本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今週の言葉 7/1~7/7 「生涯をかけて 打ち込める仕事を …」

2013-06-30 21:34:24 | 今週の言葉

生涯をかけて

 打ち込める仕事を一つ

生涯をかけて

 信じあえる友一人

生涯読んで

 いつも太陽となる本一冊

 

 あれやこれやと、いろいろ気になり

また、欲しいものもたくさんあるのですが、

究極、削り落としていくと、

 打ち込める仕事、

 信じあえる友

 心の糧になる本、

ということしかないのではないでしょうか。

 

 いま自分を振り返ってみても、

この三つのことだけはそろっていたことは

有り難い境遇であったと思います。

 三浦先生に出会えたことが、

仕事に打ち込む面白さを教えていただき、

教え ( 法 ) ということを通して、

人と語り合う大切さを学び、

三浦先生に講義されていた、

安田先生の 「 十地経 」 という教えを

垣間見ることができ、

それ以来、いまだ、同じ本を読み続けている。

 それは、何回読んでも日々新しい、

不思議なことに読むたびに新たな感動が

心に湧き上がってくるのです。

 

 忘れるから、いいのかもしれません ?!

「 憶念不忘 」  といって、

仏教では一番大切なことですが、

私の場合は、何回読んでも忘れてしまいます。

 

 感動したところを、アンダーラインを引き、

もう全部が黄色いラインだらけになってきて、

いままた、感動したところを

ノートに書き写しています。

 するとまた、新たな感動が出てくるのです。

 

安田先生も講義の中で、

 「 とにかく何べんも読むという

   習慣をいつけるということが大事なことで

   暗記しようとして暗記したのは駄目で、

   おのずから暗記してしまうということが

   大事だと思います。

   我々が思想生活をするに耐えるような

   教養というものはページをめくって

   探し出すというというような程度の

   記憶では駄目なんです。」

と、おっしゃっています。

 

 ということで、今の私には忘れるということは

有り難いことで、

いつでも、日々新たに感動して読めるということは

生涯読み続けることができると思います。

 

 あれこれあれこれあれこれあれこれ、と

気になることはたくさんあると思いますが、

 生涯かけて打ち込める仕事

 生涯かけて信じあえる友

 生涯かけて読める本

ということは何かということも

考えてみることも必要なことではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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母のお不動さま

2013-06-29 22:49:26 | 住職の活動日記

 久しぶりに 「 ぼけたらあかん長生きしなはれや 」

を、みなさんと一緒に踊りました。

 

 いつもは、お不動さまが終わると、

母を中心に簡単な踊りを踊っていたのです。

 

   

 

 SDカードの中に母が踊っている姿を

見つけ出しました。

 昨夜のうちから、ひたすら練習して

母に代わって、私が前に出て踊りました。

 みなさんも一年ぶりで、

とても懐かしく、母を偲びながら踊っておられました。

 

    

 

母が好きだった、 『 阿闍梨餅 』

この日にあわせて京都より取り寄せました。

みなさんへのお接待です。

 

 「 体がスッキリしました  」

母が考案した、踊りというより体操に近いもので、

一曲終わると、肩の凝りも取れて  

スッキリされたのでしょう。

 「 また来月もお願いします。 」

 

また今月は母のご利益でしょうか ???

私たちには、 差し入れがありました。

 

 

   

 

なんと、ケーキです。

どのケーキにするか、目が血走っています。

一応、じゃんけんで、勝った人から順に

好きなものを選んでもらいました。

 

   

 

ということで、仲良くご相伴に預かりました。

       

 

 これも母のお計らいなのでしょう。

    感謝です。

 

 

 

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koko 一番の RED BULL !!

2013-06-28 20:37:09 | 住職の活動日記

 早朝より、烏が群れを成して

屋根の上で騒いでいました。

 近くに巣があるのでしょう。

朝から、今日の打ち合わせかもしれません。

テレビのコマーシャルではありませんが、

朝起きたら、

 『 だる、おも~ ! 』

少し寝不足です。

 

 でもそんなことは言っておれません。 !!

