本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

熊本駅ING

2019-11-30 12:30:45 | 住職の活動日記

だんだんと姿を整えていく熊本駅

 

 

まだ工事半ばという事でしょうが

美しく生まれ変わろうとしています

 

 

駅の全容は一面壁のようですが

これは熊本城の石垣をモチーフにした

姿のようですね。

 

 

熊本駅と相対するように

森都心プラザというビルがあり

色々の施設があるようです

そこからの眺めも面白い一場面です

 

 

高度駅の裏には「花岡山」という

背の低い山があり

その頂上には「仏舎利塔」が

お祀りされています。

面白いことにその近くには

「熊本バンド」の発祥の地もあり

12月にはミサが行われます

ここが元となって

京都の「同志社大学」の礎を

築いたということです。

一つの山に仏教の整地があり

キリスト教の聖地もあるという

興味が湧いてくる所でもあります。

 

 

今いたビルから後ろを振り返ると

森都心ビルと重なるように

熊本一高いマンションが

聳え立っています。

 

足を駅の方に進めると

駅の圧倒するような姿が

見えてきます

 

 

やはり熊本城の石垣の容貌です

 

 

手前が在来線、

その向こうが新幹線になります

 

 

全面壁で覆ったという姿は

他ではあまり見かけない形です

 

 

構内に入ると

「ハンドボールの世界選手権」

のボールの形のモニュメントがあり

レストランやいたる所に

それらしきユニホームを着た方を

見かけることができます。

 

もうすぐ、完全な姿として

生まれ変わっているようです。

 

 

 

 

 

 

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自然法爾(じねんほうに)

2019-11-28 20:19:37 | 住職の活動日記

一雨ごとに秋も深まり

もみぢも色づき、

やがて葉を落としていきます

 

 

本蔵院のもみぢも

朝からの雨で一段と散るのが

早くなったようです

 

今日もお不動さまも

朝からは少し風が冷たくなったようで

赤くなった葉も舞い落ちています

 

 

もう結構すかすか

バックが良いともう少し絵になる

風景ですが

何せ町の中ではそうはいきません

 

自然法爾、

自然(しぜん)ではないのです

そのままの姿

芽生え、咲き、赤くなり、散り

自然のままの姿です

 

「そのままでいいのですよ」

「ああ、そうですか

 このままでいいのですね」

「いやちがう、

 このままではいけない

 そのままでいいのです」

 

このままと自分を肯定しては

いけないのでしょう

どうあがいても

このままでいいと

頑張っても

それではいけないので

自分のありのままを

素直に受け受け入れる

 

そこには

大きな葛藤があると思います

今までの自分を否定して

自分の我を通していたことが

矢折れ、玉尽きて、

自分の未熟さが思い知らされた時

はじめて

このままでいいと

頑張るのではなく

そのままでいいのだったと

自分を受け入れることができたとき

「そのまま」

ということが受け止められるのでしょう

 

 

落ちた桜の紅葉

赤くなった姿も美しいものです

と思いつつも

だんだん散っていくと

見苦しくもなり

仕方なく掃いていきます

するとまた風が吹き

落ち葉は散っていきます

 

 

これこそ自然(しぜん)の姿

風が吹けば散り

散ればまた掃く、するとまた散る

ご苦労様と葉をねぎらい

掃き清める

その繰り返しですが

それが大切なことで

無理やり散らすのでもなく

風に吹かれて散る落ち葉を

眺めながら掃いていく

 

そういう見方こそが

自然法爾、ということでしょう

自然という字も

「しぜん」とも読めば

「じねん」とも読みます

そこに深い意味もあるのでしょう

なんでもしぜんでいいのだと

いってしまうと

そこには修行ということも

成り立ちません

じねん、というところに

修行が身に付き、板につくように

なるまでやっていくと

なすことすることが

身に沿い身にかない

自然(じねん)のままに

動くことができるようです。

 

 

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国宝・迎賓館赤坂離宮

2019-11-26 16:35:00 | 住職の活動日記

もともとは東宮御所として

皇太子のお住まいとして建てられた

のですが、

その後は迎賓館赤坂離宮として

世界の賓客をお迎えする場として

活躍しています

 

 

正面の立派な門ですが

入るのはくるりと回った所から

持ち物検査を受けたうえ

中へ入ることが出来ます。

 

内部は一切撮影禁止です

けれども立派な冊子を頂くことが

できます。

フランスというか外国の宮殿のような

立派な建物です

けれどもよく見ると

その中にも和的要素が取り入れられ

一見すると洋風ですが

じっくり見ていくと飾りとかに

和のモチーフを見ることが出来ます

 

一つ気になったのは

「彩鸞の間」(さいらんのま)

鸞という字は「親鸞」という名前が

思い浮かび、

ここは仏教的要素か??

