本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

身を粉にして … !

2017-07-31 21:09:17 | 住職の活動日記

どこかの偉い先生!?

色々と釈明に追われておられる

「身を粉にして…」と

辞めることなく頑張ります、と

仰っていました。

 

なんだか聞いたような言葉で

耳に止まったのですが、

辞書には

「粉骨砕身」

という言葉もあります

骨を粉にし身を砕くほどに

力の限り努力する

とあります。

英語では

I will do my best

と、とても簡単で、ベストを尽くす

ということになります。

なんだか拍子抜けしまうような

言葉に変わってしまいます。

 

でも、もともとは経典に出てくる

言葉ではないでしょうか??

 

「如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の御徳も

ほねをくだきても謝すべし」

 

という一文が出て来ます。

報恩感謝ということも

上の一文がもとになっていると

思います。

 

「身を粉にして」

ということもなかなか難しい

実際にやろうとすると

解らない言葉でもあります。

 

一生懸命にやって

ちょっと人から言われると

「これだけ自分としては

身を粉にして一生懸命やっている」

と、開き直ったりもします。

 

そこに、

「自分としては」

ということが問題で、

どんなにやっても自分としての努力

やったとしても

自分を肯定するだけの努力です

それでは

「身を粉にして骨を砕いて」

ということにはならないのです。

身を粉にするのですから

自分がなくなるという程の努力

ということです。

 

なかなか、

一生懸命やるというと

それだけ自分の自我が深くなり

今度は人のいうことを聞かない

という危険に陥ります。

そのことを

「自性唯心」(じしょうゆいしん)

と、いっています。

独断論ですね。

努力の結果、主観に埋没して

耳をふさいでしまうのです。

その反対は

「常散自心」(じょうさんじしん)

これは自分の心に迷う、

人の話を聞かないのではない

人の言うなりにうろうろしている

というのです。

あっちの話を聞いてはそう思い

こっちの話を聞いては

それに流されていったり、

自分の心が散りじりになっている

というのが「常散自心」

 

人間の心というものは

自性唯心に沈んで

これでよしと独断になるか

常散自心になって

うろうろしているかのどっちかです。

 

そのような心の持ち主が

「身を粉にして」

ということは、

まあ、ベストを尽くす

というくらいのことであれば

それでいいのですけど

粉骨砕身

骨を粉にして身を砕いて

ということになると

本当に出来ないものです。

 

今日のテレビで

レスリングの栄監督

選手に努力の限りを求め

さらに檄を飛ばしておられます

努力の限界を越えるとき

その人が変身できる兆しが見えると

身を粉にするということの

一端を垣間見たような気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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蝉も熱中症??

2017-07-30 21:02:29 | 住職の活動日記

相変わらず暑い日が続いています

近くのスーパーへお使い

車も通る道端に

仰向けにセミがダウンしています

死んでるのかな??

車にでも踏んづけられたら大変と

手に取ってみると

指にしがみついてくる

 

 

羽を見るとまだ初々しい

脱皮したばかりかもしれません

やっと外に出てきたら

外の世の中は猛暑の真っ最中

地中の方が

まだしも気持よかったかも…

 

 

すっかり指を枝と間違えたか

しがみついて離れようとしません

 

 

 

家まで一緒に帰ってきました

裏の山法師に止まらせようと

枝に近づけたのですが

指の方がいいのか離れようとしません

ムリに離すと手足がもげそう

 

 

しばらくそのままにしていると

やっと

枝ということが分かったのでしょう

ごそごそと枝に移りました

 

 

まあ、ここのほうが木陰で

涼しいでしょうし

樹液のご馳走でも吸って

一服してください

 

しかし、

次の命を宿すという

大きな仕事が残っていますね

 

セミ君もガンバレ  

 

 

 

 

 

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投了(とうりょう)

2017-07-29 21:18:07 | 漢字

「投了」

この言葉も最近知りました。

藤井聡太四段、連勝記録が29で

止まりましたが、

この将棋とか碁の世界では

自分が負けました、ということを

言わないと勝負がつかない

そのことを「投了」というのです。

 

漢和辞典には出ていますが

もっぱら日本で使われるようで

中国では使われないようです。

 

「負けて勝」

ということもありますが

やはり、

負けるということは悔しいものです

しかしまた、

本当に負けを認めることができる

ということは

明るいものでもあります

 

師匠から叱られるというか

バッサリ切られるというか

まあ、よくぞそこまで

見抜いてくれたというか

自分自身でも気がつかない

ところまで見抜いて

そこを指摘される

おこられたというより

名刀で切られたようなもので

スッキリした気分にもなるものです

 

