本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今週の言葉 10/1~10/7 「 夢をもてば どんな苦労も … 」

2012-09-30 23:35:16 | 今週の言葉

   夢をもてば どんな苦労も

     耐えることができる

             日馬富士

 

 新しく第70代横綱になった 『 日馬富士 』 の言葉です。

幼いときより、この言葉が自分を支えてきたと、

おっしゃっていました。

 そして、インタビューでは、

「 まだ、まだ。  もっと自分を磨いて 精進 したい。 」

とも述べておられました。

親方の伊勢ヶ浜親方も、

 「 集中力 を 持続 する力が前よりもついた。」

と、賛辞の言葉を贈っておられました。

 

 「 夢 」  ということも

ただ漠然と夢を見ているということもありますが、

自分はこうなりたいと、

確かな 「 夢 」 を持ち続ける人がいます。

 

 三浦先生と一緒に私たちが集まったとき、

書かれた言葉が、

 「 いつでも夢を ! 」

ということでした。

 歌にもありそうな、簡単な言葉だな、と思ってもいたのですが

よくよく考えてみると、

夢をもち続けるということは

その人を形成していく上で最も大切なこと

だということを、しみじみと感じます。

 夢、または 願い

どういう夢をもつか、どういう願いを持つかで

その人の人生は決まってくるようにも、思うのです。

願いを持っている人は、

その人の日々の生活が荘厳されてくる

ということです。

 こうなりたいと願いつづける人は、

毎日の生活で、精進することもできるでしょう。

また、耐えることもできるのです。

 

 話は飛びますが、

「 菩薩 」  という人間像も

無限の願いを持ち続けている人です。

お経のなかに、

 「 衆生無辺誓願度 」

という、 ( すべての人々を必ず仏にします 。 )

願いがあります。

 普通考えれば到底無理、

と思ってしまいます。

しかし、出来る出来ないということを超えて

願い続けるところに、

崇高さがあるのです。

 

 日馬富士もモンゴルから異国の日本に来て

夢をもちつづけたのです。

身体の小ささを克服して、

日々の練習、精進したことが

今日の結果を見たのです。

それでも、本人は  

「 まだ  、  まだ  もっと自分を磨いて  」

と、おっしゃっておられるところが立派だと思います。

 

  修行には終わりはないということです。

 

 

 

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小山君の衣

2012-09-28 22:13:49 | 住職の活動日記

 大祭にはいつも助法に来てくれます 「 小山君 」

太鼓の名人で DVD も出すとか ??

護摩の法要の間中、リズミカルに太鼓をたたいてくれました。

太鼓のリズムは不思議なもので、

人間の一番芯の部分に訴えかけるように響いてきます。

 

 

    

 

大事に着てくれている 「 ころも 」

『 金剛紗 』  という綿の衣です。

見た目にはパッとしませんが、

他の衣とは比べ物にならないくらい身体に馴染むのです。

法要の間中太鼓をたたいても、

寸分の衣のみだれもありません。

 小山君はとても大事にこの 「 ころも 」 を扱ってくれます。

さんざん私が東寺の御影堂で着た衣なのですが、

それを丁寧に修理して、

 

   

 

 

「 お袈裟 」 は幾重にも丁寧に縫い重ねて、

破れたところは、

 

   

 

また上手に補修をして、

こうやって着ていただくと、本当に感謝です。

 

 また、彼のアイデアで、

 

   

 

衣の下の部分 ( 腰衣 とか 裙 ) といいますが、

綿の衣は着やすいのですが、

ただ一つ苦労するのは、折りたたむ折れ目がわからなくなり、

一回一回丁寧にたたみ直さないと、

しまいに団子状のまんまるした布の塊になってしまいます。

 そこで、彼は 「 ステッチ 」 をいれたのです。

折れ目に沿って、ミシンで縫い目を入れておくと

たたむときも綺麗にたためるそうです。

 

 この 「 ころも 」 が出来てから、

もう40年余りになるでしょうか、

大切に使い込んでいただいて、

本当に有り難く思います。

 

 

 

 

