「 色 は 空
空 は 色 との
時なき 世へ 」
市川團十郎
今日、『 市川團十郎さん 』 の葬儀が営まれました。
そのとき、辞世の句として紹介されたのが、
この一句です。
海老蔵さんは 「 いろ ( 色 ) は そら ( 空 )
そら ( 空 ) は いろ ( 色 ) との時なき世へ 」
と、言っておられました。
とても意味深い、團十郎さんの芸に対する思い
それから今後の市川一門に対する思いの込められた
一句と思いました。
「 父は宇宙が好きで、空を眺めるのが
好きだった。」
と、語っておられました。
平成17年5月、真言宗総本山醍醐寺で
醍醐寺歌舞伎が催されました。
出し物は、歌舞伎十八番 『 勧進帳 』 です。
その時の、 『 弁慶 』 役の 「 團十郎 」
『 富樫 』 役の 「 海老蔵 」 さん、
醍醐寺の金堂を舞台にして、とても熱のこもった演技でした。
それ以来、すっかり俄か歌舞伎ファンになってしまったのです。
その歌舞伎に先立って、醍醐寺僧侶による 「 仁王会 」 の
お勤めが厳修されました。
お蔭様で、その法要には 「 崇正 」 も参列いたしました。
お勤めもクライマックスのとき、
お参りした時に使った、 「 加持棒 」
が、お参りの方々に投げられました。
たまたま、今の 「 仲田順和管長さま 」 の加持棒が
私のところに飛んできたのです。
というご縁もあり、今でも大切に遺しています。
( プチ自慢ですが、その金堂にお供えされたのは
熊本特産の晩白柚 バンペイユ だったのです。 )
『 團十郎さん 』 の辞世の句ですが、
坊主の悪い癖で、どうも仏教的に見てしまいました。
「 色は空 ( しき は くう )
空は色との ( くう は しき ) との 」
と読んでしまったのです。
ま~、 般若心経にある
『 色即是空 空即是色 』 という文句です。
それぞれの受け取り方はあると思います。
それはそれとして、大切なことです。
受け取り方は各自いろいろあってもいいと思います。
私なりには、
色とは、形あるものすべて、です。
表面に現われる、芸事すべては 「 色 」 ということでしょう。
その形として現われるその根底には、
形として現われる根源の姿、姿なき姿 ( 空 )
そういうものが無いと、形あるものは表現でない、
空とは、仏教では 「 無分別智 」 という言い方もします。
また、空とはあらゆるものを成り立たせている
そのもの、というにもいえるのです。
だから空というものに触れるならば、
演技としては、無限の表現があるのだ、
「 空とは色との 」
ということが出来ると思います。
「 時なき世へ 」 と続きますが、
哲学的には 『 永遠の今 』 という表現もあります。
また、古来
「 朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり 」
という一句もあります。
そのときその時の演技が 「 永遠の今 」 に触れる、
演じきることが出来れば、そのとき死すとも可なり
ということでしょう。
何十年生きようが、その一瞬に自分を表現しきらなければ
「 時なき世へ 」 にはならない。
『 團十郎さん 』 は病苦との闘いの中で、
一瞬一瞬がいのちを賭けて演じてこられたのでしょう。
どんなに形だけ真似ても駄目なのだ、
その形の本当の姿に触れなければ、
また、真の姿の本質に触れるならば
あらゆる表現が可能なのだ。
という思いが込められているような気がするのです。
( 門外漢の私が言うのもおこがましいのですが )
仏教にも、
『 果分不可説 』 ( かぶんふかせつ )
ということがあって、
結果である 「 仏 」 は教えを説かない。
『 因分可説 』 ( いんぶんかせつ )
仏になる前の 「 菩薩 」 が教えを説く、
ということがあるのです。
なにも、ただ菩薩が教えを説くというのではなく
菩薩は、教えを説かない 「 仏 」 を背景として
教えを説く、
そこが大事なところです。
勝手に言うのではなく、
不可説という仏を背景にして教えを説く。
だから、ありとあらゆる手段を持って
説くことができる。
「 色は空 空は色との 」
すべての演技は本来、形のないものだ
だからこそ、形のない世界に触れたならば
ありとあらゆる表現が可能なのだ。
もっといえば、形のない 「 空 」 という世界に触れなかったら
どのように巧に演技にしても、真の姿ではない。
「 時なき世へ 」
後悔のない一日を送れば、一日生きても永遠に生きたんだと。
目的とか利害とか名利とか考えておったんでは
百年生きても生きたことにならない。
と、そういう思いを込めて
『 團十郎さん 』 はこの一句を残されたのではないでしょうか ??
と、勝手に坊主の私が思ってみました。
( 色とか空とか、がでてきたものですから … )