いざ、 不動護摩です。

 

    

 

いざというときの 「 レッドブル 」

グッグと 半分ほど飲んで、  

 

   

  

 

 スッキリした気分で護摩に向かいます。

 

綺麗な火が上りました。

「 智火 」  というに相応しいような、

涼しげな炎でした。

 

 まわりの式衆の方は片手にハンカチで拭き拭き、

汗タラタラで、お経を唱えます。

 

 案外炊いてる本人は気にならないものです。

汗が出ているのやら、出てないのやら

わからないほどです。

 いつも、護摩のときはハンカチとか必要ないのです。

ただ、護摩の炎と対峙している。

その感覚がとても気持ちがいいのです。

 

 しかし、終わってみると

衣まで、びっしょりと濡れていました。

 

    

 

衣も着替えて、

「 レッドブル 」 今日も元気にありがとう  

お礼を込めて、残りを飲み干しました。

 

 

 

 

 

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あのクモはどこへ行ったのだろう ?

2013-06-27 18:33:39 | 住職の活動日記

 バラの花にやって来た 「 クモ 」

バラの香りに釣られてやってくる虫を

自分の米びつとして生業を立てていたのですが、

ここ数日の雨  

ねぐらにしていたバラの花はすっかり花びらを落とし、

 

   

 

こんなあわれな姿です。

 

 じっと目を凝らしてみていると、

下のほうで咲いている小さなバラにやってきていました。

 

 

   

 

おいしいご馳走を頂いたせいか、体も立派になりました。

 

でも、これが最後の花びらです。

この花が散ってしまうと、もう自分のテリトリーは

なくなってしまいます。

 

 今日はなんとか曇り空だったのですが、

先ほどより、雨になってきました。

 

 クモはどうするのだろう  ???

 

 

    

 

 

いました。  

花の下に隠れて、雨を過ごすのでしょうか ?

雨で虫もやって来ないようです。

早かったら明日にも、

雨で、この花は散ってしまうかもしれません。

 

 このクモはどうやって生きていくのだろう ?

 

勝手な、要らん心配をしていました。

 

 大丈夫  なんとかなる     

 

 

 

 

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母の日記

2013-06-26 20:59:51 | 住職の活動日記

 母の日記が出てきました。

一周忌も過ぎた今ごろ、見つけたのです。

 

 

    

 

1987年 ( 昭和62年 )  ~  の分と

2002年 ( 平成14年 )  からの分2冊です。

三年日記、五年日記 とそれに 

母の闘病記録のノートが1冊です。

昭和62年というと母が65歳です。

丁度、私の今の年です。

1月9日 誕生日 父さんと食事して

プレゼントを買っていただく、

とあります。

平成14年、の日記は

1月9日、 今年も元気で80歳を迎える。

翌 15年

元気 ! 81歳 誕生日

 

 また違った角度から母の姿が

浮かんできます。

 

 ( 私のまめな性格は母に似たのでしょう。)

 

 たまたま、崇正は父の記録を見つけ出しました。

 

 

   

 

醍醐寺が毎月発行している 『 神變 』 という雑誌です。

そのなかで、

醍醐寺文化講座で話した時の様子です。

「 阿蘇の伝説と山伏 」  

という題で話していました。

 私もわかっているようで、わからない部分

本蔵院の歴史の一端を垣間見たようでした。

 

 同じ時に、父と母の記録が見つかったことは

偶然とはいえ、とても不思議なめぐり合わせのような気がしました。

 

 

 

 

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「十地経」

2013-06-25 21:29:41 | 住職の活動日記

 中公文庫から大乗仏典全15巻が

発刊されています。

 第1巻 「 般若部経典 」 から始まり、

 第6巻 「 浄土三部経 」 と馴染みの経典、

そして今回注目したのは、

 第8巻 「 十地経 」 です。

 

このこともネットでたまたま見つけました。

早速注文、

 

   

 

表紙の裏には、

 「 われわれが喪失した心の真実をうたい、

   菩薩道の現象学とも呼びうる十地経は、

     菩薩のあり方やその修行の階位を十種

   に分けて解き明かし、大乗仏教の哲学思想

   の展開過程において最も中心的な役割を

   果たした経典である。」

と、紹介してあります。

 

 早速、楽しみにめくってみたのですが、

ご苦労のほどはよく分かるのですが、

ここまで口語訳してあることは経典の意味の深さ

が薄くなっていることは否めないような気がします。

 

