本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

起きて半畳寝て一畳

2013-10-31 07:05:52 | 住職の活動日記

 「 起きて半畳寝て一畳 」

この言葉も最近では使われなくなりました。

この後の文句は

 「 天下とっても二合半 」

と続くのです。

 

 人間どんなに贅沢しても、

起きて本読んだり、仕事するには

半畳もあれば十分、そして

寝るときには一畳あれば事足りるということです。

 

 最近の家では畳というものが少なくなり

そして、畳の寸法もまちまちで、

起きて半畳ということばがだんだんと意味をなくしてきているようです。

普通は三六畳 ( サブロク ) というのでしょうか、

三尺六尺 ( 1.8m×0.9m ) という寸法です。

昔は京間という寸法があって、

六尺五寸・三尺一寸五分 ( 1.910m×0.955m )

という大きさです。

お寺とかの本堂はこの寸法です。

 

 不思議なもので、畳の藁床は稲から作り、

畳表の藺草 ( いぐさ ) の寸法が

ちょうど畳がとれる大きさなのです。

植物の大きさと人間の行動する大きさが

ちょうど合っているということです。

人間の生きていく知恵は

自然に生きている動植物の大きさと

たくみに関係しているのです。

 

 昔は 「 畳 」 は家財道具として扱ったようで、

引っ越しの時は箪笥長持と一緒に畳も

持って行ったそうです。

今は家に合わせて畳を作りますが

昔は畳の大きさが決まっていて、

それに合わせて家もできていたので、

どこに持って行っても合うということだったのでしょう。

 

 というのは昔は畳は貴重品で、

畳の大きさ縁の色、厚さとかで

位が決まっていたようです。

 先日訪れた本山の醍醐寺、

「 白書院 」 というところへ通されました。

 

   

 

廊下を通り、ちょうど障子越しに 「 国宝 唐門 」

が見えます。

 

    

 

ここが白書院です。

書院となるとお客を接待するということで

ぜんぶ畳が敷き詰めてあります。

ただ、畳の敷き方が普通とは違っています。

普通で言う 「 不祝儀 」 の敷き方です。

互い違いに並べるのではなく、

縦一列に敷いていきます。

お寺の本堂もこの敷き方です。

 

 それから、お勤めがある

醍醐寺三宝院の本堂 「 弥勒堂 」 へ

通されました。

ここは寝殿造りになるのでしょうか ?

畳はお坊さんが座るところだけにしか

敷いてありません。

 東寺の御影堂も寝殿造りなので

畳も 「 置き畳 」 で必要なところへ持って行って

敷くという形になっています。

 

 最近では床はフローリングにするほうが多いそうで

そして、畳も捨てがたいということで、

寝殿造りよろしく必要なところへ敷いて

畳を利用しているということです。

 平安貴族のころは畳は権威の象徴でもあった、

その貴重な畳が庶民のものとなり、

フローリングが全盛を迎え、

今また、平安時代のように戻ってきているのではないでしょうか。

 

 面白いことに、マンション等では

一畳二畳という表現ではなく、

一帖二帖という文字に変わってきているそうです。

 

 畳には襖、

醍醐寺・白書院の 「 五七の桐 」 のご紋

 

   

 

光り輝いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「乳母日傘」 !?

2013-10-30 06:55:19 | 住職の活動日記

 「 乳母日傘 」

この字もちょっと読めない字です。

「 ちちははひがさ 」 ?  かな

 

 いつもお参りに見えられる方で、

「 おんばひがさ 」  ということを

口にされる方がいらっしゃいました。

私も、つい最近まで漢字で書けば

こうなるものとは知りませんでした。

ただ、話のなかの流れから、

あらかたの意味は感じ取っていました。

 

 辞書を引いてみると、

「 乳母日傘 」  とこういう漢字があったのです。

 昔は立派なところのお家では、

子供が生まれると 「 乳母 」 ( うば ) がつき

日が当たるのを防ぐようにと日傘をさして、

大切に育てということです。

 

 いま、我が家はめずらしく、

全員集合ということになりました。

長男夫婦も 「 紗和ちゃん 」 をつれて、

長女は今月17日に生まれた子を、

次女は6か月になる子を連れてと、

まことににぎやかです。

 今朝も6時前に起きてみると、

もう、長女の子は起きているようで

しばらくは抱いて、それでもダメなようで

おっぱいをやり始めました。

紗和ちゃんは熱をだし、と

母親は休む暇がありません。

 

