本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

I am Sam 

2010-08-31 22:35:46 | 住職の活動日記
 少しはやめの、父 『 亮辯法印 』 の三回忌を勤めました。

父とは結構、離れ離れの生活で思い出といえば、小さい頃の

思い出しかないのです。

 今、親子兄弟仲良く、いろんな場面で助け合いながら、日々暮らしていける

礎を築いていただいたように思います。

 お酒もすすみました。



     



 父にも 『 ワンカップ 』 のお酒のろうそくをお供えしました。

( 今、菩提樹苑では生ビールとか大福のろうそくが人気を呼んでいるのです )

 父も強い方ではありませんでしたが、好きな方でした。


      …  

   私はウイスキーのロック    これがこたえたようです !!



 体にいいテレビがあるよ !

 ということで、テレビの前に座ったのはいいのですが、

気がつくと、番組が変わっていました。   ナヌ~ 

 映画が流れていたのです。

見るでもなく、で、なにか気になりながら、

ついには引き込まれるように見てしまい、気がつくと12時を過ぎていました。


 『 I am Sam 』 という映画でした。

ショーン・ペンという俳優さんで、以前感動した 「 デッドマン・ウォーキング 」

の主演の方でもありました。

 私はこの題名が気に入ったのです。

「 アイ アム サム 」 と名乗りを上げる、というか

知的障害を持っている自分でも 「 自分はサムである 」 と

自分の存在を宣言しているようで、うれしかったのです。

 どんな人でも、一人の人間としてかけがえのない一人なのだ !

と、これが自分なのだと、そう言えることがすばらしいと思えたのです。

絶対者ですよね。誰にも代わることのできない。

 教育ということも、誰々を何かにしようとするのではないのです。

人間に注文をつけない。

その誰にも代わることの出来ない自分を発見することなのです。


 父の法事を勤めて、ふと 「 律良は律良のままでいいのだ ! 」

と叫ばれているような気がしました。

 そして、 『 I am Risuryou 』 と名乗れるだけの自分であるのか

という、自分自身の声も聞こえてくるようです。


 何気なく見た映画でしたが、自分にカツ  を入れられたような作品でした。
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今週の言葉8/30~9/5 『 するという生き方から … 』

2010-08-30 08:56:07 | 今週の言葉
     「 する 」 という生き方から

         「 ある 」 という生き方へ


 ちょっと迷いました?

といいますのも、この文だけ 「 掲示板 」 に載せても、

なんのことだかわからないだろうと思ったからです。

 でもいいか、たまには、わからん言葉でもいいか、ということで  


 人間のあり方の二重性、といいますか、これから私たちが抱える問題として、

考えてみました。

 元気で、現役の時は、何でもばりばりとこなしていくのですが、

年とともに、今まで出来てたことができなくなってくる、ということがあります。

老いていくという、悲しい現実がそこにはあります。


 『 する 』  という生き方は、何でも思ったことができる、ということです。

それはそういう 「 時 」 があるからなのです。

 赤ちゃんは何も出来ません、が、 『 ある 』 こと自体が

何とも可愛く、一緒にいるだけ私たちに元気を与えてくれるのです。

 ですから、赤ちゃんという存在は 『 する 』 という生き方ではなく

『 ある 』 ということに価値があるのです。


 そういえば、我が家の 「 アヤちゃん 」 「 銀太 」 「 花子 」 も

『 ある 』 という存在です。

 忙しいからといって、何一つ手伝ってくれるわけではありません。

どんなに忙しくても、そばに来て悠々と幸せそうな顔をして寝そべっているだけです。

不思議なもので、その 『 ある 』 という存在に、

一緒にいる私たちが癒されるというか、私たちの心が  になるのです。


 人間の一生には 『 する 』 というあり方もとても重要なことです。

そこから生き甲斐ということも感じる取ることが出来ます。

 思ったことが出来る、それはそれでとても素晴らしいことです。


 しかし、人間のあり方として、本来的には 『 ある 』 という存在が大事なのです。

『 ある 』 こと自体に価値を見いだしていく  …  

大変難しいことですが、宗教的なあり方は 『 する 』 ということよりもむしろ

『 ある 』 という存在に自分が気づくことから、始まります。


 「 何も出来なくて、迷惑ばかりかけて、すいません 」

よく、人生の先輩から聞く言葉ですが、

本当は、何も出来ないあなたがいるからこそ、私たちが 『 する 』 という

行いをさせていただいているともいえます。


 これから、自分の問題として、そういう現実を迎えつつあります。

それは急にやってくるかもしれません。

 それから思うと、三浦先生という方は 『 する 』 という生き方から

最後の最後まで 『 ある 』 という生き方の大事さを身をもって

教えていただいたような気がします。
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『 沢瀉 』

2010-08-29 22:13:55 | 住職の活動日記
 この字読めますか ??

