本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

洛南高等学校付属中吹奏楽部・洛南高等学校グリークラブ合同記念演奏会

2017-04-30 21:57:04 | 住職の活動日記

洛南高等学校付属中吹奏楽部

創立30周年、

洛南高等学校グリークラブ

創立25周年、

合同記念演奏会が行われました。

 

 

場所は京都の北にある、

京都コンサートホール 大ホール

 

 

いつもここで記念演奏会があります。

とても立派な建物で、

会場内には

 

 

見事なパイプオルガンもあります。

 

演奏会は3部構成で

第1部はグリークラブステージ

第二部は吹奏楽部ステージ

第3部は合同ステージ、

ということで演奏されました。

 

設立当初から携わってきた

本蔵院の崇正住職にとっては

感慨深いものがあったでしょう。

その発端となった

今は亡き川西裕明先生、

その先生の導きで

その蒔かれた小さな種がここまで

大きく育ってきて

今日の日を迎えたと思います。

 

会場を見ていると

川西先生の顔が浮かんできます

この会場にも絶対に

いらっしゃるような

そのような空気を感じます。

 

私にとっても川西先生とは

十地経の会場の準備担当で

川西先生は録音の準備

私はお茶の準備と

それが終わるといつも一緒に

食事をして講義に臨む

というのが毎月の一緒の仕事でした

たまには一緒に飲んで、

歌を聞かせていただいた

という、普通とはまた違った

お付き合いでした。

 

グリークラブの方々も

ずっと聞きつづけていたのですが

やはり人生が出て来るのでしょうか

声に深みも出て味も出てきたような

とてもいい声に熟成されたような

素晴らしい歌声です。

 

 

この二つのクラブを育ててこられた

池内毅彦先生のご尽力で

合同の演奏会が実現したのでしょう。

 

 

二人の初代部長そしてOB会長から

花束の贈呈、

池内先生にとっては

なによりも嬉しいプレゼントです。

 

 

池内先生にとっても

川西先生の意志を引き継ぎながらも

新たな池内ワールドを

作り上げておられるようでした。

この合同演奏の中にもその美しい

調和したハーモニーが素晴らしい

二つのクラブの心が

一つになったような演奏でした。

 

その集大成、第3部の合同演奏は

いろいろな事が思い出され

涙があふれてきます。

川西裕明先生作詞

池内毅彦先生作曲の団歌、

応援歌「天翔ける」は

圧巻の演奏でした。

 

 

本当に素晴らしい演奏に

大拍手です      

 

熱気も覚めやらず

ロビーに出ると

 

 

熱き歌声が響き渡っています

 

 

みなさん5年10年ぶりに

出会ったとか、

昔を思い出し

その歌声は熱を帯びていました。

 

この演奏会が毎年続けて

行われることを切に願っています。

 

三浦先生、川西先生

とてもうれしく

ご覧になっておられたような

そのような気がしていました。

 

 

 

 

 

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まさに満開の牡丹

2017-04-29 21:32:29 | 住職の活動日記

ちょうど自宅を出る時には

ほぼ満開の牡丹でした。

帰ってくる時には散っているだろう

と思っていたのですが、

家に着くと

 

 

「おかえりなさい!!」

といわんばかりに、

満開の笑顔で迎えてくれました。

思わず、

「本当にご苦労さま」

という言葉が先に出ました。

 

 

 

もう今日までが限界とばかり

これ以上広げられないと

花びらを広げて咲き誇っています

 

 

よく見ると、花びらの一枚一枚は

まるでシルクのような風合いを

見せています。

 

 

もう明日には散り始めるのでしょう

26日から咲き続けていたのです

 

このボタンも

熊本の南阿蘇のドライブインで買い

その時はまだ30センチほどの大きさでした

そして京都に来てからも

ズンズンと成長して

こんなにたくさんの花を

付けるようになってきたのです。

 

 

最後の力を振り絞って

咲いているようにも見えます。

 

牡丹としては

自分のハタラキとして最後まで

つとめを果たしているのでしょう。

出し惜しみせず、

つぼみもよし、満開の花も更によし

咲ききっていく姿もいいものです。

 

本当にご苦労さまでした。

また来年に向けて

充分に力を蓄えてください。

有り難うございました。

 

 

 

 

 

 