と思いきや、

「鸞」というのは

鳳凰の類の霊鳥で形は鶏に似て

羽毛は五色がまじり声は音楽の

ような声を出すということです。

中国では天子に関するものに使われ

鸞車(天子の乗る車)

鸞旗(天子の御旗)

というようなものがあり、

この部屋のドアの上には

鸞の黄色に輝く作り物があります

来客の最初に案内される控えの間

で、

首脳会談や条約の調印にも

使われるということです。

 

その外国の宮殿にでも来たような

立派さに驚きながらも

その美しさを堪能して

外に出るとその庭も豪華で

 

 

こちら側に広がるのが「主庭」

メイン・ガーデンです

 

 

立派な噴水

その中に建っている彫刻

鷲の翼を持つライオンの像は

ギリシャ神話の「グリフォン」で

ここを護る守護神です

 

 

この噴水も国宝です。

それから表に回るとその庭は

「前庭」です

 

 

この前に前庭が広がっていますが

正面入り口から広い庭を抜けて

中門を通り、

この石畳の前庭に入ってきます。

 

 

正面の屋根の上の両脇には

鎧を着た像が立ち

建物の両翼を前に張り出した

湾曲している

お客様をお迎えするかのような

建物です

 

 

また正面の両脇には

金色の鳥が4羽天球儀を囲むように

配されています。

 

前庭の前には赤いテントが置かれ

そこで、ケーキとお茶を

楽しむことが出来ます

歩き回った足には何よりの御馳走

天気も回復しお日様も照り

ほど良い気候にのんびり

 

 

空を見上げるとヘリコプターが

とても小さく見えたのですが

小さなカメラでも何とか

捉えることができました。

 

この日はローマ教皇様が

お見えになっている

その警戒かもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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フラワーアレンジ教室

2019-11-23 20:18:11 | フラワー

お花を見たら、

「可愛い!」「お花が好き」という

ということで、

急遽、お花屋さんへ出かけ

それぞれ好きな花を買ってきて

我が家が「フラワーアレンジ教室」

となりました

 

 

それぞれに花を挿していきます

教えてもいないのに

何だか様になって行くような

 

 

結構真剣なまなざし

好きというだけあって

集中しているようです

 

 

オアシスに挿していくという

ことなので

花を固定するのが簡単で

思いも思いに挿せるのでしょう

意外と早く完成

 

 

まあ!? それなりに

初めてにしてはよくできました

 

 

活けたご本人もたいそう満足気で

大事そうに持って帰りました

 

今では子供の遊びというと

携帯やタブレットで

ゲームをするかYouTubeを見るか

そういう与えられたもので遊ぶ

ということが多いなか

好きといっているお花を活けるという

創造性をくすぐる

こういう遊びも

いいのではないでしょうか。

 

ちょっとした時間でしたが

ケンカすることもなく

仲良く楽しそうにばあばあと

フラワーアレンジをする

何ともいい時間でした。

 

子供たちにとっても

こういう集中できる静かな

時間をもつということは

とても大事なことの様に思います

 

お花は慈悲の心といいます

それも活ける子供たちに

自然の内に優しい心を

植え付けるのではないでしょうか。

 

 

 

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仏になる鍵!?

2019-11-22 20:40:33 | 十地経

弘法大師の著作の中に

『秘蔵宝鑰』

(ひぞうほうやく)

があります。

「鑰」(やく)という字は

カギという意味ですが、

秘密の蔵を開く鍵と、

つまり仏になる鍵で宝の蔵を開く

というのでしょう

弘法大師の言葉に対するセンスの

鋭さに驚きます。

まず、

その鍵を持とうではないかと

 

カギという字も

今は鍵と書きますが

昔は鑰という字を使ています

カギも今は差し込んで回す

というものが主流ですが

昔のカギは開け方が難しく

たぶん、鍵を渡されても

どうやって開けていいか分からない

のではないかと思います

特に国宝級の品を収めた鍵となると

鍵自体も美しいし

どれがカギ穴やら

どうやって差し込んで

どういうふうに開けるのか

分からないと思います

そこであえてというか

昔は鍵といえば「鑰」という字

を書いたのでしょう。

 

 

『十地経』の中に

一番最後に文学的表現で

たとえが出てきます。

金を練って作品を作り上げる

というたとえです

金というのは鉱石の中に

埋もれている

その鉱石から金を取り出していく

ということなのですが

まず、その鉱石を見つける

ということが、

修行の最初「見道」ケンドウと

いうことが出てきますが

まずは金になる鉱石を見つけた

という喜び

それが初歓喜地でしょう

そして鉱石の中から金を

取りだしていくことが始まります

それを練っていくという言葉で

表現してあります

そのことが修行の道程では

鍛錬ということです

切磋琢磨するということです

練り上げながら鉱石の中から

金を取り出していく

 

十地ということも

その練っていく道程

練り上げていく段階をあらわします

鉱石に含まれてある雑夾性を

排除していくという

私たちには「そうだ!」と

頷いても、まだまだ心の中は

不純物でいっぱいです

その不純物、雑夾性を取り除く

段階が十地ということになるのです

 

菩薩という位であっても

五十二位という段階があって

菩薩からいきなり仏ではないのです

 

十地経の講義の中では

鉱石の中から雑夾性を排除して

金そのものを取り出して

一つの作品を作ると

仏という作品をつくっていく

人間を仏という作品にまで

作り上げていくと

というように出ています。

 

普通には修行が終わって

仏になると思いがちですが

そうではなく

無限の修行が見つかった

ということがほとけでしょう

自分を練り上げていく道筋が

みつかった

無限に修養していくことが

見つかった

つまりカギというのは修養という

ことになるのでしょう

修行が終わったというのでなく

 

『十地経』でいえば

「上上に証する」と書いてあります

上上に、とありますから

上へ上へと

一遍得たらもう済んだという

のではなく

それを上上に練り上げていくと

その練り上げるということが

「修養」ということです。

 

これは不思議なことで

やればやるほど

自分の中にある雑夾性が

不純物が見えてくる

名人といわれる方の話でも

まだまだ、とおっしゃいます

これでいいというのは

ある面からいうとやってない証拠

だともいえます。

 

弘法大師も57歳の時

『秘蔵宝鑰』三巻と

それをもっと詳しく書いた

『秘密曼荼羅十住心論』十巻を

書いておられます

やはり「十地」ということを

「十住心」ということで

あらわされ

人間の修行の道程を記されて

います。

 

「修養」ということ

まだそんなこと言ってるのかと

いわれそうですが

案外、この「修養」ということが

仏になる鍵のように思います。

「死ぬまで続けるのよ!」

と言っておられた先生の言葉を

思い出します。

 

 

 

 

 

 

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紅葉散歩

2019-11-21 20:30:17 | 住職の活動日記

通りすがりに、

御所の中を通っていたら

塀越しでしたが

仙洞御所の紅葉も美しく色づき

 

 

松の緑と塀の上に覗いている

モミジもいいものです

 

 

少しグラデーションがかかり

全部真っ赤になるのは

今月末かもしれません

 

 

銀杏も鮮やかの黄色になっています

しかし、ふと下に目をやると

 

 

仙洞御所の中の池から流れ出た

のでしょうか

ここら付近でちょっとしたダムになり

落ち葉をせき止めています

枝にある時は美しく

風情を感じるものですが

こうやって落ちてしまうと

なんとも

厄介な代物になってしまいます

これも人間の見る勝手でしょうが

 

 

建礼門の前のもみじは

今が盛りというか

もう散り始める瞬間でしょう。

 

寺町通り沿いにある通路には

雑然と木々が植えられているのですが

その自然な感じもいいもので

寺町通りは車の往来も多い中

自然を味わえるものです

 

 

誰にも見られず

ひっそりと

山茶花が咲いています

 

 

日の陽気に誘われて

小さなハチさんでしょうか

蜜を求めて飛び回っています。

 

今いたる所、

紅葉が見頃ですが

人の多い観光地よりも

人知れず咲き、

木々の色づきに

気づくのも楽しい発見です。

 

また、14日に訪ねた

メジャーな紅葉スポット

湖東三山です

 

 

何といっても

金剛輪寺の「血染めのもみじ」

他とは違う赤さがあるようです

 

 

百済寺(ひゃくさいじ)では

長寿桜という不断桜

紅葉の赤とのコントラストも面白い

 

 

そんな中

上だけ見とれているのではなく

その下には何とも美しい

まるでビロードのような苔

これも見事なものです

 

 

