本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「春を告げる!」

2014-02-28 10:09:19 | 住職の活動日記

 暗い中、池の金魚が水音を立てる。

「 バシャ !  バシャ ツ ! 」

元気でいてくれたのです。

池の水も温みだしたのでしょう。

 

 今日のお不動さま、熱くなりそうです。

4月上旬ごろの陽気とか   

 まさに、熱祷をささげる、という

護摩法要になりそうです。

 

     

 

庭の 「 カニバサボテン 」  元気でした。

小さなつぼみを膨らませ始めています。

 

     

 

「 柊 」  の花は今が満開です。

「 ひいらぎ 」  木篇に 「 冬 」 と書きます。

 

 そして、

 

     

 

「 椿 」  のつぼみも膨らみ始めています。

「 つばき 」 は 木篇に 「 春 」 です。

春を呼ぶ木なのでしょう。

 

 もう、明日からは 「 春弥生 」  です。

 

2月の締めくくり、そして3月が始まります。

感謝を込めて、お不動さまへ祈ります。

 

 護摩法要は1時からです。

 

 

 

 

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『 凱旋 』

2014-02-27 10:11:08 | 住職の活動日記

 「 羽生結弦選手 凱旋 」

という言葉がよくテレビとかで流れています。

 しかし、少し気になるのは

「 凱旋 」 という言葉です。

古い私にとっては戦争を連想してしまいます。

 凱旋門 とか 凱旋将軍

戦に勝って帰ってくるというイメージです。

 

 「 凱 」 という字は調べてみると、

凱 ガイ・カイ と読み、かちどきという意味があるようです。

「 豈 」 という字がもともとで、よろこぶ、やわらぐ

という意味があったのですが、

「 豈 」 が疑問詞として使われるようになったので、

「 几 」 をつけて、やわらぐ、よろこぶの意味を表した。

ということで、

 ① やわらぐ ( 和 )

 ② たのしむ ( 楽 )

 ③ よい    ( 善 )

 ④ かち、戦勝

 ⑤ かちどき、かちいくさの音楽

という意味があります。

 

 「 羽生 選手 」 を見ていると、

ほんとに穏やかな優しい顔をされています。

そして、心の底からスケートを楽しんでおられるようです。

その善い行いは周りの人をすべて勇気を与え

和やかにしているようです。

 なによりも、自分に勝って  金メダル 

をとれたことは

自分自身に対しても周りの人に対しても

かちどきの声が上がったことです。

 

 今日も政治家の方で、

「 …悖る 」 ということを話しておられました。

私にとって初めて聞く、初めて見る

言葉であり文字でした。

『 悖 』  ( もとる ) と読み、

そむく、人の道にそむく、という意味です。

 難しい言葉を使われる 

 

 仏教の場合は難しい言葉が出てきますが

それは、意味を厳密にしていくためです。

曖昧な解釈を退けるため、

自分の心を吟味していくうえで、

ことばがええ頃加減では

迷いの本質を突き止めることは出来ません。

それで、自分の心を分析する上でも

厳密な言葉の使い方をするのです。

 なんとなくわかったような、

暗黙の了解のような、そのように

ことばを使い誤魔化すということもあるようです。

「 憲法解釈 」 ということも

しっかり厳密に考えないと

大変なことにもなりかねないような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『 佛の子 』

2014-02-26 11:55:45 | 住職の活動日記

 西京極幼稚園 平成25年度

「 保育発表会 」  が

3月1日 ( 土 )  3月2日 ( 日 )  に

開催されます。

 いつも楽しみに拝見させていただくのですが、

今回は丁度 「 お不動さま 」 の護摩祈願と

重なり帰熊することになり、

残念ながらお邪魔できません。

 

 昨日、幼稚園へその旨をお知らせすべく

お邪魔いたしました。

丁度リハーサルも終わったところだったのでしょう、

先生方の動きに心地よい緊張感のようなものを

感じていました。

 

   

 

応接室に飾ってある額です。

 毎朝の朝礼で、

「 われらは ほとけのこどもなり

  うれしきときも かなしきときも

    … 」

と、歌われているこの歌

私にとっては 『 佛の子 』 ということば

自分自身をふり返る背筋にピーンと走る

そういう、自分の根源を思い返させてくれる

言葉です。

 日常生活に追われていると、

自分が 「 佛の子 」 ということを忘れてしまいがちです。

 応接室には 「 三浦先生 」 の写真も飾られて

先生の 「 御影 おんかげ 」 が今にも

いらっしゃるような、そういう空気が伝わってきます。

 

