本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「ももいろ クローバー ゼエ ッッ ~ !! 」

2013-07-31 18:03:03 | 住職の活動日記

 ご近所さんへ、通りすがりに

珍しい草花を見つけました。

思わず、

 「 〇〇 クローバー ゼエッッ ~ ! 」

という言葉が出てきました。

 

   

 

きれいな紫色です。

形は面白いのですがどうもクローバーのようです。

かたちが 「 ゼエ ッ ッ 」 と叫びたくなるような

姿です。

 ひとりで、そんなこといいながら撮っていました。

 

   

 

下からは同じ色した、小さな芽も出かかっています。

 

 調べてみると、

「 紫クローバー 」 というらしいです。

雑草 !?  とも書いてありましたけど、

それだけで片付けるには

おしいような見事な葉を広げています。

 

 ほんとうは 雑草なんて草は

一本もないのですね !

こちらが知らないだけです。

 

 いよいよ天気も持ち直してくる様子です。

明日からはまた、暑い日差しが照りつける

日が続くようです。  

 

 水分補給忘れずに    

  イヤ ! ( 昼間は   ですね )

 

 

 

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「 仏 法 僧 」

2013-07-30 21:24:04 | 住職の活動日記

 仏教の根幹です。

『 仏 ・ 法 ・ 僧 』  ( ぶっぽうそう )

聖徳太子も 17条の憲法で、

 「 篤く三宝を敬え

   三宝とは仏法僧なり 」

と述べておられます。

 

 今日ふと気になったのが、

『 法 』  という字なのです。

「 仏 」 はインドの言葉で ブッダの音写です。

「 僧 」 も、サンガという言葉を音写して僧という字に当てたのです。

「 法 」 だけが 「 ダルマ ・ ダンマ 」 をあえて

「 法 」 という言葉に訳したのです。

 

 「 法 」 と聞くと法律とか方法とか作法いう言葉が思い浮かびます。

( さんずい ) がついているのが不思議に思いました。

早速辞書を引いてみると、

本来は、

 ふせぐ、という意味からきているようです。

堤防で囲まれた水の平らかなさまの意味だったのです。

そこから、公平というふうに借用され、

訴訟を裁くという意味になってきました。

 

なるほど !!

 

 ダルマ という言葉は 「 法 」 と訳すには

それだけでは納まりきれない感じがします。

他の二つ 「 仏 と 僧 」 も

本来の意味と今私たちが使っている意味とでは

少し隔たりがあるようにも思います。

 「 僧 」 ということも、

「 共同体 」 的なニュアンスなのですが、

もっぱら、お坊さんの意味として使われています。

 

法ということについて、

ある本では、

 「 法が見出されぬときは、

   人間の意見が出てくる。

   一人の意見が出れば、

   それに対する反対意見が出てくるものです。

   法を広めるということもありますが、

   それは、その教えは人間を奴隷にするものです。

   人間は、法に触れない限り、

   必ず奴隷になるものです。

   若い人は仏法も何も信じない、

   といっていますが、

   それは自分の理知を信じているのです。

   誰のいうことも聞かぬということは

   自ら己の理知の奴隷になっているのです。

   理知ははからいです。

   はからいは必ず行き詰る。

   人間は偉大に見えてもなにかの奴隷になっているものです。」

 

というようなことがあって、

法ということも、法律的なニュアンスではなく、

人間知らず知らずのうちに何かの奴隷になっているものです。

その自分の固執を打ち破っていくものが

「 法 」 という内容を含んだもののように思います。

 

 人間、 本当のことを知らないと

 知らないという罪を犯します。

 そして、それだけにとどまらず、

 本当でないものを本当と信じてしまう

 という、二つの罪を犯してしまいます。

 

本当の事を知っていく、

それが 「 法 」 ということの基準になる。

ウソかまことか、

だから、いろんな事を知るということと

法に触れていくということは

一線を画するものです。

 

 十分にわかっているわけでもないのですが、

「 法 」 ということばが

妙に気になったのです。

 

 

 

 

 

 

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天候不安定の「お不動さま」

2013-07-29 21:28:23 | 住職の活動日記

 昨日、

朝からはよかったものの、やはり

天気のほうはめまぐるしく変化を見せています。

 

 珍しく、日曜日のお不動さまなのに、

この天気、どうなるのでしょうか ??

