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本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

2018-12-31 16:17:03 | 住職の活動日記

「門松は冥土の旅の一里塚

めでたくもあり めでたくもなし」

 

 一休さんの歌ですが、

お正月に竹竿の先に髑髏を付けて

「ご用心! ご用心!」 と

町を練り歩いたという話があります

 

 

京都では門松といえば

「根引きの松」で

根の付いた松に水引をかけて飾る

というシンプルなものですが

今回は、

家内のお手製で、花屋さんで

松とか葉牡丹・千両・菊と買い求め

先日お不動さまから帰ると

お飾りしてありました。

 

その道中も考えていたのですが

途中事故もあり道も迂回という

よくよく考えれば他人ごとではなく

私自身何が起こるか分からない

最近は早く帰るということより

まず、無事に帰るということに

重点を置くようになりました。

日々のニュースを見ていても

思わぬことが起きています。

 

やっとこの頃そう思うことが

おきるようになったのですが

そう思うと、

お釈迦さまは、若干二十歳そこそこで

世の無常というか

いつ何が起きるかわからない

急ぎ人生の本質を求めなければ

と思い立たれ、

国を捨て、妻や子と別れて

道を求めて出家されたのです。

 

そういうことからすると

若くして、精神的には

世の有り様を達観する眼を持った

域に達しておられたのです。

反対に

私は年齢的には老齢の域に

なっているのですが

精神的にはまだまだ未熟もので

やっと今ごろ

わずかに身の無常さを感じる

ようになってきたのです。

 

明日のお正月に向けて準備

ほとんど家内がするのですが

私はお屠蘇を作る位で、

妙なことに関心が出てきて

「屠蘇」ということは、と

あらためて調べて見たり

 

「屠」という字は

あまりいい字ではありません

とかいう字があって

ころす、肉を裂いて内臓をばらす

という意味で

「蘇」はよみがえる

蘇生という字が思いうかびます。

 

勝手な想像ですが

お正月とは初日の出を拝む

というようなこともあって

そこには生まれかわる

というような

前の年に死んで新たに蘇える

そういう願いを込めて

「お屠蘇」という字が出来たのでは

と思うのですが、

辞書には魏の名医・華佗という人が

正月に飲む薬として調合した

とあります。

しかし、

なぜ屠蘇という名を付けたかは

明らかではないようです。

 

 

 

 

 

お正月はめでたいと言えば

めでたい、

年もあらたまり

新しい年を祝い人生をリセットする

ということです

しかし、

確実に年をとっている

一歩一歩、冥土(死)へ近づいて

行っているということです。

そういうことからすれば

「冥土の旅の一里塚です」

死という無常を意識した時は

めでたくなんかありません。

 

急ぎ本当のことを知らなければ

あっという間に人生の幕引きが

始まってしまいます。

 

西洋のお祭りに

死者を迎えてお祝いするという

行事があるようでです

その衣装が骸骨の衣装で

顔はどくろのように描いて

町を練り歩くという。

「メメントモリ」

死を思い忘れるな

ということのようですが

 

お正月も本来は

そういう意味合いがあるのかも

しれません。

一休さんの行動は

町の人からは煙たがられ

このめでたい時になんということを

と嫌がられたでしょう。

けれど、

死ということも忘れずに

お祝いをするということは

あながち間違っていないような

気もします。

 

 

 

 

 

コメント
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