熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。
済生会熊本病院、
順番を見ると、1時というのに
「11時の方診察中」
の表示が出ています。
少し遅くなりそう
喫茶で軽くお昼を済まし
外に出てみると
桜が咲き始めています。
一人で花見としゃれ込みました
咲いた花もあればこれからの花も
あるようです
しばらくは楽しめそう
さくらも見ると不思議な姿
大きな幹からにょきっと生え出て
きています
まだ蕾もあり
今まさにこの世に誕生する
瞬間です
この姿が一番好きです
咲いた花も美しいのですが
咲いてしまえば後は散るだけ
つぼみのピンクも美しいし
これから、というのがいいですね
この一群はまさにこれから
一つずつ咲いていくことでしょう
同じグループでも
こういう形があるから
次々と花を楽しめるのですね
下に眼をやると
黄色や白の花が太陽に向かって
花を広げています
日に向かって咲く
紫外線大いに結構、これがご馳走
と言わんばかりに日に向かって
花を咲かせています
やや日陰には
シャガの花がありました
この花も好きな花です
自生しているのが多いのですが
たぶんここでも
最初は植えられたのでしょう
しかし、
次第に自生したかのように
自然な形に広がりを見せています
これが開く前のつぼみの状態
次々と蕾を準備しています
これがなんとも言えないような
花の姿を創り出しているのですね
シャガの隣には馬酔木も咲いています
不思議な花でこの木の下には
虫が寄ってこないともいいます。
ヤツデも新芽を広げ始めています
まだ初々しい
これから葉を広げ日にあたり
しっかりとした緑色になっていく
のでしょう
阿蘇の方でも
ちらほら咲き始めているようです
市内ではほぼ満開、
花の下では花見を楽しむ姿が
あちこちで見られます
ぼたん桜でしょうか
白や赤やピンクの
色とりどりの花が美しい
また、ミツマタの花も満開です
ミツマタというだけあって
枝が全部三つに
分かれているところが
面白い花でもあります
この木の花の満開の姿は
はじめてお目にかかりました。
今が盛りと花の競演を楽しみました
というところで、
病院での検査結果は
現状維持 !!
まあ、不増不減ということで
よくなることは望めないという年
このままということは
何よりということです。
「自利利他」(じりりた)
という言葉もある面では
普通に使われるようにも思います。
京セラの稲盛さんもよくこの言葉を
愛用して自分の生き様の指針に
しておられるようにお見受けします。
自分も利すると同時に
他人も利すると
大乗仏教の精神でもあります。
自分だけが儲けるのではなく
同時に他の人も儲けるような
商いでないといけない
というのが稲森さんとかの
考え方かもしれません。
利ということも
利益ということで
利益(リエキ)と読めば経済の
言葉になりますが
利益(リヤク)と読めば
宗教の言葉になります。
同じ漢字でも読み方では
全く意味が違ってきます。
この自利利他という言葉も
よく見ると
文字の並びが少しおかしいようにも
思えてきます
自利とくれば、並びからすると
他利となるのが自然です
自利他利というように
しかし、他利という所を利他と
ひっくり返して並べてあります。
ここにはそれなりの意味合いも
あるのでしょう
他利といわずに利他と
いってあるのは ?