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新緑のお不動さま

2017-04-28 12:50:08 | 住職の活動日記

まだ四月というのに、

今日28日のお不動さまは

五月晴れのいい天気になりました。

 

 

庭のこでまりも朝日に輝いて

かわいらしくキラキラしています

 

 

もみじの新緑も美しく

もう、次の代の種を育てています

種が生育したら

風にのせて飛ばすのでしょう。

 

 

アジサイも花芽をつけています。

 

ほんのつい先日までは

枯れたような枝を伸ばしていた

銀杏木はあっという間に緑に

おおわれています。

 

 

もう看板も隠れるほどに

い茂ってきました。


新緑は力強さを感じます。

しかし、

よく見ると木々どおしも

お互いのしのぎ合いがあるようです

自分の枝を伸ばし葉を繁らせ

力を貯えます。

その葉の下になってしまった

木は日陰になってしまい

力を弱めていきます

力が弱ると虫もつきやすくなり


注意して見ていかないと

枯れてしまいます。


先日弱りかけていた梅

腐りかけていた幹の部分を

除去して、枝もおもいっきり

切ってしまいました。

すると、

今月見てみると、

葉をしっかり伸ばしていました。


今度はその銀杏と梅に挟まれた

松の木が大変です❗

松はますます日陰になってしまい

もし、自然のままでしたら

枯れてしまう運命でしょう。


なんとか、

剪定したりして栄養剤をやったりと

出来るだけのことをしなくては


自然といっても厳しい世界なのでしょう


諸行無常の世界でも

そこに不動という一点

変わらぬ精神を見いだすことが

お不動さまのお護摩のお参りなのでしょう。




 

 

 

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運こが運こでなくなる時

2017-04-27 11:52:48 | 住職の活動日記

モビプレットを飲み始める。

 

 

最近のは飲みやすく

ポカリスエットに似た味、

 

どうですか?

 

いや、まだまだ

もうちょっと頑張って飲みましょう

 

こんなんで、どうですか?

もうちょっとですね❗

 

 

1,5リットル飲んだ

お茶500ミリ、水も500ミリ

お腹はパンパン、


こんなんでどうですか❓

だいたいいいでしょう❗


ふと、思うと

自分の排泄物など

絶対に人に見せるものではない

しかし、

どうですかと、見てもらう

もはや、

うんこがうんこでなく

お腹の様子を見る

お知らせ物になっている


汚いというものではなく

冷静に観察していただく

実験、観察

好き嫌いを越えて

ものごとを冷静に見る


なんだか、仏さまの眼のような

私たちの眼は

好き嫌いの眼しか持ち合わせいない

自分の都合でものごとを見ている

科学者のような眼が、

煩悩のありようを冷静に見抜く、

そういう眼が必要なのでしょう。



済生会病院のカレンダーには 

「すべてのいのちの虹になりたい」

と、書いてありました。

 

これから、カメラです。

なにもないことを祈りつつ

あとはおまかせするしか

ありません。

 

お昼時、「運」な話で

失礼しました。

 

 

 

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わびる

2017-04-26 21:15:42 | 漢字

最近は何だか、

わびるとか謝罪するとか

テレビでよく見かけます。

「わびる」という事も漢字では

侘びるとも、詫びるとも書きます。

本来は「ほこる」とか「おごる」

「志をうしなう」という意味も

あるようです。

人の精神活動が止まり、

志を失う意味ということです。

 

最近の政治家の方も

驕りたかぶって志を失った

としか言いようがありません。

 

謝罪の仕方、ということで

テレビで流れていたのですが、

立っている場合、

体は90度に曲げて、最敬礼

座っている時は、

両ももから手を滑らし

ひざの前で手を重ね頭は

手に付くか付かない程度

頭をつけてといわれたら

頭は畳につける、

というような謝罪の仕方を

教えておられました。

 

その姿を見てふと思ったのですが

私たちが修行の時

必ず五体投地(ごたいとうち)の

礼拝をします。

仏の前に自分の身を投げ出す

ということです。

以前はお正月の拝賀式では

管長様に向かって

正月のご挨拶として五体投地を

していました。

 

仏教では、

お詫びという事ではないですが

頭を下げる、身を投げ出す

という形で言葉が色々あります。

何気なく使っている「南無」

これもインドの言葉でナマステ

といって挨拶の言葉

頭を下げる事です。

それから、「諬首」(けいしゅ)