単純に 「 さわがた 」 ですが、

「 おもだか 」 という植物の名前です。

ちょっと、難しい文字ですので アップで  沢瀉  という字です。


 
 当院では、毎月 『 花御札 』 ( はなみふだ ) という、

それぞれの月に縁のあるお札を出しています。

 正月は松、2月は梅、3月は桃  …  というように、

小振りですがとても綺麗なお札です。

 毎月集めていらっしゃる方もおられますので、28日護摩祈祷が終わると、

その花の由来を添えてお送りしているのです。


 8月の 『 花御札 』 が 『 沢瀉 』 ( おもだか ) なのです。





      




 写真の中央が 「 沢瀉 」 です。7月が 「 笹竹 」 

右側、9月が 「 菊 」 です。

  解説に

   夏の水田や池に見られる沢瀉は、独特の葉形が広く意匠に用いられました。

   紋所の抱沢瀉や立沢瀉、鎧の沢瀉縅などにその名が残ります。
                        おどし


  と書いてあります。

気になって調べてみると、

お正月のおせち料理に出てくる縁起物の 「 くわい 」 は、この沢瀉と

親戚筋にあたるようです。


 日本の風習として、月々の草花に人々の息災延命を願ったのでしょう。

自然と共に生きていく、そして自然に感謝するという、すばらしい習慣だと思います。
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花子  虎になる

2010-08-28 23:07:53 | 住職の活動日記
 いいショットが撮れました。


 本堂で寝ていた 『 花子 』  こちらの動きに気づき、

目を覚ましました。




     



 ご挨拶代わりに あくびが出そうです。



   「 ガオ ~ 」  と




     




 『 虎 』  になりました。
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遇発菩提心

2010-08-28 22:16:46 | 住職の活動日記
 「 遇発菩提心 」 ( ぐうほつぼだいしん )

心の底に深く残っている言葉です。

辞書とかで調べても、載っていないようです。

 三浦先生から聞いた言葉なのですが、

また、自分が一番頷いた言葉でもあります。


 「 遇 」 ( ぐう )  たまたま  という意味です。

たまたま、自分に起こった、菩提心、

自分が起こしたわけではないのです。


 『 牛に引かれて善光寺参り 』


ということわざがあります。

 三浦先生と一緒に居れた、ということが、自分の心にも火がついたのです。

たぶん、三浦先生との出会いがなかったなら、  …   私自身は  

すべての問題を一般論として片付け、屁理屈を通してはばからない、

やっかいな人間になっていたと思います。


 今頃になって思うことは、師匠という存在の有り難さは

自分でも何かしなければいけない、という心を起こしてくれることです。


 『 自分はなんのために生きているか、わからんでしょう。

   それだったら聞法しなさい。 』


 その言葉に参ってしまい、

わからない話に耳を傾けたのです。

眠くなってくるのですが、不思議なもので、どこか心に響く言葉に出合うのです。

特に、講義を離れて、余談の話になるととてもおもしろいのです。


 そんな中、 「 この人の話は本物だ 」 と感じるようになってきました。

三浦先生はその話を、頷いたことはすぐ実践に移されたのです。

 いろいろ、三浦先生を評する人がおられますが、

聞法して、頷いたことをただ真剣に実践されたのです。

 普通は、「 いい話だった ! 」、で終わってしまいます。

私たちは人ごとの話で終わってしまうのです。


 『 感心せんでもええ ! 

     本当に感動したら、一歩が出るでしょう ! 』


 聞法会が終わると、

「 今日のお話をどう受け止めたか ?」

と、詰め寄られる  …


 ( この厳しさ、真剣さ が 若かりし頃の自分には 辛い  ということにしか

   受け止められなかったのです。)


三浦先生にとっては、まさに洛南高校を作り上げておられる最中、

命がけの聞法だったのです。


 私たちにとっては、何が何だかわからず、

ただただ真剣に燃えていかれる先生の姿に接する、

というだけで、真剣に生きるという姿のすばらしさを見せていただいたのです。


 三浦先生という存在のすごさは、出会う人出会う人に

真剣に生きることのすばらしさを教えられたことです。 


 『 遇 』  出会いはたまたまです。

その、「 たまたま 」 をいかに自分の問題として

受け止めていくかが大事です。

 

  『 棚からぼた餅 』  そんなことはないぞ !

 チャンスも虎視眈々と狙っている人にしかないのだよ !


そのような先生の言葉も思い出しました。


 わかるわからんでもいい、求め続けていく、というこことが大事ではないかと思います。
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秋の気配 ?

