本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

JIJIのお使い!?

2015-07-31 17:22:49 | 住職の活動日記

今日も気温がぐんぐん上がり、

 

    

 

外に出している温度計は

39度を超えています。

郵便局までJIJIのお使いです。

ちょうど通り道は井川沿いの遊歩道

日陰もあり、

さほどの暑さは感じません。

 

用事も済ませ、

この近くの茶畑へ 

 

    

 

ここの茶畑は100年以上も

続いている茶畑

農林水産大臣の表彰も受けている

自然の肥料で大切に育てられている

時期になると

藁の覆いで四方と上の部分は

覆われます。

お抹茶ができるのでしょうね。

 

     

 

いま、グングン育っているようです。

隣りには、酔芙蓉が

 

    

 

暑さに負けず、

美しい姿を見せています。

 

    

 

この付近は路地というか

行き止まりになっているような?

でも曲がると

 

   

 

路地というか、人の屋敷のなか

まあ、こういう道があちこちにあり、

 

   

 

曲がってみると、

突き当りが大きな道があるよう

 

    

 

宇治というような

昔ながらの家が見えて来ました。

 

井川沿いに帰ると、

この暑さ、

蝉時雨もなく、

蝉たちも

 

   

 

木に止まって、じっとしているようです。

 

   

 

小一時間のお散歩です、

歩いているときはさほど

感じなかったのですが

家に着くとどっと汗が吹き出してきます。

 

外の温度計は

 

    

 

40度を超えています。

 

心頭滅却すれば 火もまた涼し 

 

でも、熱中症にはご用心です!

 

 

 

 

 

   

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金魚のお墓

2015-07-31 11:14:54 | 住職の活動日記

金子みすずさんの詩に

『金魚のお墓』があります。

 

暗い、さみしい、土のなか

金魚はなにをみつめてる

夏のお池の藻の花と

揺れる光のまぼろしを。

 

静かな、静かな、土のなか

金魚はなにをきいている

そっと落葉の上をゆく、

夜のしぐれのあしあとを。

 

冷たい、冷たい、土のなか

金魚はなにをおもってる

金魚屋の荷のなかにいた、

むかしの、むかしの、友だちを。

 

当院の池でもう10年以上も

生き続けたでしょうか?

体長も20センチを超え、

死んでみて初めて

その大きさと重さを感じました。

餌キンとして店にいた金魚

10匹余り買ってきて

生き延びて、

この池がわが家となり、

たくさんの子供も産みました。

今いる小さな金魚たちは

皆このお母さんの子供たちです。

 

熊本へ帰る一週間ほど前

でしたか?

金魚の具合が悪いと

電話がありました。

塩水に入れてみたら??

それから、…

ひっくり返ったまま

生き続けたのですが、

帰る前日27日についに

死んでしまったそうです。

 

まあ、天寿を全うしたのかもしれません?

たくさんの子や孫やひ孫に囲まれて

ときには、鷺の襲来に

おびえながら、

一度はくちばし出挟まれたことも

あまりの大きさに

鷺も持っていくことができず

落としてしまった、

そうやって、色んな困難を

乗り越えて、

ここまで生き延びたのです。

 

たくさん生まれた中には

鷺のご馳走になってしまった

金魚もたくさんいます。

そんななかこの環境と

偶然が積み重なって

ここまで生きることができたようです。

 

この池で寿命をまっとうし

みんなに囲まれて

死を迎えたことは

ある面からいえば幸せだったかも…?

 

いまは、子や孫や相方のいる

近くの土のなかで、

静かに、静かに、

一緒にいた家族のことを

思い出しているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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十地経

2015-07-30 21:10:40 | 十地経

安田理深先生の「十地経講義」を

読んでいるのですが、

その十地経の経典をなくしてしまい、

経典の文字に触れたくて、

一応、中央文庫から出ている

大乗経典の中に「十地経」があり、

読んでみたのですが、

あまりに口語訳されていて

どうもシックリこないのです。

 

帰った折、

『大蔵経』があるのを思い出し、

たぶん、「華厳部」で、

これか?? と思って

 

    

 

棚から引き出して、

パッと開けたら  …  なんと

 

    

 

 

ちょうど、十地経の七地

「菩薩遠行地第七」というところが

出てきました。

一応コピーして、目を通したのですが

講義の中で出てくる言葉に

出合いません。

まあ、帰ってから

大きな文字に書き写すとして、

 

 

    

 

この経典は「大正一切経」といって

大正時代に高楠順次郎先生によって

編纂されたものです。

 

お寺にとっては命ともいうべき

経典です。

だから、経蔵を作りそれも土蔵で

万が一火災にあっても

寺は焼けたとしてもこの経典だけは

残さなければいけない、

というべきものなのです。

 

先代の住職は考えたのでしょう。

これからは土蔵ではなく鉄筋だ、

たぶん熊本では一番古い鉄筋コンクリート

かもしれません?