ということもあります。

『諬首唯識性 万分清浄者』

と、唯識三十頌の最初の言葉です。

それから、

「帰命」(きみょう)ということも

南無という事を日本語訳したものです

 

本来は、

一切をお任せします

という事で五体投地するのです

しかし、

わびる、詫びる …

という事も考えてみると

私達は本当の自分に背きながら

生きています。

だから苦しむのです。

自己に背き、仏に背き

であれば、

本来の自己にお詫びして

仏にお侘びしながら

生きているのが私達の姿です

 

仏教の場合は

人に謝罪するというよりも

本当の自分に向かって

お詫びし、謝罪しているとも

いえないことはないのでは

ないかと思います

 

自己を見つめるといっても

煩悩だらけの自分を見たら

ぞっとするかもしれません

しかし、

よく見てみるとこんなにも

自分の煩悩の深さに

よくぞ見つけてくれたと

感動するかもしれません。

 

修行では

一つの行の始まりには

必ず百礼(ひゃくらい)といって

五体投地を百回します

一日三座であれば300回

ということです。

この礼拝(らいはい)は修行が

終るまで続くのです

 

それほど、強情我慢の心の根は

深いともいえるのです。

 

お詫びするということも

よくよく考えてみれば

おもしろいものです。

 

 

 

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牡丹が満開です!!

2017-04-25 14:51:17 | 住職の活動日記

今年も元気に精一杯の花を

咲かせてくれました。

 

 

六輪が満開です。

残り一輪はまだつぼみ

最後のお楽しみに

咲いてくれるでしょう。

 

 

見るからに豪華絢爛

艶やかというか、

 

 

ついつい見とれてしまいます

 

しかし、

この花を咲かせているのは、

 

 

この根っこです。

こんな細い幹から

あの大きな花を六輪も

咲かせている。

その下は根っこがびっしりと

張ってその力を吸収している

 

なんだか、

水だけしかやらないのに

こんな豪華な花を咲かせてくれて

勿体無いような気がします。

どこにこのような力あるのでしょう

 

染色家の志村ふくみさん、

さくらも咲いてから

その木を煮出して染めても

さくらの色は出ないと

さくらが咲く少し前にとると

一見同じようだけれど

萌えるような命が感じられると

お話しておられました。

 

この細い幹の中にも

そのピンクの色が

宿っているのでしょう。

私達は咲いたときしか

気になりませんが、

花にとっては咲くことよりも

咲くための準備の方が大切で

これから花を落とし

土の中ではいのちを育む準備が

大忙しではないでしょうか。

 

 

 

花に目を奪われがちですが

見えない根の仕事の方が大切です

 

『根』仏教でも(こん)といって

とても重要な言葉です。

般若心経にも、

「眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・

 意根」

ということが出てきます。

辞書には

根(こん)とは、

力があって強い作用を有するもの、

とあります。

修行の力によって、

根を修練して鈍根・下根から

利根・上根に赴くのを

練根(れんこん)というそうで、

7番目の声聞を下根

8番目の縁覚を中根

9番目の菩薩を上根

へと修行を積んでいくことを

練根いうのでしょう。

 

私達にとっても植物にとっても

「根」ということは

一番大切なのですね。

 

 

 

 

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たんぽぽの根の深さ、たんぽぽの種の軽さ

2017-04-24 15:46:41 | 住職の活動日記

「たんぽぽ」

三浦先生も好きだった花、

歩いていても目につき

気になる花です。

 

 

茶畑の土手沿いに

花を咲かせ、種を付けてます。

 

 

花も可愛いのですが

種も不思議な造形です

 

 

風が吹くと種を風に乗せて

どこまでも飛ばし

仲間を増やしていきます。

 

 

たんぽぽの種の軽さ、

 

 

そして、

落ちたところで深く根を張る

そのたくましさ、

 

坂村真民さんは

『ねがい』 という詩の中で、

「たんぽぽの根のように強くなろう

 たんぽぽの花のように美しくなろう

 たんぽぽの種のように軽くなろう

 たんぽぽの花言葉のように

 幸せをまきちらそう」

といっておられます。

 

根の強さということは

根が深く張るということで

根が深さをあらわし

種が軽さをあらわしている

 

