本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

菩提樹苑も秋 酣 !!

2009-11-30 21:48:28 | 住職の活動日記
 菩提樹苑は市内より少し高台に位置しています。

 ( 誰言うとも知らず、熊本の軽井沢 )

やはり少し山手になるせいか、紅葉も綺麗なようです。




     



 途中の道沿いは、右左と紅葉を楽しむことが出来ます。

今、途中の道路は下水道工事のため一斜線の片側通行です。

そのせいで、今日は随分と待たされました。

でも、そのおかげで、紅葉を楽しむことが出来たのです。



   



 永代供養墓がある、お観音さまの前には 『 菩提樹 』 の木があります。

その隣の 『 イチョウ 』 が見事に色づいていました。

 本当に黄金色です。


 お寺に帰ってきて、見てみると、それなりに赤く色づいていました。




      



 『 裏を見せ 表を見せて 散るもみじ 』

    良寛さんの辞世の句だったと思います。
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今週の言葉 11/30~12/6 『 自分こそが …

2009-11-29 23:54:32 | 今週の言葉
          自分こそが

     自分の人生の

            創り手である


                           ジェームズ・アレン


 
  『 ジェームズ・アレン 』 という方は

 私が知らなかったくらいで、この方の本は聖書の次に売れているそうです。

 とても有名な方なのです。


  『 現在のあなたは、過去の思考の産物である。

    そして 明日のあなたは、

    今何を考えているかで決まる。』


 この言葉を書きたかったのですが、

 掲示板に書ききれなかったので、少し違った表現として、

 上の言葉にしました。


  古今東西、この言葉はそれぞれの方が実践されて、

 自分の言葉として書き残しておられます。


 『 京セラ 名誉会長 稲盛和夫 さん 』


  「 今日の成果は、

    過去の努力の結果であり、

    未来はこれからの努力で決まる。」


 と、ご自身の経験から生み出された言葉です。


 また、仏教では面白い 『 時間 』 の捉え方をします。

『 過去・現在・未来 』 が同時である。  というのです ?

 『 現在 』 の自分ということを振り返ってみますと、

生まれてこの方、過去の経験の蓄積の上に成り立っているのです。

そして、 『 今 』 自分が行っている行動は

『 未来 』 の自分を造りつつあるのです。

『 現在 』 の中に 『 未来 』 は内包されているのだと、

だから、仏教では 『 未来 』 といわないで 『 当来 』 ( とうらい )

といいます。

 『 当来 』 ( 当に来るべき、未来が約束されている )

今していることは未来の自分を造っているのだと、

 一瞬考えれば、怖い話でもあります。

何気なくしている自分の行いが、刻々と未来の自分を造っているのです。


 『 現在 』 という一点に、

 『 過去 』 の蓄積を表現しつつ、

 『 未来 』 の自分を造りつつある。


『 過・現・未 同時 』 こういう時間の捉え方は

仏教独特かもしれませんが、

哲学的にみると 『 存在論的 』 な考え方かもしれません。  


 やはり、仏教は 観念論 というより 存在論 ではないかと思います。
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秋 酣

2009-11-29 22:43:39 | 住職の活動日記
 お参りの所で車を止めました。

「 大きなみかん 」 ( 橙 ? 夏みかん ? ) が

『 たわわ 』 に実っていました。



    


 『 たわわ 』 という言葉自体も忘れつつあるようです。

そう思っていると、

 今は   『 秋     酣 』 

      ( あき   たけなわ )   という言葉も思い出しましたので、


『 広辞苑 』 を見てみますと、

 『 たわわ 』 という字は 『 撓 』 と書きます。

「 たわわに実った柿 」 というように

 枝が曲がっているという姿を現しているのでしょう。

そんなことを気にして走っていると、



     


 このような、真っ赤に実った木にも出会いました。

  ( 名前が出なくてすいません )



『 酣 』 という字

 「 楽しむ 」 「 酒をじゅうぶん飲んで楽しむ 」 とか

 「 真っ盛り 」 という、意味が漢和辞典には載っています。

それから、もう一つ意味がありまして、

 「 少し盛りを過ぎたさま 」 ともあります。

  『 齢 ( よわい ) 酣なり 』

 というように使うようです。


    

 振り返って、今の自分は ??