昭和3年御大典記念として建立、

今のように型枠がなかったので

シングルの鉄筋を組み、

それに左官職人が何層にも

塗り固めて行ったそうです。

 

仏法は八万四千の法門といいますが

この大蔵経もそのすべてを

網羅しているのです。

経典といっても人間の解析だと

そのように思うのです。

何も神の言葉が書いてあるのではなく、

仏の言葉というより

人間の内容を分析していったら

あの様な膨大な経典になったのです。

 

今ごろ、

「自分の言葉で語りなさい」

ということを言うようですが、

よく考えてみると

自分の言葉といっても

自分自身がよく分かっていない

そんな中で、自分の言葉が出てくる

わけはないと思うのです。

自分にとって都合のいいことしか出てきません。

 

先人たちは血の出るような苦労をして

自分自身をまな板の上に上げて

切り刻んで、分析したのです。

そして作り上げたのが

この経典になったと思います。

 

仏教では学ぶ基本は

「聞・思・修」(もん・し・しゅう)

といいます。

まず、

師の教えを聞くことから始まります。

安田先生の十地経も

「見て敬い聞いて忘れず」

ということから始まります。

本当の話を聞いて忘れず、

その聞いたことによって

思索が始まるのです。

 

なにも、本当の話を聞かない人に

自分の言葉が出てくるはずが

ないと思うのですが??

よく聞いて、繰り返し

そして、考えて(思)

疑問が出たら更にまた聞いて

そして実践する(修)

何かが抜けてしまうと

間違いを起してしまうものです。

 

シンクロの井村コーチも

「練習以外自らを支えるものはない」

とまで言い切っておられます。

「自分で努力した!」

ということは言うな、とも

努力したかはコーチの私が決める、

 

やはり、師の教えを

とことん聞いて努力して

その繰り返しです。

 

修行の道はいずれの道も同じです。

 

聞いて、読んで、書いて

忘れて、

又聞いて読んで書いて

その繰り返しのようです。

何かバカみたいなことのように

思うものですが、

そのこと自体が三昧に入っているのでしょう。

 

シンクロの選手も

「きつけど、きつくない」

ともいっておられました。

努力がそれこそ努力ともいえないほど

努力が熟しているのでしょう。

 

あらためて、十地経というのは

実践のお経だなと

ぼんやりと感じることができます。

この経典を軸にして

いろいろ世間を見ていると

面白いものが出てくるようです。!!

 

 

 

 

 

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「ドクターイエロー」を観た!!!

2015-07-28 10:31:18 | 住職の活動日記

写真とかテレビでは見たことがあっても

実物のドクターイエローには

めったにお目にかかることは

ありません。

ところがです。

 

    

 

止まっていたのです。

 

検査走行しているので

もっと汚れているものかと

思いきや、

 

   

 

とても美しい車体です。

 

突然の出現に周りの人たちも

にわか鉄雄さんになって

しきりにシャッターを切っています。

 

 

   

 

なぜだか、とてもラッキーな気分   

 

男の孫にラインで送ると

とても興奮してたようです。

 

 

 

 

   

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暑中お見舞い申し上げます!

2015-07-27 07:39:26 | 住職の活動日記

毎日暑い日が続きます。

特に、都会ではビルに囲まれて

 

    

 

それもガラスのビル群で

暑さもひとしおです。

 

道をかけていた小さな子供が

ころんで、おもわず

『あっちっ!!』と、

痛いよりも熱い方が先に出てしまう。

たぶん、

冷えたレストランから出てきた子供でしょう

あまりの熱気に顔をゆがめ

「おとうしゃ~~ん」と

抱っこしてもらっていました。

 

先日、北海道から花のたよりが

夏というと、

ヒマワリとかハイビスカスの

原色の花が多く

暑さに向かって負けじと咲いている花

それも元気がでますが、

やはり、札幌からの花便りは

清々しい!!

 

    

 

札幌の智誠院さん

坊守さんが丁寧に育てられています。

 

   

 

何かしら色合いといい、

涼風を感じます。

 

   

 

アジサイでしょうか?

