本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

西京極幼稚園 23年度 保育発表会

2012-02-27 21:46:54 | 住職の活動日記
 26日 「 西京極幼稚園 」 へ

『 保育発表会 』 の参観へ行ってまいりました。

 毎回行く度に、新しい発見があり、そのことより、なによりも楽しい 

ことが一番の収穫です。

 結構、ファンの方がいらして、また東京からお見えの方とご一緒でした。

お仕事柄、あちこちの幼稚園で 「 保育発表会 」 のお誘いがあるそうです。

  『 うちのは素晴らしいから是非是非 ! 』

  ということで、お邪魔しますが、西京極のを見ていると

  とても比べ物になりません。

と、熱く語っておられました。

 また今回は珍しく、上海からも幼稚園の理事長先生が見学にお見えになられました。


 とても印象に残ったのは、

微妙に変化しているというか、成長しているそして成熟している。

 昔はリハーサルから見続けていましたので、

踊りの中に先生の癖がよくわかるのです。

 不思議なもので、先生方の意外な癖が足の動きとか手の動きに出てきます。

おかしなもので40年も見ていますとそんなところが気になったのです。

 ところが今回は前から続いている踊りの振り付けを踏襲しつつも

微妙に変化して、新しいものに生まれ変わっているように思いました。


 脱皮した

という印象です。

 ( 門外漢のわたしが言うのも大変失礼と思いますが … )

そのように作り上げてこられた先生方のご努力には頭が下がります。


 西京極幼稚園は一体感がとても和んで見ることができます。

踊る園児さんも一生懸命なら、それを見る保護者、おばあちゃんまで

リズムに合わせて一緒に首を振っておられます。

 それを指導された先生方も大変だったろうと思います。


少しご紹介します。

 ( 園児さんの顔は極力出せませんので、)



   


 『 安宅関 』 の 弁慶が義経を金剛杖で打つ場面です。

見てるこちらも涙がこみ上げてきます。

 たぶん子どもさん方にも内容はわからないと思います。

けど、わかるのです。 心に響くのです。



   上海の幼稚園の理事長さんの話ですが、

  今はどこでも、英語とか算数など知的教育ばかりで、

  心に響く感動する、ということを教えることが無くなりました。

   このことは、昨年暮れにお会いした、韓国、台湾の理事長先生も

  同じことをおっしゃっておられました。

 このことは、今、世界的に教育が抱えている問題のようにも思います。


 いまはやりの 「 AKB 」 ですか、とてもリズミカルな曲も

子ども達はよく乗って踊るものです。

 新しい曲もあり、民族的な曲もあり、古典もあり、


   



 こういう、お遍路さんの曲も上手に踊っていました。


何よりも手足それも指先まで踊っている、のが素晴らしい !!


   



 なかなか、こういう足先の表現はベテランの域です。

昨日の今週の言葉ではないですが、

 「 神は細部に宿る 」

まさにそのように、おどりの手先足先までこころが通じている、

ここまでのご指導は先生方の並々ならぬ子どもたちに対する

愛情の賜物でしょう。

 子供たちの持てる力を十二分に引き出しておられるのです。


今の時代、たかが 「 踊り 」 なんて、

という声もあるようです。

 それより、知識だ !!

しかし、わかるわからないを超えて、こころの底に

響いてくる、こういう教育が一番大切なのです。

 子どもたちは歌の内容、歌詞の意味はわかりませんが、

その曲の醸し出す雰囲気はしっかりとこころに受けとめているのです。


 密かに、どういう時代が来ようと、この教育だけは是非続けてほしいと願っています。


 上海の理事長先生もとても衝撃を受けておられました。

 そして、こういう教育を上海でも実践したい !!