『十地経』のなかに

「過地」ということが出て来ます

「過」には(すぎる)という意味

通過するというような、

それと、(あやまち)という

意味もあります。

過失とかいうような、

 

地を過ぎて行く、ということは

初地から二地というように

地から地へと乗り越えていく

ということは

そこには必ず難関があって

ただ梯子段を上がっていくような

簡単なものではないのです

過失を見いだせた時

初めて乗り越えることができると

 

十地経の講義の中では

「過失を外に見ている間は

 自分は歩んではいない

 ただ不足を言っているだけ

 過失を自分の中に見出した時

 初めて歩みが出てくる」

と言っておられます。

 

なにかしら、

「投了」ということも

ただ悔しくて負けました

と言うのではなく

本当に自分の負けが明らかになる

明るく認められるのでは

ないでしょうか

 

地から地へというとき

「前のものが完成したことが

実は次のものを引き起こしてくる」

と、言っておられます

負けを認めるということは

今の現在の自分がそこで完成した

それによって

もう次のものを引き起こして

来ているということでしょう

 

勝負の世界と仏道の世界とでは

同じ負けるということも

違った意味合いがあるのかもしれませんが

自分自身の道を極める

ということに於いては

同じことかもしれません

 

「負けました、

とはっきり言える人は強くなる」

と、谷川浩司九段という方は

おっしゃっています。

 

「過」という過ちを

自分自身の中に見つける

すると、

次へと過ぎて行くことができる

ということでしょう

 

「投」には擲つ(なげうつ)

という意味もあり、

「了」にはおわるという意味と

さとる、理解する

という意味もあるようです

心から負けたものには

自分を擲つことができ

本当の自分をさとることができる

というような

深くも捉えることができるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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猛暑の護摩法要

2017-07-28 14:40:46 | 住職の活動日記

新幹線も九州に入った途端

車内も何だか暑くなったような?

熊本に着くと、

身体にまつわり付いてくるような

熱気

たぶん35度は超えているのだろう。

 

今朝も朝から蝉時雨のなか

目が覚める

昼からの護摩法要に体を慣らすため

外での作務に勤しむ

 

 

一汗かいて

いざ護摩法要へ

 

 

整えられた護摩壇

着座してお不動さまのお顔を見る

顎のところが黒光りしている

静かに炎が上っていき

熱さを感じないほどの炎

しかし、

進むにつれて汗は噴出してくる

炎はさほどアツくない

熾き(おき)になったところから

熱気を発している

終わりにつけて熱気を帯びて

もう全体が熱くなる

 

 

終ってもまだ赤い

 

汗をかいた後の

庭には涼しく感じる風が吹いている

 

 

樒の木も日に照らされ

アツいでしょうが緑色が

清清しい!

 

 

アジサイも花の色が変化して

水色から紫、そして

今の緑色になってきている。

 

 

アジサイの葉の裏には

蝉の抜け殻

こうやって身を隠すように

脱皮しているのでしょう。

周りの木の葉にもたくさんの抜け殻

 

まあ、しばらくはこの暑さは

なくなりそうにありません。

でも、

この暑い中、よくぞお参り頂き

本当に感謝です。

暑いおりのお斎は「おそうめん」

舌鼓を打って、

暑い中お帰りいただきました。

 

 

 

 

 

 

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白峰神宮

2017-07-26 20:20:45 | 住職の活動日記

是非お参りしたかった神社です。

何度かチャレンジしたのですが

駐車場が見つからなかったり

神社の周りをまわって帰る

という次第でした。

 

 

たまたま、上京区役所に用事があり

その足でお参りしました。

 

崇徳天皇をまつる神社、

保元の乱で後白河法皇に敗れ

讃岐に流されその地で没します。

西行法師が憤怒のうちに亡くなった

崇徳院を供養しようと

四国八十八ケ所81番白峰寺にある

白峰陵に参拝すると、

その前に現れたのは魔王の姿の

崇徳天皇でした。

それから、100年周期に洛中でも

天変地異が起こり

崇徳院の祟りと言われる程でした。

 

明治天皇の父、孝明天皇は

どうしても崇徳天皇を祀らなければ

国中が治まらないと

お祀りすることを念願されたのですが

存命中はかなわず

それをはたしたのが明治天皇です。

それが現在の白峰神宮です。

 

烏丸今出川、同志社大学のある所を

西へ行くと、上京区役所があり

もう少し行ったところに

白峰神社はあるのです。

 

