本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

中随煩悩(無慚・無愧)

2022-09-30 20:29:57 | 住職の活動日記

根本煩悩が貪・瞋・痴

貪り、瞋り、愚痴という

それに付随する煩悩が

随煩悩といわれるものです

それに、大中小があって

小随煩悩(ショウズイボンノウ)

というのは単独で起きる

範囲が狭いということで

小といいます

忿、恨、悩、害という

怒りということも

それ自体で起きるのです

単独で起きるので

「小」といわれるのです

その小随煩悩は10あります

 

中随煩悩は

無慚(むざん)無愧(むき)

この二つです

大随煩悩になると八つあって

小随煩悩というのは

全部で二十あります

 

無慚無愧ということは

「慚愧の念」

という言葉もあり

また「慚愧に堪えない」

という言葉もあります

慚も愧もどちらも「はじる」

ということです

 

昔の方々は

はじ、ということを

とても大切にされたように

思うのです

規則や決まり事以前に

人としてしてはいけないこと

を知っていたのです

 

高校生の時、漢文の中に

天網恢恢疎にして漏らさず

という言葉があって

何かしら、心に響きました

どんなに悪いことをして

隠していても必ず

そういうことは露見する

ものだということです

自分に対しても人に対しても

恥じるようなことは

してはいけない

そういう心を持っていた

のです

 

京セラの稲盛さんの言葉に

「勝った負けたより

まず人として正しく生きろ」

と、

JALを立て直す時

いろいろ方法はあるが

まず人として正しく生きろ

こういうことが根底にあって

JALも復活したのでしょう

 

厳密には

慚ザンということは

自分という、本当の自分

自己といってもいいし

英語では self セルフ

といってもいいし

その自己を大切にする

自分を顧みていい加減な

ことはしない、という

愧というのは

世間を顧みない

ということで

 

この中随煩悩になると

無慚無愧で

自分に対しても

世間に対しても

恥じ入ることがない

ということです

 

どうも今の世の中

法律に触れなければ

何をしてもかまわない

というような

風潮があるようです

法律に触れさえしなければ

なんだか

人としてのレベルが下がった

ような気がします

法律以前に

人として正しく生きろ

という

慚愧という心が欠落

しているように思います

 

というより

人間の煩悩が無慚無愧という

人に知られなかったら

何をしてもかまわない

という

煩悩をもっているのです

 

私の勝手な思いですが

日本をダメにしてきたのは

この無慚無愧の心が

蔓延してきたからでは

ないかと思うのです

 

中随煩悩は二つしか

ありませんが

人間の倫理という問題

信仰があれば何をしても

かまわないという

ことがなきにしも非ず

という面もあるようですが

 

まず人として正しく生きろ

という

とても大切な問題を

表しています。

 

 

 

 

 

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音禅心音「WILD ROVERS」コンサート

2022-09-26 20:15:54 | 住職の活動日記

同志社大学グリークラブOB

1983年結成された

「ワイルド・ローバーズ」

という男性カルテット

お寺の書院での演奏会

 

同志社グリーというと

その当時別格的な存在で

コンクールにも出ない

それでいて関西のトップに

君臨していました

 

演奏のプログラムは幅広く

それも私たちにとって

懐かしい思い出の曲ばかり

その歌声に酔いしれました

お見えの方も私たちとほぼ

同世代の方ばかり

御婦人方も手拍子をとり

体を揺らし

若かりし頃の

青春を思い出して

おられる様子です

 

 

ある面では歌いにくい環境

だったかもしれません

こういう和室では

音が吸い込まれ

反響しなくて自分の声が

聞き取れないのです

反響用のスピーカーを

置かれていました

 

歌い始めると

次第に乗ってこられて

声にも伸びのある声に変わり

素晴らしい声を

響かせておられました

 

このグループの名前の

由来は、

自由を求めアメリカへ

渡米された新島襄の乗られた

船の名前からとったものです

同志社大学と熊本は

不思議なご縁で

 