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「 猶若聚墨 」

2012-09-28 10:43:57 | 住職の活動日記

 『 猶若聚墨 』  ( ゆにゃくじゅもく ) と読みます。

なんとも、難しいお経の文字に出会いました。

あまり出てこない文字かな、と思っていましたが、

『 猶 』  という字は、毎朝の勤行のときのお経

『 理趣経 』  という中にも出てくるのです。

 

     

 

『 理趣経 』  のときは 「 ゆう 」 というように読みます。

「 猶 」  けものへん、がついた、この字

調べてみると面白い、

 もともとの意味は 「 猿 」 の一種で、

 疑い深い性質で、人の声聞けばいち早く木に登り

 声が止めばまた降りてくる。

そのことが転じて、 

 決断せずにためらう、意味になった  「 猶予 」

それから、 

 なお。やはり。さらに。  ということに変化し、

さらに

 なお …  のごとし。

というようになってきたようです。

 

 ここのお経では、

 「 猶 (なおし) 聚墨のごとし 」

という、読み方になるのでしょう。

 

 「 聚 」 ( しゅう )  は 「 集 」 と同じで

「 あつめる 」  ということです。

 

     

 

お経のときも  「 集 」  という字を使わなくて、

「 聚 」  を使うことが多いようです。

 

 「 猶若聚墨 」  ということは

「 今まで光り輝いていたものが、

 墨を流したように色あせてくる 」

ということでしょう。

 日常的なこととしては、

今まで大変興味を持っていたものが、

何か次に興味を引くようなものが出てくると、

今まであれだけ楽しく思っていたことが、

急に色あせてくるということでしょう。

 人との出会いもそうだと思います。

その人と出会ってからは今までの価値観が

一変してしまう。

 そういう自分を根底から変えてくれるような

出会いが必ずあるはずです。

 人に出会う、といっても、

「 こんにちわ   さようなら 」

という出会いもあれば、

ほんものに出会うというか、

真理に生きた人に出会う。

真理に出会うといっても、

真理に生きた人を通して真理に出会うのです。

 そのときに、

「 猶若聚墨 」 

今までのものが魅力を失ってくる。

 だから、なにかほんものを求めずにはおれない

という、人間の本能的な欲求があるように思います。

 

 人間にはそういう出来事が必ず起こってくるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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いい香りにつつまれて …  !!

2012-09-28 07:22:07 | 住職の活動日記

 今朝、修行大師さんのお参りをしていると、

何かしら、いい香りが漂ってきます。

 さほど強くはないのですが、確かにお線香の香と違う、

もしや、  とおもって   見てみると

 

    

 

 

金木犀に花が来ていたのです。

 

 

   

 

 お寺の東北の角にあるのですが、

鬼門を守るかのようにいい香りを放っています。

 この木も見れば不思議な木です。

何気なく見てしまえば、ただの木です。

花を咲かせるような木には見えません。

 けれども、とてもいい高貴な香をだしてくれるのです。

それも枝のところに、もこもことくっつくように

花がついています。

 

 

    

 

 

今日は 「 お不動さまの大祭 」 

 ( 正月・五月・九月が大祭の月です。 )

お参りの方々をいい香でお迎えしてくれることと思います。

 

 太鼓の名人 「 小山盟央君 」 も助法に駆けつけてくれました。

法螺貝も3丁はいり、お坊さまたちも総勢6人、

とても盛大なお勤めになるでしょう。

 

    1時からの護摩になります。

  どうぞ      です。

 

 

 

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やっと、やっと咲き出しました。!

2012-09-27 07:25:53 | 住職の活動日記

 今年は珍しく、御彼岸に 「 彼岸花 」 が間に合いませんでした。

今ごろになって、やっとやっと開き始めました。

 

  

 

25日の彼岸花です。

まだまだ蕾です。

 

  

 

よそで見かける彼岸花は結構咲いていたりするのですが、

当院の彼岸花はどういう関係でしょうか ??