 京都の小さな幼稚園での取り組みですが、

とても大きな教育の事業に取り組んでおられるように感じました。











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今週の言葉 2/27~3/4 「 神は細部に宿る 」

2012-02-26 23:24:15 | 今週の言葉
      「 神は細部に宿る 」

                ( 神=精神 ) 


 この言葉ですが、以前何かの折に聴いて、心の底に眠っていた言葉です。

どうも、建築の方が使われて有名になった言葉のようです。

そういえば、日本の大工さんの言葉にも、


    「 大工とすずめは軒で鳴く 」 ( 泣く )


昔の大工さんはお寺の屋根の勾配を感と経験で割り出したそうです。

あの見事なお寺の屋根の反りは瓦を載せて始めて出てくるので、

瓦を載せないときの屋根の勾配に泣いたということです。


 本来は 「 神 」  ということも 「 God 」

という言葉のようですが、東洋的には 「 精神 」 と理解したほうが

解りやすいと思います。

 「 物事の精神は細かいところにこそ表れている 」

となるのではないでしょうか。


もともとの言葉は

 「 God is in the Details 」

( 万物のいかなる細部にも神のメッセージが込められている )

とあります。

 もっと古くはユダヤ教の経典に

 「 神は日常の些事から遠く切り離された高邁な地に存在するのではない。

   信仰は日々の現世的な生活から遊離したものであってはならない。」

と、あるのですね。

 こういう考え方は仏教と同じところがある思います。

東洋では、

 道という言葉に迷う事なかれ、朝夕己がなす業と知れ

ということわざが残っています。

 修行と言っても特別な事があるわけではなく、

毎日の自分に与えられた仕事の中にこそ、本当の修行はある。

ということです。

誰でも出来る当たり前のことを誰よりも真剣にやる。

毎日愚直に本気で取り組む、ということが本当の修行だと思います。



この意味の反対ということにあたるのでしょうか、

   「 似て非なるもの 」

ということがあります。

形は何となく似ているのですが、どこか違う ??

いま、日本を謳歌している、メイドイン 「 CHA○○ 」 形はそっくりなのですが

使いごごちが違う。

持っている 「 電気かみそり 」 同じパナソニック製なのですが、

メイドインジャパンとは全く剃り味が違うのです。

服にしても、形は同じものであっても、よく見ると

縫製がとても雑なのです。

ボタンの付け方、針の進め具合、微妙な着心地、 …  なんか違う ??

やはり、ブランドと言えるものは、そこの細部まで

きちんと出来ています。


 やはり、本物を作っていく、ということは細部にまで手抜きが無いのです。

「 国宝 」 といわれる、よくよく見れば見るほど、

細部にこそ職人の気持ちがこもっているように見えます。

「 マンダラ 」 でも、800体近い仏さまが書いてあっても、

そのお顔の表情が実に見事に書いてあります。


 一つのものを作っていくということは精神がなければ出来ないのです。

その精神が 「 微に入り、細に入り 」 表現尽くされなければいけません。

そしてそこには、その作るモノを愛するということが

あるはずです。

その愛する ということを

フィロソフィーというのでしょう。

今では 「 フィロソフィー 」 ということを 『 哲学 』 と訳してますが、

本来は 「 愛する 」 ということのようです。

「 愛する 」 ことができる、だから、極めることも出来る。


 物事を作っていかれる時には誰でもこのことを実感されるのではないかと思います。


「 神は細部に宿る 」

 洋の東西を問わず、うなづける言葉です。








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炭水化物 … !?

2012-02-24 14:00:07 | 住職の活動日記
 わけあって、少し炭水化物の量を減らしています。

ま~、 てきめんに効果はあったので、今も続けてはいるのですが、

先日、コンビニによって軽く食べるものを …  と  探したのです。

( 極力  炭水化物の少ないものを )

