今、パリパラリンピックが
面白い、
眠い目をこすりながら応援
していました。
「失われたものを数えるな
残っているものを最大限に生かせ」
という言葉は
パラリンピックを開かれた
ルードヴィッヒ・グッドマン博士
の言葉です。
水泳にしても
足をなくされた、手をなくされた
よくもあのような体で
泳げるものだと感心します。
テニスの国枝さん、
テニスを引退されて水泳を
始めたといことです。
足が不自由になるまでは
水泳もやっていたので、
難なく泳げるだろうと思って
いざ水の中に入り泳ごうとすると
体がぐるぐる回って泳げない、
上半身は鍛えているので
ムキムキの体で
力で泳ごうとすると
昔の感覚とは違って泳げなかった
ということです。
ですから、
あのように泳げるのは
本当に素晴らしいことだと
自分の経験を踏まえてしみじみと
話しておられました。
また、車いすラグビーも
とても面白いものです。
東京オリンピックからファンになり
何よりも面白いのは
色々の障害のある方も参加できる
そして、女性も、
それぞれの役目を果たし
全員の連係プレーが
金メダルという
見事な結果を生んだのです
遠くから拍手喝采です。
ところで
仏教にこういう言葉があります。
「一切衆生・悉有仏性」
(いっさいしゅじょう・
しつうぶっしょう)
一切の生きとし生けるものには
仏性があるのだと。
全ての生き物は仏になる可能性を
もっているということです。
しかし、反面には
泣き言を言うなという
一面もあるのです。
調子のいいときには
私たちには必ず仏になる可能性を
もっているのだと思うのです。
しかし、
お寺の中で人間関係や
修行の厳しさが増してくると
もういい、自分だけは
人間関係もすて、
厳しい修行も捨てて、
平々凡々と呑気に生きていきたい
と思うものです。
そのような時、
師匠の言葉は厳しいものが
ありました。
何を言うかと、
そんなことでどうするのかと
叱咤激励が跳ぶのです。
激励だけならいいのですが
厳しい、叱咤があります。
今は死語かもしれません
叱咤激励ということは。
そうかそうかと甘やかすのでなく
厳しく叱り飛ばす、
今思えばよくぞ叱ってくれた
と思うのです。
叱咤激励というのは言う方が
何倍もエネルギーを使う。
一切衆生悉有仏性という言葉には
仏になる可能性がある
というだけではなく
「自分はもう駄目です」
ということを言ってはいけない
という一面もあるのです。
可能性があるのですから、
もうこれくらいで、ということは
許さないのです。
残っているものを最大限に生かせ
という言葉には
そういう厳しさもあるようです。
私たちはすぐに
あれがないから、これがないからと
失われたものを数え上げ、
出来ないことの言い訳にします。
医学的に見ても
人間の脳細胞は
あの天才と言われた方でも
脳細胞の半分も使っていない
ということです。
そうすうると、
私たちの脳細胞は
一割も使っていないのでしょう。
可能性ということからすれば
勿体無いことです。
お釈迦さまの涅槃に際し
なすべき事はすべてなし終えた
ということは
完全に燃え尽きたという
それで涅槃(ニルバーナ・吹き消す)
というのでしょうけれども、
医学的には
すべての脳細胞も使い切った
ということになるのでしょうか。
なんだかんだ言い訳せず
出来うる限り
与えられた命を全うすることが
あたえられた使命の
ようにも感じます。
呑気にはしておれないのですが
肉体的にはどうもゆっくりと
しがちになります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます