本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

ヨガと瑜伽唯識学派

2018-12-22 20:42:04 | 住職の活動日記

 

ヨガというと

今、女性の方に人気のようです。

今年最後のヨガを納めました

女性にまじり男性はわずか2人

今の先生は職人気質というか

教え方も上手いというか

スポーツ的な要素が強いのです。

一日たつとちょっとした筋肉痛

まあ普段使っていない筋肉を使う

ということではいいことです。

 

ヨガの語源はヨーガ(YOGA)

インドの言葉ではEとOは長母音

本来は伸ばすのが正しいのですが

普通にはヨガと、

仏教では瑜伽(ゆが)と音写します。

詳しくいうと、

瑜伽行唯識学派となります。

 

唯識という経典は

人間の深層心理と言いますか

煩悩の問題とか信仰の問題とかを

厳密に論じています。

その経典が『唯識三十頌』

(ゆいしきさんじゅうじゅ)

玄奘三蔵が一番求めていた経典です

この経典を求めるために国禁を犯し

インドへの旅を決行した

といってもいいと思います。

一頌というのは5文字が四つ集まって、

20文字になります。

三十頌、文字数は600文字という

ことになります。

短い経典です。

よく、宇多田ひかるさんは

この経典を写経する

ということですが、

それも立派なことです。

 

そういうお経と運動的なヨガ

どう関係があるのだろうと

ずっと疑問でした。

 

ヨガ・瑜伽は相応と訳されます

相応、等しく和合するとか

互いに相和して離れ得ぬ関係

というように辞書には出ています。

 

お釈迦さまもさとりを開かれるとき

入出息念(にゅうしゅつそくねん)

という呼吸法を大切にされました

ひとつの心を落ち着かせるには

呼吸法ということはとても重要です

 

ヨガも無理な柔軟体操のような

それを競い合う嫌いがありますが

そうではないようで

本来は呼吸を整え深い瞑想に

入っていくために

いろいろの形を行うのです

ですから、

呼吸と合わせるということの方に

重きを置いています。

 

事実、ただ座るということより

少し体が痛くなるところまで

曲げたり伸ばしたりした方が

いろいろな雑念を消すには

いいようです。

 

そこから心を一点に集中して

三昧に入っていく

詳しくは「止観」の行です

止、は奢摩他(しゃまた)

観、は毗鉢舎那(びばしゃな)

まあ難しい字を書きますが

インドのことがを音写するのに

こういう難しい字を当てたのです

 

止はとどまる、観は見る

静と動

この相反することが成り立つ

矛盾するようでも

集中した時は何気なく

行なっていることです

王貞治選手、

オームランを打てる時には

球が止まって見える

ということです。

なにか、ものが見えてくるとか

ものの声が聞こえてくるとか

じっと集中してみると

自ずから聞こえてくるもの

見えてくるものがあるようです。

 

そういう心を整える準備として

ヨガの呼吸法があるのです

それが身体を動かす方と

頭で考える方と別々になって

しまったというのが、

今あるヨガということでは

ないかと思います。

 

真言宗でも、

「三密瑜伽」ということを言います

瑜伽ということは

煩悩を断じて涅槃に至るまでの

修行の道を瑜すべて瑜伽というので

仏教の基本のことだと思います。

 

しかし、

今やっているヨガは

確かに呼吸も大事にしますが

瞑想に入っていくということは

ありません。

それはそれで、別物として

見た方がいいようです。

 

ヨガというその根っこには

仏教の基本中の基本がある

ということを忘れては

いけないように思います。

 

 

 

 

 

 

コメント
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