  もう、とっくに、真っ盛りは過ぎているよね 

 でも、 「 少し過ぎたさま 」 とありましたので、

 『 そのくらいかな  』

   ( いえいえ、それもとっくにじゅうぶん通り過ぎていますよ )

  という声が聞こえてきそうです。


 人間、いくつになっても

    「 自分は 今が 酣 」  

           ( 少し過ぎたくらいの )

 という思いは残っているものです。
 


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聞法の胞子

2009-11-28 22:47:26 | 住職の活動日記
 先日、聞法会を開きました。

毎月、京都から先生においでいただき、家族だけなのですが、

ひそやかに 『 会 』 を開いております。

 難しい !!!

あたり前といえば、当たり前なのです。

 ( 自分如きにわかるような話であれば、たいした話ではないのです。

   わからん、けど、響くような話、それが大事なのでは ! )


 ふと思ったのです。


 『 聞法 』 ということは 「 教えの胞子 」 を浴びることでは??

『 自我 』 という撥水加工された心は、

自分にとって都合のいい話しか受け入れません。

都合の悪い話は全部弾き飛ばしているのです。


 ところが、たまたま、教えの胞子が 『 撥水加工された心 』 に

へばりつくのですね。

 その胞子が次第に根を伸ばしていって、

『 自我 』 という撥水加工された心を破っていくのでしょう。

 だから、聞き続けるしかないように思います。


 しかし、ただ、聞くといっても何でもかんでもというのではなく、

やはり道にふれた人の話を聞く、

その人の経験や苦労話を聞いてみたところで何にもなりません。

その人が苦労を通して見出した道理を聞くことが大事です。

 ここが微妙なところで、

人に聞くのではなしに、その人の得た道理に聞く、

『 道理を聞く 』 ではなく 『 道理に聞く 』


 お釈迦さまも 『 真理 』 を発明されたのではありません。

『 真理 』 を見出されたのです。

 『 真理 』 といっても実体化されたものではなく、

覚った真理によって、『 ゴータマ 』 ( お釈迦さまの本名 )

という方が 『 ブッダ 』 という働きとして、

位づけされるというか、同じ人なのですが、

関心が違うというか、今まで 『 自己関心 』 しかなかった人間に

『 一切衆生 』 という、生きとし生けるすべての 『 いのち 』 に

対する関心ということに変ってくるのです。 


 わかるとかわからんとかいうことを超えて、

心に響くというか、頷ける話、そういう話に静に耳を傾けるということが

大事なことではないかと感じました。
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秋模様

2009-11-27 22:41:50 | 住職の活動日記
 朝から   とても気持ちのいい天気です。

車の中も暑いぐらいで、窓を開けて走っています。

 でも、天気予報の通り昼からは曇ってきました。  


 ( 急用で席をはずします。
   



  今朝一番の感激は、とても小さい木なのですが、

  見事な紅葉です。




      



 そしてその横には、「 蕗 」 も綺麗な花を咲かせています。




     



 またその横の公園の 「 イチョウ 」 も綺麗に色づいていました。
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メディカル ( ホラー ? ) チェック

2009-11-26 21:57:05 | 住職の活動日記
 一応、『 済生会病院のフィットネスクラブ 』 に

在籍いたしておりますので、半年に一度 『 検診 』 があるのです。

 今回は覚悟しておりました。

 といいますのも、9月よりずっと    お休みしていたのです。


 しかし、自分なりには 『 在籍している 』 ということが、

      と思って、

 自分なりの 『 自主トレ 』 を暇さえあれば、5分とか

信号待ちの時とか、続けておりました。

 これとて、たいした運動になるわけではなし、と思いつつも

何かしらストイックにやるにはやっていたのですが …   


 午前中でほぼ検査も終わり、

最上階のレストランでお昼を頂き、 ( ここはとてもヘルシーで 

のですが、検査の時にしか利用できないのです )

 午後からは、運動の検査です。

マスクをつけての自転車こぎ  とか  などなど


  しばらくして、 『 梶尾先生 』 による結果説明です。 


        


 なんと    

   前回よりもずいぶんと改善できているそうです。   


 まとめて2時間とか運動しても、ふだん だら~ としていると、

効果はあまり期待できないそうです。

 それよりも、普段の生活の中で運動する習慣をつけている方が、

大事だということでした。

 あながち、運動器具が壊れたのも無駄ではなかった !!


