本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

Baby Boo in Honzoin

2014-04-29 19:55:07 | 住職の活動日記

『 一音一仏コンサート 』

うたごえ喫茶音楽会 ~たびだちのうた~

 

 本蔵院本堂が一転、歌声喫茶となり、

皆さん一緒に楽しまれました。

 

 「 これでまた明日から、

    頑張れます。 」   

と、明るいお顔で清清しく帰っていかれました。

 

 今回のコンサートはベイビーブーの方々が

ライフワークとされている、

うたごえ喫茶のアルバムが中心でした。

 

   

 

みなさん、たぶん ?青春の頃にかえって

大声で声を出し、歌って

 

   

 

それぞれの思い出があったことと思います。

思い出しながら、涙ぐむ方もおられ、

素晴らしい演奏会だったようです。

 

 普段の喧騒を離れて、

しばし、こういう場に身を置き、

お浄土のような世界に触れられたのでは、

と思いました。

 

 『 止観 』 ということがあります。

「 止 」 は、止まる。心が落ち着き

「 観 」 は、見る。じっと見る。

また、「 止 」 は 「 静 」

「 観 」 は 「 動 」、

あらためて、本堂という世界をみてみると

ここは、一瞬静かな世界、

その落ち着く世界を頂いて、

また明日から、 「 動 」 の世界、

忙しい世界に身をおくことができるのでしょう。

本堂も、ただお経を読むだけではなく、

こういう静かな世界を醸し出すことができるのも、

大切な働きのように思いました。

 

 

   

 

今回で3回目、皆さんご苦労様でした。

楽しい世界をありがとうございました。

またよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東奔西走 !!

2014-04-28 21:03:53 | 住職の活動日記

 一昨日まで東の東京へ、  

27日は 「 アヤちゃん 」 のお世話をして、

今朝は5時起き、8:30のANAで

西の熊本へ、

今回は珍しいコースで、

熊本阿蘇空港より、無料のバスで

 

    

 

「 くまモン 」 のお出迎えで、

JR肥後大津駅へ

 

    

 

綺麗になっている駅舎です。

少し待ち時間はあるものの、

 

    

 

JRで南熊本駅へ、

という、もう少し待ち時間がなければ

結構スムースに市内へ入れます。

 

 今日は4月のお不動さまです。

 

ふと思ったのですが、護摩を焚きながら、

幼少のころは、祖父と父と一緒に

この護摩壇のそばに座って、

しびれが切れてどうしていいのか   

それからというもの、

お不動さまにはずっとご縁があって、

東寺では御影堂の護摩壇で

約10年余り不断護摩を毎朝焚き、

また熊本に帰ってからも護摩を焚き続けて、

今はお不動さまと対峙する形で

護摩壇に座り、炎越しにお不動さまの

お顔を炎の間から見ながら …

一瞬でしたが昔を振り返り、思い出していました。

 

 庭の木々も新芽を出して、

 

   

 

アジサイも花芽を膨らませています。

 

それから、「 樒 」 ( しきみ ) も、

 

  

 

初々しい新芽を出し、

 

 

   

 

珍しく樒の花も出ていました。

この樒は私たちのお参りには欠かせません。

もちろん護摩の時にもたくさん使いますし、

普段のお参りにも使います。

ですから、真言宗の寺院には必ずといっていいほど

数本の樒が植えてあります。

 

 今日の護摩も終わり、

本堂ないでは、明日の一音一仏コンサートにむけて

どんでん返しの真っ最中です。

本堂が一転舞台となり、

コンサートホールになるのです。

明日には 「 ベイビー・ブー 」 のご一行様

ご到着の予定です。

今回の出し物は、

 

    

 

 

『 うたごえ喫茶アルバム

   たびだちのうた  』

ということです。

 

    おまちしてま~~す !!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世の中は三日見ぬ間の …  !?

2014-04-27 15:39:47 | 住職の活動日記

 留守にしている間に、

牡丹の花はすっかり咲き切って、 …

 

   

 

花びらを落とし、額だけが不思議な形で残っていました。

これが種になっていくのでしょうか ??

 

   

 

美しく、豪華絢爛に咲いた牡丹の花も

自分の役目を終えて、花びらを一枚ずつ散らし、

実を結んでいきます。

 

 その隣では、

 

    

 

バラの花がつぼみを膨らませていました。

 

   

 

もう色がわかる蕾もあります。

こちらが、勝手に名づけた 「 オクムラ2号 」

もう一鉢の 「 オクムラ1号 」 は葉っぱは

咲きほこっているのですが、花芽は少し遅いよう、

 

 花が咲きだせば、虫が来る !!