調べて見ると
やはり深い意味がるようです
世親菩薩の浄土論には
「菩薩は是の如く五念門の行を修し
自利他して速やかに
阿耨多羅三藐三菩提を成就する」
とあり、
その中の自利利他を解釈して
利他といわないのは
他利ということは、
衆生からいうことであって
他の衆生が
恵みを受けることに過ぎない
ところが、
利他となると
そこには仏力がはたらいている
というのです
他の衆生をめぐみすくうという
仏力が示されていると
解説しています。
ただ衆生が恵みを受けるだけなら
他利でもいいのですが
めぐみ救うとなると
そこには仏の力が必要で利他と
あえて文字を引っくり返して
意味合いを持たせたのでしょう。
調べて見ると
何気なく使っている言葉でも
単純に見えることでも
深い意味を含んでいるようです。
ですから
自分も儲け他人も儲ける
というのであれば
自利他利でもいいのでしょう
昨夜からよく雨が降りました。
しかし、朝には上がり
ウメの若葉には
まだ滴が残っています
葉ごとに残る水玉は宝石のようです
イチョウの大木も新芽を出しました
これから、
水を吸い上げる音を立てて
ぐんぐん芽を
膨らませていくことでしょう
樒も花を咲かせ
雨に打たれた姿は
なんとも初々しさを感じます
その樒の下を見ると
たぶんモミジの種が
芽を出したようです
その横には飛んできた種があります
ここで芽を出すのか
それとも落葉と一緒に
掃除されてしまうのか
新芽を出したモミジも
草と一緒に抜かれてしまうかも
いのちの行方は微妙なものです
もう晴れあがって
日がさしてきました。
これからのお不動さまも
暑くなることでしょう。
1時から護摩のお勤めが始まります。
文久元年(1861)11月20日
妻愛加那と長男菊次郎のために
3度目の家を建てます。
南洲流謫(るたく)跡といい
西郷隆盛が3度目の潜居地です。
幕府から追われて身を隠すため
この地に菊池源吾という名前で
龍郷集落の白間地区に
身を落ち着けます。
この名前も反対に読むと
吾の源は菊池なり、
となり菊池一族の流れということ
のようです。
やって来た当初は
随分と悩みも多く苦労もされ
周りからは
眼光鋭く体格も大きく暴れ者の
ように見られていたそうです。
そこで、
瀧家の娘、愛加那さんと出遇い
相思相愛となり
心も落ち着き島を愛し
妻愛加那さんも長男菊次郎も
愛され幸せな時を過ごされました。
西郷さんが島に着かれた時
船をつなぎ止めた大きな松の木
その松は枯れ、その木から作ったのが
このお二人のお姿です。
小さいながらも当時の面影を
残しています。
この時は藩からの援助もあり
6石の扶持があり
子供が生れてからは12石になった
ということです。
それで、生活が困らないようにと
愛加那さんには田畑を与え
薩摩からの召喚命令を受けたあとも
いろいろと気を使われて
島の役人にも常々手紙を送り
めんどうをたのんでおられました。
しかし、
召喚されたものの
島津久光と意見が合わず
今度は罪人として徳之島へ流され
それでも罪が軽いとして
さらに沖永良部まで
流されてしまいます。
この時、愛加那さんには長女の
菊草も生まれています。
西郷さんの会いに来てはならない
という言葉を振り切って
愛加那さんは
菊次郎と生まれたばかりの菊草を
連れて万難を排して
会いに行かれています。
長男菊次郎さんは
本家に引き取られ
12歳の時にはアリカへ留学
西南戦争では片足を(膝から下)
失われ、
それからは広い見識と語学力で
台湾では「西郷堤」を造り
毎年の川の氾濫から民を守られ
京都市長になってからは
三大改革という
烏丸通を広げ、
浄水を求めて第二疎水の開削
それによって上水道の整備
大量の水による電力の増加で事業
の活性化など
その時の国の資金難から
フランスと交渉して国際援助を
引き出しておられます。
そういう広い視野を持った方だった
ようです。
愛加那さんは
畑を耕している最中に
雨に打たれ突然亡くなられました
加那というのは
愛おしい人という意味で
日本名では「龍愛子」というそうです
般若心経を唱えその御苦労を
偲んでいました。
西郷さんは罪を解かれ
鹿児島へ帰る途中奄美に立ち寄られ
3日ほど家族で過ごされ
それが愛加那さんとの最後の
別れになってしまったようです。
流謫跡にはブーゲンビリアが
美しく咲いていました。
熊本の震災復興を祈願して植樹された
「醍醐寺の枝垂れ桜」
クローンの技術により
秀吉が植えた桜が
今まさに蘇っているのです。
菩提樹苑の一番上にある鐘楼堂の
隣に植えられています。
しっかりと根を張っているようで
今年もたくさんの花芽を付けています