 もうこの年ですと、じっとしてれば筋力は落ちていくばかりだそうです。

かといって、運動したからといって、もう筋肉がついていくことは

期待できないようです。

 どれだけ、現状維持を保てるかだそうです。


 体重が少し増えたわりには、体脂肪も下がっていた。

 血管年齢も以前より若くなっていた ( 40代 ? )

    ヤッター !    


 ということで、これからは 『 自主トレ 』 に励むということにしました。
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秋異変 !!

2009-11-25 15:34:20 | 住職の活動日記
 11月にはいってから、温暖の天気が続いたせいでしょうか。

『 もみじ 』 が色づかずに、なんと新芽が出てきています。



    



 ちょっとわかりにくいと思いますが、

 綺麗な緑色したのが、新芽の葉っぱです。



   



 こちらの木にも出ていました。

たぶん、この調子では 『 紅葉 』 は見られないのではと、

思います。

 色づく前に枯れてしまいそうです。


 『 もみじ 』 の中の体内時計がおかしくなっているのでしょうか?

それとも、気候の方がおかしくなって、


  「 周りの天気はどうなっているの … ? 」


と、 「 もみじ君 」 の声が聞こえてきそうです。


 先日、お亡くなりになった、

  動物行動学の第一人者 『 日高敏孝先生 』 の

 『 春の数えかた 』 という本もとても読んでみたい本です。

 季節ということを 『 草花や木 』 がどのように感じ取っているのか

 が、書いてあるように思うのです。

 そのほか  『 蝶はなぜ飛ぶか 』  や

 リチャード・ドーキンスの翻訳本 『 利己的遺伝子 』 

 も、興味をそそられます。


 早速取り寄せて、読んで見たいと思っております。

 
   またご報告します。
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空なるがゆえに一切が成立する

2009-11-24 07:42:56 | 住職の活動日記
 『 龍樹 』 ( りゅうじゅ ) という方、150年ごろの人ですが、

大乗仏教の根幹を作り上げた人です。

 ですから、真言宗でも浄土真宗でも無論のこと、八宗の祖師として仰がれています。

 たくさんの著書がありますが、

『 根本中論 』 という経典の中では 

『 空 』 ということが中心に説いてあります。

 物があるそれ自身は、  …

 その本質は、   …

 一切のものが成り立っているその基盤、

そういうことを 『 空 』 ということで表されておられます。

 空ということも厳密には 『 空性 』 という言葉になります。

そして、一般的には 『 空 』 ということは否定を

意味しているように考えています。

 ちょうどニーチェの最も根源的なニヒリズムに近いような意味ももっていて、

いかなる存在も否定する。

 否定するということも否定するという、そういう徹底的な空でなのです。

しかし、

 「 何もかも無いというのが空ではない。

      それは空の精神を知らないためだ 」

と、龍樹自身も弁明しておられます。

 「 あらゆるものを否定するのではない。

     むしろ空によって一切が成立するのだという。」


 仏教ででてくる、『 空 』 とか 『 識 』 とかの概念は

ただ、何かものがあるという一つの概念ではなく、

あらゆるものを成り立たせているものである。


 朝から難しいことですが、読んでる中で、

ピンと来るものがありましたので、一応書きました。

もう少し整理しなければいけません。

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サラの苑5周年感謝祭 11・22コンサート

2009-11-23 21:42:00 | 住職の活動日記
 ワンワン・ニャンニャン 11・22 コンサート、

雨にもかかわらず、たくさんの方のご参加を頂き、盛大理のうちに

勤めさせていただき、感謝の気持で一杯です。

 心より御礼申し上げます。


 当日の様子ですが、

  9時には早速、音響の方が仕込みに掛かられます。

  音出しが始まり、マイクの調整、

  ピアノ、ドラム、ベースの方々の音あわせ、

  歌のリハーサル、

  村上美香さんのペットへの手紙の読み合わせ、

  それに合わせるプロジェクターの調整、

  崇正は一人でその調整におおわらわです。

  それに、僧侶方の式次第の打合せ、

  法要から音楽舞台へのどんでん返しの練習、

  すべてのリハーサル、打合せが終わったのが6時前です。


いよいよみなの力が結集していく時がやってきました。  


  7時の半鐘の合図と共に、法螺貝2丁を先頭に式衆入堂です。

 護摩法要が一座勤められ、太鼓と共に 『 般若心経 』 があげられます。

 そして一番の舞台転換です。

 護摩の本堂が一瞬のうちに、演奏の舞台へと変身していくのです。


 
     