 先生方にとっても 「 保育発表会 」 は

一年間の集大成のようなものです。

 子供たちを見続けた目で、その子に合った

役柄を決めなければいけません。

 そして、わからない子に分かるように教える

大変な作業です。

 

 変なことを思うのですが、

「 命令はどちら側にあるのか ? 」

 たとえば、先生方が一生懸命指導されても

それを先生の教えるようにできてこそ

その踊りは完成されます。

 

 これは私たちにも言えることで、

いくら立派な教えであってもそれを受け取る

私たちが未熟であれば伝わりません。

ということは、教える側よりも

教えられる側に大きな比重があるといえます。

 いくら命令しても、その命令を

理解して実行しなければその命令は完成しません。 

 

 お釈迦さまが説法される、

その内容がちんぷんかんぷんで

聞いている人に理解されなかったら

お釈迦さまの教えは伝わりません。

しかし、理解したからといって

その教えが聞いた人のものではないのです。

「 俺が聞いた !! 」 と

自慢できるものでもありません。

 

 園児さんたちの演技を見ていますと

非常に高度な内容の踊りで、

たぶん内容は理解できませんかもしれませんが

身体でわかるのでしょう、

心の深いところで受け止めているのでしょう、

見事に表現するのです。

 それは、教える先生も大切ですが

その踊りを受け止める子供さんたちもすごいのです。

そして、なお立派なことは

自分がこんないい踊りをしたということに

執着してない。

 大きくなってくると、「 自分がやった ! 」

と自慢したくなるものです。

 

 教える先生、うけとめる園児さん、

無心になって踊り、

それを見る親御さんたち、

そこに大きな感動が生まれるのです

 

 いつも、保育発表会を見るたび

踊っているのは 「 佛の子 」

ということを思い知らされます。

 

 返す返すも今回は残念  

 

 

 

 

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春はあけぼの … !

2014-02-25 10:11:07 | 住職の活動日記

 春はあけぼの、やうやうしろくなりゆく山ぎわ …

 

もうそこまで春はやってきているようです。

 

    

 

向かいの 「 比良山地 」 はまだ雪、

風は少し冷たいものの、穏やかな天気

気温もぐんぐん上がりそう、

 

    

 

ここ、滋賀県守山市の 「 なぎさ公園 」

12000株の 「 菜の花 」 が見ごろを迎えています。

 

    

 

比良山地の山々は神々しいほど美しい !!

 

    

 

まだまだ冬の気配は残るものの、

もう、この寒さの中で黄色い花をつけています。

 

    

 

遥か向こうには 「 琵琶湖大橋 」 を望むことができます。

 今日の琵琶湖はとても美しい、

穏やかな水の表情

 

    

 

 

 なにもなにも、ちひさきものは

みなうつくし。

 我が家の 「 オクムラ1号 」

冷たい間しっかりした蕾がやっと

開き始めました。

 

    

 

そして、ほかの枝からも

 

    

 

目が吹きだし始め、  「 ちひさきもの … 」 

 楽しませてくれます。

 

    

 

牡丹の木も根っこから 「 新芽 」 が、

 

    

 

枝の先にも、いのちが燃え上がって

その息吹を感じ、

 

 遠くて近きもの 極楽

 

と、枕草子にはありますが、

もうまじかに迫ってきていおるようです。

 

 

 

 

 

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大王具足虫 №1 即身仏と成る !

2014-02-24 21:43:04 | 住職の活動日記

 『 ダイオウグソクムシ №1 』

鳥羽水族館で去る2月14日亡くなりました。

ちょうど、お釈迦さまの涅槃の前日です。

 断食の行に入ってまる5年、

( 正確には5年と43日 1869日 )

一切の食べ物を口にすることなく

静かにそのハタラキを閉じました。

 不思議なことに入館した時が 1040グラムの体重で

死んだ時が 1060グラム だったそうです。

 「 グソク 」 というのは 鎧兜の 「 具足 」 から

名前を頂いたようで、その甲羅はまるで鎧を着ているようです。

 5年間も食べずに生き続ける、

その生命の働きはどのようなものでしょう ??

 

 「 仮想水 」  ということがあります。

例えば、小麦1㎏作るのに水は2トン必要です。

その必要とされる水の量を仮想水といいます。

そういう考えからすると日本は

「 水 」 の輸入国ということになります。

肉 ・ 魚 ・ 小麦 ・ 野菜 など輸入してます。

 牛1頭育てるのに5000㎏の飼料が必要です。

牛の体重は大体1000kgほど、

そのうち可食部分は500kg。

 つまり、牛肉100グラムを得るためには

小麦1キログラムが必要となってきます。

 ということは、牛肉100gの仮想水は

小麦1キログラムと同じ2トンということになります。

 

 最近、テレビで

「 長生きしたけりゃ炭水化物をやめろ ! 」

というようなことが話題です。

 確かに、炭水化物を止めると

血糖値とかはいっぺんに下がります。

 けど、買い物に行って 「 炭水化物 」

のない食べ物を探すとなると、難しい !

