お隣の 「 島田斎場 合掌殿 」 も、
いよいよ、最後の追い込みにかかってきているようです。
今日は隣の道路を封鎖して、大きなクレーン車が陣取っています。
大型の機械を屋上に上げるそうです。
クレーンのアームを伸ばしてみると、6階建ての建物に匹敵するように
伸びています。
いよいよ、今日の本命の機械が吊り上げられました。
そして、次には使われなくなった材料が降ろされています。
無駄なく、クレーンが活躍しています。
その動きを 「 修行大師さま 」 は横目に見ておられるのです。
なんとも便利な道具ができたもの、と
感心しておられるのでしょう。
お大師さまの当時は、五重塔を造るにも、
材料を持ち上げるのに、長い長い桟橋を造ったのです。
そこから、人力で一つ一つの材料を担ぎ上げたのです。
それから思うと、このクレーン車何百人分ものハタラキでしょう。
日数もわずか一日でしてしまう仕事も、
足場を作って、となると、何百日もかかったのではないでしょうか。
高野山の各大名たちのお墓も、
その当時としては困難を極め、藩の経済を揺るがすほどの
大工事だったに違いありません。
そこに、家康の戦略もあると思うのですが ??
ここは 「 島津藩 」 のお墓です。
とても立派な五輪塔が建っています。
そして、お墓なのに鳥居も立っています。
五輪塔を建てるにも、一段積んでは土で埋めて、
坂道を作り、そして二段目を積んで、また土で埋めて、
その行程を繰り返し、最後の全部の土を取り除いて
五輪塔が完成するということです。
この山の上まで大きな石を持って上るだけでも
大変な工事だったのでしょう。
日本で最初の 「 アーチ式ダム 」 を造られた
弘法大師の頭からすると、このクレーンの考え方は
浮かんでいたのかもしれませんが、
そのときには材料がなかったということかもしれません。
「 なかなか、やりおるな !! 」
と、この様子をじっとご覧になっていらっしゃるのでしょう。