本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

反省 !!

2009-06-30 23:31:53 | 住職の活動日記
 6月も終わろうとしています。

本当は、15日・16日と京都へ行って、

東寺で 「 弘法大師ご誕生 おさなごのつどい 」 に

お参りし、三浦先生とお会いしたこと、

書こうと思って、大事にしすぎて、時を逸してしまいました。


 カメラには京都でのいろいろの思い出が詰まっております。

日々の感じたことを書くことに追われ、

大事なことを忘れてしまいました。


 熊本では7月から 『 お盆 』 の月に入ってきます。


 また、折があれば、自然な形で書けたらと思っております。


   私の小さなカメラで納めた、先生とのツーショットです。



    


 先生、いつまでもお元気でいてください。


  ( 私の顔はどうもアホ面に映ってしまいます   ゴメンナサイ  )
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あやちゃんの寝息

2009-06-30 23:21:36 | 住職の活動日記
 テレビを見てます隣で 『 あやちゃん 』

気持よさそうな寝息を立てています。

 よく見ると、目が開いている。

片目開けたまま熟睡中です。  

 


     



 ネコも目を開けて寝るのか 


 たまに寝言を言っているときもあります。

いろんな夢を見ているのでしょう    


 「 あやちゃん 」 も京都からやって来て、

もう一番の古株です。

根性者のおばあちゃんで、デカイ銀太にも負けていません。

最近はとても凄い食欲で、一番の元気者のようです。  


 『 銀太君 』 とも喧嘩せずに  

よろしくおねがいしま~す。
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デンターシステマ VS 口内炎なりかけ

2009-06-30 23:11:31 | 住職の活動日記
 一週間ほど前、続けざまに、下唇を噛んでしまい、

切り傷の状態です。

 いつもですと、傷が口内炎になって行きます。

今、

  
    


 毎食後、『 デンターシステマ 』 でうがいをして、

軽いブラッシング

 その効果があるのか、口内炎になりかけているような、

傷口が収まりそうな、ビミョウなところです。


 今はしつこいくらい、食べたら、

「 お口クチュクチュ 」 です。

 口内炎にならないように願っているのですが  

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熊本は大雨警報

2009-06-30 16:01:32 | 住職の活動日記
 熊本の雨は降り出すと、スコールのような

( 本当のスコールは知りませんけど )

バケツをひっくり返したような降りかたです。

 お寺の屋根は銅版葺き、降り出したら、すざましい音です。



     



 雨に曇る 『 熊本城 』 です。

  ( 土砂降りにくわえてカメラもおもちゃ、

    小高い山の上に黒く小さく聳え立っているのがお城です。

    想像しながら見てください。)


 昨日まで、川底が見えていた 『 白川 』 ですが、

雨が降ると、一気に泥水のようになって阿蘇から流れ出してきます。



    


 天井川になってくる所以です。


 午後からは雨も上がり、空を見上げると、不気味な黒い雲が

流れています。 

 まだまだ、降り出すかも知れません。  
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『 鑰 』  ( やく ) という字に出会いました。

2009-06-29 22:51:38 | 住職の活動日記
 弘法大師の著書 『 秘蔵宝鑰 』 のことを書いていましたら、

新聞紙上でこの文字に出会ったのです。

 それも不思議な縁です。

28日のお不動さまも終わり、後片付けに使った新聞紙を片付けている時、

無意識にめっくた 『 熊日新聞 6月26日15面 』 文化面


 『 植木町・向原遺跡
  
        古代鍵・錠 出土の意味 』

と題して、合田芳正先生の記事です。



    