まだまだといったところです。

そして、

 

  

 

昨日26日にはやっと開き始めました。

そして、今朝

 

   

 

出揃ってきたようです。

 

  

 

当院には他に 「 まっ黄色 」 の彼岸花もあったのですが、

ことしはその影も形も気配さえありません。

 ちょうど、明日の 「 お不動さまの大祭 」

には、見ごろを迎えると思います。

 

 しかし、まだ、まだ

 

   

 

こんな蕾のままの彼岸花もあるのです。

 

 ビミョウなもので、時機を逸すると

どうも、伸び悩んで終わってしまうような気がします。

 

その横には、

 雑草と思って抜いてしまおうかと思っていましたら、

 

なんと、今朝には

 

   

 

こんなかわいい、不思議な花を咲かせていました。

 勝手に、こちらが雑草と言っているだけで、

本当は名前を持っているのでしょう。

 

 ( 葉っぱを見る限りは、抜いてしまいそうな雑草です。)

 

元気な姿をありがとう     

 

 

 

 

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「 634 」 !?

2012-09-25 21:59:23 | 住職の活動日記

 634  ムサシ  武蔵

母の生まれたところは岡山県英田郡宮本村

宮本武蔵が生まれたところです。

 熊本には武蔵のお墓があります。

今は 「 武蔵塚公園 」 として憩いの場になっています。

 

   

 

二天一流の構えをしてひっそりと武蔵は佇んでいます。

その横には、

 

  

 

二天一流の奥義の構え方が説明してあります。

 

 ( 不思議な縁で、母の弟さんが岡山で武蔵の研究をされています。

   熊本に来た折、お塔婆をたてて供養されました。

   武蔵塚が公園になるとき、その塔婆が出てきて、

   武蔵の生まれた村と熊本市が姉妹都市になったのです。 )

 

 そういえば ムサシ  634

 

   

 

最近話題です。

 

   

 

こんな建物です。

 ( 目を凝らしてみると、やや真ん中より上の白い点

   飛行機なんですが … ? )

 

    

 

まじかに見ると圧巻です。

 下から見上げただけで失礼しました。

 

   

 

なにせ、この付近の駐車場はなんと

  12分  ひゃくえん です。

 

そしてまた、話題の

 

   

 

「 TOUKYOU ステショ 」  も、

チラッ    と掠めてきました。

  ( 聞くところによると、

    明治の頃の方は 「 ステショ 」 

    と、呼んでいたらしいのです。 ?? )

ステショ のほうが おしゃれかも  ?!  ですね。

 

 

 

 

 

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「梵天勧請」

2012-09-24 23:20:12 | 住職の活動日記

 今日は菩提樹苑・サラの苑の全体会議があり、

その後、いつも 「 勉強会 」 ということにあいなるのですが、

今日は、他のことで、議論伯仲

勉強会までには至りませんでした。

 来月、にお話しようと思って  …  、

以下のことが話の要約ですので、

よかったら、ご一読してみてください。

 

梵 天 勧 請 (ぼんてんかんじょう)

 成道のあと数週間、釈尊は樹下にあって、独りその法を楽しんでいた。

その間の心境を経典は次のように語っている。

「この深い、微妙な法は人々の理解できるものではあるまい、

このまま説かずに終わることにしようか。」

 (無上甚深微妙法)

 

そのとき、世界の主 、梵天が、

 「世のなかには聞けば理解しうる人々もある、

  その人々のために慈悲をもって説きたまえ。」

と請うた。

 

そこで、釈尊が最初に法を説かれるのである。(初転法輪)

 「比丘らよ。ここに出家が避けなければならぬ二つの道がある。

  それは、卑しい欲にふける愚かな快楽の生活と、

  いたずらに自分を苛む愚かな苦行の生活とである。」

という、苦楽の二辺を離れる「中道」の教え、が説かれた。

その説かれた中道の教えの内容とは 「八正道」 である。

 ・正思・正語・正業・正・正精進・正念・正定

 

  数多い仏教経典のなかには、法を説けという請いにたいして、

それを拒んで説かないというような場面がよく出てくる。

これはなにも、知らないからとか、意地悪というのではない。

意識的に聞こうとする心、何かを知ろうとする心、

そういう心には説いても分からず、分からぬどころか、

誤ってうけとり、かえって迷うという危険もあるからである。

かといって、説かぬのは不親切である。

しかし、説けば誤解される。ここに難問題がある。

 (般若心経にでてくる 「一切顛倒」 ということ)