 

    

 

なんだか、雲行きも怪しくなってきました。

お昼が近づくにつれて、どんどん黒い雲がやってきます。

 

せっかくのお不動さまというのに

いよいよ降り始めました。

 

   

 

でも、お参りの方はこの雨の中

次々にお見えになります。

 ( 有り難い事です )

日曜日ということもあってでしょうか ?

珍しい方や、初めての方もお参りいただきました。

ネットから 「 護摩木 」 を申しこまれた方、

 

 「 いつもお寺の前を通っていますので、

   初めてよせてもらいました。」 

と、話しながら、

  ( お休みというのに、足を運んでいただいた、

    何よりのことです。)

 

宗良君の子どもさんもご両親と一緒にお見えになり、

また、手術を控えて無事に終わることを

祈念して、お参りに見えられました。

 

 しかし、とても蒸し暑く、

今までにないほどの汗をかきました。

滴り落ちる汗が目に入り痛みが走ります。

 東寺で焚いていた時は、

このピークを過ぎても焚き続けますので、

汗は塩に変わってきます。

 護摩の時はハンカチは使いませんので、

汗が噴出すままに任せています。

 それもまた、炎と向き合い

その向こうにお不動さまを拝して、

一体になっていくような感じです。

 

 初めての方も赤ちゃんも

護摩の炎と煙は新しい経験でしょう。

「 仏法は毛穴から入る 」

意味はわからなくても、その雰囲気は

自然と体にしみこんでいくことでしょう。

 

     

 

終わる頃には、雲も流れ、

青空も覗きはじめました。

 

 でも、油断は出来ません。

今朝も時折、激しい雨が降っています。

各地で被害の放送を目にします。

今までにないような !!!

やはり、地球もどこかおかしくなってきているのでは ??

 

 天気が続くと、雨がほしくなり  

雨も降りすぎると、安定した天気が恋しくなります。

どんなに科学技術が発達しても、

自然の力には到底及ばないような気がします。

 

 どうぞ穏やかな天気が続きますように、

祈らずにはおれません。

 

 

 

 

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今週の言葉 7/29~8/4 「 下手だったから もっと上 … 」

2013-07-28 21:59:05 | 今週の言葉

下手だったから

 

もっと上、もっと上を

 

めざすことができた。

 

     中山雅史

 

 

東アジアカップ 「 ザック・ジャパン 」 

 優勝  を飾ることが出来ました。

 けど、試合内容はハラハラドキドキ、

数少ないチャンスをものにしての

優勝です。

  よかった   おめでとうございます。  

 

 今週の言葉、中山選手の言葉です。

フットボールの選手としては息の長い選手だということです。

それで、

 「 どうして、長く続けることができたのですか ? 」

という質問に答えて、

 

 『 自分は下手だったから、

   もっと上、もっと上を

   めざすことができた。 』

 

と話されておられました。 

 

 昨晩、世界の頭脳選手権みたいな番組がありました。

質問もわからないし、

答えも、わからない。

これから世界を背負っていくであろう

頭脳集団の集まりのようでした。

 

 しかし、かのソクラテスは

『 無知の智 』

と、いわれています。

自分は何も知らない、

ということだけは知っている。

 また、ジョブズさんも

『 愚かであれ 』  ( stay foolish )

と、スピーチされています。

 

