本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今週の言葉 9/1~9/7

2008-08-31 22:42:17 | 今週の言葉
 子どもは五才までに
     その生涯に学ぶべきことを
           学び終わる
                       ( フレーベル )


 なるほど! 最近になってやっとわかってきました。

            ( わかるのが遅すぎた )

 母が昔の写真やら小学校の時の 『 通知表 』 を出してきたのです。

校長先生の名前何とはなしに憶えているものです。小学校2年生の担任の先生、

とても強烈な先生でしたので、顔かたちと言うよりも、その言動が記憶のどこかに

残っています。





 「 いま少し、はきはきと、活発が欲しいほどですね 」  とか

 「 遅いながら、熱心に作業をしています 」

4年生になると

 「 くよくよしないで、思い切ってやりましょう 」 

のようなことが書いてあります。

 ( 残念ながら! 今の自分とあんまり変わりません )


 ま~ 泣かず飛ばず の成績です。


 振り返ってみて、今の自分を見ていると、変わった部分もあるけど、根本的なと

ころは変わってないような気がします。


 師匠の三浦先生が、なぜ、幼児教育に力を入れられたか、わかるような気がしま

す。表面的にはわからないかもしれませんが、幼児教育の大事さ、その子どもが一

生持って行くものをその時期に身につけるのです。

 その時期に、その人の人柄とかも形成されると思います。

本当は、幼児期には勉強よりも人格形成の情操教育が一番大事なような気がしま

す。

 だから、大学とかよりも、もっと幼児教育に重きをおくべきではないかと、

私自身は思っているのです。
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すごい ! 錦織 圭

2008-08-31 22:22:17 | 住職の活動日記
 テニスがわからない私も興奮、拍手を送りました。


小さな玉をあんな大きなラケットで打って何が楽しいのだろう?

と思っていました。やったことのない私にはわかりません。

ルールもわからず、家内につられて見ているうちに、何とはなしにわかってきまし

た。

 ウインブルドンも何気なく見てました。 ( 何が面白いのやら! )

でも、段々見ているうちに、何とはなしにわかってくるものです。

点数が入っても、なにがどうしてこうなるのか、スコア表を見ても理解できません

でした。


 今日の 『 全米オープン 』 錦織選手の活躍は手に汗握るものでした。

本当にすばらしいものでした。



 勝った瞬間、思わず大きな拍手をしていました。

 次の試合も応援してます。   
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如来の十名

2008-08-30 23:46:00 | 住職の活動日記
 『 仏さま 』 難しくは 『 如来 』 とかいいますが、詳しく仏さまの

働きを表現しようとすると、 「 十 」 も名前を持っておられるのです。

 昨日、名前のことを考えて、三つくらい欲しいね、といっていたら、思い出しま

した。 『 名は単に名にあらず 』 というように、仏さまの働きを厳密に押さ

えてくると、やはり 「 十 」 ほどの名前になってくるのでしょう。


 応供  ( おうぐ ) 供養を受けるに値する人

 等正覚  ( とうしょうがく ) 正しく完全に悟りを開いた人

 明行足  ( みょうぎょうそく ) 悟った智慧で言う事と行いが共に完全である

 善逝  ( ぜんぜい ) 善く行けるもの、迷いの世界から悟りの世界へ行った人

 世間解  ( せけんげ ) 世の中のことを知り尽くした人

 無上士  ( むじょうし ) 世間において最も尊い人

 調御丈夫  ( ちょうごじょうぶ ) 御者にたとえて、衆生の煩悩を良く制御して悟りに導く人

 天人師  ( てんにんし ) すべての世界の人を導くが天と人が最も多いので天人師といいます

    ( ぶつ )  仏陀の略、一番有名な言い方です。目覚めたもの。さとれる者

 世尊  ( せそん )  多くの徳を具えて世間から尊ばれる人


 また折にふれて、それぞれ考えてみたいと思いますが、おもしろいですね。

仏さまといっても、これだけたくさんの名前を持っておられるのです。
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命名