ところが、並んでいるものを見る限り、「 炭水化物 」 の入ってない

食べ物は皆無と言っていいほどです。

 かろうじて、「 ゆで卵 」 か 「 豆腐 」 というほどでしょうか。


ということで、「 炭水化物 」 に思いを馳せてみると、

ある本で読んだのですが、

 「 世界を制するには … 」 ということで

まず、 「 石油 」 「 金 」 それから 「 情報 」

そして 「 穀物 」 つまり ( 炭水化物 ) が入っていたように思います。


 いわれてみると、

人間が 「 炭水化物 」 を手に入れたということは

好きなときに、好きなだけ、食糧を供給することができるという事です。

保存はきくし、とても手軽に食べ物として使う事ができます。

それまでは、お腹が減ったら、狩に出る。

獲物がなかったら、その日は空腹で我慢しなければいけない。

そんな時、いつも安定供給できる 「 穀物 」 炭水化物は

なんとありがたいものだった事でしょう。


 江戸時代は 「 お米 」 が通貨の役割もしていました。

地方の殿様は 「 ○○石 」 と自分の国の力は石高で表したのです。

 昔、東寺の五重塔が 「 慶長小判 」 で 「 一万三千両 」 ということを

知りました。

 そのとき、金額を出すのにお米でもって換算したのです。

すると、今のお金でだいたい 「 400億円 」 ほどになりました。

金の値段より、お米のほうが確かなような気がします。


 だから、穀物を押さえるということは、やはり

国を治め、それが国の力ということと等しいものがあるのでしょう。

TPP という問題も

炭水化物 = 国の力  ということも絡んでくるのでしょう。


 そして、今問題の 「 税 」 ということも

大きな焦点です。

「 税 」  のぎへん、 がついています。

本来は 小作人が収穫から刈り分けて納めさせる禾 ( いね ) の意。

と書いてあります。

 
 お経の中には、お釈迦さまの言葉として

「 有田憂田 」 「 無田憂田 」
   うでんうでん      むでんうでん
ということがあります。

 ( 田が有れば田に憂い、田が無ければ無い事に憂える )

悩みを離れる事のない世俗のあり方を痛むお釈迦さまの言葉として、書いてあるのです。


 お釈迦さまの時代から、 「 炭水化物 」  は今に到るまで

わたしたちを悩ましてきているようです。

 「 炭水化物 」 人間に必要不可欠であり、

また、魔力も魅力も持った存在です。


 私たちがどのように上手に付き合っていくかが 「 鑰 」 (やく) 

 鍵 となるでしょう。




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ニャン・ニャン・ニャン !  2月22日

2012-02-22 22:07:52 | 住職の活動日記
 「 は~い  わたしがアヤちゃんで~す ! 」


   


 今日は2月22日 「 ニャン・ニャン・ニャン 」 の日です。

最近のご報告です。

もう16歳、人間で言うと80歳を超えているかも ??

クラモト家でも、とうとうわたし一人になりました。

皆さんの愛情を一身に受けて、とても幸せな毎日です。  


   


 近況報告の電話もかけました。

すると、


   


 この方がやってきました。

あなた だれね ??

 「 ぼく アンパンマンだよ !! 」

 「 そうね、そばにおりなさい 」



   


 「 スマホ 」 もなかなかおもしろいです。



きょうも、一日よく遊んであげました。

それでは、お先に寝るわよ !!

ゆたんぽをだっこして、あったかくして  …  これが一番 !!



   



 ほんとに、きょうは疲れました。

皆さんのお相手も大変でした。


 どうぞゆっくり休んでください。






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真向法にチャレンジ !!

2012-02-21 21:35:50 | 住職の活動日記
 先日、真向法の範士 「 池田義保さん 」 より、

 「 明日お邪魔しますが、いらっしゃいますか ? 」

と、お電話を頂き、家内と二人でお待ちしておりました。

真向法の練習かと思いきや、

 「 まずお手玉をしましょう ! 」  

  …  ??



   



 袋から 「 おてだま 」 を取り出されました。

子どもの遊びと思いきや !!

これがなかなか出来ないのです。  

両手に一つずつ持って、

 「 右手で 4回  左手で 4回  両手で4回  … 」

右手はまだしも、左手となると、まるで出来ないのです。

そして、両方一緒となると、

これがまた難しい !!!


 なぜ出来ないのだろう ?

今まで、自分の体が自分の好きなようにしか動かしてなかった、

ということの証明でしょうか。

こんな簡単な動作が出来ない  

情けないやら、

それとも左手なので右脳が全くといっていいほど動かしていなかったのか

脳の衰えているということなのか ?

池田さんいわく、

  「 これで、両方の脳を上手に使っているのですよ。

    ゲームをやっている脳は全く眠っている状態なのですよ !! 」

こんな簡単な 「 おてだま 」 

身体にも脳にもとてもいい刺激が伝わってきます。


 それからおもむろに 「 真向法 」  です。



   


 「 三原則 」 を教えていただいて、

無理をせず、続けていくこと、

一応、それなりに 「 ヨーガ 」 は続けていましたので、


   