2010-08-27 21:56:47 | 住職の活動日記
 昨夜は強い夕立    

でも、大きな木の根本を見ると、雨は全くしみこんでいないのです。

でも、涼しくなったような   …


 なにかしら   秋の気配のようなものを感じます。


今も、庭木に水を遣っていましたら、どこかで鳴く

虫の声が聞こえてきます。      

そして、吹く風も少し涼しいようです。


 確実に一歩ずつ、秋は近まっているのでしょう。


『 秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かされぬる 』


 もう少しの、ご辛抱というところで、


残暑お見舞い申し上げます 。



 せめて、ナイアガラの滝の写真でも眺めて  「 涼 」  を味わってください。





     




 どこが、ナイアガラとおっしゃるかもしれませんが、

とても涼しげな滝です。

 どこかのお茶のコマーシャルにも使われたとかで、

今人気のスポットのようです。




      




 滝の裏側が大きな洞窟のようになっていまして、

裏側からも滝を見ることができます。

 しばし、ぼ~ として  涼を頂いてきました。
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ご縁の広がり

2010-08-26 23:22:19 | 住職の活動日記
 今日は珍しく、いろいろのご縁の方々がお見えになりました。

40年前にお参りしたことを思い出して、 と

お友達を連れて 『 御祓い 』 にみえられました。

 とてもゆっくりしていただき、話が尽きませんでした。



 また、父がお世話になりました、

ということで、佐世保より  …

ホームページやブログをご覧になっていらっしゃるようで、

両親の供養にと 『 不動講 』 のご寄付を頂いたのです。

本当に感謝です。   

 残念なことに、お参りの方もいらっしゃって、ご供養もできず

とても申し訳なく思っております。

ご両親のお話をもっとゆっくりお話しできればよかったのに、と

悔やむことしきりです。

 またまた、必ずご縁があると思いますので、

いろいろな思い出話しは、次の機会の楽しみに置いておきます。


 はるばる    でフランスより

『 厄除けの御祓い 』 にもお見えになりました。

 友人でフランス人の 『 融快 』 さんという方の

お近いようにも感じたのです  が   かなり   です。

日本で得度され、フランスで 『 光明院 』 というお寺まで開かれたのです。

 関係ない ! とは思いますが、何かしら親しみを感じたのです。

フランスでは国を挙げてのバカンスだそうです。

 「 いいですよね~ ! 」  

私たち、何でかわかりませんが、忙しくしてますよね。



 夕方には、お世話になった方が、その会社を卒業して

実家の仕事をするということで、ご挨拶にみえられました。

『 サラの苑 』 を造った時からのご縁で、

小柄な女性ですが、内にすごいパワーを秘めた方で、

社長の右腕のような方なのです。

社長さんにとっては一番の痛手ではないでしょうか。



 悲喜こもごも、珍しい方にお会いできたり、

お世話になった方とお別れしたりと、とても大切な 『 時 』 を頂きました。
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救急外来 !

2010-08-26 21:47:23 | 住職の活動日記
 先日に事故以来、『 救急外来 』 の味をしめて、

「 結構簡単に利用できるのだ~ ! 」

と思っておりました。


 持病の薬の数が終わりに近づくにつれて、合わなくなってきました。

         どうして ~


 あるお宅にお邪魔した折、一週間分の薬がはいる小さなタンスを見せてもらいました。

何でそんな物が必要なのだろう ???

 月曜日の、朝昼晩・ 火曜日の朝昼晩  …

わかりきったことなのに


    まさか自分に、おきるとは思ってもみませんでした。





「 きちっと飲まなければいけませんから、

 急ぐ時は救急でもかまいませんので、来てください ! 」


との、声も後押しして、救急外来を訪れたのです。

救急用の用紙に、名前とか  …  いろいろ

症状は ( 我慢できない  …  ) とかいろいろあります。

 「 余白のところに、薬が欲しい 」  と書いてください。    ハイ


周りには、首から腕を吊って、痛い痛い  という方もおられれば、

お腹を痛そうに押さえてる方もおられます。

救急隊員にの方もさかんに出入りしておられるようです。

 そうです、 熱中症の方も多くこられるのでしょう ?


 「 薬切れたぐらいで  …  」

ちょっと気が引けてきます。


  待たされること、1時間になろうとしています。

「 もう、今日はキャンセルにします。」  と受付に行くと、


 「 すいません !  すぐ主治医に連絡します。」


ということで、いつもの先生が出てきていただきました。

今日は当番ではなかったらしいのですが、たまたまいらしたのだそうです。


    

それからは、段取りよく、あっという間に薬を頂くことが出来ました。


それは    よかったのですが、

なんとはなく      悲しく … 惨めな自分を見せつけられた

一コマでした。


 だんだんとそういうことが多くなってくるのですね。


     さびし  ~~~ い  !
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北条時定墓所参拝

2010-08-25 22:47:43 | 住職の活動日記
 阿蘇の小国町に 『 満願寺 』 というお寺があります。

一度お参りしたいと思いつつも、なかなかご縁がなかったのです。

先日、阿蘇を訪ねた折、近くまで来たということもあって、

お参りさせていただきました。

 やはり、とても歴史のある由緒正しいお寺でした。

本来は、とても大きな寺領を有していたのでしょう。

 気になったのは 『 北条家の墓所 』 でした。




      




