今また、崇正と二人で 「 十地経論講義 」 というのを読み返しています。
この講義は昭和46年~、東寺の宝菩提院というところで、
安田理深先生が三浦俊良先生を始め、洛南高校の先生方を中心に
講義されたものです。
弘法大師が 「 十住心論 」 を説かれていますので、
その教えの原点を求めるという形で、龍樹菩薩の 「 十地経論 」 を
選び、講義されました。
今やっと、第一巻は読み終えたのですが、
崇正の 「 安田先生 」 の 『 声 』 を聞いてみたい、ということが
発端なり、 …
そういえば、本になった元のテープがあるはず、と尋ねてみると
確かに残っていました。
「 そのテープはどうされるのですか ? 」
「 段ボール箱に入れて保管してます。」
当然劣化していきますよね。
ということで、話が進み、
そのテープが京都から熊本の地にやってきました。
そして、テープからデジタル化していく作業が始まったのです。
CD・メモリースティック・ハードディスク、この三種類の
記憶媒体に残しておけば、永久とまではいかないにしても、
残っていくはずです。
お釈迦さまの死後、そのお話しになった事が口伝えに人々の記憶から
お経という形になってきたのです。
文字もさることながら、「 声 」 で聞けるということは
とても凄いことです。
安田先生の声のデジタル化が今、半ばというところです。
29日から前半の分を頂き、聞き始めました。
文字で読んでいくのも大事なことですが、
やはり、「 声 」 を聞くということが、遥かに大きな感動を伝えるのです。
先生が話しに乗ってこられる様子が手に取るようにわかるのです。
ついつい引き込まれてゆきます。
『 声の力 』 確かに、意味を理解しようというのではなく、
伝えようとされる、そのこと自身が伝わってきます。
私自身も40年前に聞いたことが甦ってきます。
文字なった、解析しながら読んでいくということも、分別ということで
大事だと思うのですが、
声を聞き、分かる分からんを越えて、そのときの雰囲気が ( ズボット )
入ってくるという、その 『 力 』 に驚いています。
この講義は昭和46年~、東寺の宝菩提院というところで、
安田理深先生が三浦俊良先生を始め、洛南高校の先生方を中心に
講義されたものです。
弘法大師が 「 十住心論 」 を説かれていますので、
その教えの原点を求めるという形で、龍樹菩薩の 「 十地経論 」 を
選び、講義されました。
今やっと、第一巻は読み終えたのですが、
崇正の 「 安田先生 」 の 『 声 』 を聞いてみたい、ということが
発端なり、 …
そういえば、本になった元のテープがあるはず、と尋ねてみると
確かに残っていました。
「 そのテープはどうされるのですか ? 」
「 段ボール箱に入れて保管してます。」
当然劣化していきますよね。
ということで、話が進み、
そのテープが京都から熊本の地にやってきました。
そして、テープからデジタル化していく作業が始まったのです。
CD・メモリースティック・ハードディスク、この三種類の
記憶媒体に残しておけば、永久とまではいかないにしても、
残っていくはずです。
お釈迦さまの死後、そのお話しになった事が口伝えに人々の記憶から
お経という形になってきたのです。
文字もさることながら、「 声 」 で聞けるということは
とても凄いことです。
安田先生の声のデジタル化が今、半ばというところです。
29日から前半の分を頂き、聞き始めました。
文字で読んでいくのも大事なことですが、
やはり、「 声 」 を聞くということが、遥かに大きな感動を伝えるのです。
先生が話しに乗ってこられる様子が手に取るようにわかるのです。
ついつい引き込まれてゆきます。
『 声の力 』 確かに、意味を理解しようというのではなく、
伝えようとされる、そのこと自身が伝わってきます。
私自身も40年前に聞いたことが甦ってきます。
文字なった、解析しながら読んでいくということも、分別ということで
大事だと思うのですが、
声を聞き、分かる分からんを越えて、そのときの雰囲気が ( ズボット )
入ってくるという、その 『 力 』 に驚いています。