西明寺の桜は

まだグラデーション状態

これからが見ごろのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「嘗」という字

2019-11-20 17:23:48 | 漢字

「嘗」という字

「尚」の下に「旨い」を書き、

なめる、という意味になり、

そこから、ためすというような

意味も出てきました。

 

先日、

「大嘗祭」が執り行われました。

古語辞典によると、

だいじょうゑ(大嘗会)という

項目で出てきます。

その内容は、

毎年行われる新嘗祭に対して、

新しく天皇が即位した時に、

初めて行われる新嘗祭。

その年の新穀を、

天皇みずから神々に供える儀式で、

一代に一度の最大の儀式。

式の日は、

陰暦11月の中の卯の日で、

即位が7月以前ならばその年に、

8月以後ならば翌年に行われる。

と出ています。

 

また、こういう項目もあって

「大嘗会の御禊」(ごけい)

大嘗会を行う前に、陰暦10月の下旬

天皇が賀茂川で身を清める儀式。

ということが出ています。

昔は天皇は京都に居られたので

そういう儀式があったのでしょう。

 

この「嘗」という字も面白く

よく使う熟語としては

「臥薪嘗胆」という言葉があります。

(ガシンショウタン)

紀元前の春秋時代

越王の勾践(コウセン)がかたきを

忘れないために薪の上に寝て

苦い肝をなめて自分の身を苦しめ、

ついには呉の王・夫差を滅ぼした

という故事です。

そこから、

将来の成功をはかって苦心すること

という意味になりました、が

 

この話にはもう一つの言葉があって

「嘗糞」(ショウフン)という

熟語があります。

(フンをなめる)

越王の勾践が呉に負けたとき、

敵の呉王の糞をなめて、

病気の軽重をはかり、

その味が苦いので、

やがて病気がなおるであろうと

予言したという故事です。

そこから、

人にへつらうことの意味で

こういう言葉も生まれました。

 

まあ調べてみると

知らないことばかりで

新しいことの発見は面白い!!

 

 

 

 

 

 

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佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美

2019-11-19 20:31:49 | 住職の活動日記

NHKで何回も

放送されたこともあってでしょう

昨日で、

入場者は10万人を超えたようです

土日を避けて

今日出かけたのですが

もう終盤戦、24日までです

結構な人出となっています。

 

 

NHKの放送ではドラマ仕立て

というか、

一つの大きな歴史的事実として

取り上げられていました。

 

佐竹家に伝わる三十六歌仙の絵巻物

二巻の巻物だったのを

これを一括で所有するには

莫大なお金がかかり一人では

不可能、

そこで、36枚の絵として切断

その当時の日本の財界人たちが

分けて持つということに、

ですから、

36枚の絵はそれぞれの場所に保管され

今回それが一堂に集まったという

訳です。

今後こう言う機会はめったにないと

思います。

 

36枚の絵は持った方が

それぞれに意匠を凝らし

絵に合わせて表装をされたのです

それもまた見ごたえのあるものです。

 

しかし、まあ

「かな」にしても

よくぞあの細い線で書けたと

驚くばかりです。

ちょっとだけ、かな書を

習っているのですが

とてもじゃないが書けそうに

ありません

見た目にはすらすらと

思うのですが

かな書は車と一緒で

カーブはゆっくりと

曲がる線はゆっくりと書かなければ

細い線では書けないのです。

 

やはり、

名品中の名品

とても見応えのあるものばかり

たぶん、

習ってなかったら

素晴らしさも半減したと思います。

でも書くのは難しい!!

 

堪能して帰りました。

 

 

出口から見る京都国立博物館

遠景には東山も望め

素晴らしいロケーションです。

 

 

ロダンの考える人

こういう場所で瞑想にふけるのも

いいものかもしれません。

 

 

 

 

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修道の人、辻野先生

2019-11-18 20:38:03 | 住職の活動日記

その日も朝から

洛南高校の体操の練習へ出かけられ

夕食を友と済ませ、家に帰り

家で帰らぬ人となった

ということです。

御年76歳

何とも早いご逝去です。

 

お通夜、お葬儀と

生憎、当院の行事もあり

お別れすることはできませんでした

今日お邪魔すると

微笑んだお写真でした

7年前に亡くされた奥様の

もとへ旅立たれたのです。

 

不思議な縁で

東寺の宝菩提院に入られたのが

私より一日早いということで

宝菩提院に着くと

前からいるような姿で

晩酌中でした。

大学を出られて東寺へ

私は高校を出て東寺へ

それから、結婚されるまで

一緒に生活を共にしました。

 