 大きな杉木立の中にひっそりと佇んでいます。

この杉の大きさがその歴史を物語っているようです。



 夏になると、戦争のことが気にかかります。

先日の 、 『 歸國 』 というドラマもそうでしたが、

また、話題の 『 キャタピラー 』 という映画も反戦ということを

取り上げているようです。

 ( 近々、見に行こうと思っております )

 「 靖国問題 」 もよくはわからないのですが、

『 英霊 』 だけ祀るというのは、仏教徒としていかがなものかと思います。

 

 なぜ、北条家の墓所が気になったかといえば、

『 北条時宗 』 は元寇の乱の時に倒れた敵味方の霊を供養するために

鎌倉の 『 円覚寺 』 を建立したということです。

 仏教徒とすれば、味方だけ祀るというのでは、大乗仏教の精神に

叶っていないと思うのです。

 敵味方の関係なく、その御霊を供養するというところに、

大乗仏教の精神があると思うのです。

 その頃、というか、昔の日本人はどこかに、仏教の心が身にしみていたのでしょう。

戦いでたおれし兵士は皆、弔ったのです。



 『 鈴木大拙 』 という方は、

 
   大乗ではいつも 「 衆生 」 ということが出てくる。

   「 生 」 というと生物のようにもみゆるが、

   その実、 「 生 」 とは一切の存在を含むの意であるから、

   「 衆生 」 とあれば、世界中のあらゆる物を含めることになる。

   禽獣虫魚から、無情だという樹木類にいたるまでをことごとくふくめていう。

   一切衆生に仏性ありとか、

   「 草木国土悉皆成仏 」 とかいうのは、この理由にもとづくのだ。

   それゆえ大乗教の目的物件は一国一家というだけでなく、

   また世界の人類とか人間とかいうことだけでもなく、

   山河や草木類もことごとくふくめていうのである。

   こういうものを一切成仏させねば、

   菩薩は涅槃へはいらないということ、

   これを大乗仏教の特異性と名づける。


 というように述べておられます。

敵味方という狭い範疇ではなく、世界中のありとあらゆる物まで、

そういうところに、本来の仏教の精神があるのでしょう。


 そのことも気になっていて、

「 北条家 」 のことが頭から離れなかったのです。 





      




 杉木立の中には 『 三つの五輪塔 』 がありました。

その一つが 『 北条時定 』 を祀ってあるのです。

鎌倉の円覚寺しかり、熊本では 『 時定 』 が満願寺を建立して

元寇の時の亡くなった方々の菩提を弔ったのでしょう。

 満願寺の本堂の屋根にも 『 北条家の家紋 』 が描かれてありました。


 不思議なことで、お参りすることができました。




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今週の言葉 8/23~8/29 パート2

2010-08-22 22:52:45 | 今週の言葉
 ( 文字が大きくなってしまい、もとに戻す方法がわかりませんので、

   パート2ということで  します )



 三浦先生の西京極幼稚園では毎朝の 「 参仏 」 の時にこの歌が歌われています。

知らず知らずのうちに、体に染み込んでいた歌なのです。

 今週の言葉、お盆の時から 「 閻魔さま 」 つながりのような

流れできています。

 この歌も何気なく歌ってしまえばそれまでですが、

ふと、真剣に聞き直してみると、ゾットする内容です。

 周りの人には、どんなに言い訳しても、それで通じるかもしれませんが、

その 「 ウソついてる自分 」 がいるということは

ほかならぬ自分が一番よく知っていることです。


 「 自分の耳が一番先に自分のウソを聞いている 」


ということもあります。


 昔の人は、「 閻魔さま 」 という存在が

心のどこかに重しのようにどこかにいきていたのです。

なにか深い意味はわからないにしても、


   むやみに生き物の命を取ってはいけない

   人のもを盗んではいけない

   ウソをついてはいけない


という、生活の感覚を心のどこかに持っていたのです。

 ところが、近代という時代になって 「 合理主義 」 という名の下に

「 エンマさま 」 という存在を消してしまったのです。


 そこの小さな歪みが、現代の諸問題の根源にあるように思うのです。


 『 閻魔さま 』 とは架空の存在でもなく、死んでからの話でもないのです。

自分自身が心の奥底に 『 閻魔さま 』 がいらっしゃるということを

忘れているだけの話なのです。


 『 しっている 』  とても簡単な歌ですが

聞けば聞くほど、身につまされる歌ですね    
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