例えば、

読み下し文では、

 「 経に言うが如し、諸々の仏子よ、

   若し、菩薩善く六地の行を具しおわって

   第七菩薩地に入らんと欲するならば、

   是の菩薩は当に十種の方便智発起の

   殊勝の行を以って入るべし 」

と、これも難しい文ですが、

この文が読み下しになると、

 「 みなさん、仏子たちよ、もうすでにわれわれの菩薩は

   第六の地にあって、かの地にふさわしい菩薩道を

   体得してゆくのである。そのときにあたって、かの菩薩は

   たくみな方便と般若の知恵との知をはたらかせて、

   十種のこれまでとはちがった、あらたなる菩薩道の

   実践 ( 殊勝道 ) を、一つ一つ実現して、

   体得してゆくのである。」

という具合になります。

 

 経典を読む、ということは

三昧の境地というか、その経典の中に

入っていくことが大切です。

難解な文でも、何回も何回も読んでいく。

その教典の心に触れようと思えば、

口語訳した文では 、あまり 、

経典の中に溶け込んでいくことは、

しっくりこないような気がします。

 

 今読んでいる、安田先生の 「 十地経講義 」

第七巻だけで、30巻もの講義になっています。

大学生の頃、聞いたこの講義、

もう、十数年来、第七巻だけで講義しておられる。

そういう息の長い講義をしておられました。

さっと読んでしまうのではなく、

行きつ戻りつしながら、何回も何回も

経典の言葉を味わっていく、

そのとき、経典の言葉が身にす~っと入ってくるのです。

 

 ここのところの 「 方便智殊勝行 」 というくだり

先生の講義ですと、

 「 十種方便智殊勝行を以って樂無作行の

   楽という障りを対治するんだと。

   精神生活には障りがあるから歩む。

   障りが大事です。

   障りがなければ歩むということはない。

   初歓喜地に住した時すでに

     十地を完全してしまうはずだけど、

   真理を見たというのが初歓喜地。

   真理に差別はない。

   真理が即一切です。

   なぜにそこに十というものを立てるかといえば、

   それは障りによる。

   障りがあるところに真理を見た経験が、

   智慧が歩む。

   得たものが得たものになっていく。

   真理を得てみんと妨げが分からん。

   真理を得たものが初めて真理を妨げるものを知る。

   それによって歩む。

   障りが真理を立体化する。

   歩みが出てくる。

   道程というものが出てくる。 」

 

といように、話が展開していくのですが、

なかなか、ここだけ唐突に言っても理解することは

難しいとは思いますが、

こういう難しい言葉に触れていくことも

集中力を養うにはいいのではないかと思います。

 

 「 人間が深いから、法が深い

   法の深さは人間の深さ 」

 

とも言っておられます。 

経典が難しいのはとりもなおさず

私たちは気がつかないのですが、

私たち人間が難しいのです。

その難しい人間に答えるべく

教えも難しいものになっているのです。

 

 

 

  

   

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母の一周忌

2013-06-24 22:26:17 | 住職の活動日記

 あっという間の1年が過ぎてしまいました。

 

「 遺産なき母が 唯一のものとして

   残してゆく死を 子らよ受けとれ 」

 

という歌が身に響きます。

 

 お参りに行くたびに、

「 お母さんは大往生でしたね。

  私もそうありたい。 」

という、声をよく聞きます。

 第三者から見れば、人の手を煩わせることなく

最後まで現役で、自分の役目を果たし、

一人で静かに去ってゆく、

それは理想かもしれませんが、

残された身内には、なんともいえない悔いが残ります。

 

 子どもとして、もっと母にすべきことがあったのではないか 

そして、お寺のことももっと聞いておくべきことがあった

何もかも中途半端で別れてしまったような、

まだまだ、しっかりと受け止められない状態です。

 

 そう言いつつも時間だけは、無情にも過ぎ去っていきます。

 

明日は我が身、

それが母の死の意味なのでしょう。

法事の意味も、こうやって過ごしてみると

有り難いものです。

普段は忙しさにかまけて、

母の事を考える間もなく、

次々と世間の諸事情が襲ってきます。

一周忌、という節目

みんなと集いながら世間話になりますが、

こうやって一人静かになってくると、

ふと母の姿を思い出します。

 

ま~  親不孝ものであったことだけは

事実のようです。

 

 

 

 

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今週の言葉 6/24~6/30 「 人生には試されるときが … 」

2013-06-23 21:06:33 | 今週の言葉

 人生には

 

 試されるときが

 

  必ず来る

 

        八幡垣 睦子

  

 先日のテレビ朝日 「 Gウーマン 」 という番組

ゲストは 「 八幡垣睦子 」 さん、   

この方は、和のキルト作家で日本に伝わる古い布で、

ひとつの作品を作っていかれるのです。

 キルト ??