熊本にこられたジェーンズ

熊本洋学校を設立

熊本バンドの礎を築かれ

その功績は今でも

熊本駅の裏にある花岡山の

山上で祈りを捧げています

そのよう学校では

すべての教科が英語で行われ

男女を問わず学ばれました

そのジェーンズさんの

教え子たちが

同志社を設立される時

大きな力を発揮された

ということです

ですから、同志社というと

何かしら身近に感じます

 

今の同志社大学は

京都御所の北にあり

薩摩藩の邸跡が

その校庭になっています

 

 

久しぶりの演奏会

やはり生の歌声は

素晴らしいものです

昔のことを思い出しながら

聞き入っていました。

 

 

 

 

 

 

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温故知新 故きを温め感動を呼びさます

2022-09-21 20:57:00 | 住職の活動日記

最近の脳科学では

散歩するにも、

同じ道は通らず

コースを変えて歩いてみる

そこに、新しい発見もある

というように

本にしても

新しい本を読んでみる

ということをいわれます

 

そういうことも大事です

脳の活性化には

それと同時に

今まで習ったことを

習いなおしてみる

ということも大切のようです

 

先日も電話で

新しい曲も2万曲も聞ける

そういうコンテンツが

ありますよ、と

お勧めを受けたのですが

どうも、

新しい曲を聞いても

ピンとこないし

 

それよりも

昔聞いた曲、

それも感動した曲を

聞きなおすと

またその時のことを

思い出したりと

感動が蘇ってくるものです

 

本にしても

新しい本を読む時間があれば

私にとっては

『十地経講義』を

読み続けたいと思います

時間も限られているし

 

何か知らないのですが

どのページを読んでも

昔の講義のことを

思い出したり

また違った感動があったり

そういうことも

大切なことのように思います

 

私たちにとっては

昔感動したものを

見たり聞いたり

読んだりする方が

悩にとっては

いいように思います

また、心にとっても

感動を呼び起こすことは

脳の活性化にも

繋がるように思います

 

まあ

何でもいいと思うのですが

心がワクワクするものを

見つけるのが

限られた時間を有効に

使うために必要かと

そういうこともあるようです

 

愚痴にしても

「その話もう聞いた」

というのではなく

万劫の初事、ではないですが

初めて聞くような心で聞けば

話す方も

また、新たな感動が

生まれてくるようです

 

新しいこともさることながら

古きものを温めなおし

感動を呼び起こすことも

大事なことのように

思います。

 

 

 

 

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秋のアゲハ蝶

2022-09-20 18:37:32 | 住職の活動日記

台風一過、

一気に気温も下がり

外は25度台風の余波か

涼しい風が吹いています

 

ベランダにある鉢植えとか

色々台風に備えて

片付けていたのですが

それらを元に戻そうと

動かしていると

 

 

おや、

アゲハ蝶の

幼虫がいるではありませんか

よく見ると4匹あまり

 

 

何とも不思議です

どうやって

卵を残したのでしょう

春に蝶になっていって

飛んで行ったのを最後に

もう、孵化しないものと

思っていたのです

 

これから寒さに向かっていく

どうやって生きていくのか

心配です

ところが、

ネットで調べてみると

秋のアゲハは蛹となり

そのまま冬をこして

来春、アゲハの蝶に

なるそうです

 

それを見て安心しましたが

蛹の掴る場所を確保しないと

ベランダの壁では

羽化したとき掴まる所が

ないので落ちてしまい

羽が折れてしまうのです

 

また来春の楽しみも

見つかりましたが

蛹の様子も見守らなければ

4匹みな蝶になれば

それこそ見ものです。

 

 

 

 

 

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勉強のし過ぎはない!