 それこそ 「 乳母日傘 」 で育てなければいけません。

本来は なに不自由なく甘やかされて苦労知らず

ということで、あまりいい意味では使われてなかったようですが、

子育てということをみていると

本当に 「 おんばひがさ 」 で育てないと

子供は育たないようです。

母親は眠る暇もなく、抱っこしたり

お乳やったり、おむつ替えたりと、

大変さが身に沁みます。

 

 孫の子育てを見て思い知るとは

何とも情けない限りですが、

母親の大変さを改めて感じます。

 

 

 

 

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天皇陛下ご来熊

2013-10-29 22:47:27 | 住職の活動日記

 27日熊本空港から市内へ向かう途中、

町の様子が少し違っていました。

 ところどころ渋滞したり、警察の方も多数見かけます。

 

そういえば、今天皇陛下は熊本にいらっしゃるのです。

 

 28日、お不動さま前になんとしても

歯の治療をしておかなくては、 と

徒歩にて 「 奥村歯科 」 へ

歩いてみると、熊本の町も案外と面白いものです。

 

   

 

朝9時前ということもあり閑散としています。

ここが 「 下通り 」 です。

下通りを過ぎ、

 

  

 

左手に熊本城が見えてきます。

ここで 「 下通り 」 は終わり、

 

   

 

ここから 「 上通り 」 に入っていきます。

そして、上通りを抜けたところに 「 奥村歯科医院 」 はあります。

歩いて、約30分という距離です。

ということは熊本の繁華街も30分もあれば

通り過ぎてしまうことができるのです。

 

 この上通りの右手に 「 日航ホテル 」 があり、

今回、天皇陛下はここにお泊りになられました。

 

   

 

町は祝賀ムードで国旗を揚げてお待ち受けしています。

 

 

   

 

ホテルの前ではたくさんの方たちが

天皇陛下のお出ましを待っておられました。

 

 何よりもうれしかったのは、

今度のご来熊で、 「 恵楓園 」  をお訪ねいただいたことです。

みなさんご高齢になり、

もう天皇陛下にはお会いできないと思っていらっしゃったことでしょう。

さぞかし嬉しかったことと思います。

 ( できることならば、せめて5年前にご訪問いただければ

   もっと元気な方もいらっしゃって  … 。 )

と一人思っておりました。

 しかし、陛下の温かいお言葉に

さぞかし今までのご苦労が報われたものと思います。

 

 歩いて奥村歯科医院に出向いたせいか

とても素晴らしい光景に出合うことができました。

 

 

 

 

 

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たんと・タント

2013-10-26 22:29:58 | 住職の活動日記

 「 たんと 」  

れっきとした日本語、

関西、主に京都かな、と思っていましたが

昔から、普通に使われていたようです。

 広辞苑には 「 数量の多いさま 」 

とあります。

 京都では 「 たくさん 」 とか 「 広い 」

というような意味でも使われるようです。

 また、 「 タント 」 という車もあります。

軽自動車ながらたくさん積めて、

室内も広々しているというような意味合いを込めて

名づけられたのではないでしょうか ??

 

    

 

先日、イタリアレストラン 「 タントタント 」 という店を訪ねました。

とても、おいしかったのです。  

何気なく入ったのですが、

 

   

 

店のつくりも、土蔵風でそしてイタリアンという

ミスマッチが何ともいい雰囲気を出しています。

 

   

 

店内も落ち着いたそして使いこなされた

道具類が歴史を感じさせるようです。

 

   

 

ワインの数もたくさん並んでいます。

 

   

 

また、本格的な食材も京野菜や本場イタリアから取り寄せた

チーズやハムもなんともいい、

 

 お店の方とも話していたのですが、

イタリア語でも 「 タント 」 というのは

やはり 「 たくさん 」 という意味があるそうです。

 

 スペイン語の歌でも

「 タント・コモイ・ムーチョ 」 というような

もっと愛してという歌もあるようです。

 

 ぶらりと歩きながら

楽しいお店に出合い、とても得した気分になりました。

 

   

 

お向かいには、姉妹店だそうですが、

ピザのお店もあるようです。

 古い佇まいを残しながら、異国の文化を消化していく

日本人は昔から上手に異国の文化を

自国のものとして再構築していったようです。

 

 また、ディナーでも  …  と思っています。

 

『 レストランテ タント タント 』    ですよ。

 

 

 

 

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「荘厳」するということ

2013-10-26 07:21:52 | 住職の活動日記

 「 荘厳 」 普通には ( ソウゴン ) と読みます。

お経のなかでは同じ字を書いて ( ショウゴン ) と読みます。

「 荘 」 という字は本来、

 おごそか、ただしい、さかん、

というような意味があるようです。

 