「 肉 」 か 「 さかなか 」 か 「 卵 」

他、乳製品ということになります。

 確かにいいのでしょうけれど …

翻って考えてみると、

この地球上で飢えで苦しんでいる人が

どれだけたくさんいることでしょう。

 賞味期限が切れたと、どれだけたくさんの

たべものを無駄にしていることでしょう。

 

 ベジタリアンの人が増えているとも聞きます。

少し変人なのかな ?? と思っていたのですが

これから、地球の食糧事情を救うのは

ベジタリアンではないかとも思えます。

 100gの牛肉を食べるために

穀物が1㎏必要です。

穀物をそのまま食べれば

どれだけの人が命をつなぐことができるのでしょうか。

 昔をふり返ってみると、

主食のご飯に少しのおかずに汁物

だったのです。

 何も炭水化物が悪いわけではありません。

十分すぎる肉さかなにそのうえ

閉めとしてごはん麺類を頂くのですから

たまったものではありません。

 

 炭水化物の発見は人間に富をもたらしました。

炭水化物漢字では 「 禾編 」 であらわします。

「 私 」 という字も、稲を囲い込んで

わがものにした、という構成です。

 江戸時代も国の経済力は禄高

つまりお米で表しました。

 

 最近心配なことは

これから先、食糧難になるということです。

日本では人口は減っていますが、

世界的には人口増加で食べられない時代が来る、

その時に、これだけ無駄な浪費をしてもいいのだろうか ??

200gのステーキを食べるためには

2kgの小麦が必要です。

その2kgの小麦を育てるには

4トンもの水が必要ということです。

玄小麦 100g は 340KCal

牛肉  100g は 240~400KCal

ほぼ同じカロリーが取れるのに

10倍以上の小麦が必要ということです。

 

 昔は、お坊さんも

穀物を絶ち、木の実を食べ、

木の実も絶って、水だけを取り、

ついには、その水も絶って

「 即身仏 」 ミイラになっていかれました。

 「 大王具足虫 」 も食を絶ち、

水も絶ち ? ( 深海にいるので )

ついにはその姿を立派にとどめて

「 即身仏 」 になったのです。

 いま、なぜこれだけ何も食べずに

生きることができたのか ?

研究の的になっているようです。 

 是非ぜひ、その生命の不思議な活動を

解明していただき、

これからの地球の食糧問題にも

何かのヒントを見つけてほしいものです。

 「 大王具足虫 №1 」 も

その意味からすると十分に

そのお役目を果たしたと思います。

 

 

 

 

 

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きんしくんしょう !?

2014-02-23 15:38:27 | 住職の活動日記

 先日のイタリアンの店

「 あるとれたんと 」 のもとの店が

「 キンシ正宗 」 の看板が残っていました。

 気になったのが、

「 キンシ 」 というところがカタカナということです。

ネットで見てみると、

やはり漢字があって、 『 金鵄 』 と書き、

古事記・日本書紀からのいわれのようで

とても素晴らしい名前なのですが、

戦時中には 『 金鵄勲章 』 なるものがあって

戦後は、『 金鵄 』 を カタカナに替えられたのでは ?? 

 

 神武天皇 ( カムヤマトイワレビコ ) が

登美 ( 奈良市 ) の生駒山を支配する豪族

ナガスネビコ ( 那賀須泥毘古 ) と激しい

攻防線を繰り広げる。

 その時、神武天皇の弓にとまった鳥が

鵄 ( とび ) で、その鵄が光り輝いて

その姿がまるで雷光のようで、

その光を見てナガスネビコの軍は

戦意を喪失してしまった、というはなしが

日本書紀につづられています。

 そこからこの鵄 ( とび ) を

『 金鵄 』 と呼ぶようになったようです。

 しかし、この戦いで神武天皇は

兄であるイツセ ( 五瀬命 イツセノミコト ) を

失うのです。

 

 子供のころ、明治生まれの祖父が

小学校でいい成績を取ってくると、

 「 ようできた !!

