本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

分別 ふんべつ  無分別 むふんべつ

2009-01-31 22:17:06 | 住職の活動日記
 今日の 『 熊本日日新聞 新生面 』 の欄に

「 無分別は仏教用語で ~ 」  というくだりがあり、

『 恵楓園 』 の現状が述べられていたのですが、

ちょうど、勉強しているとこが 『 無分別智 』 ということでしたので、

そして、 『 恵楓園 』 は当初からのご縁もあり、

気がかりに読みました。


 「 分別智 」 分別する智慧

   これは、水の成分は 『 H2O 』 常温では液体

       沸騰すれば気体、零度以下になれば固体

   などなど知っていくのも、分別していく智慧です。

   このこともとても大事なことです。

しかし、これだけでは、水そのもの、の素晴らしさ働きはわかりません。


  「 無分別智 」 分別を越えた智慧です。

   ただ 「 無分別 」 といってしまうと、

   お酒に酔ったのと同じになってしまいます。

   無分別の智慧ということが大事です。

   運動した後に飲む、水の味

   それは 「 なんともいえないほど美味しい 」

   そういう知り方を 「 無分別智 」 ( 少し簡単ですが )

   といってもいいと思います。

   そのものになって知る。


以前、 『 司馬遼太郎 』 さんが

    『 空海の風景 』 という本をかかれました。

なぜ、 「 風景 」 とされたのですか ?

    「 いくら勉強しても、空海そのものは知ることが出来ない。

      空海の周りをうろうろしてるだけです。 」

と謙遜して、おっしゃっていました。

    「 空海と同じ 『 行 』 ( 修行 ) をすれば

      空海の気持がわかるかもしれない。」

修行できる私たちをとても羨ましく思っておられました。

  ( 修行しても何も感じることは出来なかったのですが )


 『 無分別智 』 という概念は

キリスト教では 『 愛 』 ということにも通じると思います。

また、仏教でも 『 空 』 とか 『 如 』 と関連してくる

言葉でもあるのです。


 新聞にケチつけるわけではありませんが、

  ただ、 『 無分別 』 と 『 無分別智 』 は違うということ

  仏教でいう 『 無分別 』 は 『 智 』 がつくのです。

仏教は一言でいうと 『 智が根底にある教 』 とうことです。 
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ジンジャラー   われら生姜党 !

2009-01-31 19:04:45 | 住職の活動日記
 『 生姜好き 』 のかたを、最近は 『 ジンジャラー 』

というそうです。

 私も昔から、 『 生姜党 』 です。

冷え性なのでしょうか、本能的に欲しがるようです。

 私は、常飲ドリンクとして

   『 生姜 』  『 フルーツを漬け込んだ酢 』  『 オリゴ糖 』

この三つをお湯で割って飲むのです。

 喉にもいいし、身体も温まります。


  ところが、

今朝から、喉の調子が、いがらっぽい、

声のでも悪い!

 今日は、お葬儀もあるし、法事もお参りも、  …  。

多めの生姜をすって、いつものドリンクを飲みました。

飲んだ時ぐらいはいいのですが、すぐ痛みが出てきます。

かかりつけの 『 鳥谷医院 』 は休み。

『 イソジン 』 でうがいしても、効果いまいち、


 「 いっそのこと、かじっちゃえ~ 」 

ということで、まるごと、少しづつかじってみました。


   
    


 「 この辛さが、きく~ 」 という感じです。

『 発見  発見 』 

 このかじりつくのが、一番いいようです。


 料理とかドリンクとか、いろんな 『 ジンジャラー 』 は

いらっしゃいますが、

 そのままかじりつく、

これぞ 『 究極のジンジャラー 』 ではないでしょうか。
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SDスナップ 修理中

2009-01-30 22:54:41 | 住職の活動日記
 Panasonic の 『 SDスナップ sv-as10 』

もう生産中止のようです。

 『 浜崎あゆみ 』 のコマーシャルにつられ、買ったものの

宝の持ち腐れのようになっていました。

 ブログ始め、写真をアップする技を教えていただき、

どうにか使いこなせるようになってみたら、

少々傷みも出てきました。

 壊れたら次の新しいのを買おう、と思って

いろいろ見てまわったのですが、 … ?