 金色に輝いているのが 『  』 という昔の鍵です。

東寺にいるときには実にたくさんのこういう鍵を見ましたし、

何気なくも使っていました。

 鍵だけでも展示会が出来るくらい、いろんな種類と

パズルのようなあけるのもとても難しい鍵もあるのです。


 記事を見て見ますと、

  「 日本書紀 」

 天武天皇の将軍大伴吹負 ( ふけい ) は

「 以西の諸国司等に仰せて、官鑰・駅鈴・伝印を進らしむ 」

とあり、鑰 ( 鍵 ) が支配の象徴的な器物となっていることがわかる。


 そして、


 国司の交替式では国印と鑰の授受がもっとも重要な儀式である。


 つづけて

 
 「 延喜式 」 に見える 監物と典鑰 ( 鍵を管理する役職 )
                    てんやく

というような記事が目にとまりました。

『 鑰 』 やく、という字は平安時代は普通の言葉として使われていた

ということは驚きでした。

 それにもまして、人間が信仰に目覚める一点を 『 鑰 』 として

表現された。

 各自が持っている、心の底に眠っている、 『 さとり 』 という

蔵を 『 秘蔵宝鑰 』 という 『 鍵 鑰 』 で開けなさい、

と指し示しておられるようです。


 『 鑰 』 という字もただ言葉の上だけかと思ってましたが、

こうやって新聞紙上ではありますが、

出会えたことはとても感激でした。


 『  』 という字は大きくしてみましたが、わかりにくいと思いますので、是非辞書を引いてみてください。
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ヨツ ! ペゴッパヨ  女将

2009-06-29 22:21:03 | 住職の活動日記
 久しぶりに韓国料理。


    



ここは熊本市の上通り、上之裏通りにある 『 ペゴッパヨ 』 です。

女将が頑張っておられます。


    


 かわいい美人の女将です。

ここではお酒は 『 マッコリ 』 です。

中華料理は 『 老酒 』 、日本料理は 『 お酒 』 

韓国料理は絶対 『 マッコリ 』 です。

 今日は新メニューで 『 やかんマッコリ 』 がありました。



    



 このボコボコ感がなんとも風情があります。

このサイズのやかんも最近は見かけなくなり、

わざわざ釜山まで買いに行かれたそうです。

そして、金槌で殴って、それなりの風合いがまたいいですね。

 写真撮るのも忘れて、いろいろな料理に舌鼓を打ちました。

最後の締めはやはり 『 のりごはん 』



    



 シンプルに白ご飯に韓国のりが乗っているだけなのですが、

辛い後口にはとても相性がいいのです。

 辛みそ仕立てのラーメンと白ご飯、これも絶品です。

昔を思い出しながら

 冷麺を頼まれた人もいました、これもいい味です。



    


 なにかしら、盛り付け方がとても面白かったので  


 私のブログを見て行かれた方もいらっしゃったようです。

  『 お寺のブログを見た 』

 と、おっしゃっていただけたら、何かサービスしますよ  


     ヨ ツ 女将  よろしくお願いします。  

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今週の言葉 6/29~7/5

2009-06-28 23:18:56 | 今週の言葉
 いつの日に 行きつくべしや そはしらず

                   ただわれは行く 一筋の道を

                            佐々木信綱


 この歌も東寺にいる頃、よく三浦先生が口ずさんでおられました。

先日、6月15日 『 弘法大師降誕会 』 の時、お会いした

そのお姿を見て、この歌のように歩まれた方だな、ということを

しみじみと感じられました。

 96歳のその身体は、三浦先生が生きているのではない、

いのちそのものが三浦先生を生きている、

そのように感じ取りました。

傍から見れば、ただの年寄りかもしれませんが、

皺もより、身体も小さくなられたそのお姿は

私から見れば神々しいほど輝いておられました。


 『 洛南高校 』 を創設される頃、

「 我は往かんただ一筋の道を 」 ということを

口癖のようにおっしゃっておられました。

『 洛南高校の人間像 』 として 『 菩薩の精神 』 の

実践が教育の根幹にありました。

 『 菩薩の精神 』 を具体化すると、

『 方向性を持った人間 』 というふうに受け止めてきました。

迷っている人間が一つの方向を見出した時、

その人は 『 菩薩 』 という位に 「 位付け 」 られる。

 目的地にたどり着くつかないは問題ではないのです。

その方向を持つということが大切ではないか、

と受け止めて実践してきたのです。


 人間が、悟ったか悟らないか、は問題ではないのです。

仏という方向性を持つ

そして、その方向に向かって歩みだす、ということが大事なのです。

 
 最近は、儲けたとか有名になった、とかがもてはやされる中

ひたすら、この製品は必ず世のため人のためになる、と信じて

活動しておられる、ベンチャー企業の方々のお姿にふれると

とても感動します。

 
 今週の言葉も 『 ただ一筋の道 』 を見出した

そして、それに向かって歩みだそうという決意

ということが、とても大切なことではないかと思います。
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ま・ご・わ・や・さ・し・い

2009-06-28 11:09:47 | 住職の活動日記
 『 小野寺 昭 』 先生の提唱される

健康食の覚え方です。

 『 ま 』  豆類

 『 ご 』  胡麻

 『 わ 』  わかめ

 『 や 』  野菜

 『 さ 』  魚

 『 し 』  椎茸

 『 い 』  芋 ( 根菜類 )