 今の世の中、知識を競う世界で、

「 愚かであれ 」 というのは

逆行するようですが、

一歩深く考えると、

いろんなことは知っているが、

肝心の自分のことは何も知らない、

ということがあります。

「 何のために生まれてきたのか 」

この一つがわからなかったならば、

せっかく生まれてきた意味をなくしてしまいます。

 でなければ、名誉や財で自分を誤魔化して生きるしかありません。

お経の中では 「 名利 」 という言葉で出てきます。

名誉と利益です。

そこを厳密に分析して、

利益を隠蔽するために、

名誉というもので覆っている。

と、いやなことを書いてあります。

( そこまで分析しなくてもいいのに )

 

 そういう中にあって、

中山選手は 「 自分は下手だから 」 と

自分の立場を一番下においておられたのでしょう。

理解する、という 「 understand 」 英語も

分けてみると 「 under 」 下に

「 stand 」 立つ、 となります。

自分の居場所を一番下に置かれたからこそ、

いつまでも、求める心が続いたのでしょう。

 

 自分の立ち居地をどこに置くか、

出来上がった完成した自分と見るか、

愚かな自分と見るか、

人それぞれと思います。

 

 たとえ歩みはのろくとも、

素直に愚かに一歩一歩ずつ歩む姿が

これからは信頼される人と成ることができるし、

また、

自分にとっても本当のことが見えてくるように思うのです。

 

 いつまでたっても下手だから、  …

落ち着ける言葉です。

そして、精進努力ということが身に具わってくる

ようにも思うのです。

 

 

 

 

 

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ほとけさまはどこに どこにいらっしゃる

2013-07-27 22:12:40 | 住職の活動日記

 昨日は久しぶりに恵の  

というものの、とても激しい雨でした。

阿蘇地方では大雨洪水警報が出るほどです。

 

 不思議なことに、数日前から

「 ミノムシ君 」 がやって来ました。

 バラの花にやってきたのです。

クモが来たり、カマキリ君も、それに蜂も

花が咲くというと、いろいろな命が芽生えてくるものです。

 

 

   

 

 

せっせとやってきて、しかし

とても不思議です ??

どこからどうやって、出てきたのでしょう。

 

   

 

朝の早いうちに朝食をとり、

バラの皮肌を一生懸命食べていました。

そして、人々が動き出す昼間は

 

   

 

こうやって、枝になって ( 枝になったつもりで )

身を潜めていたのです。

 

 ところが、昨日の激しい雨、

ちょっと小降りになった隙にバラの木を見に行くと、

 

    

 

「 ミノムシ君 」 の姿が見当たりません。

くまなく、枝の裏側やら、探してみたのですが

いません  

雨のいきおいで落ちてしまったのだろうか ?  と、

その下を見回したのですが

いる気配もありませんでした。

 

 日が照り、雨が降るということは

いろいろな命を生み出していきます。

しかし、また

自然の猛威も小さな虫たちにとっては

脅威なのです。

 どこからともなく、命が生まれ

いつとはなしに消えて生きます。

 

    

 

この命の元が仏さまなのかも ????

 

 「 ほとけさまは どこに

   どこに  いらっしゃる

   春は花咲く  …  」

 

という、歌があったように思います。

 

 

 

 

 

 

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歪み !

2013-07-26 17:05:26 | 住職の活動日記

 「 歪 」 という字は 「 不  」 と 「 正 」 という字の

組み合わせです。

 まさしく、 『 不正 』   「 正しくない 」 という意味です。

「 正 」 という字は 「 止編 」 に 「 一 」 と書きます。

だらか 「 歪 」 という字も 「 止編 」 です。

 

 昨年、足の側面を骨折し、治ったものの

一月間ギブスに入れた後遺症が

今ごろから出てきました。

不自由な生活のときはそれなりに不自由で

あまり感じなかったのですが、

普段どおりの生活になってくると、

足首の曲がり具合が思うようにいかない

不便さを感じています。

 

 そこで、整骨院へ

足首もさることながら、腰の位置が

『 歪んでますよ !! 』

少し調節してもらい、 電気を当てました。

 

   

 

腰から足にかけて、気持ちのいい痺れが

 

    

 

さらに、痛いところに

ドイツ製の機械とやら、超音波を当ててもらいました。

 ま~、歪んでますよ、といわれても ??