淡いピンク色の花は
さすが秀吉が愛でた花
なんとも美しい
この醍醐桜も熊本では
阿蘇神社と加藤神社に植えられ
被害が大きかった阿蘇神社では
本殿を見守るかのように
植えられています。
そして加藤神社では
熊本城の本丸を見る場所に植えられ
今の熊本城修復を
じっと見守り続けています。
子ども山伏たちによる
「さくら祈願」
30.31日と勤められます
ちょうどその頃には満開でしょう。
今日はその説明会
30人を超える子どもたち
可愛い山伏姿になって
阿蘇神社、加藤神社をお参りし
持参の水をお供えして
熊本の復興を祈るのです。
最後は菩提樹苑で満願成就という
はこびです。
鐘楼堂の隣ということもあって
お参りした方々も
復興を願い、先祖の菩提を弔う
ために一打鐘を撞いてお参りされて
いるようです。
このピンクに染まった醍醐桜
満開になると
それは見事なものでしょう。
ちなみに、
熊本城の桜、
まだ中に入ってませんが
熊本城の堀の桜は
まだ蕾です
咲きだした花もあります
後のバックは熊本城の長塀
重要文化財の塀ですが
震災で倒壊してしまいました。
この桜は白い色のようです。
今日は冷え込みました
暖かさと冷え込み
この温度差が生き物を芽生えさせ
成長を促していくのでしょう。
「さくら祈願」
今年もたくさんのお申込み
子どもたちにとっても
大きな収穫となるでしょう
熊本が復興するようにとの思い
そいう願いが自然と
信仰の芽を育てていくようです。
毎年参加の方もまた初めての方も
一泊二日の修行
日常とは違う生活を共にする
とてもいい経験になると思います。
無事に成満することを祈っています。
池の水も緩んできて
金魚たちの動きも活発になって
きました。
しかし、よく見ると
なにやら、藻の中に体をもぐらせ
頻りに動き回っています
どうやら産卵のようです
白いつぶつぶが卵です
残念なことに
その後からたくさんの金魚たちが
集まってきて
たまごを食べているのです
藻の中からたまごと取り出そうかと
思いましたが
全部孵化してしまうと
池の中は金魚だらけで
みなが住むには世界が狭すぎます
食べられて、
あわよく生き残った数匹の金魚が
生き残っていくのです
自然の淘汰により
バランスを保っているのでしょう。
何匹生き残るか楽しみです。
先日植木屋さんに剪定してもらて
いるときに分かったのですが
池の上の松の木に
野鳩が上手に巣をつくっていたのです
ちょうど卵を温めている最中
植木屋さんにあまり刈り込まないように
お願いしたのですが
ちょっと刈り込み過ぎたようです
ハトにとっての我が家が
丸見えになってしまいました
その後、運悪く雨が続き
それでも
しっかり卵を守っていたのです。
災難は続くもので
時折やって来るアオサギに
見つかったようで
気が付いた時には
ハトは卵と巣を捨てて
いなくなってしまいました。
アオサギに取られたのでしょうか
たまごは無くなっていました。
自然の中で命を守り続けることは
至難の業です。
先日の京都新聞
「哺乳類初の絶滅か」の記事
温暖化で海面が上昇、島が浸水して
生息地が奪われたのが
原因ということです。
ネズミの名前は
「ブランブルケイ・メロミス」
という聞きなれない名前です。
地球が生まれてから
いろんな環境の変化により
絶滅した動物たち
また新しく生まれた生きもの
いのちは分断しながら
いのちは連続しているのです。
公園墓地の菩提樹苑
墓参に訪れると
事務所はいろいろのご相談お方で
職員の方は対応に追われている
様子でした。
今までのお墓を返還して
後は永代供養墓へ移すという、
また
今後どうしたらよいかの相談です。
これからお墓も
難しい問題が生まれてきます
最近ではお骨はいらない
という方もおられるようで
先祖に対する意識も変わり
お骨も物として扱うという
そういう気持ちの変化もあるようです
高野山へ行くと
小さな五輪塔の石塔がたくさん
出てきてそれを一か所に集めて
供養塔のようになっています
弘法大師のお膝元である高野山
何とか供養したいとの気持ちでしょう
手に持てるほどの小さな五輪塔を
納めたのでしょう。
今自分があるのは
過去のご先祖さまのお陰
未来へ向かって受け継ぐ子孫のため
という意識が希薄になってきている
ようです
遺骨をモノとしてしか見ることが
出来なくなってきたところに
現代が抱える大きな問題があるようです
モノと見ることによって自分もモノに
なってしまっているということです。
一つ一ついのちは分断しているのですが
いのちという大きな流れから見ると
いのちは連続しているのです
形のない世界までモノ扱いしてしまう