   きんしくんしょう や ! 」

といっていたことを思い出します。

何のことやらわからなかったのですが、

その当時の軍隊においては

最高の勲章が 「 金鵄勲章 」 だったようです。

だから、

 「 きんしかがやく、にっぽんの ~ 」

という歌もあったようです。

 

 お酒は縁起の良い目出度いもの

だったのでしょうか ??

 「 月桂冠 」 にしろ 「 英勲 」 

それから 「 松竹梅 」 などなど、

「 キンシ 」 に通じるような名前です。

 昔、英勲の社長とお会いしたとき、

戦時中は 「 英勲 」 には、

英国の 「 英 」 が入っていてけしからん、

戦後は 「 英勲 」 の 「 勲 」 が、いさお

ということで、軍国主義や !

といわれて、立つ瀬がありませんとこぼしておられました。

 今では、それらの由緒ある名前を

古いままに現代に生かしておられ、

定着してこられたことはご努力の賜です。

 歴史のある会社こそ、

それなりの思い入れのネーミングをされ、

現代に生かしておられます。

 「 資性堂 」 「 カルピス 」 「 キャノン 」

も、仏教用語から取られているようです。

 

 「 きんしくんしょう 」 も

どのようなものかわかりませんが、

「 金鵄 」 という神武天皇を守ってくれた

というめでたいことから

この名前がついたのでしょう。

 

 その後、三本足の 「 八咫烏 」 ( やたがらす ) が

出てきて、神武天皇を先導していくという

古事記の物語は続いています。

 

 

 

 

 

 

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あるとれたんと

2014-02-22 20:50:33 | 住職の活動日記

  「 あるとれたんと 」

石窯で焼くピッツァのお店です。

 京都の町も不思議とイタリアンのお店も多く、

それも古い街並みとよくマッチしています。

 

    

 

お店を入るとすぐ大きな石窯が目に飛び込んできます。

 

この店はお向かいにある 「 タントタント 」 の

姉妹店にあたります。

 

   

 

お店の雰囲気もとてもおしゃれ !

 

 ピッツアは私好みの生地の薄いパリッとした

サクサクと食べやすいものです。

 

   

 

他にも、温野菜のマリネ、リゾット、パスタ

どれもおいしいものばかりです。

 

   

 

店の雰囲気も古い屋敷をそのまま使われているようで

調度品とか絵画が古いものと新しいものの

ミスマッチが不思議な雰囲気を醸し出しています。

 

   

 

庭には面白い絵画、見方によっては

鳥に見えたり、魚に見えたり、

はたまた天女に見えたりと、

庭の真ん中にある大きな塊は

焼き物のオブジェです。

 

 お店を出て帰る時に分かったのですが、

 

   

 

もともとは酒造会社の 「 キンシ正宗 」 の

跡地のようです。

「 キンシ正宗 」 の壁に塗りこまれた商標は

そのままに、上手に改装しておられるようです。

 

 ネットで見てみると、

ここのオナーさんはイタリアより

表彰を受けておられるくらい、

イタリア料理にはとても造詣が深い方のようです。

 

 どおりで      

おいしいはずです。

 

 

 

  

   

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「なおちゃん」 いらっしゃ~い !!

2014-02-21 21:19:49 | 住職の活動日記

 熊本よりかわいいお客さん、

『 奈桜 』 ( なおちゃん ) です。

 

   

 

お父さんの 「 宗良君 」  は、

本山の 「 五大力さん 」 の結願法要に

助法に出仕されたのです。

 

 お父さんのお参りの間中、

後ろに座って、小さな手を合わせて

一緒にお参りしたそうです。

 

    

 

そのあと、私宅へお立ち寄り頂きました。

 平等院の近くまで来たのですが、

今日も寒風吹きすさみ、

白いものもところどころ舞っていました、

ので、塀越しに遥拝ということで、  …

 

 それで、 「 なおちゃん 」 もいることだし、

早々にお立ち寄り頂いた次第です。

「 なおちゃん 」 もごきげんさんで、

とてもいい笑顔をふりまいていました。

 

    

 

家内の プルプルプル にはまって

とてもよく笑ってくれました。

 とてもすくすく育って、

現在 8キログラム 超

抱っこさせていただいたのですが、

かなり、ずっしりとした、

腕に堪えるまでのご成長のようです。

 

 なにより なにより    

 

宗良くんご家族にとっても、

本山へのご出仕をかねた久しぶりの

「 キョウトの休日 」

だったことでしょう。

帰ったらまた忙しい日々が始まりますが

今日明日とどうぞ家族団らんで

楽しい日を過ごしてください。  

みなさん仲良くね    

 

 

 

 

 

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五大力さん

2014-02-21 10:14:35 | 住職の活動日記

「 京に春を告げ、

  一年の幸せを祈る 」

  五大力さん

 