しかし、この難問題をあえてふみきるのは、

世の人々の深い願いを自己と観じた釈尊の、

やむにやまれぬ深い慈悲であったのであろう。

 (釈尊の説法を「獅子吼」という)

したがって、自己の主張を他に認めさようとか、

他を仲間にひきいれようとか、

そういう不純な動機ではない。

法を説く動機は、かならず大慈悲なのである。

さとりは自らに関係しているが、説くのは他に関係する。

他のために説くということは同時に、

かならずそれに対応して聞くということがある。

聞くのは他の言葉を聞く。

説法とか聞法は、いずれも他と関係する。

その媒介となるのは言葉である。

さとりは説くことができない。

そのままそれを言葉に表現することはできない。

水のうまさを言葉で言いあらわすことは不可能である。

だから深い感動や感銘には「何とも言えぬ」という言葉がよくもちいられる。

さとりもそういうものであって、自らうなずくだけである。

そのうなずいたものをうなずいたまま語る。

説けぬものを説く、そこに法を語ることと、

いろいろを語ることの違いがある。

したがって、聞くものは聞けぬものを聞くのである。

 

 以上のようなことを、話そうと思っていました。

 

 

 

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今週の言葉 9/24~9/30 「こつこつ努力をする」「集中力を養え」 …

2012-09-23 21:36:26 | 今週の言葉

      「 こつこつ努力をする 」

 

   「 集中力を養え 」

 

   「 正直であれ 」

 

   「 辱めに耐えろ 」

 

 

 ちょうど今、読み進めています

梅原猛先生の 『 仏教 』 という本の中からご紹介させていただきます。

 前に書きました 

「 八正道 」  「 六波羅蜜 」  この中から集約すると

精進しょうじん  禅定ぜんじょう  正語しょうご  忍辱にんにく

 この四つに尽きる、とおっしゃっています。

 「 精進 」 この言葉もあまり使わなくなりました。

少しだけ、 「 精進料理 」  ということで馴染みがあるのではないでしょうか。

この精進料理もその使われる材料 ( お野菜 ) を使い切る、

一切の無駄なく使い切る、捨てるところがないように、

そのもっている命を無駄なくすべて使い切る、ということから

精進料理の名前がついたのではないでしょうか。

 私たちは、本当に自分の命を使い切っているのでしょうか。

ややもすると出し惜しみをしているのではないでしょうか。

よく、三浦先生から 「 労を惜しむな ! 」 と

励まされました。

 自分で自分に言い訳をして、理屈をつけて、

これは出来ません !  これはとても無理です !

と、力の出し惜しみをしています。

 自分の持てる力を自分ではわからないのです。

子どもに対しては 「 無限の可能性 」 ということを

よく言います。

これは私たち大人にとっても同じことです。

子どもであろうが大人であろうが

無限の可能性を持っているのです。

 平澤先生は大脳生理学の立場から

「 人間は自分の脳をその半分も使っていない 」

とおっしゃっています。

 仏教の立場からは、人間の構造上のこととして、

自我を破って、本来の自己を実現したいと

願っているのです。

 ただ表面的には、楽がしたい、得したい、と

考えているだけです。

 本当のことには、自分を投げ出しても悔いない

という心をちゃんと持っているのです。

 その本当の心に触れるためには

「 精進 」 しかないのです。

わかりやすく言えば 「 こつこつ努力する 」 ということになります。

 

 今週の言葉の四つは

言葉としては四つになるのですが、

実践してみるとこの四つは一つなのです。

 「 こつこつ努力する 」 とそこには必ず

「 集中力 」 が出てきます。

あっちを見て楽しい、こっちを見ても楽しい、

なんてきょろきょろしていたのでは

こつこつやることも出来なくなってしまいます。

 そして、 「 正直であれ 」 ということも

嘘をつかない、誤魔化さない、

嘘をついて、そのときは誤魔化しても、

そのことは必ず、その嘘を隠すために

また嘘をつかなくてはならないようになってしまいます。

つまり、一つの嘘がついには嘘八百というように

その人の人生そのものが嘘であったという

とても悲しいことになってしまいます。

 また 「 辱めに耐えろ 」 ということも

何かに集中してこつこつやる人には

周りから必ず誹謗中傷が出てくるものです。

つまり、物事をなす人には必ず身近な人から

嫉妬心が生まれてくるものなのです。

 