 ただのパッチワークかと思っていましたが、

その細かい作業によって生み出されてくる作品は

目を見張るものです。

 「 孔雀 」  の作品が紹介されていました。

ふとよみがえったのが修行の時のことです。

 

 東寺の西院流 ( にしのいんりゅう ) の時の

ご本尊は 「 孔雀明王 」 です。

仏教では煩悩を食べて菩提心を生み出してくれる

象徴として、孔雀明王をお祭りします。

 たぶん、孔雀が毒蛇を食べても死なない

そういうところからシンボライズされたようです。

明王といっても、怖いお顔はされていません。

孔雀に乗ってとても美しい顔をされています。

 

 と、いうこともあってか、その孔雀を見たとき

心に響くものがありました。

 孔雀の羽の小さな一つ一つを古い端切れから

選び出し、それを細かく繫ぎ合わせていかれるのです。

何ヶ月もかけて縫い合わせていかれる。

その根気の要る仕事ぶりには頭が下る思いです。

 

 また何よりもうれしかったのは、

古い布といえば捨ててしまうのが当たり前ですが、

その布をなんとか活かしたい、

その思いがまた素晴らしい作品を生み出しているのです。

 

 そのレポートの中でおっしゃった一言が、

「 人生には試されるときが必ず来る 」

です。

 2006年には故郷の島根県斐川町で、

「 出雲キルト美術館 」  を開かれて

ご自身の作品を展示しておられます。

 ここまでご苦労された、その思いのこもった

言葉のように受け止めました。

 

 人間誰しも必ず、試されるときがあるのです。

それを見落としてしまうか、

それを掴み取るかで人生大きく変わると思います。

その時を見逃さないで欲しいと、

願って今週の言葉にいただきました。

 

 ネットでも是非 「 八幡垣睦子 」 さんで

検索してください。

私も是非キルト美術館を訪れたいと思っています。

 

 

 

 

 

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「 迦陵頻伽の声 」

2013-06-22 19:35:51 | 住職の活動日記

 お経の中に 

「 伽陵頻伽の声 」  という言葉が出てきます。

また、お寺を建立したりする時の棟札にも

この言葉を書きます。

「 伽陵頻伽 」 ( かりょうびんが ) とは鳥の名前で、

極楽浄土にいて、とてもすばらしい声で

鳴く鳥のことをいいます。

 殻のなかにいるときから、いい声でなくそうです。

 

 不思議なご縁で、それも長いお付き合いです。

30数年にもなります。

一度はお食事をと思いつつも、

ついつい、縁がなかったのです。

 今回、お食事をご一緒することができました。

 

   

 

おしゃれな長いアプローチを抜けると

古民家を改築したような新旧交じり合った

これまたおしゃれな空間が現れました。

 

  

 

出てくるお料理も絵になるようで、

 

   

 

食べるのがもったいないくらい、

  

    

 

鱧のお吸い物も絶品です。

 

   

 

器も年代物で持った感じも手に馴染みます。

 

 

    

 

夏らしい鱧も使ったおつくりで梅酢でいただきます。

 

 

    

 

お煮しめも胡麻の風味で、

こういう炊き合わせもなかなか です。

 

   

 

二階から厨房も覗くことができて、

もうお掃除の最中でしたが、

小さな丸い穴は 「 おくどさん 」 で、

最後の締めのご飯は好みに応じて

炊いていただけるのです。

 

 来られたお客様の楽しい声が弾むようにとの

思いを込めて 、

 『 迦陵 』  という店の名前にされたのでしょう。

 

 お陰さまで、いつもと違った場所での

特別の時間をいただき、楽しいお話ができました。

 

 感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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台風接近中 !!

2013-06-21 08:14:52 | 住職の活動日記

 というものの、いたって静かな空です。  

 

 

     

 

 

雨もふらず、 トンボが飛んでいます。

 

 

   

 

 

昼過ぎごろから、 台風が来るのでしょうか ?

 

 

   

 

 

いま、まさに蜘蛛の朝ご飯でした。

 

  今のところ、しずかな状態です。

 

 

 

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