札幌は今頃が見ごろでしょう。

 

   

 

こういう淡い色合いの花は

息をするのも暑いときには

ちょっとした清涼剤です。

 

 

    

 

これから増々暑さが厳しくなってくるでしょう。

どうぞ、ご法体大切にお過ごしください。

 

 

 

 

 

 

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近畿水環境交流会in宇治川オープンラボラトリー

2015-07-25 20:31:12 | 住職の活動日記

先日の新聞で、

京都大学防災研究所に巨椋池の

ビオトープが作られた、

ということを知り、

この会に参加いたしました。

京阪中書島から、豪川沿いに歩き

三栖の閘門から京大の研究所まで

2時間の炎天下の行軍です。

 

   

 

といっても、日陰も多く、

疎水沿いですのでさほど暑さは

感じることなく、風と青空を感じながらの

歩きです。

 

    

 

坂本竜馬ゆかりの寺田屋も通り、

 

   

 

この橋の上から、三つの川が合流する

地点、

この会の主催である

摂南大学の澤井健二先生の

説明で、何気なく通っていたところが

また、興味深く、

 

   

 

もとの伏見港の跡地です。

今は立派な公園になっています。

昔はここら付近が

物流の中心地で材木問屋も

数多くあったそうで、

ここに集められた物資は

高瀬川を上がり木屋町へ運ばれた

 

    

 

鴨川派流、豪川、高瀬川が一つになり

宇治川へ注いでいるのです。

 

    

 

左側に川は見えませんが

高瀬川との合流地点、

 

   

 

これが昔の名残の旧高瀬川

今は、東高瀬川となっています。

 

   

 

右手に少し赤いところが三栖の閘門

左手が宇治川へ注ぐ水門、

今日はこちらの水位が高く

水門を開けて宇治川へ放水していますが

いつもは宇治川の方が水位が高くなるので

閉じているそうです。

 

   

 

三栖の閘門の上からみる

宇治川本流、

宇治川に沿って南下、

 

   

 

対岸に見えるのは「葦・ヨシ」の原野です。

何も手が加えられていないのですが、

渡り鳥の休息所にもなり、

葦は水質浄化にもなり、

一部は桂離宮とか神社仏閣で

葦で屋根をふくときに

使われるくらいだそうです。

高槻にも葦の原野があり、

ここの葦は篳篥(ヒチリキ)の

リードになるそうです。

祖父が雅楽のときに吹いておりましたので

何かしら葦と聞いて身近に感じるものです。

 

昔の庶民の家は葦で葺かれたり

葦は生活にとって、とても重要な

この付近の人達にとっては

大きな収入源だったのでしょう。

 

 

    

 

宇治川沿いから入ったところに

「京都大学の防災センター」はあります。

 

早速センターの3階に上げて頂き、

この屋上からの眺めは絶景です。

 

    

 

南に宇治川、北に比叡山、

醍醐山、黄檗山が見渡せます。

しかし、洪水となると大変でしょう。

 

秀吉もこの巨椋池、宇治川を

いかに利用し灌漑するか

心血を注いだようです。

河を修めるものは国を治める

といっても過言ではないでしょう。

今でも、この宇治川をいかに制するか

そのための防災センターなのです。

 

    

 

ここが巨椋池ビオトープ、

200分の1とか、

巨椋池の自然を自然のままに再現して

小さな生態系が生まれています。

 

   

 

カエルも自然にやって来たそうで、

亀もやって来て、

亀さんは植物の芽を食べるので

ちょっと厄介者扱いだそうですが、

 

   

 

巨椋池にあったであろう

数種類の違った蓮があちこちで

白やピンクの花を咲かせています。

 

   

 

もう蓮の台(うてな)になっているものも

 

    

 

希少生物の「ムジナモ」、

食虫植物でやって来た虫を食べるそうです。

 

   

 

唯一、巨椋池にちなんだ

「オグラコオホネ」が黄色い

小さな花を咲かせていました。

 

今日明日とあるのですが、

地域の方、近くの高校生、大学生

淀川愛好会のように水に関する

ネットワークやプロジェクトの方

各種各様からの参加のようでした。

 

とても面白く、有意義な会で

スタッフの方々それに、

澤井健二名誉教授に感謝です。

 

 

 

 

 

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あとのまつり

2015-07-24 21:59:38 | 住職の活動日記

たまたま、四条大宮へ

行く用事があり、

賑やかな御囃子が聞こえてきます。

 

   

 

そうか??

今日は祇園祭の「後祭り」です。

まさか、四条大宮までとは

思ってもいませんでしたが、

 

   

 

山鉾ではなく御神輿さんが

四条大宮から北へ上がって

それから、祇園社へお帰りになる

という道中だったのです。

 

   

 

行列は延々と続きます。

ちょうど6時ころだったのですが、

まだまだ8時過ぎまでは

交通規制もあり、続くようです。

 

   

 

御稚児さんも通られ、

 

   

 

神主さんでしょうか?