2008-08-29 23:59:35 | 住職の活動日記
 得度される方がお見えになり、僧名をどういう名前にするか、いろいろ考え

遊びました。

 「 それはチョットおこがましいよね! 」  とか

 「 できることなら、三つくらい名前がほしいね! 」 とか

真剣になったり、大笑いをしたり、とまだ決まりませんでしたが、

結構、楽しい時間を過ごしました。

 ( 自分の大事な僧名で遊ぶな! といわれそうですけど … )


 やはり、できるだけ、その方の出家の動機、お坊さんとしての抱負、願い

そして、将来の自分の目標としても、名前を選びたかったのです。


 出家、得度するということは、今までの自分に死ぬことです。ですから、得度式

と言うのは、その方のお葬式になります。

 そして、新しくお坊さんとして生まれ変わるのです。

今までの自分に死んで、新たに生まれ変わる、だから、新しい名前が必要になって

きます。

 戒名をつけるときもそうですが、出来る限りその方の歩んでこられた人生を、そ

して思いを、限られた文字の中に表現するように心がけています。


 得度とか戒名のときは、ただ命名 ( 名前をつける ) するというだけでは

なく、本当にその方の人生を表現する、願いがこもってなければいけないと思って

います。


そして、 『 名は単に名にあらず 』 ということがあります。

名前が働きです。阿弥陀は阿弥陀の働きをするし、薬師如来は薬師の働きがあるの

です。だから、その方の願いもこめて、その方の働きを期待して 『 僧名 』

を考えたいと思います。


 『 名のりを上げる 』 ということがあります。

名のりを上げる、なんか身が引き締まる思いがする言葉でもあります。

名のりを上げた以上は、仏道修行に邁進してほしいと思います。


 ( お互いに    ヨッシ  )
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お弁当持って

2008-08-28 23:33:33 | 住職の活動日記
 最近、毎月お不動さまにお参りしてくれるお子たちです。

お接待のお赤飯はあるのですが、そこは子どもさんなので、ちょっとお口に合わな

いかも?

 一緒にこられるお母さんの手作りのお弁当持参です。

 

ここのご家族はお婆さま ( といってもまだ若い、私よりも ) と三代そろっ

てのお参りです。

 お護摩が終わっての、 『 錫杖加持 』 のとき、小さな手を合わせて、

ちょこんと頭を下げて、受けられます。その姿はとてもかわいい、小さな仏さまの

ようです。

 ( 錫杖片手に写真を撮るわけにはいきませんので …  残念! )


 法話が終わって、最後に一緒に童謡を歌うのですが、知ってる曲は大きな口を開

けて、一生懸命歌われます。

 今日は 「 われは海の子 」 と 「 証城寺の狸囃子 」 を歌いました。

「 われは海の子 」 は明治43年に作られた歌で、あらためて歌詞を見ている

と、本当に難しい言葉がたくさん出てきます。

 ご存知ないらしく、一生懸命歌詞を指で押さえながら、歌っておられました。

( 証 証 証城寺 ) で始まるこの歌は幼稚園とかで歌われるのかの思って、

選曲しましたが、最近はどちらも歌われなくなってしまったようです。

 皆さんにとってはとても懐かしかったようで、大きな声で 「 ぽんぽこ ぽん

の ぽん 」 と歌っておられました。


 今日の不動護摩、気持ちのよいほど、す~と、火が上がりました。

( 毎月毎月、違うのが不思議です。たまには、とても火が上がりにくく、消えそ

うになるときもあるのです。私も火・お不動さまもお互い、生き物です。 )


 かわいいお子さまといい、今日の不動護摩はとても清清しいものでした。
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オーライ! オーライ!  ALL RIGHT

2008-08-27 21:53:20 | 住職の活動日記
 昨夜、子猫の写真を載せて、次に 「 地獄・極楽 」 はどこにあるのかな?

とか、書き出したのですが、一応書き終わって 【 投稿 】 をクリックすると

またもや、パスワード確認の表示、タッチの差で ダメ!か  残念!

 しかし、消えてしまうだけのものだったのでしょう。なんかまとまりもつきませ

んでした。

 再度挑戦と言うことで、どうなることやら ?