 

 人間、生まれながらにして、

どこか歪んでいるような気がします。

生まれてきた赤ちゃんも、

右向きが好きな子は左に向けても

またすぐに右向きになってしまいます。

( 頭が変形してしまうのに )

なぜだかわかりませんが、

自分の好きな向きが自ずから定まっているようです。

 

 話は変わりますが、

「 煩悩 」 ということも、

生まれながらにしてもってきた 「 煩悩 」 と、

生きていく中に身に付いていく 「 煩悩 」 とがあります。

 

◎ 「 倶生起の煩悩 」 ( くしょうき )

  生まれると同時に具わっている煩悩です。

  人間生まれながらにして染まっている、

  といってもいいかもしれません。

それに対して、

◎ 「 分別起の煩悩 」 ( ふんべつき )

  生まれてから起こす煩悩です。

 

煩悩といっても、とても厳密に分析しているのです。

 

 生まれながらにして、教えるでもなく

身に付くからだの癖が、歪みにもなるでしょう。

そして、その癖がだんだんと自分勝手になって、

歪んでいるほうが身に納まるような気がします。

 心の癖が煩悩でしょう。

自分勝手に自分の都合のいいように、

考え行動し、それが身に付いてきて当たり前になり

それを直すほうが悪いことのように感じてしまいます。

 

 しかし、体もたまに修正していただいたほうが気持ちがいい。

心もたまに、静かに座ったり、集中してみるのも

心の軌道修正になるのでしょう。

 

 心静かに手を合わせてみるのも

気持ちがいいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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7月24日 地蔵盆

2013-07-25 13:48:09 | 住職の活動日記

 熊本では7月に地蔵盆をします。

今年は崇正が朝から夕方まで、

町内のお地蔵さまをお参りしてまいります。

 私は、当院の前にある 「 お地蔵さま 」 を

町内の方とお参りします。

 

    

 

ちょうど 「 産業道路 」 に面して立てられてあります。

この 「 産業道路 」 昔は 「 軍用道路 」 と

呼んでいました。

そのために道路を拡張する工事がおこなわれました。

この付近一帯は昔は墓地で、

その墓地をお掘り起こして軍用道路にしたのです。

とてもたくさんのご遺骨が出てきました。

 その為かどうか知りませんが、

子どものころにはこの付近で、

とても交通事故が多かったのです。

 

    

 

そのため、交通事故で亡くなった方の供養と

これから、交通事故がなくなりますようにとの

願いを込めて、このお地蔵さまが

地域の有志の方々のご奇特により建立されました。

 

    

 

それから不思議と交通事故はなくなりました。

 

 しかし、時の流とともに

このことすら忘れ去られようとしています。

 もういまの、先輩方が亡くなられると

このことすら消えてしまうのでしょう。

 

    

 

ささやかですが、今年も交通安全を祈り

先に亡くなった方々のご供養をいたしました。

 

 静かに、お地蔵さまは見守っておられるのです。

 

 

 

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産業泥道路歩道補修工事お知らせ !

2013-07-25 11:45:20 | 住職の活動日記

 「 産業道路 」 の歩道の修理にかかります。

期間  8月19日 ~ 9月30日

時間帯  21:00 ~ 6:00 ( 夜間工事 )

場所  本荘交差点から迎町交差点の区間

※   夜間工事でうるさいかもしれませんが

     よろしくお願いします。

 

 ご近所の方からのお願いで、

家の前の歩道が、

 

    

 

こんな状態で、自転車の方が

この溝にハンドルを取られて危険です。

という、

ことがあって、「 熊本市西部土木センター 」 

お願いしていましたら、

早速の取り計らいで、8月からの工事となったのです。

とても早い対応に感謝しています。

 

    

 

 