2022-09-19 20:30:36 | 十地経

卒業して見ると

あの時、これをやっておけば

よかったと思うものです

高校生になると

中学校の時もう少し

英語をやっておけば、

数学をやっておけば、と

大学に入ると

高校の時、あれもこれも

やっておけばよかったと

思うものですが、

 

本当は何か一筋なものを

見つけてみると

あれもこれも

必要になってくるものです。

 

講義では

「信仰というものがあれば、

他のものは皆いらん

というようなことを

いうんじゃない。

それなら江戸の敵を長崎で

討つことになる。

何か自分のコンプレックスを

信仰で隠すことになる。

 

私は信仰があるというような

ことをいってですね、

他に何もないことを隠す

ことになる。

だからして、

信仰というものに

目覚めるならば、

算術も数学も、算盤も

皆必要なんだというんだ。

 

今、知識の詰め込み

ということで

えらいやかましいこと

言っとるけど、

なんぼ詰め込んでも

まだ足らんのですよ。

足らん。

詰め込みすぎということは

あらせんですわ。

詰込みというようなこと、

あんな程度の詰め込みじゃ

足らんのです、実際いうと。

だからして、

数学だろうが地理だろうが

政治であろうが

歴史であろうが、

それから自動車の運転まで

必要なんだ。

 

いるといえば、

全部が役立つんです。

で、そりゃ

般若というものがなければ、

それに知れば知るほど

迷わされる。

般若を得ればもう、

無駄も一つもない、

全部が役立ってくると。」

 

仏さまのことを

「一切智智」(イッサイチチ)

といいます

智を二つ重ねて、

声聞、縁覚の智慧を

一切智と区別して

仏の智慧を一切智智と

いうのです

ありとあらゆることを

知り尽くしている

人生の酸いも甘いも

あらゆる苦労も知り尽くし

ているということです。

 

弘法大師空海が創建された

日本最初の私学は

「綜芸種智院」といいます

一切智のことを種智とも

いうのです

ありとあらゆる学問

知識を学びつくすという

願いで「綜芸種智院」と

名付けられたのでしょう

ですから

仏教学だけでいい

というのではなく

ありとあらゆることを

学び尽くす

 

四弘誓願の中にも

「仏道無上誓願学」

ブツドウムジョウセイガンガク

ということがあります

仏道は無上である

限りがないということです

それを学び尽くそうという

そういう願なのです

 

言われてみると

人間の脳も使われている部分

は、ほんの数パーセントと

いわています

まだ使われていない

部分がほとんど

ということからすると

勉強のしすぎという

ことはないのでしょう。

 

死ぬまで学び続けるという

覚悟が必要なのでしょう

 

誰でしたでしょうか

「まだ足りぬ

  踊り踊りて

  あの世まで」

という句がありましたが

まさにその通りで

 「まだ足りぬ

   学び学んで

    あの世まで」

ということでしょう。

 

 

 

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京町屋の小川珈琲

2022-09-17 21:17:45 | 住職の活動日記

今、京都の町家が

色々な姿で再生されています

 

 

町家をそのままの姿で

中だけ改装したものや

一から作り直したものの

姿はもとの姿を

留めたものや

いろんな形があるようです

 

久しぶりの散歩

御池通りまでの往復です

ほぼ8000歩ほどです

途中、休憩で訪れたのが

ここ

 

 

小川珈琲です

品よく入口の足元に

名前が彫り込んであります

 

正面は町家風

中は

 

 

近代的な設備の整った

カフェになっています

 

 

厨房もすっかり今風というか

多分このお店も

町家をそのままに建て直した

物のようです

 

 

京町屋はコの字型になって

その真ん中の空間の部分が

中庭になっています

その庭も面白い造りです

 

 

中庭を見ながら奥の間へ

奥の部屋も喫茶室

どちらからも中庭を

眺められるように

上手に生かしているようです

 

 

といいつつ

美味しい珈琲を頂きました

量もしっかりと有り

十分な飲みごたえです

 

最近は

ミルクも砂糖も入れます

まぜずに

そのまま飲んでいくと

次第に甘さが伝わってきて

他にケーキやら頼まなくて

すみます

そして何よりも珈琲の味を

楽しむことができるようです

 

 

もう一度、中庭を

そして入口の階段下にも

 

 

小さなスペースをうまく

利用しているようです

いつもは、

イノダコーヒーなのですが

また、

美味しい店が見つかりました

 

 

 

 

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極楽浄土は忙しい ?