『深さと軽さ』

この言葉は仏教のキーワード

のような言葉ではないでしょうか

安田先生の好きな言葉に

『深心妙行』

という言葉があります。

「深いところに立って

 自由にはたらく」

深いところに立たなければ

自由にはたらくことはできません。

 

十地経の第七地

ちょうど読んでいるところは

「遠行地」といいます

言い換えれば「深行地」ともいい

遠くへ行くという意味ではなく

行を極めていく、

至極という、行を完成していく

そういう意味があります。

そういう意味では「深行」と

言った方が

ぴったりするかもしれません。

 

また、菩薩は三つの心で

行を行じると

「直心・深心・大悲心」

素直な心、深い心、慈悲の心

というようにも出てきます。

 

同じジンシンでも、

深信という言葉もあります。

特に、善導大師の信仰告白として

「二種深信」は有名です。

 

軽い、という言葉は

世間では「軽い人」というと

軽薄な人のようですが、

仏教では信仰心の一つとして

とても重要な心です。

「軽安」(きょうあん)といって

軽くのびやかで安らかである

ということです。

 

この「軽安」という心は

人間が本来の自分に立ち還った

ときに起こる心です。

軽いの反対は重いですが、

人間の心は往々にして

何かにこだわっているもので

それを離そうとせず、

自分の固執にとらわれるものです

だから経典では、

画を見たり、お茶やお花を

やっているときは

軽安という心は起こる場合がある

しかし、日常生活では

絶対に起こらないと書いてあります。

 

ですから、

よく三浦先生にしかられたのは

「お前は重たい!

 もっと軽やかに

 はい!はい!と出来ないものか」

軽やかというのは大事な心ですよ

腹に一物、手に荷物

を持っているから重たい!

と言ったことを思い出します。

 

 

たんぽぽではないですが

「深くて、軽い」

これは私たちのあり方、

修行のあり方の要のような

気がします。

 

 

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春は百花繚乱

2017-04-23 19:04:45 | フラワー

咲き乱れています。

どこを歩いても花盛り、

眼を楽しませてくれます。

 

 

いつもの井川、桜並木が今は

菜の花で覆われています。

 

 

 

ピンクから黄色へ

一見どぶ川のようですが

ここでも魚が泳ぎ、鴨の親子も

そして魚を捕りにアオサギも

色々な営みがあります。

 

一方我が家では

 

 

玄関に今週の花が活けられ

色とりどり、

それぞれの花が

自分を主張することなく

 

 

しかしそれぞれに精一杯に

比べることなく

 

 

彩り豊かに調和しています

 

 

 

仏教の言葉に「捨」ということが

普通には捨てるですが

仏教では、平等ということを

意味しています。

どれが美しいとかではなく

それぞれが平等なのです

そこに一つに美しさが表れている

自我を捨て去った、

そこに平等の心境が開けてくるのでしょう

 

 

ふと外に眼をやると

 

 

まだシクラメンは咲いています

そして、

牡丹の花も咲きだしました

 

 

豊かに咲き

 

 

あたり一面とてもいい香りを

漂わせています。

しかし、虫たちはこの香り

苦手のようで咲き始めると

いなくなります。

 

 

まだつぼみもあり

次々と楽しめそうです。

 

また、今日は

美しいカップルが誕生しました。

 

 

そのブーケを頂きました

 

 

ここにも色とりどり

色の塊が生まれています。

 

百花繚乱

また新しい一つの家族誕生です

今日お見えの方々も

それぞれに美しい花を咲かせ

競い合うことなく

それぞれが美しい花です。

 

どの世界においても

百花繚乱

それぞれがそれぞれの花です

比べる必要なはい

本当に美しく見えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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こき、こき!?

2017-04-22 18:06:47 | 住職の活動日記

先日のテレビ、上沼恵美子さん

「うちの旦那も

  今年こきになりまして…」

すると若手の芸人さん

「こき…?」

「電話の子機かと、

上沼さんが親機でご主人が子機!」

「アホか!!」

たぶんわかっているのに

とぼけられたのでしょう。

 

けど、「古希」という言葉

死語になりつつあるのかも ?