 極楽とか天国というと、なんとはなく 『 上 』 の方にあるような気がしま

す。反対に地獄と言うと、真っ暗な地下の深いところに、つまり 『 下 』 の

方にあるように思います。

 ところが、お経を読むとどうも、 「 上とか下 」 ではなく、『 水平 』

と書いてあるようなのです。

 というと、曼荼羅を見ても、仏さまの浄土は東西南北にあるようです。

阿弥陀如来は西の方にいらっしゃいます。東の方には、チョット珍しい阿閦如来

( あしゅくにょらい ) という方がいらっしゃいます。

 だから上下ではなく水平なのですね。


 ミケランジェロの 『 最後の審判 』 あの絵は 最後の審判を下すキリスト

の『 右手は神聖 』 を 『 左手 』 は不浄を指差しているそうです。

 天国は 『 右 』 地獄は 『 左 』 を表しているのでしょうか。

ここのところは仏教も同じで、右手は仏をあらわし、左手は煩悩を持った人間を表

しています。

 『 右ほとけ 左衆生と合わす手の 中ぞゆかしき 南無の一声 』

という歌もあります。

 「 RIGHT 」 と言う字、 「 正しい 」 という意味と 「 右 」

という二つの意味があります。

 なぜ 『 右 』 が 『 正しい 』 という意味と一緒なのだろう。

 『 最後の審判 』 の絵と関係があるのだろうか?

 また、仏教でもというかインドでも同じ考えなのだと思いますが、世界共通

『 右が神聖 』 『 左が不浄 』 を表すのは変わりがないのでしょうか。


 今日も、お向かいの 『 東光石油 』 のスタッフのかたの 『 オーライ!

オーライ! 』 の元気な声が響き渡っています。

「 ALL RIGHT 」 ( オール ライト ) 「 全部右 」 でしょ

うか 「 全部正しい 」 でしょうか。 

  「 オーライ 」  「 間違いない、いいですよ! 」 

というような意味で私たちも何気なく使っていると思います。


 どうも、キリスト教も 『 右左 』 で天国地獄を表すようです。

やはり 「 上下 」 ではなく、水平ですよね。


 上に行くか下に行くか、では人間は落ち着けないと思うのです。やはり、水平と

いうところに、人間の安らげる場所があるように思います。

 人間の道程として、まっすぐ歩んで行った先に、浄土・極楽がある

それが自然で安楽の世界を見出すのでしょう。


 勝手な解釈かもしれませんが、自分なりに面白いのでは? と思っております。

が  
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ミルク・デビ 幸せに

2008-08-26 22:11:34 | 住職の活動日記


 ミルクとデビの里親が決まりました。

また、二つの命が助かったのですが、せっかくなれて一番かわいい時なのに、

兄弟仲良くもらわれていきました。

 事務所でお世話された方々は特に寂しいことと思います。



 何でも楽しいときです。二人してよく遊びました。



 カメラを向けてましたら、そのストラップに玉をとってきます。



 花を広げて花束作りの準備にかかると、早速飛んできて、お手伝いです??