馬に乗って …

 

この後、

「ホイット、ホイット」の掛け声で

御神輿さんが通って行かれるようです。

 

大宮通は四条から急に細くなり

車がやっと通れるほどの

一車線の道です。

そこを、この行列が、

御神輿さんまで通って行かれます。

 

今年は祇園祭は行けませんでしたが

ちょっと用件があったおかげで

「あとのまつり」をお拝むことができました。

 

もう少し早く見れば良かったのですが

それこそ、あとのまつり、です。

 

 

 

 

 

 

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京都縦貫自動車道全線開通

2015-07-23 21:07:39 | 住職の活動日記

7月18日、

「京都縦貫自動車道」が全線開通、

昔は地道で数時間もかけて

日本海へ出たものです。

距離にして100キロちょっと、

この縦貫道ができたおかげで

1時間半ほどで丹後の方へ

行くことができます。

京都といってもとても広く

山あり海ありそれぞれ違った表情を

見ることができます。

 

   と

ひとっ走り!!

 

    

 

「味夢」というサービスエリア

まだ真新しいところがなんともいい

 

    

 

車の台数もさほど多くなく

ほぼ全線がまだ対面通行

ちょっと休憩して、

 

    

 

あっという間に『天橋立』にある

文殊院、

智慧の文殊さん知恵の輪があり

 

   

 

鎌倉時代の宝篋印塔も、

ここから船で天橋立の松並木沿いに

内海の阿蘇海を傘松公園へ

 

   

 

対岸に着くと、

籠神社(このじんじゃ)、ここは

伊勢神宮が今の伊勢の地に

お祀りされる前にいらっしゃた

所です。

 

   

 

とても立派な、

 

   

 

風格を感じさせる神社です。

 

    

 

厳かな雰囲気を醸し出しています。

 

    

 

屋根の形も伊勢神宮と一緒です。

ここで、一礼して

 

    

 

つがいでしょうか一対の蝶が

仲良く乱舞しています。

 

リフトで傘松公園へ

 

    

 

一気に上がっていきます。

 

   

 

天気も良く、空と海の青さが

見事なコントラスト!!

絶景かな!  絶景かな!

 

    

 

舟で元に戻って、一服

阿蘇海を眺めながら、

この喫茶店の前には面白い橋が

 

   

 

舟が通る時は橋が90度回転して

こういう回転する橋も珍しいのでは、

再び、文殊院の境内をぬけ

 

    

 

横目に多宝塔を見て、

 

   

 

とても立派な、やはり鎌倉時代の

建物のようです。

 

ここより一路北へ向けて

丹後半島にある「伊根」を目指します。

ここは「伊根の舟屋」が有名で、

前々から一度行ってみたいところでした。

 

   

 

伊根の舟屋めぐりの観光船で、

 

   

 

珍しい海と直結した漁師さんの

舟屋です。

 

   

 

波が静かで、

家の中に船が入るという

住まいであり、船の家でもあり

ガレージ付の家のようなものです。

 

    

 

同じ京都いってもこのような景色も

楽しむことができる。

 

    

 

この日は天気にも恵まれ

空と海、

「空海」なんとも雄大な名前と

あらためて感じ入ります。

 

   

 

伊根の海は静かで、

しかし、土地はあまりなく

舟屋といっても、家の前には

細い道、その裏にはすぐさま

山が迫っているのです。

山にへばりつくように、

海に面して舟屋が建っている。

そんな必要に迫られた

ぎりぎりの生活空間のようです。

 

しばし、海の空気を胸いっぱい吸い

海と空の青さお目に焼き付け

一路帰路へ、

 

1時間余りのドライブですが

同じ京都とは思えない

異空間に来たようで

小さな旅行気分を味わいました。

 

この付近には舞鶴もあり、

途中には福知山も、

また違った京都の一面が

楽しめるようです。

 

 

 

 

 

 

   

 

     

    

 

    

   

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「だるまさんがころんだ!」

2015-07-22 20:02:34 | 住職の活動日記

「だるまさんがころんだ」

木に向かって立ち、10数える意味で、

こう呼んだのですが、

今は公園で遊ぶ姿もなく

この遊びも無くなってしまったようです。

この数え方にはもう一つ、

「ぼんさんがへをこいた」

というのもありました。

子ども心に嫌な響きでした。

 

案外、意味もあるようで、

昔の坊さんは精進で

うんこも屁もさほど臭くなかった。

たまに盗み食いして

肉とか食べると、便の臭いや

屁の臭いですぐわかったものです。

だから、

「ぼんさんがへをこいた」というのも

精進を破ったな!!