「人生七十古来稀」

という言葉から出ているのですが、

 

70才、

わが身に置き換えてみて

なんとも不思議、

70のお爺さん

腰も曲がり白髪でよぼよぼと

というように子どもの頃には

思っていました。

自分がなってみると

精神年齢が幼いのでしょう

まだまだ子供の気分です。

 

先日も電車でせきの譲り合い

「どうぞ、どうぞ、」

「いやそちらがどうぞ!」

気分は若いつもりですが

はた目にはどっちもどっち

というところでしょう。

 

しかし、「7」という数字

微妙なニュアンスを持っています。

お釈迦様も誕生して

七歩あゆまれて天上天下唯我独尊

と名のられたという。

迷いの六道を一歩超えた

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天

の六つを越えられた

だから、七というのは

迷いを越えたという意味がります。

 

十地経というお経でも、

七地というところが難関です

六地まではまだ修行

それも努力の修行

(有功用)「うくゆう」と読み、

自分の意思で覚悟を決めて

励まなければいけません。

それが、八地になると

もう、努力してるという

意識すらなくなってくる

無功用(むくゆう)といい

それこそ「自然」(じねん)という

言葉でもいわれます。

 

先日でしたか、

羽生弦選手、

世界最高得点を出しても

インタビューに答えて

「まだまだです。これからやることが

いろいろ見えてきました。」

と、

努力の限りを尽くした人にこそ

努力が無限であるということが

見えてくるのではないでしょうか。

 

七地というのは

努力ということもなくなってくる

しかし、

まだ努力の残滓も起こっている

そういうところなのでしょう。

そして、さらに進む八地という世界へ

つながっていく、

そういう大切な七地という

ところです。

 

七という数字、

アニメではウルトラセブンもあれば

〇〇セブンという会もあるようです

最近ではGINZASIXなるものが

東京銀座に出来たようですが

6よりセブンではないかと

 

我が家の庭の牡丹の花も

 

 

桃のように膨らんできましたが

何と花の数はセブンも付きました

 

 

もうすぐ開き始めます

 

 

そしてその隣には

つぼみも待っています。

 

六道の迷いを超えて

最初に入るのが声聞という世界

七番目です

縁覚・菩薩・仏(如来)仏の世界が

始まっていきます。

迷いを超えるには声聞という

声を聞くということが

本当のことに触れた人の声を聞く

そこからが本当の修行です。

 

古希ということも

そこから本当の終わりのない修行

が始まるということでしょう。

修行と自覚しないような

全部が修行である

というような生活が始まるのでしょう

「よいかな!律良」

ということですけれど

これからが本当の人生と

覚悟しなけれななりません。

 

まあ、身体の方は

コキコキとあちこちで音がして

動きも悪くなりますが、

精紳だけは初心に立って

学び始めるということです。

その時間が何時まであるか ??

業が尽きるまで

学び続けるということです。

 

 

 

 

 

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弘法大師正御影供(しょうみえく)

2017-04-21 17:53:30 | 住職の活動日記

4月は弘法大師空海の祥月命日

それで、正御影供といいます。

 

 

正門の南大門より、入り

西隣にある

 

 

修行大師に参拝、

 

五重塔も

 

 

緑の木々に覆われています。

 

弘法大師のお住まいである

御影堂(みえどう)は今修理中

 

 

大きな素屋根がかかっています。

お大師様のまわりは

八重の桜が満開で

 

 

まあ、見事な!

 

 

こぼれんばかりに咲いています

 

 

今年は今までになく色々の桜に

出会うことができました。

 

修理中ということもあって

御影堂南面の護摩堂は

 

 

護摩壇もなくそのままの姿を

見ることができました。

扉の向こうには秘仏の不動明王が

お祀りしてあります。

 

 

とても懐かしい場所です。

 

お不動さまの周りにも

 

 

八重の桜が

 

 

咲き誇っています。

 

久しぶりに

静かにお参りさせていただきました

 

境内は出店も出て人混みの雑踏

お参りも済ませ

 

 

東寺の地の神さまである

「八島さん」にお参りして

失礼しました。

 

 

南大門から見る五重塔

この角度が一番好きな場所です

 

 

その南大門の右隣には

富岡鉄斎の筆になる

「弘法大師立教開宗根本道場

 真言宗総本山東寺」

の文字が見えます。

 

帰り道、また出くわした

アオサギ君

 

 

ここをわが棲家として

生活を営んでいるようです。

まだ夕食にはちょっと早いせいか

まだ物色中のようです。

 

 

この塀をバックに何とか

画になる光景ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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