2022-09-16 20:11:58 | 住職の活動日記

道端には彼岸花を見かけます

8月はいろいろあって

アッという間に日も過ぎ

はや9月です

 

もうお彼岸の季節

彼岸、彼の岸と書きます

こちらの岸が此岸(しがん)

私たちの住んでいる

迷いの世界です

六波羅蜜の修行によって

迷いの此の岸から

仏さまのいらっしゃる

極楽浄土へ彼の岸へ

渡っていくのがお彼岸です

 

先日、テレビで、

死ぬ前に自分のメッセージを

ビデオに残された方

「先に行きますが

あの世で美味しいお酒を

準備してお待ちしています

でも、早く来ないで

ゆっくりこの世を楽しんで

下さい」と、

そういうことを仰ってました

 

極楽浄土といっても

よく分かりません

極楽、楽が極まると書きます

この楽ということが問題で

私たちの考える「楽」と

少し違っているようです

 

『往生要集』というお経には

「楽」に10あるということで

その様子が書いてあります

 

⑴聖衆来迎楽

(ショウジュウライゴウラク)

 命終に臨んで阿弥陀如来や

 観音・勢至の両菩薩が

 迎えに来てくれて

 浄土に導いてくれる。

これが普通いう極楽往生です

ここまではよく絵画とかでも

見かけます。

 

⑵蓮華初開楽

(レンゲショカイラク)

 蓮華に託して浄土に往生して

 その蓮華が初めて開いて

 浄土の荘厳を見る。

蓮の花の上に仏となって座る

のですね、そして

回りの浄土の姿を眺める

のです。

やはり浄土は素晴らしい所と

美しい浄土の姿を見ます。

 

⑶身相神通楽

(シンソウジンツウラク)

 三十二相の身と五種の神通

 が身に具わる。

人間と仏の姿が違う点が32

例えば、手と足の指の間に

水かきがあるとか、

眉間白毫といって眉間に

白い毛が渦巻いている。

そういう仏の相が現れて

天眼などの神通力が身に付く

という仏としての相が

現れてくるというのです。

 

⑷五妙境界楽

(ゴミョウキョウカイラク)

 色声香味触の五境が妙勝

 になってくる

私たちのように

見るもの聞くもの味わうもの

とかが、煩悩で見てしまう

ということではなく

清浄な感覚器官になる

ということでしょう

 

⑸快楽無退楽

(ケラクムタイラク)

 楽を受けることが窮りない

浄土に生まれ、浄土の姿を眺め

身には仏の相が身に付き

そういう楽が窮まりがない

ということでしょう

 

⑹引接結縁楽

(インジョウケチエンラク)

 さきに縁を結んだ恩人など

 を浄土へ迎えとる。

ご縁のあった方々先輩、恩人

等とここでやっと

会えるのでしょう。

やはり極楽に来られましたか

よかったよかったと

遇えたことを喜ぶのでしょう

 

ここまでは何だか分かる

ここからがしんどいというか

仏としての修行が始まる

ようです

 

⑺聖衆倶会楽

(ショウジュウクエラク)

 多くの菩薩たちと一所に

 会する

仏の仲間入りですね

見れば右も左も菩薩たち

世間的なことが通じない

仏となっているので

この方が落ち着くのかも

しれませんが

 

⑻見仏聞法楽

(ケンブツモンポウラク)

 仏を見、教えを聞くことが

 容易である

仏に見え(マミエ)いつでも

教えを聞ける

それしかないのです

冗談も馬鹿話も通じない

 