 私たちは、本堂とか仏壇を仏具などで

飾ることを 「 荘厳 」 ( ショウゴン ) といいます。

しかし、それだけにとどまらず、

もっと精神的な意味でも使います。

 たとえば、

病気をする。 

と、 「 病気は嫌なもんだ ! 」

とか、 「 病気をして情けない 」 とか感じます。

ここで、よく考えてみると、

病気をするということと 「 いやだな 」 とか、

「 情けない 」 と感じることは別のことなのです。

 『 病気のときは病気するがよろしい 』

といった方もおられます。

だから、病気のときは病気しているのが一番いいのです。

事実は、病気しているのに

元気で活躍していた時のことを思うのです。

 ここで、病気が嫌だ、とか情けないと、

考えることが 「 煩悩 」 なのです。

「 情けない 」 と思うことで、ますます

情けなくなってしまうのです。

 だからそういうときは、

病気をしているときは病気を治すことが

自分の使命である、

と考えると、病気から逃げ出そうとしないのです。

 

 お釈迦さまは 「 二本の矢の喩 」 として諭されています。

病気をすると、

病気という矢を一本うける。

と同時に病気は嫌だ、情けない、

という矢も受けてしまう。

というような表現で語っておられます。

 

 そこで、病気のときは病気になる、

病気でなければわからないような世界を、

健康だったらこんな世界は気がつかないだろうと、

病気したおかげで独自な大きな世界を見出した。

そこに、病気を超えた広い世界を見出してくるのです。

 

 何気なく生活している当たり前の世界に

一つの新しい意味を見出してくる。

そういうときに 「 荘厳する 」 という言葉が

使われてきます。

私たちが悩み苦しむ世界に生きているということは

その悩み苦しみを通して、

本当の新しい意味を見出していく、

悩み苦しみがあればこそ悟りということも見えてくる。

そういう時に、

私たちの生きている 「 穢土 」 ( えど ) を

荘厳する、というように使うのです。

お経のなかには、

 『 穢土を通して浄土を荘厳する 』

というような表現で出てきます。

穢土で生きているということは

ただ苦しんでいるということだけにとどまらず、

浄土を荘厳していく、

そういう貴重な意味を持っている。

というように使われています。

 

 「 荘厳 」 ということも、

お経のなかではもっと身近なものとして

表現してあります。

何気なく過ごす中に、

不平不満で困らない世界を探すより

新しい意味を発見していく

そこに生活が荘厳されていく

ということがあるように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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井堂雅夫展

2013-10-25 22:01:17 | 住職の活動日記

 今 「 京都文化博物館 」 の6階で、

創作活動40周年を記念して、

「 井堂雅夫展 」 が開催されています。

 

    

 

 

 この先生の版画はとても好きで、

京都巡礼の折のしおりの表紙を飾っていました。

色彩もやわらく、その表情は四季折々の

季節感を見事に表現しています。

 

    

 

頂いたパンフレットの表紙を飾っていたのは、

「 迷いの窓、悟りの窓 」 です。

 丸窓から見てるほうが迷いで、

隣りの四角い窓になって空間が広がって見えて

この方が悟りの窓かと思っていましたら、

その逆でした。

 四角い窓が迷いで、丸のほうが悟りの窓

ということです。

同じ窓から見た四季折々の風景も

面白いものです。

 以前から写真集はよく眺めていたのですが、

今回は本物の版画や肉筆の絵画を

見せていただきました。

 

    

 

これは版木です。

色に合わせて何枚もの版木がいるのです。

絵を描く人がいて、それを彫る彫師がいて、

それを摺っていく摺り師という人がいて版画が

一枚の絵画となっていくのです。

 

    

 

正面の入り口には、

いのちのマンダラのような大きな

版画が待ち受けていました。

 

 会期は短く、

10月の27日までのようです。

 

 孫のはる香も母の胸の中で

最初はおとなしく眺めていたのですが、

母親も心落ち着けてゆっくりした気分で

鑑賞できたのでしょう。

その気持ちをわかるかのように

すやすやとやすんでしまいました   。

 

 とてもいい時間を過ごすことができました。

 

 

 

 

 

   

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かわいいおすわり、

2013-10-23 21:57:11 | 住職の活動日記

 今わが家はとてもにぎやかです。

長女の子が先日、誕生いたしました。

遅れること8日、元気な男の子です。

 それに合わせるかのように、

次女の子もやってきました。

 今年の4月に生まれました。

いまで6ヶ月、新生児と比べると

倍ほどの大きさです。

 この子も元気者で、はいはいも上手で、

つかまり立ちしようかというほどです。

 