手を清め中に入ると

その前には大きな小賀玉の木が

 

 

樹齢800年

 

 

見上げるほどの大きさ

京都でも一番の大きさのようです。

 

 

拝殿で一礼して

 

 

百人一首で読まれた崇徳院の歌が

刻まれています。

 

 

 

ここで、崇徳院の歌を詠み

お参りして

本殿へと、

 

 

横の建物にはサッカーボールが

奉納してあります。

この地はまた、

蹴鞠の本家「飛鳥井家」の

あった場所でもあります。

 

 

ここが蹴鞠を行うところです。

ということもあって、

今ではサッカーの聖地のような場所

でもあります。

 

 

本殿横にもサッカーボールが整然と

鎮座ましましています。

 

お参りに来ていた親子

お守りを求めて、

宮司さんから、

「今度はあなたが主役ガンバレ」

と激励を受けていました。

 

 

蹴鞠の碑にもお参りされている

様子です。

 

 

 

サッカーファンなら

八咫烏神社もさることながら

この白峰神宮も試合前とか

お参りが絶えないようです。

 

 

お守りも珍しいものがあるようで、

「闘魂」とか「根性育成」など

試合に関するお守りがずらりと

置いてあります。

 

崇徳天皇も

やっと京の地に戻られたのです

知ってか知らぬか

今ではサッカーファンがお参り

まあ、かわいい子供たちが

たくさんお参りに来られ

崇徳天皇もほほえましく

ご覧になっていることと思います。

 

 

なんとも大きなサルスベリ

 

 

花は少なかったのですが

その花に見送られ

白峰神宮をあとにしました。

 

 

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うそ・嘘 !?

2017-07-25 17:30:28 | 漢字

口篇にむなしいという虚を書いて

「うそ」!

昔の歌に、

「折れたタバコの吸い殻で

 あなたのウソがわかるのよ」

という歌詞がありましたが、

どんなに隠しても、

その微妙な人間の心理は

意外なことで分かるものです。

 

子どもの頃、ウソついて

ばれはしないかと、

ハラハラドキドキして

眠れなかったことがあります。

そして、

閻魔さまの画を見て

ウソついたら舌抜かれるんだと

本当に怖い思いをしいていました。

 

最近のテレビで

答弁の中で「記憶にございません」

が頻発しています。

けど、どこかでだれかが

うそいっているのでしょう。

 

昔に知り合いでウソの名人が

いっていましたが、

ウソも言い続けていると

何が本当か自分でも解らなくなる

門限過ぎても帰らない

どうしたのかと、問いただすと

帰っている途中に

工事現場をさしかかった

すると煙みたいなものが出て

わからなくなったと、

明らかにウソと分かるのですが

本人は言いと通す

後は笑い話になったのです。

 

十善戒の中では

十もある戒律の中で

口に関する戒律四つもあります

それだけ、

口・言葉がいかに

大切かということです。

不妄語ーウソを言ってはいけない

不綺語ーお世辞もいいすぎると

    微かな自分の真心も

    なくしてしまう

不悪口ー人の悪口をいってはいけない

不両舌ー離間語ともいい、

    人の間を割く言葉を

    いってはいけない

というものです。

いかに私たちがウソをいい、

おだてて、悪口を言い、二枚舌で

人の間を割いているかということです

 

ウソもついてその時はなんとか

その場凌ぎで切り抜けたとしても

ウソをついたという事実は

自分の心に残るものです。

私たちの両肩には「共生神」という

神様がいて、

私たちのすることを書き留めて

いるということです。

死んだ時その帳面が閻魔様に出され

お裁きを受けるとか、

 

話しは変わりますが、

お釈迦さまがさとりを開いたとき

ふと思われたおです。

さとりを開いたというが

そのことを誰が証明するのだろう

また、

こういう喩があって

禿げた頭のサルの島に

頭に毛がある猿が一匹いた

周りのサルがお前は可笑しい

といったという

はたしてどちらが本当かと、

 

そのことは周りが証明するのです

お釈迦様がさとりを開いた

するとそのお顔は輝いている

というのです

自分よりも人が

あなたのお顔は明るく輝いている

それはなぜかと、

そこでお釈迦様の説法が始まったと

そういうようなことが

お経には出て来ます。

 

ウソをついて

その場は切り抜けたとしても

やはり、

顔は暗くなってくるものです。

仮面をかぶったような無表情の顔

そういうことを表しているのでしょう。

 

ウソの突き通さねば

身が持たないし

本当につらいことと思います。

まあ、反対に

ウソもそう思い込めば

それが本当になるのかもしれません。

 

明るく軽く生きたいものです!!