そこに今の私たちが持つ
大きな病があるのかもしれません。
自分は一代で
終わるのかもしれませんが
先祖から受け継いだいのち
それを次の代へバトンタッチする
そういう連続性を忘れると
人間自体が絶滅危惧種に
なりかねない
そういう危険性を
はらんでいるように思います。
昨日とは打って変わって
夜から朝にかけて雨
しかし午前中には雨も上がり
穏やかな彼岸会となりました
ちょっとしたパフォーマンスで
京都から安田念珠さんがお見えになり
数珠繰り用の念珠の玉の入れ替え
普通念珠の玉は百八あるのですが
当院では大勢で出来るように
540玉の大念珠です
その念珠の玉の入れ替え
それぞれ各家の先祖供養の
名前が彫られた念珠玉に
入れ替えるのです。
簡単な作業かと思いきや
安田念珠さんも30分もあれば
大丈夫ということだったのですが
念珠の紐も入れ替えるということで
糸を切って新しい玉の部分と繋ぎ
それから、球を新しい紐に
通しかえていくのです
ご信徒の方々も初めて見る作業
思わぬ大仕事に
みなさん総出でお手伝いということに
これもなかなかの力仕事で
途中で交代しながら
全部通し終り
最後は締めにかかります
綱引きの要領でお互い引っ張り合いこ
手繰り寄せるように締めていきます
緒止めの部分を占めて結び
完成ということです。
思わぬ大仕事に興味津々
みんなで作り上げた大念珠
住職を中心に光明真言を唱えながら
お数珠繰りでご先祖さまへ
思いを致しお数珠を回します
自分たちで作り上げたという
こともあり、一際
思いが通じたのではないでしょうか
彼岸会の法要も終り
住職からの法話
醍醐寺から頂いた感謝状
の報告もあり
昨年の台風では醍醐寺も
大きな被害を受けました。
その後はちらし寿司や
坊守さんお手製の護摩豆腐
おにしめ、白和えに
舌鼓を打たれ
また、
フジバンビさんから
黒糖ドーナッツ棒の新製品
イチゴ味のドーナッツ棒が
振る舞われました。
本当に暑くもなく寒くもない
まさにお彼岸のお中日でした。
5時30分静かに港を離れます
この時期は美しい夕日が見えます。
これから日が落ちかけます
夕日は心落ち着くものを感じます
一日の終わり
慌ただしかった一日も
静かに終わろうとしています
見ているうちに日は落ちていきます
関空を飛び立ったのでしょう
小さな飛行機の姿も捉えることが
できます
望遠を伸ばし動く機を捕えるのは
なかなか難しい
真っ赤に染まっていく
夕日を背に港へ向かう船
もうすっかり日も隠れたようです
瀬戸内海は難所でしょう
行き交う船の多いこと
その船とすれ違いながら
フェリーは進んでいるようです
中には漁船もあり
それを避けながらというのは
大変な技術がいるのでしょう
ということを思っているうちに
1時間もすると
明石海峡大橋が見えてきます
船から見上げる大橋の威容
向うは淡路島
いつもは冬場のせいか
真暗いうちに通り過ぎるのですが
今日は美しい夕日をお拝めたという
こともあって外の景色を楽しみます
いよいよ日も落ち
暗い海に向かって航海です。
今の船は大きくなり
少しの波もなんのその
全く揺れる気配もなく
滑るように進んで行きます。
お彼岸です
彼の岸に向かって
此の岸から渡っていく
昔の人たちも彼岸への憧れをもって
このお彼岸の1週間を
過ごしたのでしょう。
渡海文殊という仏さまも
いらっしゃいます
また、修行の最終目的は
海の遥か彼方にあるお浄土へ
旅立つことです
小さな船に乗り西に向かって
旅立つのです
もちろん死出の旅です
船の小屋ではお経を唱え
念仏を繰り返したのでしょう。
それが最高の旅立ちだったようです。
そっと掃除をしていると
ひっきりなしにお参りの方が
お見えのようです
明日は彼岸のお中日
しばし世の喧騒を離れ
静かにお寺で
ゆっくりした時間を過ごされ
お数珠繰りをして
ご先祖にお参りして
法話を聞き、御斎に舌鼓を打ち
たっぷりと豊かな時を過ごして
また現実の世に帰っていかれます。
西方というのは
ひつとつの象徴的世界でしょうが
人間の心の中に一種のやすらぎの
世界を感じるようです
船出し西に向かう
ふとそのような感覚になりました。
一休さんの歌に
「釈迦といういたずら者が
世に出でて
おほくの人を迷わするかな」
というのがあります。
一休さんらしいというか
変化球でズバッと真理をついている
ように思います。
「諸行無常」と
私は聞きなれているせいか
何の抵抗もなく
言っているのですが、
しかし、
よく考えて見ると
ゾッとする話です。
自分だけは変わらないつもりで
生きています。
よく、お年寄りに
(自分もそうなのですが)
お聞きすると
気分は娘よ!!