    

 

 

今日は上手にお座りして、とても集中して

足をくずすことなく遊んでいます。

 

  その先にあるのは、

 

 

    

 

「 宗良君ご夫妻 」 に頂いた、

私たちの似顔絵がとてもお気に入りのようで、

たたいたりひっぱたりと、

足のしびれが切れるのも忘れて

遊んでいました。

 

 4月と10月、体の大きさは

倍ほども違うのですが同級生になります。

もう一年もたたない間に

後から生まれた男のほうが追い越していくかもしれません。

 

 わが子のときは、なにがなんだか

わからないうちに大きくなったように思います。

 ( 私だけでしょう、

  家内にとってはとても大変だったと思いますが )

孫となると、余裕もあったり、

また今では情報量も多く、いろいろ聞かされるので

心配やら、不思議やら

また違った意味で見守っています。

 

 ま~  ゆっくりするまもなく

賑やかなことは何よりもいいことです。

なによりも、命の成長を見ることは

楽しいことです。

 

 

 

 

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「ひもじさと寒さと恋をくらぶれば … 」

2013-10-21 22:19:12 | 住職の活動日記

 昔の歌にこういうのがありました。

若かりし頃、三浦先生からよく聞かされて、

心に残っている歌です。

 

 「 ひもじさと 寒さと 恋を くらぶれば

     はずかしながら ひもじさがさき 」

 

 アンパンマンの作者 「 やなせたかし 」 さん、

アンパンマンのもとになったのは、

いくら正義といっても、目の前にいるお腹を空かした人を

助けることができなかったら、

そんなのは正義でもなんでもない。

ということで、自分を犠牲にしても

まずは、お腹をが減っている人を助ける

というのがアンパンマンの使命だったようです。

 

 今では、食べ物も満ち足りて、

空腹感ということを味わうことが少なくなったようです。

 終戦後の生まれの私にとっては、子供のころは

物のない時代でした。

口癖は 「 お腹がへった ! なにかない。 」

ということでした。

 

 修行の時も 「 二食 」 ( にじき ) といって、

朝昼の食事だけで、夜抜きという毎日でした。

空腹のお腹を抱えての就寝は

寒さと空腹で眠れないものでした。

やっと暖かい白湯を飲んで空腹感を紛らわして

休んだものでした。

 

 現代に人にとっては空腹感ということは

さほど感じることがないと思いますが、

お腹を空かせた身になってみないと

切実なものとしてわからないと思います。

 

 寒さと恋をくらぶれば、

ということは、今では通じないことかもしれません。

お腹がへるということは

命にかかわる問題です。

好きだとか、惚れたとかいってみても

所詮、お腹かが満たされての話です。

 

 しかし、TPPの問題とかもあり、

輸入に頼っている食糧事情も、

一歩間違うと、食えない時代が来るのかもしれません。

 

 毎日の食事がいいただけるということの

有り難さを考え直してみてはと思うのですが  …  !!

 

 

 

 

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「 蜜の味 」

2013-10-20 12:05:51 | 住職の活動日記

 お釈迦さまの説法はとてもたくさんの比喩で

彩られています。

 そのものをそのまま語るのではなく、

いろいろなたとえ話で語られています。

 

 私たちの持っている 「 煩悩 」 ということも

さまざまな表現で話されています。

 

 「 剣についている蜜 」

も、その一つではないでしょうか。 

 剣を伝って滴り落ちてくる蜜、

剣についている蜜をなめようとすると、

一歩間違えば、舐めている舌を切ってしまいます。

でも、蜜の味がおいしいものですから

やめるわけにはいきません。

 危険を承知でその蜜の味を求めている、

それが私たちの姿である。

 

また、「 鉄のさび 」 のたとえでは

 鉄のさびは鉄から出て

  鉄自身を喰うように

 悪は人から出て人を喰う

というように私たちの煩悩を表されています。

 

 なにも、煩悩は外から来るものではなく

私たち自身が身につけて持っているものなのです。

ですから、私たちの修行ということも

お経のなかでは 「 対治 」  という言葉で出てきます。

「 煩悩障対治 」 ( ぼんのうしょうたいじ ) というように、

「 鬼退治 」 の退治とは意味が違います。

本当の行いでもって煩悩を断じていく、

という意味でつかわれます。 

 