 やっぱり、この 『 SDスナップ 』 がなんとも使い勝手がいいのです。

そこで、

 まだ部品があるうちに、修理をお願いしたしだいです。


 この位の用途でしたら 『 携帯 』 で十分事足りるのです。

が、SDのレンズが180度動いたり、

この小ささがなんとも便利なのです。


今回は 『 キャノンIXY910IS 』 で撮影してみました。


   


 『 サラちゃん 』 です。これからレインコートを着て、

用を済ませにいくところです。


   


 庭の梅も蕾を膨らませてきております。


   


 このカメラもマクロ撮影というのがありましたので、

撮ってみましたが、どうもいまち    というところです。

もう少し、ピシッとピントが欲しいです。

自動というのも、なれないとピンと合わせが難しい。

 これからしばらくは、 『 キャノン君 』 とお付き合いです。

よろしく     しま~す。 
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ゆずの木

2009-01-30 09:20:05 | 住職の活動日記
 「 アラウンドなになに 」 ということばが最近使われます。

私も60歳を越えてきました。

 「 もう60歳になってしまった 」 ということで

『 モウロク 』 かな? と思ってましたら、

やはり世間さまは凄い!、

 そんな傷つくようなことは言わないで、

  『 アラカン 』  というようです。

 ( アラウンド 還暦 ) を略して、


 気持は30代なのですが、そういいつつも、

最近は、『 ぼけたらあかん 』 とか熟年から老年に向けての

言葉がやけに気になります。


 今日もドキッとする言葉に出会いました。


 「 ゆずの木になかなか実がならんのは

   ゆずは大きくなる時に

   わき見をしているからだ

   自分はみかんだったかな

   だいだいだったかなと

   わき見をしているからだ

   わき見のあげく

   ああ自分はゆずだったのかと気がついたら

   なるようになる 」

という話

  「 長いこと生きてきても

    わき見ばかりしていると

    じじいになった

    ばばあになった

    というだけの さみしいことになってしまう

    長いこと生きさせてもらったおかげで

    この身にしていただいた

    ああ わたしは わたしでよかった

    といいきれるようになりたい 」


 京都から帰ってき20年、

振り返ると、あっという間に過ぎ去ってしまったような気がする。

この調子でいくと、次の20年も、あっという間に過ぎていくのだろう。

そのときは 『 アラエイト 』 80歳です。

 …  …  


 『 わたしはわたしでよかった 』 

といえるように、一日一日をたいせつに 

   
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大往生

2009-01-29 23:29:01 | 住職の活動日記
 ただいま、枕経から帰ってまいりました。

驚きと何かしらの感動のようなのもがありました。

 行年97歳

昨日は元気に 『 初不動の大祭 』 にお参りでした。

一緒に般若心経も唱え、

『 ぼけたらあかん長生きしなれ 』 の歌には

笑ったり頷いたりしておられました。

 今日の夕方、突然だったようです。


 好きな温泉に入り、洗面道具も風呂敷に包んで、

帰り支度も整えた矢先のことだったということでした。


 枕経のお顔も、ほんのりピンク色をしておられ、

とてもそのお年には見えません。

 息子も家内も一緒にお参りいたしました。


 振り返ると、4代に渡ってのお付き合い、

晋亮法印・亮辯法印、そして私、それから息子と、


 ご主人を早く亡くされ、ずっと一人でお住まいでした。

晩年はお知り合いの所でとても幸せな暮らしぶりでした。


 97年寝込むこともなく、

お不動さまにもおまいりして、

最後は大好きな温泉に入って、身体も清めて  …


 まさに、見事な大往生ではないかと思います。

『 ぼけたらあかん 』 の歌を地で行ったような、

そういう人生ではなかったのではないでしょうか。

 ご苦労も多かったことと思います。


 97年のご生涯、本当にご苦労さまでした。 
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熱祷をささぐ!