だそうです。

 なるほどまんべんなく食べていれば、一番身体にいいのでしょう。


 私たちも 『 修行 』 に入ると、

上の食事の中で、魚を抜いた、ほとんどを頂くことになります。

この食事はとても身体にいい、でも、

脂っこいものの誘惑は捨て切れません。


 私の場合、修行の時、なにを食べてたかといいますと、

原則、上にあるような材料を使った食事です。

玄米に若布の味噌汁、おろし納豆 ( 大根おろしに納豆を混ぜ合わせたもの )

これが基本です。

これにプラスして、大きめの鍋におでんのように、ジャガイモ、蒟蒻、

ひろうず、あげ豆腐、とかを入れて、食べたら継ぎ足ししてと、

これが一番料理らしい食事です。

 基本料理を作ってくれる方がいませんので、

『 修行 』 の合間に、手早く作るのです。

 修行の間は、『 二食 』 ( にじき ) といって

朝昼で夜は食べないということになります。


 ちょうど、京都大学での、各職場でのカロリーを測るという

グループの方がこられまして、二日ほど一緒に食べ物を計算していかれました。

「 栄養学的にはカロリー不足です。」

との指摘がありましたが、

       

というつもりでやってたのですが、

今思えば、静かに静かに身体にダメージを与えていたようです。


 ふと思ったのです、昔の人はトイレットペーパーはどうしていたのだろう?

謎が解けたのは、

 玄米と 「 ま・ご・わ・や・さ・し・い 」 という食事ですと

快食快便で、トイレットペーパーはいらない、

という実感でした。

でも、

 食べすぎはいけませんが、あたりまえに、きちんと食べることが

大事なように思います。

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天童よしみ 古賀メロディーを歌う

2009-06-27 23:22:57 | 住職の活動日記
 整理していましたら、古いテープの中から

『 天童よしみ 古賀メロディーを歌う 』 

というカセットテープが出てきました。


 かけてみますと、音も鮮明です。

聞きながら、不思議と昔のことが思い出されてきます。

『 三浦先生 』 も古賀メロディーはとても好きで、

いつも口ずさんでおられました。

 それでついつい、ほとんどの曲を覚えてしまったのです。


 このカセットテープも A面が

   『 影を慕いて 』

   『 酒は涙か溜息か 』

   『 緑の地平線 』

   『 男の純情 』

 そして B面が

   『 人生の並木道 』

   『 東京ラプソディー 』

   『 人生劇場 』 

と続くのですが、私にとっては懐かしい歌ばかりです。

私の世代からすると、随分と古いと思うのですが、

東寺にいる時代、『 三浦先生 』 を囲んで、

お酒が入ると出てくるのは、いつもこの歌で、 

知らず知らずのうちに、古賀メロディーの素晴らしさに

引き込まれていったのです。

 私には、やはりこの歌が一番、しっくり来るようです。  


夜になって、仕事をしながらすでに5回は聞いております。  

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「 観 」 から 「 見 」  へ

2009-06-27 00:57:44 | 住職の活動日記
 ふと気になったのですが、今日の病院で

の診察ですが、一度も患部を見られないのです。

看護婦さんの問診があり、検査があり、

その結果で、「 まあ再検査してみましょうか ? 」

 という具合なのですが、

   …   ??

   風呂に入るとき見てみると、

  足の指が少し赤くはれている    …


 足の指先がしびれる、少し痛みもある、 のに

なぜ、その部分を見ないとしないのだろう ?  

 『 手当て 』 というよに 『 触診 』 ということも

とても大事なことではないかと思います。


 「 よく観て 」 観察です。先ずは観るということです。

そして 「 具合はどうですか 」 聞、聞くということ、

最後に、自分の見立て、見解を述べる。

 実験観察、物事の姿をじっと見つめる、自分の感情を入れずに、

そうすれば、正しい見解が出てくると思うのです。


 仏教の最終目的は 『 正見 』 ( しょうけん ) といって、

正しく物事を見抜く智慧をもつということです。


 デジタル化ということも大事でしょうが、

見て触って、話して、そして診断するということも 

見てもらう私たちにとっては安心するものです。

 こういうことを書きながら、

こういうことを言い出すのも 『 歳 』 のせいなのかな ?

自分でもおかしくなってきました。


 しかし、 『 観 』 ということがないと

『 見 』 ということは成り立たないと思ったのです。
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