 アダムとイブがリンゴを食べてパラダイスから

追放された、という話があります。

 単純には、神の禁じたリンゴを食べてしまった、

その罪で楽園を追放された、

ということですが、

ルター、というかたでしたか、

リンゴ食べたこと自体は罪ではない、

リンゴを食べてはいけない、という分別

それが罪なのだ、

といわれています。

 アダムもイブも食べてはいけないということを知らなかったら

なんぼ食べても罪にはならなかったのでしょう。

 

 私たちも煩悩があって困ります、とよくいいますが

なにもなく普段に生活している段には

煩悩はないのです。

 何か目的を持った時、何気なくしていたことが

障りとなって、煩悩となってくるのです。

 そのことを我慢してやめないと、

目的が達せられないとなったとき、

そのことが煩悩となって私たちを苦しめてくるのです。

 そのことがいけないと知った時、

それが分別ということですけど、

その分別によって罪というものを感じいぇくるのです。

 

 あいつは悪い奴だと、よく憎みたがるのですが、

どういうわけか、その悪い奴は苦しんでいないのです。

「 悪い奴だと ! 」 と言っている

こっちのほうが苦しまないといけない。

 あいつは悪い奴だといっている、

こちらの分別が、その分別が

かえって私たちを苦しめている、

ということがあると思います。

 

 話は飛びますが、

最近、小泉元首相が 「 原発反対 」 ということを

講演のたびに発言しておられるようです。

剣に滴り落ちる蜜です。

便利で繁栄をもたらすものかもしれませんが、

そこには人間をダメにしてしまうものを

秘めているのです。

 将来を見据えたとき、

今の繁栄か、恒久的な人類の安全か

決断する時が迫っているようにも思います。

 

 

 

 

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あおによし奈良の京は 咲く花の にほふがごとく …

2013-10-18 20:08:27 | 住職の活動日記

 あおによし 奈良の京は

   咲く花の にほふがごとく

 いま さかりなり

 

という歌があります。

 

 「 あおによし 」 とは 「 奈良 」 にかかる

枕詞です。

 「 あおによし 」 は漢字で書くと 「 青丹 」 となります。

青や赤で彩られた都ということです。

 

 『 丹 』  という言葉が気になりました。

先日、水俣で 「 水銀被害根絶の宣言 」 が採択されました。

『 丹 』 という言葉は調べてみると、

① 赤色の土。 水銀と硫黄が化合してできているもの。

  「 丹砂 」。

② あか ( 赤 )。 あけ ( 朱 )。 あかい。

③ 赤く塗る。

④ 精製した薬。不老不死の薬。

というような意味があります。

 

 『 丹 』 という字は 「 水銀 」 をあらわしていました。

ということで、昔は宗教と丹 ・ 水銀は深い関わりを持っていたのです。

古墳に描かれた朱色は丹、水銀を用いていました。

お寺の赤い柱も朱色、水銀です。

赤という色は不思議な力を持っていたようです。

今でも、「 赤色の肌着 」 とか身に着けると

魔除けになるとか、力をいただくとか、

いろいろに言われているようです。

 

 また、奈良の大仏建立に際しては多くの水銀が用いられました。

鍍金 ( ときん ) という技術で、

金を水銀で溶いて大仏に塗り、そのあと炭火で水銀を蒸発させて

金を張り付けるという。

金メッキのような技術です。

ですから、大仏建立に際してはたくさんの方が水銀中毒で

命を落とされたのではないでしょうか。

 

 『 丹 』 という字がつく地名とかは

必ずと言っていいほど 「 水銀 」 が採掘された場所のようです。

弘法大師も高野山を開かれるとき、

「 高野明神 」 またの名を 「 丹生明神 」 ( にゅうみょうじん )

をお祀りしておられます。

それによって水銀を扱う一族の方々は巨大な富を得た、

ともいわれています。

古代の文化、経済を支えた側面に 「 丹 」 水銀があった

ということも忘れてはならない事実です。

 

 水俣病という水銀中毒の問題も経済繁栄の

裏で苦しんでいる人たちのことを忘れてはいけない

また、世界中ではいまだに水銀で苦しんでいる人たちが

経済優先の中で命を削っておられることを

しっかりと認識しておかなければいけないと思います。

 

 『 丹 』  という水銀の歴史も

あらためて見つめなおすといろいろ面白い

ことがわかってくるようです。

 今話題の 「 お伊勢さん 」 、

お伊勢参りのお土産として一世を風靡した

「 伊勢白粉 」 ( いせおしろい ) も

水銀と深く関係しているようです。

 

 水銀といっても、まだほんの入り口しかわかっていませんが

いろんな側面を持っているようです。

 

 折に触れて、調べていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

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