 何とかこの開脚も少しは出来るのです。

しかし、習ってみると、我流とは違う

動作が微妙に、  きれいで形が美しい

一通り、教えていただき、


 「 また、次回まで練習をしててください。」


なによりも 「 おてだま 」 を克服することが

緊急の課題です。


 老人ホームとか慰問に行って、

この 「 おてだま 」 をやると、

昔取った杵柄、でしょう、

いきいきと、目が輝きだし、上手にされるそうです。


 むかしから、日本にはちゃんと脳を鍛える遊びがあったのですね。

科学の遊びもいいですが、

本来は人格を育てる遊びとしても

この 「 おてだま 」 は素晴らしいものがあります。


 先日も、ボランティアの方が 「 おてだま 」 をたくさん作って、

被災地へ送ったという記事が出ていました。

思わぬほどいい効果が出てくると思います。


 次回まで、何とか笑われない程度に

 練習   練習   です。   










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暖炉のおもてなし

2012-02-20 22:33:01 | 住職の活動日記
 とても穏やかな天気になりました。

鹿児島までお参り、とても清清しい、まさにドライブ日和  

京都にいるときからのお付き合いで、

今日はお母様の祥月命日命日です。



   

 お邪魔すると、「 暖炉の火 」 が暖かくお出迎えです。

そして、 『 シェルちゃん 』 も楽しそうに迎えてくれました。


   



 火のぬくもりは、本当に温かみを感じます。

そして、火の力は不思議な力を持っています。

疲れたとき、温かく燃える火はとても癒してくれます。

そして時には、人間の嫌な気分まで、燃やし尽くしてくれるようです。

また、毎月の 「 護摩の火 」 は

悩んでいる人に力を与え、勇気付けてくれます。


 その周りで、「 シェルちゃん 」 は一生懸命お話をしてくれて

彼女なりに最高のおもてなしをしてくれているようです。


 ご一緒に、暖炉の火を囲みながら、

おいしいお昼をご馳走になりました。


   


 デザートはイチゴでした。

珍しいガラスの器に乗っていました。

「 東大寺の軒丸瓦 」 をモチーフにしたものです。

この瑠璃色とイチゴの赤のマッチングがとても美しかったのです。

 ( つい、食い気のほうが先で、イチゴはお腹の中です。)



 帰りには、先生の手塩にかけられた 「 お野菜 」 を頂戴しました。


   


 葉っぱの付いたほうが 「 聖護院大根 」

手前の葉っぱのないほうが 「 桜島大根 」 です。

そして、庭で取れた 「 橙 」 も頂戴しました。

お供えして、夕方には食卓に上りました。

 「 大根と鶏肉のホワイトソースのシチュー 」 です。

とてもとても、おいしゅうございました。  


 土もだんだんとよくなって、今回は 「 ○○窒素 」 とかの肥料も入れられたそうで、

とても素人の作とは思えません。

 病院の合間を縫っての 「 畑仕事 」 

土と共に往き、土に親しんでいらっしゃるお姿に、頭が下がります。


 町の巨匠に感謝   





 
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今週の言葉 2/20~2/26 「 忌むべきものの第一は  …  」

2012-02-19 22:04:05 | 今週の言葉
          忌むべきものの第一は
        
               己が己がと言う心

                  おれ おれ 



 本当に、すべてのもを壊してしまうのは 「 俺が俺が 」 という心です。

どんなに素晴らしい事をしても、「 自分がやった 」 という心が出てしまうと

それは ゼロどころか、かえってマイナスのことになってしまいます。


 しかし、人間には心の奥に、一番厄介な

「 自他差別心 」 という心を持っています。

自分と他人を区別して、自分が優位である、という心を誰でも持っているのです。

煩悩、煩悩、というけれど、それよりも大変な問題は

この 「 自他差別心 」 です。

第7番目の意識で、インドの言葉では 「 マナ識 」 ( 末那識 ) といいます。

般若心経に出てくる、

 「 眼・耳・鼻・舌・身・意 」 の次に出てくる意識です。


こころ という言葉も一般には

とてもいい言葉として扱われているようです。

しかし、

三浦先生もよく話されていたのですが、

心とはコロコロ、コロコロ変わるから、こころというのですよ !
 