2009-01-28 23:22:12 | 住職の活動日記
 『 初不動護摩祈願 』

熱きご祈祷の一日でした。

護摩木の数もいつもの倍近くのお申込で、時間もかかり、

また、今回から寺伝の大太鼓の修復も終わり、

初不動がお披露目ということになりました。

護摩の炎の勢いと重なるように、太鼓の響きも堂内に響き渡りました。


  

 
 やはり太鼓があると、 『 すごい  』 

お経の声も一つになるし、唱える方も一段と大きな声が出てたようです。


 私も今回初めてのように、汗が噴出しました。 

額から出る汗が目に入ります。 ( 目が痛い けど 無視 )

それこそ、炎と一体になった感じです。

 終わってみると、手は軽い火ぶくれ状態。


  本当に有り難うございました。  

  とても気持のいい、お護摩を焚かせていただきました。


   


 お掃除の途中でしたが、

 護摩壇にも感謝   の気持を込めて、 


 今日の気持を忘れないうちに、

 でも、まだ、ぼちぼち、『 星祭 』 の申込の

整理に追われています。

  ちょっと気分転換の意味も込めて、書きました。 
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『 愛と力と正義 』

2009-01-27 22:59:49 | 住職の活動日記
 先日の 『 オバマ大統領 』 の就任の演説、

焦点は アメリカの 『 愛と力と正義 』 

ということに要約されるのではないでしょうか。

 愛と力と正義、これは今日われわれの課題でもあるような気がします。


先日の、『 動物愛護セミナー 』 の講習もその中心問題は

やはり、『 愛と力と正義 』 です。

これがなかったら、動物愛護ということも成り立ちません。


 『 愛 』  仏教的にいうと 『 慈悲 』 です。

面白いのは、慈悲といっても、大中小があるのです。

「 大慈大悲 」 「 大悲 」 「 中悲 」 「 小悲 」

なにが大きくて、なにが小さいのか、

普通使う、大きい小さいではなく、どうも

『 範囲 』 の問題なのです。

小悲、といったら個人の問題なのでしょう。

   自分が出来る範囲、

中悲、とは国家的に出来るような問題、

大悲、となると、自分と他人の区別が無くなってくる。

全世界を持って自分となす。

( 世界が自分のものだというのではないのです )


   『 力 』 

オバマ大統領は 『 スマートパワー 』 という

表現をされてました。

この 『 スマート 』 という文字が曲者です。

日本人の感覚からすれば、 「 やさしい、ソフト 」 

というイメージで捉えがちですが、

アメリカの方たちが受け取る 「 スマート 」 とは

どういうニュアンスなのでしょうか?


 『 愛と力と正義 』

どの国の人々も、中心課題なのでしょう。

しかし、その受け取り方、考え方、表現の仕方が微妙に違っているようです。

だから、平和にならないと思います。


 そこで、仏教の慈悲の 『 大・中・小 』 の考え方は面白いと思います。

『 愛 』 といっても 『 慈悲 』 といっても

範囲という捉え方です。

一個人を愛する、動物を愛する、縁ある人々を愛する、…

というように確かに範囲があるのです。

『 愛 』 には違いないが範囲がある。

こういう見方は非常に面白いのではないでしょうか 
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動物愛護セミナー