 『 崇正 』 もお坊さんから 『 ソウショウ 』 の歌手に大変身です。

途中、 『 メグさん 』 の飛び入りもあり、

素晴らしい、歌のデュエットになりました。

 あらためて聞く 『 ソウショウ 』 の歌にしばし、

一観客として耳を傾けていました。



      



 亡くなったペットへの手紙の朗読です。

 やはり、 『 美香さん 』 の朗読は泣かせていただきました。

 その一言一言が心に響いてきます。

 プロジェクターに流れる、亡き仔たちの写真、

 あちこちで、すすり泣く声が聞こえます。


 朗読が静に終わり、

 「 亡きペットたち 」 からの歌、この曲と 「 ソウショウ 」

 の歌声にも涙を誘われました。




     



 最後はみんなで練習した歌を全員で合唱です。

 「 メグさん 」 も 子どもさんを抱っこしての歌への参加です。


 終わる頃には雨も上がり、皆さん記念の 『 腕念珠 』 を頂かれて

 帰路につかれました。


   


 片付けもそこそこで、10時からは全員参加で打上げ、

 楽しい宴は延々と …  気がつけば、日も変り

 時計は1時半を指していました。


  本当に長い一日ご苦労さまでした。

 
 こういう経験を通して、職員の皆さんも自分の持っている、

 今まで気付かなかった 『 力 』 を感じられたのではないでしょうか ?

 この団結力が、本蔵院、菩提樹苑、サラの苑、という大きな船となって

 自分たちを載せて運んでくれる、

 そういう 『 力 』 となってくれることを念願しています。

  
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今週の言葉 11/23~11/29 『 理想を変えれば … 』

2009-11-23 09:47:03 | 今週の言葉
    『 理想を変えれば  幸せが  見える  』


 テレビのコマーシャルでふと耳に残った言葉です。

どうも、映画の宣伝のようなのですが、

 『 理想の彼氏 』  という 11月27日から上映され、

「 キャサリン・セタジョーンズ 」 が主演しているようです。

今話題になっている 『 婚活 』 というようなことが主題ではないでしょうか??

 
 しかし、私は別な意味でこの言葉が引っかかりました。


『 今の日本人は幸せ探しばかりしている 』


 今時分の置かれている立場をよくよく見ないで、

どこか別の世界に 『 幸せ 』 ということを捜し求めているのです。


  『 あたりまえ 』 という詩を思い出しました。

 『 飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ 』 という本の中にある、

 『 村井和清 』 さんが、癌を宣告され、自分の思いを

 子どもさんへ綴られたものです。


      『 あたりまえ 』

      こんなすばらしいことを

    みんなはなぜよろこばないのでしょう。


      あたりまえであることを。

      お父さんがいる。お母さんがいる。


    手が二本あって、足が二本ある。

    行きたいところへ自分で歩いていける。

    手を伸ばせばなんでもとれる。

    音が聞こえて声がでる。


    こんなしあわせはあるでしょうか。


    しかし、だれもそれをよろこばない。

    あたり前だと、笑ってすます。


    食事が食べられる。

    夜になるとちゃんと眠れ、

    そして、また、朝がくる。

    空気を胸いっぱいにすえる。


    笑える、泣ける、叫ぶこともできる。

    走り回れる、

    みんなあたりまえのこと。


    こんなすばらしいことを、

    みんなは決してよろこばない。


    そのありがたさを知っているのは、

    それをなくした人たちだけ。


      なぜでしょう。

      あたりまえ。


 
 『 理想を変えれば … 』 という映画の意味合いとは少しずれてきますが、

『 幸せ 』 とは少し私達の立っている軸足を変えれば、

そこのには 『 充たされた世界 』 があるのです。

 ですが、どうも私達の悪い癖で、

 足元は見ようとせずに、遠くの幸せばかり願っているようです。  
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