 

    

 

葉っぱの様子がおかしいと思ったら、

あっという間に、小さい、とても小さい虫が来るのです。

どこからくるのでしょう ???

その虫の命はどこにあったのか、

これも不思議な限りです。

 

 虫が来ると、

 

    

 

その夜この 「 皐月 」 には

トカゲが顔を持ち上げて様子をうかがっています。

 

 花が咲きだすと虫が来る、

虫が出てくるとトカゲが来る、

 

 「 世の中は三日見ぬ間の … 」 ではないですが、

我が家の小さな小さな緑の世界ですが

小さいながらも、大きな大きな 「 いのちの働き 」 が

始まっていました。

 

 

 

 

 

 

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白龍欅(ケヤキ)

2014-04-27 12:31:29 | 住職の活動日記

 ちょうど、オバマ大統領が国賓として

来日されていたころ、東京にいました。

 東京といっても、まだ田舎の香りのする

田園の広がるところでお手伝いをしていました。

 

 そこで、気になる木に出会ったのです。

交通量の激しい道路に面して、大木が聳え立っています。

普通であれば、当然切り倒されても

おかしくないような位置です。

 

 

    

 

見上げれば、6,7階建てのビルに匹敵するほど

見事に成長しています。

 

    

 

その下には小さな一軒家が、

ちょっとこの木とは不釣り合いな気もしますが、

またアンバランスも引き付ける魅力を醸し出しています。

 

    

 

近づいて見ると、立派な由来の表札が、

それによると、

 大正末期のころ、この地の財産家 「 朝倉重威の妻ミヤ 」

という方の前に白蛇が現れた。

これはきっと神の使いに違いないと、

大切にお祀りし、そこに祠を立て、「 ケヤキ ・ 欅 」 を

植樹したのが始まりで、その後手厚く保護されて、

現在のように大きく成長したということです。

今では、小金井街道のランドマークとして、

市民に親しまれている。

というようなことが書かれています。

 

 「 白龍さん 」 といえば、

松下電器の守り神さまとして、

松下幸之助さんのころより代々信仰されていて、

当院でも、祖父の代より毎月、その御分身である

九州の白龍さまにはお参りに寄せていただいておりました。

 また、弘法大師を守ってこられたのは

「 善女竜王 」 という方で、

東寺にもそのお社があり、お参りしてました。

 何かしら、「 竜神さま 」 つながりでしょうか ??

この欅の大木にも心惹かれるものがあったのです。

 

 またまた、当院の護摩壇も 「 総ケヤキ作り 」 で

天板は桜の一枚板で出来ています。

欅の木目の美しさを出して、磨いたらよかったのですが

お堂も暗いこともあって、バランスを考えて

今は朱色に塗ってしまいました。

次の修理の時には、その朱色を落とし、

欅の木目を出せばまた美しい護摩壇になると思います。

 

 ま~、東京というところビルが乱立していると思っていましたが

結構、緑も多く、それを大切に守っておられる、

意外な一面を発見しました。

 

 そして、余談ですが、

その斜め向かいには、修道院がありました。

 

   

 

そこも、こんもりとした緑に包まれて、

世間を遮断するように、緑が修道する人たちを

守っているようにも見受けられました。

 

   

 

「 聖霊修道院マリア館 」 という表札が上がっています。

『 修道 』 という言葉にもひられるものがあります。

「 菩薩 」 といっても現代の言葉でいえば

「 修道的人間 」 といえるのでは、

人間というあり方が本来修道的なのです。

死ぬまで、修行の道程にある、

一服するのではなく、修道的に生きていく

そこが人間の本来の在り方のようです。

 

 この森の中で、自分に厳しく心を修め

道を修めておられるのでしょう。

 

 東京といっても、意外なところで、

じっとして手伝っておりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『 解 』  という字 !?

2014-04-23 11:00:45 | 住職の活動日記

 今、読んでいる 「 十地経の講義 」

書いてみると、また違った発見があって、

『 解 』  という字が気になったのです。

 

 「 世間から解脱するとともに

    また、世間に解脱していくと 」 

とか、

 「 間違った見解の上に煩悩がはたらく 」

また、

 「 問題を解決していく 」

そして、

 「 正しく物事を見る、

   つまり、認識による解脱

   認識だけが人間を解放する 」

 

書きながら思ったんですけど、

「 解 」  という字は、

その構成は 「 角 」 に 「 刀 」 に 「 牛 」

というふうに、分解すると、意味とは似ても

似つかないよな字の集まりです。

そこで、早速 「 漢和中辞典 」 をひも解くと

おもしろい発見がありました。

 

[ 辞書を写します ]