という答えが返ってきます。
不思議なもので
鏡で自分の顔を見ると
皺くちゃになった顔に驚くし
道を歩いている時など
ビルのガラスに映ったわが姿を
見ると、こうも変ったのかと
ビックリします。
鏡とかを見ないで生きていると
気持ちだけは昔のままで
いるのです。
そこに向かって
「諸行無常よ!」
世の中の娘が嫁と花咲きて
かかとしぼんで
ばばと散りゆく
といわれるものなら、
そんなことはない、と
否定しつつもどこかしら
受け入れざるをえない
気持ちもどこかにあります。
諸行無常とは
本当にひどい話です。
また残酷な事実でもあります。
そういうことを言う
お釈迦さまですから
折角のんびりと楽しくやっている
私たちに冷たい水を
頭からかけるようなものです。
本当にいたずら者ですし
事実を見せられ迷ってしまいます。
まわりで
知った方が亡くなって逝かれます
先日もロックンロールの方が
シャギナベービーとか言って
逝ってしまわれました。
聞くと年もそう変わらない
ボーっとして生きていたら
10年なんてあっという間
そいう自分も10年たてば
80を超えてしまう。
思えば嘘みたいな話です。
かと言って
まだ死にそうにないように
思っているのです。
しかし何があるかわかりません。
出来るだけ事実を見ないように
現実を忘れて
楽な楽しいことばかり思って
いたいのですが
諸行意無常です
一歩一歩時間は進んでいます
何時なにが起こるのか分からない
時は流れていく
これはクロノスという時間
そのなかに
カイロスという実存の時間
永遠にふれる今という時間
有限ではあるけれども
自分の生きている今
ということを考えると
ただ流れていく時間ではなくて
止まったような時間が
見い出せるように思うのです。
一休さんも
多くの人を迷わした
と言い切れる、ということは
その反対に迷わない世界を
見い出したということでしょう
そういう大きな問いかけが
込められているように思います。
迷っていることも分からず
生きているのが私たちですから
よく、煩悩が多くてとか
迷いに迷ってとかいいますけど
それは何か都合のいい道はないかと
取捨選別しているだけで
うろうろしているだけで
迷っている訳ではありません
迷いが見つかったということは
その反対の
迷わない道を見出している
ということです。
自分を知るということも
浅くも捉えられますし
また深くも見つめていくことも
できます。
せっかく頂いたいのち
どこまでも深く自分を見つめて
いくことがより豊かな人生に
なるように思うのですが、
地位や名誉や金や欲や
といっているうちに
自分を見失てしまいます。
そういう皮肉も込めて
一休さんは詠まれたのでしょう。
「諸行無常」ということを
英語でどういうのだろう ?
というのは、先日のテレビで
今の世の中の進み具合は
ボケボケしていたら
年寄りはついていけなくなるほど
進み方が早い
携帯電話も5G(ファイブジー)とか
すぐそこまで来ている
これが普及してくると
生活が比べものにならないほど
進んでくるという。
という話を聞きながら
ふと思ったのですが
お釈迦さまは
すでに2500年の昔から
「諸行は無常なり」
といっておられるではないか
ということです。
変っていって当然、
変らない方がおかしい
それについていけるかどうかは
別の問題ですが、
「すべてのもは変わっていく」
というのが大前提です。
写真家の方が花を撮っていても
今撮ったのと、
次のシャッターを押す時には
もう花は変わっている
ということです。
瞬時瞬時に変っていっている
当たり前のようですけど
その事を発見されたお釈迦様は
驚きをもって、
仏教の旗印の一つとして
「諸行無常」
ということを真理の一つとして
見い出されたのです。
テレビでは
「美魔女」とかいう方が
大人気で、
どうやったらその若々しさが
保てるのか、
いろいろ体操やら食べ物やら
顔の動かし方やら、
つまりアンチエイジングに
余念がないのです。
事実は刻々と変化している
それも老いという老病死に向かって
その変化を少しでも食い止めよう
ということなのですが、
ですから、昔から
人々はアンチエイジングを信じて
実行して来たのです
しかし、どこか心の奥底では
老いに向かっているということを
感じつつも
日々、老いに逆らって
ですから、
諸行無常ということは
分かりつつも、
受け入れたくない
というのが刻々と変わる今を
見ないようにしてきたというのが
現実のようです。
で、英語ではどういうのだろうと
気になってきたのです。
Nothing is permanent
(不朽のものはない)
Life comes and goes
(人生はいずれ終わる)
どうもぴったりこないようです。
ある先生は、
All is Vanity
(すべてのものはむなしい)
となると、無常ではなく無情
というようになると思います。
All things must pass
(すべてのものは移り変わる)
と色々ありましたが、
簡単にChangeと
All Things is Changing
と、
こういう英語はないかもしれません
もっと、物理的に
すべてのものは刻々と変わって
いっている
ということの方が
「諸行無常」ということが
ぴったりするように
思うのですが ??
その後に続く
「これ消滅の法なれば、
消滅を滅し終わって
寂滅の楽となす」
ということが訳しにくいように
思うのです。
また考えて見なければ
と思っています。