という隠れた意味もあるようです。

 

私も子どもの頃、そのことで

祖父見つかって、

「肉食べたのは誰や!!」

と注意されたものです。

 

「だるまさん、だるまさん、

にらめっこしましょう、

わらったらまけよ、あっぷっぷ」

という、にらめっこの遊びも

最近ではなくなりました。

でも子供にはとても面白いようです。

小さい間だけですけど、

 

「だるまさん」

起き上がりこぼしのだるまさんが

浮かんできますが、

あのギョロッとした目、

そして愛嬌のあるような

ブスットしたような顔つきから

にらめっこや起き上がりこぼしになり

親しまれてきたのでしょう。

 

けれど、「だるま」といえば

「達磨」と書きサンスクリットでは

(Dharuma)です。

法というふうに訳すのですが、

この「だるま」は人の名前のようで

この方が座禅して、

「面壁九年」(めんぺきくねん)

という言葉があるように、

悟りを開くまで壁に向かって

九年間も座り続けた。

それで、手も足も腐ってしまった

そこから、起き上がりこぼしのような

姿が生まれたともいわれています。

可愛らしい姿なのですが

本当は命がけの真理を求めての

修行の姿だったのです。

 

「痔」という文字も

やまいだれに寺と、書きます

だから、座禅して座りすぎて

痔になったところから

やまいだれに寺と書くのかと

思っていましたが、

どうもそうではないようです。

 

西洋では逍遥学派という

こともあるようで、歩くということが

考える、思索する方法だったようです。

ところが、東洋では座る

座禅して瞑想するということが

思索の方法だったようです。

面白いことに聖人の肖像画を

見ると、

東洋と西洋では

大きな違いがあるようです。

弘法大師にしろ伝教大師にしろ

その姿は半眼で静かで

禅定に入っている姿です。

外国の方は

目をパッチリ開け、天の一郭を

にらんでいる。

 

そういうところにも

宗教観の違いがあるようです。

 

「達磨大師」も

だるまさんになったり、

数を読む掛け声になったり

いろんな形で皆さんの中に

しみ込んでいるのは

本望だったかもしれません。

 

 

 

 

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御手洗祭り(みたらし)

2015-07-21 07:11:40 | 住職の活動日記

土用のこの前後の時期

下鴨神社では「御手洗祭り」が

執り行われています。

「みたらし団子」の発祥のようです。

 

本殿に続く「糺の森」(ただすのもり)

糺は正すに通じ、身も心も正してくれる

そのような雰囲気を持った森です。

 

   

 

京都市内の中にも

このような静寂の森があるのは

なんとも不思議な雰囲気です。

私もとても好きな場所でもあります。

 

   

 

身を清める場所でしょうか、

清らかな水が流れ自然の川を

なしています。

 

   

 

御手洗のいわれが立ててあります。

ということで、

お参り前にまずお団子を頂戴、

 

   

 

ひっくり返して焼け目が付いた所で

餡につけて、

 

   

 

一つ、間をあけるのが

ここの特徴です。

水に足をつけた時、

大きな泡が一つ出た、

そのあと四つ出てきた、

それを形にしたとも、

人の形、頭があって体がある、

それを模したものとも言われています。

 

   

 

小腹がおさまったところで参拝、

 

    

 

葵祭があるようにここの御紋は

葵の御紋です。

 

いよいよ、身を清める

「御手洗」へ、

 

   

 

ズボンをまくり上げて

いざ、水の中へ、

思ったより冷たい、

水も結構深く、膝まで来ます。

 

   

 

片手にろうそくをもって、

お供えして、お清めの神事は

終わります。

 

   

 

体の中も清めるということで、

水から上がると、

冷たい清らかな水を一杯、

 

足をふきながら、見ると、

ズボンのすそが落ちて

すっかり水浸し、

結構足が冷えて靴下をはくと

足の温かさが伝わってきます。

 

   

 

まあこのような形で

身を浸して無病息災を願い

水に入ります。

暑い夏にはヒンヤリとして、

気持ちのいいものです。

 

   

 

行ったのは夕方でしたが、

どんどん人が増えているようです。

10時まで行われているので、

暗い中でろうそく片手に

お参りはまた違った趣があるでしょう。

 

26日まで御手洗神事はあるようです。

 

 

 

 

 

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