 

 

 

 

 

 

 

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姫路城

2017-07-24 20:54:56 | 住職の活動日記

市内のどこからでも見える

美しい姫路城

やはり、姫路の方々にとっては

心のよりどころのような存在

熊本城が地震で破損してからは

特にそのように思います。

 

 

日本の名城ガイドブックなるものが

置いてあり

 

 

熊本城との比較が書いてあります

 

 

城の大きさとか作り方とか

こうやって比べてみると

とても興味深くわかるものです。

また、この栞は

一日も早い熊本城の復興を

応援しているようにも思えました

 

 

白壁と石垣の美しさは格別

出来た当初より

少しは白い色が落ち着いたような

感じを受けます。

 

なかは靴を脱いで上がります

 

 

昔のままを今に伝えています

急な階段を汗をかきかき上がるのですが

階ごとにある窓から吹き込む風は

疲れを忘れる程心地よく

 

 

城下を眺めながらの

さながら殿様になった気分

 

 

このような造り、

昔の階段を6階まで上がるのです

昔は天守閣といっても

生活の場ではなく

一つの象徴のような存在です

 

 

一番上の階、一回りして

心地よい風を浴びながら

今度は急な階段を下りて行きます

膝が笑ってしまいそう

 

 

降りてきて帰り道に見る姿

やはり美しい城です。

 

 

広場で一服、

この姿をバックに写真撮影が

人気のスポットです

 

ぐるりと回りながら、

 

 

この石垣は黒田官兵衛が築いたもの

この頃は野面積みという

自然石をそのまま積むため

高くできないので

二段に積んでいくのが特徴の

ようです。

 

市内をちょっと散歩しながら

見る姫路城はやはり市民の誇り

心のよりどころです

熊本城がこうなってみて

初めてそういうことを感じました。

 

やはり二大名城です

熊本城の復興を願っています。

 

 

 

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空から見た巨椋池

2017-07-23 21:17:19 | 住職の活動日記

7月15日から9月10日まで

宇治市の歴史資料館では

「空から見た巨椋池」の

展示会が開催されています。

 

 

もう、今ではこの場所に大きな池が

あったことすら忘れられています。

794ヘクタールもの広大な池

それで昔は「大池」とも呼ばれて

いました。

 

 

古地図(大正11年・1922年)

によるとこのような池が

あったのです。

今ごろですと、蓮の花が満開

 

 

このような蓮畑が

続いていたのでしょう。

 

このような低湿地帯で

京都盆地では一番低い場所になります

巨椋池は昔は水運や漁業で

栄えたのです。

秀吉も「太閤堤」を造り

この池と宇治川を利用しました。

しかし、

明治36年宇治川が付け替えられ

宇治川と巨椋池が堤防で

分離するするような形になり

巨椋池の水質が悪化してきました

マラリアも発生し、池不要論がでて

干拓事業へと進んで行きます。

 

干拓ですから、

土を入れて埋めるのではなく

水を抜いて田畑を作ったのです。

今でも水を抜く水路は通っていて

常に汲み出しているようです。

 

また、この展示会で

興味を引いたのは

「日本パノラマ大図鑑」

という、

俗に「初三郎式鳥瞰図」

という壁面一面の地図です。

 

 

その小さくした本を買ったのです

表紙は近畿一円の地図、

 

鳥瞰図というパノラマは

すでに江戸時代頃から

描かれていたようですが

大正時代から昭和初期にかけて

大流行したようです。

その中でも「吉田初三郎」さんの

鳥瞰図は「初三郎式」といわれるほど

人気が高かったようです。

 

 

富士山の姿もこのように描かれ

この資料館に展示してある

日本パノラマ大図鑑は圧巻で

北から南まで

まるで日本を空から旅している

気分にさせてくれます。

 

この「空から見た巨椋池」

の展示会はつい忘れがちになる

今いる場所はもとは池の底

ということを思いだされてくれます

今どきの大雨には

やはり注意を怠ってはいけない

ということも改めて

知らなければいけないことです。

 

 

 

昔は舟を浮かべ

蓮を見ながら葉に酒を注ぎ

ハス酒を飲んで楽しんだのでしょう

 

 

所々に残る蓮池はそのことの

名残りです。

 

 

 

 

 