 いわれてみれば、ほんのちょっとしたことで

今まで好きだったこころが突然、嫌いになったりもします。

昔の歌に、

 「 こころこそ、こころ迷わすこころなれ、

          こころにこころ、こころ許すな 」

というのがありました。

それから、 「 忙しい 」 という字も

りっしんべん に亡ぼすと書きます。

ですから 仏教ではこころは迷いの象徴のようなものとしても考えます。

  「 その迷いのこころが、一つの道を見つけたとき、

      それを精神というのです。」

ということも、三浦先生の言葉です。


 「 こころを大切に ! 」 

ということも、よく吟味して使わなければ

結構、曖昧な言葉になってしまいます。


 「 忌 」  という字も、

いろいろな意味を持った言葉です。

昔は、お葬式を出すと玄関に 「 忌 」 と書いた字を貼りました。

ところが最近は、どうも、「 死 」 を不吉なものと考えておられるのでしょうか ?

貼るお宅が少なくなりました。

確かに、忌み嫌う、という意味もありますが、

つつしむ、うやまう、という意味もあるのです。

「 忌中 」 とか 「 何回忌 」 という場合は

亡くなった方を、敬い、謹んで過ごす、という意味で使うのでしょう。


 ところが、今週の言葉で

「 忌 」 という字を 己が己がという心、と分解されたのは

まさに、こころしなけばいけない、読み方だと思います。



 ※ 余談ですが、 古歌に

    「 ミ・シは上、ヤム・イはスデニ中ばなり、

        オノレ・ツチノト・コ は下につく 」

  といって覚えたものでした。


     おのれ、つちのと

     すでに、やむ

     み


漢字というのも、実に面白い言葉です。
 


 
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スマート君点検中

2012-02-17 21:44:54 | 住職の活動日記
 と、いうことで

まっさらの 『 スマート君 』 がやってきました。

 ( それも、値段表つきで )




   



 ライトブルーメタリック、という色だそうです。

まったくの新車、乗り込んでみると

新車の香がなんともいえません。

 早速、この車で お参りへ   

変わらないと思うのですが、

人のがよく見えるのかもしれませんが、

何となく乗り心地もいいような気がします。  



   



 暖簾越しの 「 スマート君 」 も、おしゃれ かな ??





荒尾町から菩提樹苑へ向かう途中、



   



 『 万日山トンネル 』 も開通間近のようです。

このトンネルが開通すると、熊本駅からすぐに、西回りバイパスにつながり

菩提樹苑への道がとても便利になります。

 熊本市内が新幹線によって分断され、踏切を渡らなければいけない、

不自由さが大分解消される事でしょう。




 菩提樹苑へ着くと、


    



 『 玉三郎 』 がお出迎えです。

とてもいい場所を確保したようです。

花越しに見る、玉三郎    男前    ですよ、

けど、お花にピントが合っていたのは、ごめんなさい  





こちらは、


   


 「 くろちゃん 」 ( 菩提樹苑では 「 ノア 」 )

手の傷もだいぶん治り、もうすこしで、この鬱陶しい首輪も外れそうです。

この真剣な一枚は、ちょうど用を足しているところです。

  ( 勝手に撮らないで !! )



打ち合わせも終わり、

外は、雪がちらほら舞っています。

 今晩から冷え込みそうです。




   



 やはり、ブルーの色が渋く輝いている スマート君 も

とても精悍でいい姿です。


 新車を借用させていただいてありがとうございます。


   今日一日楽しまさせていただきました。





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寝たきり金魚

2012-02-16 22:00:26 | 住職の活動日記
 縁側の日向で悠々と泳ぐ金魚を発見  


    



 もう、水槽に一杯になるほどに大きく成長しています。

金魚も、熱帯性、暖かいと冬眠せずに元気に泳ぎ回っています。

だから、縁側の日向では、餌もよく食べ立派な姿です。

もう10年以上元気にしているという事です。


 ふと、水槽の隅を見ると、

    



 死んでるのでしょうか ???


  「 もう、1年ほど寝たきりなんです。 

    たぶん、身体の浮き袋が破れたのでしょう ? 」


じっと見ていると、

 白と赤のまだらの金魚のほうがそばに寄り添っています。

そのところを撮りたかったのですが、

カメラを向けると、逃げてしまいます。



  「 ご飯は食べるのですか ? 」


  「 ちょうど、身体の上辺りに餌を落とすと、

    横になりながらも、ちゃんと食べてくれます。

    金魚でも同じ姿勢ですと、床ずれ、ができますので、

    たまには、ひっくり返してやるのですよ ! 」


ろうきん 老金魚の姿を目の当たりにしました。

普通だったら死んでしまっていることでしょう。


  「 でも、金魚に教えられます。

    横に連れ添って、一緒にいてあげる。

    人間よりも立派ですよ。!! 」

とは、ご主人の言葉です。


 こちらのご夫妻も明日で80歳 「 傘寿 」 だそうです。

お二人だけの毎日の中で、この金魚たちのほほえましい姿が、

とても美しく見えたのでしょう。



    



3匹いて、互いに声掛け合っているから ?? 