2009-01-26 23:12:50 | 住職の活動日記
 昨日、25日 『 沙羅の苑 』 で 

『 動物愛護セミナー 』 が開催されました。

熊本市動物愛護センター 愛護係長 小山 信さん

 『 熊本市と全国から見る動物愛護の現状 』

という題で講習を受けました。


 淡々と話されるのですが、その現実は厳しいものです。

 『 命の責任 』

 かわいいだけでは済まされない、

 飼った以上は 『 終生飼養 』 『 繁殖制限 』

 というような、『 動物愛護法 』 の側面も出てきます。

 「 かわいそうに 」 ということから、

 自分は 『 愛 』 のつもりでやっている 「 えさやりさん 」

 そこから発生するご近所とのトラブル、

 命はただあるのではない、

 愛を持つということは 「 責任 」 ということがあるということです。


  考えさせられる問題です。 …



熊本の動物愛護を考える会 代表 増子元美さん

 『 民間ボランティアの立場から考える 』


 ということで、現場の声をお聞きしました。

 始められたきっかけは、

 愛護センターで亡くなっていく、小さな命たち

 なんとか一匹でも助けられないのだろうか 

 そんな切実な思いから、この会 ( ACT ) が

 立ち上がったそうです。

 何回見せられても、涙があふれてくる

 愛護センターの小さな命たちの眼差し、

 人間の勝手で捨てられていく、

 怒りもこみ上げてくる、

 しかし、なんとかしなければ、 …


質疑応答、やはり、

 「 では私たちに出来ることはなんでしょうか ? 」

 「 先ずは知ってほしい。

   ペットショップに行かなくても、

   かわいい子たちが共に生きてくれるパートナーを待っている

   そして、時間が来れば、その命も終わってしまう。

   そういう現実を知って欲しい。 」

 「 周りの人に伝えるのも、

      大きな一歩ということです。」


仏教には 『 不殺生戒 』 という戒律があります。

 ( 生き物の命をとってはならない )

よく考えれば、矛盾です。

 「 食べれば、殺生

   食べなければ、自分を殺生することになります。」

理屈をつければ、いろいろあると思います。

 ( 見・聞・疑の浄肉 ) とか、

しかし、命を頂いているのは事実です。


 私は思うのですが、矛盾を解決せずに、

矛盾を痛みとして、じっと心のどこかに置いておく。

問題を持ち続ける、ということも大事なことなのではないのでしょうか。

 『 明るく悩め  』 とは師匠の言葉ですが、


 自分自身の 『 問題意識 』 をどれだけ持ち続けることが出来るか、

これも自分の 『 モチベーション 』 を高めることだと思います。


 『 動物愛護セミナー 』 での問題も

すぐに解決できることは何もありません。

 「 山火事を消す、小鳥の口ばしにくわえる一滴の水 」

のたとえのように、そこから始めることしかありません。


 是非是非、読まれた方は、

  『 ACT 』 、それから 『 熊本市動物愛護センター 』 

のホームページをご覧になってください。

 見ていただくだけでも、大きな一歩です。

 そして、お友達にも、教えてあげて下さい。 
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残念!!!

2009-01-25 23:13:45 | 住職の活動日記
 今日、動物愛護セミナーが沙羅の苑で開かれました。

そのことを、気持のこもった時にと、書き綴ったのですが、

書くのに時間がかかってしまったせいか、

 またもや ログイン の表示、

 残念!! 消えてしまいました。

 辛い、今日の小さな命の話が 『 消えてしまう 』 

その命まで、消えてしまったようで、  …  …


 小さな命に、どうかいいご縁を、  
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今週の言葉 1/26~2/1

2009-01-25 22:07:12 | 今週の言葉
    祈られ    願われ    おがまれ

                  生かされてある  という自分


 
 『 初不動 』 の護摩祈願ということもあり、

『 祈り 』 『 祈願 』 ということを考えてみました。

 単純には自分の願いとか、個人的な祈り、ということしか

 思い浮かびませんが、


 根本的には、

 『 人生が祈願なんだ ! 』

 『 人間そのものが祈願として成り立っている 』

 ということがいえるのではないかと思います。


 最初のご縁はいろいろです。

   良縁がありますように …

   宝くじが当たりますように …

   
 それから、大事な方との別れ、


 いろいろなご縁でお参りに見えられます。

   …   …  …

 だんだん、お参りされていくうちに、

 自分が一生懸命 『 祈っている 』 のですが、

 それが、逆転する、心境に変られていかれるのです。

 『 祈っている自分 』   それが …

そうではなく、  『 祈られている自分が、今、ここにいるのだ! 』


 そういう大きな感動に出会われえるのです。


 一つの命が誕生する。

 そこには、無量無数の祈り、願い、

 祈願があるから生まれてくるのです。


私がここにいる、ということは

 無量のご先祖様の、祈願の結晶なのでしょう。


お不動さまの 『 大祭 』 

 ありとあらゆる事を 『 祈り 』 『 願い 』 『 祈願 』 

してください。

 そのことが、『 自分が祈られているという 』 

ことに気がつくことにもなるのです。


 そのとき初めて、お不動さまの心をいただけるものと思います。
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