一日も休むことなく

練習は続きました

正月休みもなく、まして

夏休みなどはありません

365日練習です。

 

監督を譲られても

日々の練習には欠かさず

出席されておられたようです。

 

いろいろありました

興に乗ると、

愛用のギターを持ち出し

「アルハンブラ宮殿」など

弾いてもらいました。

西京極幼稚園では

子供二人も体操の時間で

お世話になりました。

 

ある時

練習ノートを見せてもらいました

それには事細かに生徒たちの

様子が記されていました。

これだけの綿密なデーターが

あってこその

日本になられたのだと思います。

多くのオリンピックの選手を

育てられました。

 

 

今でも愛用のキーホルダー

2004年アテネオリンピックで

金を取られた記念の品です

 

 

トミタ・ヒロユキ。

ナカノ・ダイスケ。

選手の名前が記されています。

 

先生の業績は後になって

知ったのですが

一緒に生活していると

とても身近過ぎて

あれだけの功績を成し遂げられた

ということが分かったのです。

 

「十地経講義」の中に

信仰を得れば、

広大無辺の世界に住するんだと

では、お前は広大無辺の世界に

居るかといえば、そうはいかん。

それは信仰が嘘なんじゃない、

修養が足りんのやと。

そういう世界を導き出す鍵は握った

ただ、修養が足りんと。

だから今、

仏というわけにはいかんけど。

我々自身を知れば凡夫だと。

凡夫だけども安心というものが

確立すれば、

それは仏じゃないけど

仏というものはそこからくる

今私自身が練り上げられれば

それが仏なんだと。」

こういう一文があります。

 

辻野先生も時間の都合で

出席されることは少なかった

けど、練習から帰られると

今日の講義は

「どういう内容だったと」

聞かれるのです

一言で言わなければいけない

「こうでしたよ!」

というと、

「よし分かったと」

 

身体で分かられるのでしょう

一言でも響く言葉が

「練習の糧になる」と

受け取っておられました。

 

ご子息からお話を聞くと

まさに、

修養に修養を重ねた

自分自身を練り上げられた

人生だったように

感じました。

 

 

 

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「安全地帯」甲子園ライブ

2019-11-17 17:23:34 | 住職の活動日記

玉置浩二さんの声が好きで

甲子園という舞台、

初めて出かけてきました。

新聞社主催のツアーに参加

開演は3時というものの

10時に京都駅を出発

大阪のホテルでバイキングを頂き

いざ甲子園へ。

 

 

大変な人出のようです。

決められた席に着くと

なんとも狭い!

甲子園での観戦はこんな狭い席で

応援されているのかと

応援される方のその熱気が

シートから伝わってきます。

 

席は三塁側スタンド

ちょうど真西に向かっての席です

夕日が厳しい

まあ、考えようによっては

西方浄土の西に向かっての観賞は

これも面白い

 

野球場での演奏

どうなるものかと思っていましたが

音響には工夫されているようで

とてもよく響いてきます

 

やはり歌唱力は抜群です

球場の隅々まで響き渡っていきます

聞くところによると

38000人の来場者

最初からノリノリで

一気に盛り上がっていきます

知っている曲もあり

初めて聞く曲もあり

それでもその伸びのある声には

酔いしれます。

 

まあ、あの大きな球場が

一つの大きな塊になったようで

盛り上がっていきます

「ワインレッド」の頃には

ちょうど日も沈み始め

ライトの光に映えあがった

玉置浩二さんの姿も

浮き上がってきした。

 

ちょうど2時間

玉置さんは途中トークがないのが

好きなんです

聞いた歌に説明はいらない

その余韻を楽しめばいい

歌の中に全力を込められるし

そして自分の世界を表現される

聞いた人はその歌の余韻を

大事に持って帰ればいいのでは

と思うのです。

 

 

アンコールにも答えられ

球場のライトも照りだし

公演も終わりました。

そこで撮ったのがこの一枚です。

この広い球場を埋め尽くす人の波

この他、一塁席・三塁席が

あるのですから

いかに多いかが想像できると

思います。

 

最後にスクリーンには

 

 

が映し出されました。

ちょうど公演の前にドラムの方が

病気になられたようです

そのバチで以てVサインを作って

頭上に揚げておられました。

 

 

すでに外は真っ暗

バスの中で余韻に浸りながら

帰ってきました。

 

 

 

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