お互い元気なのかもしれません。

3匹という数字がいいのかもしれません。

3人は 「 サンガ 」 です。

2匹ですと、けんかもよくします。

結構、動物も残酷なところがあって、

弱った相手を見ると、突っついたりして、殺してしまうことがよくあるのです。

3匹、それも身体の不自由な1匹がいて、

思いやる心が生まれているのかもしれません。

元気な人は身体のハンディーがある人のことを思いやり、

不自由な人はそのことをありがたく受けとめる。

その微妙なバランスがとてもいいのかもしれません。


 仲良く元気でいてください。   





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『 涅槃図 』

2012-02-15 21:50:16 | 住職の活動日記
 2月15日は、お釈迦さまがお亡くなりになった日、

「 涅槃会 」  といいます。

 当院でも 「 涅槃図 」 をお祀りして、お参りをします。


「 涅槃 」 とは、インドの言葉で 『 ニルバーナ 』  Nirvana

( 吹き消す ) という意味です。

めらめら燃える煩悩の炎が吹き消された、ということをあらわし、

さらに、すべてが燃焼しきった、人生を完成した、ということで

お釈迦さまの死を 「 涅槃 」 と表現します。



    



 頭を北に向けて、顔を西に向けて、沙羅双樹の元で涅槃に入られます。


この涅槃図にもいろいろドラマがありました。


お釈迦さまが亡くなられそう、ということを聞きつけ、

お母さまが天界から、薬の袋を持って駆けつけられます。


    



涅槃図の右上に描かれています。

もう間に合わないと思われた、お母様のマヤ夫人はその袋を投げられます。

ところが、その袋はお釈迦さまの身元には届かず、

木に引っ掛かってしまいます。


    


涅槃図の左上に書かれています。

その袋を木から取り外そうと、ネズミさんが出てきて、

引っ掛かった紐を切ろうとするのですが、

そのとき猫が出てきて、ネズミを捕まえてしまった。

だから、涅槃図には 『 猫 』 は描かれていない、といわれています。


    


お釈迦さまの死を一番悲しんだのが 『 阿難尊者 』 ( アーナンダ ) です。

とても若々しく、そして弱りきった姿になっています。

最後まで一番お釈迦さまの身近にいたのですが、

とうとう、悟りを開く事ができなかったといわれています。

しかし、 『 結集 』 ( けつじゅう ) お経を編纂するとき、

この阿難尊者がいなかったら、出来なかったといわれています。


    


 亡くなった時、最後の水を 「 末期の水 」 といいます。

お釈迦さまも、亡くなるとき、水が飲みたい、とおっしゃいます。

そのとき、近くの川は隊商が通ったあとで、川の水は濁っていて飲めません。

というのですが、それでも、お釈迦さまは

「 汲んでおいで ! 」 とおっしゃいます。

仕方なくその川に行ってみると、水はきれいに澄んでいた、といわれています。

その川 「 尼連禅河 」 ( にれんぜんが ) が

涅槃図の上のほうに描いてあります。


 お釈迦さまの死は、ただ悲しいだけではなく、

すべてのいのちが生きる意味を見出していただいた、という

お釈迦さまの死がとても残念なのです。

だから、いろいろな動物、植物、そして小さな虫までも

その死を痛んでいるのです。


    


 ただ、生まれては死んでいく、そのいのちが

生まれて、生きて、そしてそのいのちを全うしていく、

そのことが解ったという事が

お釈迦さまの、悟りと涅槃の意味なのです。


 お釈迦さまのあと、次の仏様が出てくるまでに

56億7千万年、の月日が流れると、お経に書いてあります。

その間は 「 無仏の時代 」 です。

そのときを迷わないように導いていただくのが

『 地蔵菩薩 』 です。



    


 お母様のマヤ夫人と共に、一緒に天上界からお見えになっています。


もっともっと、涅槃図にはたくさんのドラマがあると思います。

ただ、思いだしながら … ?  です。 






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