 この興味津々のミルクの顔も、とてもかわいいでしょう。


 兄弟一緒に居れることはとても幸せです。

猫は普通は一匹狼です。でも兄弟で育つと夫婦以上にいつまでもとても仲良しで

す。お母さんと娘さんそれぞれが、黒と白い猫がほしかった様子で、これからはお

二人の愛情をたっぷりと頂いて大きくなっていくことでしょう。


 二人の幸せを心より祈っております。

また、一緒に連れてこられるでしょう。

  お元気で       
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今週の言葉 8/25~8/31

2008-08-24 22:44:56 | 今週の言葉
 とどまらない、けど  流されない

 
 どこかの会社のキャッチコピーです。コマーシャルのなかにあったことばですが

目に飛び込んできました。

 私にとっては 『 修行 』 ということでこの言葉が響いたのですが、この会

社では、どうも違った意味で使っているようです。


 修行ということは 『 坂道である 』 とは師匠の言葉ですが、とどまってし

またら、そこに止まっているだけではなく、坂道から転げ落ちてしまう。

足踏みでもしていれば、まだそこになんとか止まっていますが、本当に止まってし

まうのは段々落ちていくと言うことなのです。

 かといって、修行も慣れてくると、やることに感動がなくなり、ただただ、教え

てもらったことを機械的にこなしていく、というか 『 流されて 』 しまいま

す。

 修行もこれでよし! と言うことはありません。死ぬまで修行です。

『 チョット一服 』 といったら、よく師匠から叱られました。

『 一服せんでええ! 』 『 死ぬときが一服するとき! 』 

『 すべてが修行。 生活全部が修行 ! 』

『 とどまらない 』 ということが大事です。

そして、感動をなくしてしまってもお終いです。


 『 とどまらない  けど  流されない 』


 簡単そうな言葉ですが、私はとても重く受け止めました。 
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お香について

2008-08-21 23:47:35 | 住職の活動日記
 不思議なご縁と言うか、インターネットから菩提樹苑の永代供養墓を求められま

した。それもロシア人の方です。

 ご主人を亡くされ、日本で自分の最後の安住の地を求められました。

今日で2回目のご法事です。ご親戚の方はおられませんので、本当にご縁の方々の

集まりで、なんか気持ちのいいご法事でした。

 そのとき、お香の話を少ししました。仏教の話もどうしていいのかわからず、香

りと言うことであれば、世界共通かな? と思ってです。


 『 仏様は香を以って食となす 』 ということで、仏さまとか、亡くなった方

は 「 香りが一番のご馳走なんです 」 と言うような話なんですが、少し頷い

ておられました。


 『 香をもる 』 私も一番大切にしているところです。

香をもる、といってもわからないと思いますので、写真で説明します。



これが燃えてしまったところの焼香台です。



これをというか、この灰を耕かしていきます。



この丸い鏝のようなもので灰を平らにならしてゆきます。



次に灰の中にお香を入れるために面白い写真のような道具で灰にくぼみを作ってい

きます。



そのくぼみの中に火種となる 「 抹香 」 というお香を入れて行きます。



最後に抹香の上に本当のお香を入れて、そしてきちんと押し固めて、香もり、の完

成となります。

 この単純な作業なのですがお参りのたびごとに、耕かし、香をもって、この繰り

返しが、とてもよい灰を作っていきます。

 また、何回もしているうちにお香の盛り方で時間の調節が出来るようになりま

す。このお勤めは時間がどれくらいかかる、というと、その時間に合わせた盛り方

が出来るのです。


 本山いるとき、『 後七日御修法 』 という、とても大きなお勤めがあり、そ

の時は、短時間で何十個というお香をもっていいきます。その盛り方しだいで時間

に合うようにするということは、とても手馴れた技が必要なのです。

 簡単そうで、 『 たかが香もり・されど香もり 』 なのです。
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菩提ということについて

2008-08-20 22:14:02 | 住職の活動日記
 あれから、本を読んでましたら、面白い言葉に出会いました。

以前、出会って感動した言葉でもあるのですが、またあらためて、読んでみますと

『 菩提心 』 ということを表現しているのではないかと思います。


  人間は損が嫌いなのでもなく
    苦労が嫌いなのでもない
  本当にやり甲斐のあることなら
       喜んで損もしよう
    本当に意味のあることなら
       喜んで苦労もしよう
   真に自分を実現したいというのが
      深い人間の本心である 


 表面的に人間の心を見てみると、 

   「 損が嫌い、自分にとって都合のいいことが好き 」

ということが普通なんです。

 それは当然のことなんです。

ところが、そういう心に満足できない心も持ち合わせているのも確かです。

自分を投げ出して、趣味に没頭するとか、スポーツに熱中するとか、

仕事に命をかけるとか、そういう心を心の奥の部分で求めていることも事実ではな

いでしょうか。

 そういう心は、とても 「 微か ( かすか ) 」 で 一番大事な心なん

です。

 『 微妙 ( びみょう ) 』  

 という言葉も、最近ではいろんな場面で登場してくるようですが、本来は

こういう、微かであるけど、一番大事な心なんですよ、ということを表現している

のです。


 こういうことも、折にふれて、考えていくことも大事なような気がします。
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