⑼随心供仏楽

(ズイシンクブツラク)

 心のままに自由に

 十方の諸仏を供養する

回りはすべて仏たちですから

お会いできた仏を供養する

 

⑽増進仏道楽

(ゾウシンブツドウラク)

 修行が進んで遂に

 仏果をさとる

ここまで来て

初めて仏道が成就し

ほとけのさとりを得る

ことができる

 

ということが書いてあります

極楽といっても

行って

それでよかった

というのではなく

その極楽浄土も修行が大変な

ようです

私たちが考えている

極楽浄土、「楽」なだけ

という世界とは

まったく違うようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Who is your behind ?

2022-09-14 21:26:43 | 住職の活動日記

直訳すれば

あなたの後ろ盾はだれですか

ということですが、

具体的には、

誰が協力してくれて、

どんな人があなたのまわりで

応援してますか?

ということです。

 

どんなに才能が有っても

その人をプロデュースする人

またどんな人が

あなたのまわりで応援して

くれる人がいなかったら

その才能は芽生えない

ということのようです

 

「小松美羽」という方の

―霊性とマンダラー

という展示会を尋ねました

一度見たら忘れられない

良いも悪いも衝撃的な

作品ばかりです

 

この小松さんが

ニューヨークで展示会を

されたときに聞かれた言葉が

「Who is your behind  ?」

ということのようです

 

東寺の食堂(じきどう)に

籠って描きあげられた

両界曼荼羅です

これはたぶん胎蔵界でしょう

 

 

こちらは金剛界でしょうか

 

曼荼羅というと

私たちにとっては

さとりの世界へ導いてくれる

チャートというか

曼荼羅に描かれている

仏の印を結び真言を唱え

曼荼羅の仏を順に回るのです

そしてついには

大日如来のさとりの世界へ

たどり着くという

曼荼羅とは拝むというよりも

もちろん拝むのですが

その中を辿りさとりへと

行く道筋なのです

 

が、果たして

本当に

たどり着けたかどうかは

不明です

ですから曼荼羅とは

一つの実践の図式になります

 

この小松さんにとっては

曼荼羅をご覧になった

その印象で

感覚的にとらえたその

仏の群像を純粋に

描かれたのかもしれません

 

 

この展示会は

阪急デパートの9階

阪急うめだギャラリーで

開かれています

 

会場内は写真撮影OK

のようで

カメラを構えた方を

多く見かけました

これも一つの

インフルエンサーを募り

できるだけ多くの人に

知って頂きたいという

目論見なのでしょう

 

古い世代の私には

理解しがたいものがある

のですが

1200年前、弘法大師が

中国より請来された

曼荼羅は見る人をして

驚かせ、一つの違和感を

もたらせたのかもしれません

 

数百年後には

当然のこととして

令和の曼荼羅として

評価されることでしょう

 

ただ、絵画としてではなく

曼荼羅というものは

明かに仏教の教義を

表したものであり

ただの仏の絵ではなく

その思想的深い内容をもった

ものであります

やはり、私たちにとっては

弘法大師の表現された

曼荼羅の世界というものは

理解できないのでしょう

 

仏教学の基礎といわれる

唯識教学や倶舎論さらには

空の思想である般若教学

そういうものを

理解しえなかったら

当然、

曼荼羅の世界には太刀打ち

出来ないようです。

 

小松さんの作品は

大英博物館にも収蔵され

著名な方々が

求めておられるようです

これからの新しい

曼荼羅であり

絵画の作品群のようです。

 

 

 

 

 

 

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智障の罪

2022-09-13 21:09:23 | 十地経

障りということで

二つの障りがあって

その一つが煩悩障

煩悩が障りであると、

これは何となく

分かるのですが、

もう一つに智障(ちしょう)

という、智慧の障り

があるというのです。

 

その一つの例えとして

アダムとイブの原罪について

述べておられます

 