当院の前の産業道路はとても交通量が激しく

混雑するところでもあります。

ということで、工事も夜間ということになったのです。

 工事期間    はご不便とご迷惑をおかけしますが

ご協力よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

      

 

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折り返し地点

2013-07-24 21:56:16 | 住職の活動日記

 同級生もほぼ定年、

人生の折り返し地点ともいわれます。

 しかし、風の便りに小学校の同級生が

二人亡くなった。

 人生80年とすれば、折り返しどころではない。

もうとっくに折り返して、最終版を迎えています。

70年とすれば、すぐそこ  …

リニアモーターカーのようにあっという間に

人生の幕引きがやってきます。

 

 けれども、仏教では死に立って生きているのです。

先日届いた  「 下総たより 」

安田先生の言葉、冒頭から

 「 だんだん白髪頭になってくる。

   白髪が生えても、まだ分からない、

   分からないと生まれた意義を失ってしまう。

   そうすると、生まれてこなかったのと

   同じことになってします。 」

と、ドキッとする言葉から始まっています。

当に自分に言われているようで、

心にグサッと刺さります。

 

 また、「 十地経 」 の中では、

安田先生の言葉でこういう文章に出会いました。

 

 「 到達したものから出発している 」

 

??  と思うのですが、

先日得度した 「 奎良君 」

「 行 」 に入る時の顔つきはまさに覚悟した

仏さんのような顔になっています。

その時には、仏の心がやってきているのです。

到達点である仏の心を頂いて、

修行に励むのです。

そこから、迷いも悩みも始まってきます。 

 更に先生の言葉は続きます。

 

 「 歩むということは歩みだから

   プロセスになりますけど、

   はじめと終わりは一つ。

   終わったものから始まっている。

   一歩一歩というと時間的です  が、

  時間的は実は空間的なんだと、

  こういう意味から言うと、

  一つ一つが絶対的なんだ。

  みな集めて絶対的になるのではない。

  この一つ一つの違ったままが、一歩一歩のままが

  絶対的なんだ。

  だから、一歩一歩歩んで最後に到達するのではない。

  一歩一歩がもう、

  始まりであり終わりであるんだと。

  結論なんか要らない。

  人生の一歩一歩がもう始まりであり、

  終わりであるんだと。

  死んでから浄土というものがあるんじゃない、

  一歩一歩が浄土やと。」

 

人生、本当のことをいえば折り返し地点なんかないのでは、

50年であれば、それはそれで完成している

ただ、一歩一歩歩ということを失くしてしまうと

それは、生まれた意義を失ってしまう。

 

 いよいよ、すざまじく、求道ということの

真剣さが要求されてくる。

 

 先日、武田鉄也さんは、

「 人生は登のは簡単だ。

  上を向いて懸命に努力して登ればいい。

  けど、降りるときは、

  勢いはつくし、視野は広がるし、

  よほど注意しないとこけてしまう。」

ともおっしゃっていました。

 

 今の自分にとって、

求道にいそしむ環境をいただいたことは

何よりも有り難いことだと思っています。

 

 ウロウロせずに一歩一歩歩むしかない !!!

 

 

 

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新幹線の屋根 !?

2013-07-23 21:50:42 | 住職の活動日記

 あまり見かけない光景です。

「 新幹線 」 の屋根なんかめったに見ることが出来ません。

たまたま、

 「 近鉄京都ホテル 」 の4階

面白い位置関係です。

 

   

 

窓越しで、うまくピントが合いません  

でも、列車の屋根なんかめったに見ないと思います。

 

 

   

 

反対側には 「 JR  」 ちょうど出発したところです。

 

面白い立地条件 ( 線路の上という ) 

を生かした作りです。

 これが功を相してか、今一番人気ではないでしょうか ?

 

そして、お気に入りの写真も撮れました。

 

   

 

丁度夕日が沈みかけた、

ANA さんの飛行機を背に

とても美しいワンカットでした。

 

 

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