 解 

 意味を表す ( 牛・刀 )、 音を表す ( 角 ) から成る。

刀で牛を解体する意味。

① とく。ものを分ける。ひもをほどく。

② はなれる。ちらばる。 「分解」「解散」

③ きりはなす。切り裂く。 「解剖」

④ 物事のもつれを解く。 「解決」

⑤ こだわりをとく。なかなおりする。 「和解」

⑥ 物事をわかるようにする。 「解明」

⑦ 申し開きをする。 「弁解」

⑧ ときあかす。講義する。 「解説」

⑨ さとる。物事の筋道がわかる。 「理解」

⑩ ゆるめる。自由にする。 「解禁」

⑪ やめる。免じる。 「解職」

⑫ おちる。脱落する。

 

と、実に幅広い内容を持った文字です。

それから、お経に関することも厳密に解説してありました。

 

[ 参考 ]  として、

「 ときあかす 」 の同訓は、

解・伝・述・疏・注・註・箋・説。

「 解 」 は、本文の難しいところを講解すること、解釈。

「 伝 」 は、経を主として別に書を編纂すること、経伝。

「 述 」 は、文章著述のこと、本文の主意をいい述べること。

「 疏 」 は、本文の解釈をさらに細かく分けて解き明かすこと。

「 注 」 「 註 」 は、訓釈のこと。

「 箋 」 は、表明の意。

「 説 」 は、本文の意をときあかし自分の意見を述べること。

 

と、ま~厳密に区分けしているものです。

お経の題のところにはよく、

「 伝 」 とか 「 述 」 とか 「 疏 」

という言葉が出てきます。

何気なく見ていたのですが、

やはり、きちっとした意味が存在しているのです。

 

 とても、難しいような面倒くさいような、

でも、経典を学んでいくということは

直観とひらめき、そして厳密さ

が大事ではないかと思います。

 でないと、人間の細かい心のひだ ( 迷いの構造 ) は

解明できないのではないかと思います。

 

 ま~  面倒でも、

知ることの面白さもあるものです。

 

 

 

 

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桃山御陵 参拝

2014-04-22 17:07:54 | 住職の活動日記

 「 ももやまごりょうまえ ももやまごりょうまえ ! 」

近鉄のアナウンスが流れると、

次が 「 向島 」 そして次が、我が家のある

「 小倉 」 に着きます。

 「 桃山御陵前 」 なんともいい響きです。

 

先日お参りにってきました。

 

    

 

まず、この長い階段が待ち受けています。

とてもいい空気が流れているせいか、

お参りというより、散歩やトレーニングに

励んでおられる姿がたくさんです。

 

    

 

息を切らして、休みながら、ゆっくりと上がります。

ま~ !!

御陵参拝でも難所の一つではないかと思います。

 

    

 

上にたどり着くと、広大な敷地が広がっています 

立派な鳥居が現れます。

二礼二拍手一拝 でお参り、

ふり返ると、ここから市内を一望できます。

 

 先日の京都新聞で、「 伏見城 」 の遺構調査があった

という記事が載っていました。

もともとは、豊臣秀吉や徳川家康が

居城とした伏見城の跡地なのです。

しかし、この城は徹底的に破却されました。

が、

残された一部の石垣などから築城レベルの

高い城だったことが確認されたそうです。

秀吉のころ、本丸に植えてあった 

『 桃の木 』 から 「 桃山城 」 の

通称ができたようです。

 

  

 

近くまで行き、望遠で

下が四角、上が丸の 「 方円墳 」 です。

 

    

 

頑張ってる樫の木、ほぼ中は空洞、

皮だけになりながらも新緑を出しています。

普通なら切り倒されてしまうのでしょうが、

御陵さんの前ということで歴史をつないでいるのです。

 

 そこから、少し下っていくと、

 

     

 

「 昭憲皇太后の御陵さん 」 があります。

 明治天皇より一歩下がってということでしょうか??

寄り添いながらも控えめに埋葬されたのでしょうか。

 

     

 

女性ということもあって、立派な枝垂れ桜が

御陵さんの前に植えられ、

たぶん御陵さんの近くに植えられていますので、

私たちよりも、たぶん ??

皇太后に見ていただきたい、ことでしょう

御陵さんの間近な位置に植えられています。

 

 降りてきて後で気がついたのですが、

 

    

 

こういう立札があり、

昭憲皇太后の御陵さんの方から行くと

ゆるやかな坂道伝いに明治天皇の御陵まで行けるようです。

 

   

 

「 明治天皇 」 が陵墓を作られた最後の天皇さんです。

 

 京都の故老に聞くと、

「 天皇はんのほんとの住まいは京都や

 東京へはあそびにいってはる !! 」

という声も聞きます。

 そういえば、東京遷都は正式には

なされていないのではないかという ??