    

 

という、京都新聞一面広告が

目に飛び込んできます。

 

 本山の醍醐寺では今が一番忙しい時です。

 

     

 

2月23日に厳修されますが、

それに先立ち、2月15日から

2月21日 ( 今日まで )

前行 ( ぜんぎょう ) が一週間21座勤められます。

たぶん、当院の 「 宗良君 」 もお手伝いに

参加しているようです。

 

 23日は9時から

 「 五大力尊仁王会法要 」 ( ごだいりきそんにんのうえ )

が勤められ、同時に

「 柴燈護摩 」 ( さいとうごま ) という

野外での大きな護摩法要も勤められます。

そして、京都の方にとってなじみのある

「 奉納 餅上げ 」 が12時からあります。

 女性は90キロ  男性は150キロの

鏡餅を持ち上げてその時間を競います。

 

    

 

そして、有名な 「 五大力尊 」 の

お札も当日限り授与されます。

このお札は 「 五大力尊御影 」 ( みえい )

といって、このお札をお祀りすると

昼夜を問わず五大力尊の影が寄り添って

家族を守り、あらゆる災難を祓い除いて

無事息災、安㤗隆昌にご加護くださるということです。

 

   

 

由緒のあるご本尊 「 お不動様 」 です。

五大尊といいますので、

不動明王を中心に降三世 ( ごうざんぜ )

軍荼利 ( ぐんだり ) 大威徳 ( だいいとく )

金剛夜叉 ( こんごうやしゃ ) の各明王さまです。

 

ぜひぜひ     ですよ 

私もお参りしようと思っています。

 

   まで、

 

 

 

 

 

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いま、「古事記」 にはまってます !

2014-02-20 19:57:44 | 住職の活動日記

 「 伊勢神宮 」 に参拝以来、

「 アマテラス 」 んことが気にかかり、

「 アマテラス 」 といえば、

『 古事記 』 でしょう、ということで

手短にあった現代語訳の古事記を

読み終わりました。

 なかなか面白く、

これは当然知っておくべきことだった、

今更ながら、知らなかったことを

恥じ入ってます。

 

 なにせ、神々の名前が難しい !!

そして、昔の神様はたくさんの妻を持たれているので

その子供もたくさんで、

代々つながっていく系譜が …

似たような名前も多く、

いま、その関係を図式化しています。

 

 たとえば、

十二代 景行天皇、

妻は10人、その子供たるや80人を超えるようです。

天皇になる前の名前が、

「 オオタラシヒコオシロワケノ命 」

( 大帯日子淤斬呂和気命 ) と漢字になります。

そして、後継ぎの御子が3人、

「 ワカタラシコヒコノ命 」

「 オウスノ命 」 後の 「 ヤマトタケル 」

「 イホキノイリヒコノ命 」

と、一回や二回聞いたぐらいでは

頭に残りません。

 

 下書きのように、余った紙に

妻の名前や子の名前を

関係付けながら図式化しているのです。

 

 そうやってみると、

また面白い一面もわかってきて

関係性がわかると、

またもう一度読み返したりしています。

 

 そして、また訳された先生方によっても

とらえ方の違いもあると思います。

 関係図が出来上がれば、

それをもとにして、別の先生の

「 古事記 」 を読んでみようと思っています。

 

 「 伊勢神宮 」 については、

今読んだかぎりでは、

一か所ほどしか出てきません。

 『 ヤマトタケルノミコト 』 が

父である 「 景行天皇 」 の命を受けて

東方征伐に出かけるのです。

 西の 「 クマソタケル 」 を征伐して

帰りに 「 イズモタケル 」 も征伐し、

休む間もなく、東方への出陣です。

それも、軍隊も持たず、ただお付の人だけを連れて、

その時、景行天皇の妹である 「 ヤマトヒメノ命 」 を

伊勢神宮に訪ねる。

その折、叔母様より 「 草薙の剣 」 と 「 袋 」 を

頂き出発します。

 立て続けの出陣で、叔母さまには愚痴をこぼしているようです。

そうやって、「 ヤマトタケル 」 によって

ほぼ日本の国が平定される、という。

 そのくだりで 「 伊勢神宮 」 が出てくるようです。

 

 ほんとうは 「 伊勢神宮 」 の成り立ちとかが

書かれているのでは、と期待したのですが、

あまりなかったようです。

 

 読み込まなけれいけない本がたくさんあるのですが、

気になったところから、と

「 古事記 」 をもう少しはまってみたいと

思っています。

 

 

 

 

 

 

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