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わがた地蔵・猿寺

2017-07-22 20:24:59 | 住職の活動日記

京都駅の東側、

小さく「わがた地蔵」という看板が

なんだか気になって

 

 

いわれには

七条東洞院から伏見へ延びる

竹田街道

馬車とかが通りやすくするために

その轍には石が敷いてあり

その石を輪形(わがた)といいます

ある夜、夢のお告げで

石の一つを掘り起こしてみると

なんと、お地蔵さまであった

それから村人は輪形のお地蔵さまと

よび大切にお祀りしてきた

ということです。

お地蔵さまは今でも

道中の安全を見守っていらっしゃる

 

隣には

 

 

 

正行院(猿寺)があり

ここのいわれも面白く

昔、円誉上人という方が

修行のおり、庵に遊びに来る

猿たちにお守りをつけてあげた

ある日、漁師に命を狙われた時

そのお守りのお陰で

猿は命拾いをした。

それから、その猟師も改心して

仏門に入り、亡くなった動物たちの

供養をしたということです。

 

お寺の中には800体もの

猿の人形があり、

お釈迦様が説かれた

「八正道」(はっしょうどう)

を表す猿、

見ざる (正見)

思わざる(正思)

言わざる(正語)

為さざる(正業)

合掌ざる(正命)正しい生活

持たざる(正精進)

忘れざる(正念)

聞かざる(正定)

たちもいるそうです。

普段は拝観できないようです。

 

その横には大きなホテルが建設中

 

 

かろうじてお寺との境界を

この瓦の塀が表しています。

 

 

京都もホテルの建設ラッシュ、

工事を囲う塀の間には

 

 

ちょっとしたお花畑

 

 

それぞれだれだれさんのお花と

名前がついています。

 

 

今日の京都も暑い!!

 

 

グランビアホテルの前から

一枚、

 

 

駅構内には

祇園祭の山車と山鉾の位置関係が

一目で分かるようにできています

 

 

その前にはそれぞれの山鉾の

手ぬぐい、うちわ、粽(ちまき)が

並んでいます。

 

 

いま、カールおじさんの

ようになった口の周りの

治療中

ということもあり

駅前の病院に出かけています。

 

 

 

 

 

 

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お坊さんはなぜ熱中症にならないのだろう?

2017-07-21 21:00:56 | 住職の活動日記

お墓参りに行き、掃除をして

汗びっしょり、

今日も蒸し暑い日でした。

汗をかいた肌には吹く風が

心地よく感じます。

 

今は熱中症対策でこまめな水分を

部屋の中でも知らず知らずのうちに

熱中症になるので

クーラーを入れましょう、と

 

そういえば、

お坊さんが熱中症で倒れたと

いうことは聞いたことがありません

重ね着してさぞや暑いと

思うのですが、

最低でも4枚は重ね着しています

肌着に襦袢その上に白衣(はくえ)

そして衣と、

また護摩焚く時は更に袈裟と

5枚ほど着込んでいます

その上に護摩を焚くのです。

 

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

 

と言った方もいらっしゃいますが

ただ精神論では熱中症は

克服できないと思うのです。

 

思うに、

お坊さんはお参りとかで

こまめに水分補給している

そして、

重ね着が功を奏しているのでは

肌着と襦袢は常に濡れている

その上に白衣と衣、

だから天然のクーラーを

身につけているようなもの

ではないかと ?

 

以前、免許がない頃

お参りは自転車か歩き

その時はいいのですが

お宅に着くと待ってましたと

いわんばかりに

汗が吹き出してくる

見かねて、

やおら扇風機を取だし

それも「強」で後ろから

当てられる、すると

涼しさを通り越して

寒くなってくる

それが、

うちわとかで煽いでいただくと

なんとも心地よい風が

吹いてくるのです。

 

重ね着をしていると

自然の風、うちわの風

これが絶妙のクーラーの役割を

してくれるのです。

 

私にとっては

重ね着をしているということが

熱中症予防のようです。

服も必ず長袖、そして

ジャケットを羽織るか

持って出ます。

 

もうすぐお護摩です。

でも、

火と対峙する

仏具も触れなくなるほど

熱くなる

また、衣も触ると熱い

けども

なんだか

清々しい気持ちにもなります。

決して汗は拭きません

流れるに任せて

目に入るのは痛いけど

じっと我慢している訳でもなく

しっかり着こんで

噴き出す汗と護摩の火と

向き合うのもいいものです。

 

これは私だけのこと

熱中症予防にはくれぐれも

ご用心ください!!

 

 

 

 

 

 

 

 

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