人もいらっしゃいます。

 勝手な想像ながら、

やはり、明治天皇にしてみれば

最後は京都へ帰りたかったのではないかと … ??

思ったりしてます。

 

 そしてまた、その近くには

「 明治天皇 」 を慕っておられた

「 乃木大将 」 をお祀りした神社も

建てられています。

 

 とても美しい花が咲いていましたので

また      します。

 

 

 

 

 

  

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梅原先生 卒寿記念

2014-04-21 21:52:10 | 住職の活動日記

  「 無財の七施 」 という、何も持ってなくても

出来る、お布施が七つあります。

その中に 「 床座施 」 というのがあって、

今の言葉でいえば 『 席を譲る 』 ということです。

行きしの電車の中では、

たぶん年は変わらないと思うのですが ??

席を譲りました。

 「 どうも ! 」  といって

座られました。

 帰りの電車では

 「 どうぞ ! 」

高校生の女の子に席を譲ってもらいました。

 「 ありがとうございます 」

と座ったものの、ありがたいような寂しいような ??

客観的には、はた目にもお年寄りなのでしょう

譲ったときは、

 まだ若いんだと、心に思いつつ、

も、譲ったり譲られたりと不思議な経験でした。

 

 4月21日 は 「 弘法大師 」 の祥月命日です。

久しぶりにお参りしました。

 

    

 

南側の池では 「 アオサギ 」 が

身動きもせず、カメラマンに向かって

ポーズをとっています。

「 アオサギ 」 にとっては、今日はずいぶん人が多いな ?

と、思っていたことでしょう。

だから、逃げる様子もなく堂々としたものです。

修行大師、灌頂院、南面の秘仏の不動明王、

そして、弘法大師をお参りして、

今日はもう一つの目的、

高島屋へ向かいました。

 

『 梅原猛と25人のアーティスト 』 と銘打って

信仰があった方々の絵画や焼き物などの

展示会です。

 

     

 

印象深かったのは先生の直筆なる

 

 『 霊がふるふる うけとめよ 』 

 

という掛け軸でした。

 ほかにもたくさんあったのですが

「 細川護熙 」 さんの額とお茶碗でした。

 

 90歳になってなお思索を続け、

人類への警鐘を鳴らし続けておられます。

 

 少しだけ豊かな気分で家路につきました。

 

 

 

 

 

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ねばって、ねばって、粘り抜いて !!

2014-04-20 19:40:31 | 住職の活動日記

 TBSテレビ 「 夢の扉 」

いつも楽しく、また勇気づけられる番組です。

今日のテーマは、

「 生ものと変わらない、冷凍食品を 」

ということで、

鮮度の落ちない冷凍技術を開発した方の

はなしでした。

 その開発された方の言葉が、

 

『 ねばって、ねばって、粘り抜いて 』

そして、ひらめいた。

 

という一言でした。

それも7年間も粘って、やっと製品までこぎつけた。

その製品を使って被災地に工場を建設される、

という本当に夢のある話でした。

 

 やはり、日本人はすごい !!

と、いつもながら感動させられます。

 

 「 ねばって、ねばって、粘り抜いて 」

ということは、仏道修行にも

相通じるものを感じます。

 お経を読み砕く、にしても

通り一遍読んだくらいではわからないと思います。

何度も、粘って、粘って、粘り抜かないと見えてこない

とおもうのです。

 

 ここ数日、なんか、つながってくるものを感じます。

「 二行 双じて 無間 」

二行 とは 「 止観 」 ということで、

無間とは、間がない、

今、十地経で読んでいるところが、

六波羅蜜、八正道、止観、ということが

今までは、それぞれが別物のように思っていたのですが、

そのことが皆関連してくる、

ということが読んで、書いているうち

につながって来たのです。

まだまだよくはわかりませんが、

関連付けて見えてきたことが

一つの手掛かりが見つかったような気がします。

 

 やはり、粘り強く、読み、書いて

何かしらのひらめきが出るまで  …

何時たどりつくかは分かりませんが

方向性が見つかったのは

何かしら心が軽くなりました。

 

 

 

 

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牡丹の花、ぜんぶ開花 !