 仏道修行も世の中で何事かをなす人には

    「 こつこつ努力をする 」

    「 集中力を養え 」

    「 正直であれ 」

    「 辱めに耐えろ 」

この四つが必ず必要になってくるはずです。

また、この四つの徳目があれば

人生は必ず乗り切っていけると思うのです。

  

 

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こつこつ ! こつこつ !

2012-09-21 07:32:47 | 住職の活動日記

 「 西川きよし 」 さんでしたか、

  『 小さなことから、こつこつと 』

と、いわれていたようですが、

 仏道修行も 

「 こつこつと努力する 」 ことが肝要です。

 お経の中では 「 精進 」 という言葉で出てきます。

 

 お釈迦さまの悟りの内容の一つに 「 八正道 」 ( はっしょうどう )

ということがあります。

 正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定

 しょうけん ・しょうしゆい ・しょうご ・しょうごう ・しょうみょう ・しょうしょうじん ・しょうねん ・しょうじょう

また、修行の方法としては 「 六波羅蜜 」 ( ろくはらみつ )

 布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧

と、しかし、よく見ると

「 精進 」 ということはどちらにも入っています。

ですから、精進努力が仏教の眼目と思います。

「 こつこつ  こつこつ 」 努力することが人生の

一番肝心なことです。

 

ゲーテという詩人も、

 「 天才というものは努力する才能である 」  といっています。

また、いつもご紹介する 「 平沢 興 」 先生も、

努力の人で、

 「 一にも努力、二にも努力、三にも努力 」

と、自分を叱咤激励して歩みつづけてこられました。

 

 仏道修行のお彼岸

 何か一つでも

 こつこつ こつこつ

 やっていきましょう

 

 

 

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祖父の通知表

2012-09-20 21:21:54 | 住職の活動日記

 今年は暑さも厳しかったせいでしょうか、

彼岸花が遅いようです。

 彼岸に入ったというのを 「 忘れてました !! 」

と、あわてて顔を出してきたようです。

 

 

   

 

頑張ります、  と言わんばかりに

頭を出してきました。

 

   

 

 しかし、彼岸会には間に合わないでしょう。

 

 母の整理もあり、片づけをやりはじめております。

いろいろ面白いものも発見できます。

 

 

  

 

 

 出てきたのが  『 祖父の通知表 』  です。

明治41年とあります、 

そして、通知表ではなく 『 通告牒 』 となっています。

そういえば、昔は

 「 彼岸会 」  とは言わないで、

 

  

 

「 秋季皇霊祭 」  と呼んでいたようです。

本来は宮中も神道だけではなく、仏教も取り入れて

お参りされていたようです。

 だから、神道の行事もあり、仏教の作法もあったのです。

そして、その意味は

  「 先祖を敬い なくなった人をしのぶ 」

とあります。

 彼岸会の始まりは

 延暦25年2月、崇道天皇 ( 早良親王 ) のため、

  『 七日 金剛般若波羅多経を読まわしむ 』

と、 「 日本後紀 」  に出てくるように、

宮中で行われたのです。

だから、 「 秋季皇霊祭 」  とよんだのでしょう。

 

 ついでに、横に英訳が書いてありましたが、

 

「 The Festival of the Autumnal Equinox 」

 ( 秋の昼夜が同じ祭日 )

なんとも簡単、

 

 やはり仏教によって、深く仏道を修行するという

意味を持たせたのでしょう。

 

 明日は 「 恵楓園の彼岸会 」

あさってのお中日は当院の 「 彼岸会法要 」 です。

 

 どうぞご参拝ください。   おまちしてます 

 

 

 

 

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