「『ゲルマニカ・テオロギア』

では、

リンゴを食っては悪い、

食わなきゃいい

という分別がなければ、

何千のリンゴを食ったって

パラダイスを出る必要は

ないんだ。

食ってはならんという

分別で出たんだ。

リンゴが罪じゃないんだ、

分別の罪や。

リンゴがパラダイスから

人間を出したんじゃない。

善悪の分別を加えた

それによって、

その罪によって出された。

 

だからして、

仏教の言い方からすれば

出すものなくして

出されたんや。

自分で出たんや。

自分の分別で。

これを智障というんです。

これは煩悩障以上に

大事なもんだ。

人間が障えられとるんだ。

分別や。

 

いろんな事を

考えとるのをですね、

憎い奴とか悪い奴だとか、

そういうことがあるとやね、

どうしても脱出できんのです

共にこれ凡夫のみ

というところに立たんと。

あいつは悪いやつだと、

こういうことがあると、

どうしても

その悪い奴は苦しまへんのや

悪い奴と言ってる方が

苦しまんならんです。」

 

ちなみにここに出てくる

『ゲルマニカ・テオロギア』

という本は

大正11年10月23日に

佐藤繁彦さんの翻訳で

『宗教生活と哲学』

という題で出版されました

本の題は

「テオロギア・ゲルマニカ」

というようになっています

 

「我が愛する此書、

熱愛する此書!

聖書と聖アウグスチヌスの

書とを除いては、

神、基督、人間及び万物

について、

此書以上に教えてくれた

書はないとルーテルが

叫んだ此書!」

と熱烈な一文が解説の

所に出ています。

 

もとはリンゴではなく

木の実と出ています

楽園の中央にある命の木、

知恵の木があって

善悪の知恵の木の実を

食べてはいけない

ということです

それをヘビが出てきて

イブをそそのかし

食べても死なないよ!

そこで食べたということです

 

そこにアダムとイブの

分別がはたらいた

その分別(智障)が

罪だというのです。

 

それからもう一つ

私にとって問題だった

それでずいぶん長い間

悩んでいたのですが

「あいつは悪いやつだと」

どうしてもこのことが

頭から離れなかったのです

そのことを

見透かされたように話され、

一度や二度聞いたぐらいでは

悪い奴という

自分の心は晴れず

こっちは悪い奴と

その人を固定して

思い続けていたのですが

その当の本人は

何も自分が悪いやつとは

思ってもいないのです。

 

そういうことがあって

このところの講義は

とても印象強く残っている

ところでもあります。

 

 

 

 

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五老ヶ岳公園・スカイタワー

2022-09-12 21:10:35 | 住職の活動日記

舞鶴湾が一望に見渡せる

五老ヶ岳の山頂に立つ

スカイタワーからの眺望は

絶景です

 

 

公園の中に25メートルの

高さを誇る展望台

でも、この公園からの景色も

舞鶴湾をぐるりと

360度見渡せて

その湾の景色は美しい

 

 

タワーのガラス越しで

今一つくっきりしませんが

 

 

何だかのんびりしてくる

景色です

 

 

こういう湾の入り江が

山々に囲まれて最適な港に

なっているのでしょう

 

 

こういう深く入り組んだ湾

向こうの方が日本海に出る

出入口になっています

 

 

湾の水深も深く

結構大きな船が出入りでき

日本海側としては

最大の港のようです

 

 

まあ、この展望台は

椅子も設置されていて

扇風機もあり

湾の景色を見ているだけで

心が和んできます

このタワーに上がるのは

エレベーターなのですが

帰りは周り階段もあり

ちょっとした

シベリア抑留の写真等も

あって、それを見ながら

降りてきました

 

下の売店で、

海軍カレーを求め

色々船によってそれぞれの

カレーがあるのも

選ぶのに迷ってしまいます

 

 

外に出て改めて見上げると

凄い建物です

この日は天気も良く

青空に映えていました。

 

 

 

 

 

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