」、普通には(トウ)と読み

意味は振るうとか揺り動かす

ということになります。

「挙」、普通に(キョ)です

これを(ゴ)と読むのは

仏教独特なんでしょう。

あげるとか、あがるという意味

になります。

辞書には、

「心が高ぶっている状態。

 静かではなく揺れ動く心」

というように出ています。

 

何か、ふわふわという意味でもなく

軽いという意味でもなく、

突き上げられるような、

落着けないというような、

じっとしておれない、

そわそわするというような意味が

掉挙ということでしょう。

インドの言葉をこういう風に

翻訳されたのは随分とご苦労が

あったのでしょう。

 

こういう心がなぜ煩悩かというと

静かな寂静の心を失わせる

三昧とか座禅する

心を落ち着かせる

そういうことが出来なくなる

それで煩悩というのです。

 

反対に「惛沈」というのは

字の如く

心が沈んでいくという状態です。

心が重く沈んで、何もやる気がしない

というのが惛沈です。

「惛」は、くらいとかおろか

物事の道理にくらいという意味

それで暗く沈むという

それが惛沈ということです。

 

ものが手につかないということでは

掉挙も惛沈も一緒ですけど

心がそわそわして手につかない

やる気がなくて手につかない

その性質は全く反対です。

 

三浦先生も

「明るいナショナル」という

コマーシャルが好きでしたが

何事をするにも

明るくなければ何も出来ない

本当に仕事をしようとすると

公明盛大な明るい心でないと

出来ないということです。

 

仏教では、

「軽安」(きょうあん)

ということがあって、

軽く安らか

何事も軽く受け止められ

身を軽く動かして行ける

そういうことを大切にします。

わかりやすく言えば

「よしきた!」

という心でしょう。

「はい!」と

明るく返事が出来て

聞いたことを軽くこなしていく

そういう心を大切にします。

 

惛沈ということに陥ると

心も重くなり身も重くなる

ということです。

ですから「軽安」という心を

失くしてしまうのです。

それだから煩悩ということに

なるのです。

 

調子乗り過ぎもいけませんけど

暗く沈んで何も出来ない

というのも問題です。

しかし、

よくよく考えて見ると

私たちには掉挙か惛沈しか

ないように思えてきます。

ちょっといいことがあると

調子にのるし

嫌なことがあると

思く沈んでしまいます。

エレベーターのように

上がったり下がったりしている

のが私たちの心のようです。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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