2014-04-20 19:30:26 | 住職の活動日記

 五つの花芽をつけていた

「 ボタンの花 」 ぜんぶ開花です。

 

    

 

五輪も咲きほこると、豪華絢爛です。

 

    

 

下の方に咲いた、一輪です。

 

    

 

なんとも、色もいい、花びらの姿がまたいい 

開いたり、つぼんだりを繰り返しながら

私たちの眼を楽しませてくれます。

 

 せっかくいっぱい咲いたので、

表の玄関に出しました。

 通りすがりの人が楽しんでいただけたらと  …  

 

 もうすぐ、今度はバラの花のつぼみが

待ち構えています。

 たくさんの花芽です。

また、次々と楽しませてくれることでしょう。

 

 

 

 

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出家と家出 乞食と乞食

2014-04-19 21:40:33 | 住職の活動日記

 出家 ( しゅっけ )

 家出 ( いえで )

 乞食 ( こつじき )

 乞食 ( こじき )

似たような字ですが ( 同じ字ですが )

発音によっては意味全く違ったものになります。

 

 普通、家庭が面白くなくなって

家を出ることを 「 家出 」 といいます。

 ところが、お釈迦さまも一見、

同じようなんですが、 …

お釈迦さまは一国のプリンスで、

普通の人からしてみれば憧れの存在だったのです。

地位もお金もプリンセスもそして子供までいて

なに不自由ない生活でした。

けど、それらをすべて捨てて、

一介の乞食 ( こつじき ) となって、

人間としての本当の要求を求められた。

 

 働かない、ということでは

乞食 ( こじき ) も 乞食 ( こつじき ) も

変わりません。

 あるとき、お釈迦さまが托鉢に出ておられた時のことです。

お百姓さんに食を乞われると、

 「 ただ人からもらうだけではなく、

   あんたも働いて稼いだらどうか 」

と、お百姓さんが言って返すのです。

すると、お釈迦さまは

 「 私は心の畑を耕している 」

という、話が残っています。

 

 何気なく生きていますが、

心のどこかには、

 「 これでいいのか ? 」

という、何か本当のことを知りたい

という、願いを抱えているものです。

そのうち、そのうち

といっている間に、時間出来たころには

頭の方も、物忘れもひどくなり、

根気も続かなくなり、

身体も次々と不調をきたし、

気がついたころには、

お迎えが  … ということにもなりかねません。

 

 お釈迦さまも、個人の問題にとどまらず

人類的課題を、

人間、何のために生まれて、という

その問題がどうしても解決しなければ

という、人類の課題を背負っていかれたのが

お釈迦さまの出家だと思います。

 

 以前に、三浦先生からお電話いただいたとき

「 大変、忙しくて、ばたばたとしています 」

と答えたら、

「 えらい ! のんきな話やね ! 」

と、痛烈な一言を頂いたことがあります。

普通は、忙しい、といえば、

それは大変で、でもよかったね !

といわれるのですが、

そこを見逃さなくて、

「 坊主として、第一番に考えなければ

 いけないのは、人生の目的だろう !

 忙しさにかまけて、自分自身を忘れるな ! 」

という、言葉が隠れているのです。

 

 同じ 「 食 」 を頂くのも、

人類の課題を一番に考えるため

働くことを二の次にしてください

というのが 「 乞食 」 ( こつじき )

ということなのです。

坊さんが頭を丸めるのも、

そういうことで、働かないから

一切の地位も権威も落とします

ということで、髷を落とし丸坊主したということです。

坊さんになることを落飾といいますね。

 

 昔のはなしで、

「 乞食 ( こじき ) は三日やったらやめられん 」

ということがって、

怠けだして、人からいただくことが当たり前になると

ほんとうの自分を見失うものです。

それを 「 乞食 」 ( こじき ) というのでしょう。

 

 だから、インドでは道を求める人 ( こつじき )

に対しては、差し上げた方がお礼を言うという

ということを聞いたことがあります。

 お経の中で、お釈迦さまは

供養は受けられるけれど、

有り難うとは言われないで、

「 黙然として、聴許す 」

と書いてあります。

供養を許すと、

だから、ありがとう、といってしまえば

「 乞食 」 ( こじき ) になってしまうのです。

 

 ということを知ってでしょうか、

日本のお坊さんのなかにも、

お礼を言わない、方がいらっしゃるようです

が、  …  

しかし、三浦先生は

「 ご本尊様に代わってお礼を言うのが

 住職の務めだ !! 」

とも言われてました。

 

 いずれにせよ、人間として、

生まれたことの意義、人生の意味、

人間としての本当の要求、

いのちの意味を考え続けなければ、

まずは、お坊さんとしての資格がないのでは

とも      思うのですが、

お坊さんになる動機も、それぞれあって

私を含め、結構、不純なものも持っていますので

ま~  …

なっている以上は

その動機を磨き純粋にしていく

努力を惜しんではならないと思います。

 

 

 

 

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